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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第4章 世の表裏
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4-04 父の悟り

 ユートは壁にもたれて座っていた。

 頭の中で様々な想像がうるさく駆け巡る中、音が沈むような静けさに包まれていた。

 出口を探しまわるという方法は、試す前に諦めていた。

 世界で最も知識があるとされるゾネイアが出られなかった地下迷宮だからである。焦る気持ちも挽回したい想いもあったが、勝手に動き回って行方知れずになれば、事態がより悪化すると分かっていたからである。


「待つしかない――」


 何もできずに待つだけの時間は苦痛である。

 かといって運任せで彷徨うのは、プロソデアに見捨てられてからにすべきだった。

 ユートは心を落ち着けるために、目を閉じる。


 考えるべき事が脳内で駆け巡っていた。

 宝珠を持ち出したのは、リシアなのか、それともトーマが想定より早く到着したのか。

 サーリ達は無事に外に出たのか。

 外に出ても、不殺を誓う彼女たちが、自他の犠牲を厭わないトルプ率いる天空遊撃隊と戦えるのか。


 疑問だらけである。

 答えが見付けられずに雑多な思考を放棄したユートの耳に小さな音が届いた。

 目を開け天井を見上げたユートは、手を耳に当てて音の方向を探った。



『宝珠が無い! 無い無い無い! やはり無い!』



 微かだが、苛立ちが込められた声。

 ゾネイアのようだった。

 ユートは耳に手を当てながら頭を傾け、最も声が聞こえる方向を探した。



『どうする、どうする、どうする。出て行くべきか、いやそれはまずい』



 間違いなくゾネイアの声であり、上層の音が、伝声管のように聞こえてくる隙間があるようだった。

 石の床を歩き回る靴音も、ユートの耳に届くようになる。

 だが次第にゾネイアの足音が遠ざかり、隠し戸を開閉する音がして、聞こえなくなった。

 しばらくの間ユートは壁にもたれたまま耳を澄ませていた。



「ユート殿、聞こえますか」

 不意に、プロソデアの鮮明な声がユートの耳に届いた。

 驚いて体を起こしたユートは、迎えに来てくれた喜びの笑顔と共に、穴を覗いた。

 だが、穴の向こうには誰の姿もなかった。



「ユート殿、今何処にいます?」

「プロソデアなのか? 君こそ何処にいる?」

「第三階層の下の地底湖です」

「下って、だが声は耳元で聞こえるが」

「精霊を使って声を届けているのです」

「精霊で? どういう原理なんだ?」

「地下迷宮内の精の流れが止まったので、ディミが声を運んでいるのです」


 答えが返ってくるまでに、一拍ほど間がある。

 精霊が声を運ぶタイムラグが、その間であった。



「驚かせましたか?」

「いや、大丈夫だ。俺はゾネイアが居た場所にいる。転移紋がどうとか言っていた」

「――ゾネイア博士が外に出たのですか」

「そうなる。俺たちが落とされた場所から上に行き、宝珠が無いと驚いていたが、今は奥の間に隠れているらしい」

「用事ができました。ユート殿はもうしばらくそこで待っていてください」

「ああ。忘れずに助けてくれればいいさ」

「必ず――」



 声が途切れるように消えた。

 プロソデアに見捨てられていないと知ったユートの表情が、心なしか穏やかになったのは一瞬に過ぎなかった。

 すぐに、ユートの表情は険しくなる。


 宝珠が精霊王に対して使われ、ルリが消滅する未来へと現実が向かおうとしているからだった。


 妻を失ったユートが抱いた恐怖と喪失感と悲しみは、トーマが生きている現実によって薄らいだ。しかし、ルリを失ったトーマにとって、父親の無事が喪失の癒やしになることはない。少しは慰めになったとしても、世代の違いは越えられない。

 友人や恋人の喪失とは次元が異なるのだ。


 トーマが辛い想いをする未来が見えていながら、阻止できない現実がユートの目の前に横たわっている。

 自力では何も出来ず助けられるのをただ待つだけでしかなユートは、何も出来ない無力さを痛感し、狂おしいほどの無念に悶えた。

 トーマを守る方法が見いだせず、ユートは苦しんだ。

 ユートに出来る事は、プロソデアに、宝珠を取り戻してくれと頼む事くらいであった。その場合、地下迷宮から脱出できずに死ぬ事を受け入れなければならなかった。


 きれい事では済まない死の覚悟を迫られると、足掻くか諦めるかという二者択一が決められず、苦闘する。

 死にたい訳では無い。

 ただ、親と子のどちらが生き残るべきかというなら、迷う事無く子を選ぶのだ。

 未来を紡ぐのは、子供だからである。


 それでも死に行く道筋を歩もうという決意を、ユートは持てずにいた。

 そうした負の思考に囚われていたユートが、唐突に耳を押さえた。

 耳鳴りがしたのだ。

 聴診器で血流の音を聞いているようであった。

 次に、レントゲンを撮られた時のように何かで体が貫かれる妙な感覚に襲われた。


 壁に埋められた光精石が暗くなる。

 壊れかけた蛍光灯のように光精石が明滅する。


「精の流れが、戻った?」


 すぐに消えかけた光精石が再び光を取り戻し、ゴーというような耳鳴りは、サーというせせらぎのような音に変わった。


「どうなってる? 何が起きた?」


 ユートは耳を澄ませた。

 宝珠が元に戻される以外に精の流れが変化する理由を思いつけず、祭壇の間からの音に手掛かりを求めたのだ

 すぐには聞こえなかった。

 立ち上がり、目を閉じて集中する。

 微かに音が、ユートの耳に届き始める。

 さらに意識を向け続けると、音は鮮明になり、声として聞き取れるようになった。



『では教えてやろう。この壁には創世からの事象が刻まれている。精霊を分かつ方法、精霊王誕生の経緯、祭祀のしきたり。公文書館の蔵書にもない、真髄がある』

『叡智ですか? 学者でも知らない』



 問うたのはゾネイアで、応じたのはトーマの声だった。

 ユートは天井の石積みを見つめる。

 天井を透視してこの上にいる息子の姿を確かめようとしているようだった。

 言うまでも無くユートに透視能力はないが、トーマの元気そうな声と、天井と床を隔てた上に息子が無事でいる実感を得ていた。

 ユートにとっての最悪の事態には至っていない現実に、安堵の息が漏れた。


「だが、ゾネイアか」


 ユートの表情が険しくなった。

 ゾネイアには、トルプとは異なる危険がある。

 警告しようと口を開きかけて、ユートは止まった。

 武力に頼るトルプと、知力に頼るゾネイア。

 トルプにとっての武器が剣や槍であるならば、ゾネイアにとっての武器は知識と知恵となる。そんなゾネイアに、トーマとの親子関係を知らせるのは、武器を与えることに他ならないと気付いたのだ。



『否と言おう、若輩者よ。既知であったが、検証不可能だったのだ』

『どういう事です?』

『不遜にも祭司はこれらを隠蔽し、秘伝としてきた。それが、これだ。結果、精霊王は祭殿を出た故に、地は荒廃の途にある。秘匿してきた因果が巡ってきたのだ』


『ツケですか』

『左様。事ここに至ってようやく儂は中に至った。かねてより査察できていれば、今般の事態は回避できた。百聞は一見にしかずだ。目の当たりにした記録は、白砂青松の如くであった』



 トーマとゾネイアの会話には、微妙な意味合いのずれがあった。

 大意では通じる意味だが、トーマが話すそのままの言葉と、ゾネイアの応えが噛み合っていない。

 トーマが聞いている翻訳と、ディミの翻訳には違いがあるようだと、ユートは思いながら聞いていた。



『その叡智に、精霊王の宿玉となった少女を取り戻す方法はありますか?』

『何故、取り戻したいのだ』



 始まった、とユートは拳を握り締める。

 ゾネイアは老獪な知恵者である。

 詐謀を用いて深層心理を突く。

 甘美な言葉は、難題に直面し困窮するほどに縋りたくなり、縋れば警戒心を緩めてしまうことになる。

 苦労を分かち支え合って共に歩むと共感されると心を許して依存し、精神を侵食される。

 苦難に迷う場面で叱咤激励するのを諫言かんげんうそぶかれて、それを盲信する危険性があるのだ。


 子供のトーマでは言いくるめられるのを、ユートは恐れていた。



『また会いたい、ということかな』

『そうです』

『然らば、為し得よう』

『本当ですか』



 トーマの声が弾んでいる。

 それに危機感を覚えながらも、ユートは沈黙を続けていた。

 ゾネイアに親子関係を知られる方が厄介だという結論は、ユートの中で変わらなかったからである。


 知られても、父親を人質にしたとトーマを脅迫する程度ならユートは気にしない。

 トーマが抱く、父親に対する感情を利用し、ゾネイアが望む方向へと誘導されるのが危ういのだ。トーマが父親の身を案じるようなら死別の恐怖心を操り、嫌うようなら反抗心を誘う。そうやっては知らず知らずのうちにトーマは、ゾネイアに操られてしまうだろう。


 契約精霊の有無によって地位が左右される世界で精霊の力を持たないゾネイアが学者の頂点に立てたなら、それは知略による。人の心と感情を操る、心理学にも長けているはずだった。

 ゾネイアは自他のあらゆる物を利用し、欲しいものを手にしようとするのだ。


 ユートが気を揉む中、トーマとゾネイアの問答は続いていた。


 ゾネイアは、他の精霊王も解き放てと言う。

 精霊王を解放すれば世界の滅びに近づくという説を知っていたトーマは、疑問を抱いた。

 するとゾネイアは分断された世界を再び元のように一つに戻し、争いの無い世界を作ると語り、そうすれば少女が解き放たれると言った。

 トーマの目的を結末に据え、そこへ至るための手段と位置づけたのだ。

 問題のすり替えと手段の誤魔化しだった。

 ルリを助けようと必死で助ける手段を見付けられずに憔悴するほどに、装飾されたその道筋に縋りたくなる誘惑であった。



『それは違うのではありませんか?』



 だが、トーマが返した言葉は、ユートの想像を超えていた。

 分断の世界を融和によって争いをなくすという欺瞞を、本をバラバラにする例を用いて論破さえした。

 トーマは、ユートが想っていた以上に、精神的に成長していた。

 親として子供と向き合ってこなかった年月の重みをそこに感じたユートは、愕然としつつも、心が熱く昂ぶるのを感じていた。



『もうよい。話は終わった。儂はこれで失礼する』

『お待ちください、ゾネイア博士』



 呼び止めた声は、サーリだった。

 トーマの側に居ると知り、ユートは握り続けていた拳を、安堵と共に開いた。

 サーリはゾネイアと問答し、捕縛すると告げた。

 するとゾネイアは、精霊を呼び出したようである。

 サーリが驚き、ゾネイアは恍惚の声を漏らした。だが直後に、ゾネイアは驚愕の声を上げる。

 会話の様子から、ゾネイアの精霊はファロウが倒したようだった。


 ゾネイアが落胆の声を漏らした所へ、新たな声が聞こえた。アグリアとゾタニである。ゾネイアは捕らえられ、連行されていったらしく、静かになった。

 トーマが困難を乗り越えて気が抜けたユートは、精神的な疲労を感じて床に腰を下ろして目を閉じた。


「俺がトーマの側にいるより、良さそうだ」


 安堵と寂寥が混じり合った感情に、ユートは浸る。

 知らぬ間に、親としての役目はほぼ終わっていたとのだと、ユートは悟った。

 反抗期の終焉は、そのサインだったのだ。


 トーマの反抗期は、母親の死に対して父親に抱く不信感が発端だった。

 それは今も継続中であるが、口論は明らかに減っていた。

 心理的拒絶によって、儀礼的な親子関係を演じるようになったのだ。表立った反抗はしないが、話を聞こうとはしないのだ。


 仮にユートが何か助言をしても、反抗的な心情が先に立ち、聞き入れないどころか助言と逆の行動を、トーマは取ることだろう。

 危ないと思って手助けすれば、余計な手出しをするなという感情が先に立ち、無理をして敢えて危険に身を晒すかもしれない。


 さらには、見守るだけと決めても親の視線があると意識するだけで、変に萎縮しあるいは力んで、発想の広がりを制限する悪影響を与えてしまう事になる。


 静まりかえった地下迷宮の中、小さな過ちを積み重ね続けて解消せずに至った今をユートは想った。

 皮肉な現実を招いた愚かさを嗤い、小さく溜め息を吐き、やるせない表情でユートは天井を見上げた。

 しばらくぼんやりとしていたユートの耳に、微かに歩き回る靴音が届いた。

 まだ誰か居るのだと知って、ユートは耳を澄ませる。



『私の力では、奥の間の祭壇は動かせない――』

 サーリの声だった。

『私はどうすればいいのでしょう、プロソデア様――。答えは分かっていますし既に決めた事です。ですがやはり、プロソデア様の想いは遠くの彼方にあるのですね』



 サーリも一人の悩める人間であった。

 ユートは神妙な面持ちとなり、声を掛けるタイミングを待った。


『私は少し、期待していたのです。プロソデア様なら、地下迷宮から脱出してくださっているのを。それをプロソデア様はなさらなかった。やはりそうなのですね。ですが、プロソデア様を残して行くのは、私にとっては辛いのです――』



 意外な独白を盗み聞いた罪悪感を抱きつつユートは、聞かなかった、聞こえなかった、ということにした。

 これ以上聞いてはいけないし、語らせるのも良くないと感じて、ユートは立ち上がる。

 そして、祭壇の間からの音が伝わってくる天井の真下に立ち、大きく息を吸った。


「サーリ、そこにいるか?」

『え? ユート殿? どこです?』


 サーリの足音には、驚きと困惑と動揺が現れていた。

 ユートは気付かぬ振りをして、サーリに声を届けようと意識する。


「地下だ。声だけは通じるらしい」

『え? あの、では、私の――』


 動揺するサーリに、ユートは鈍感を貫くと決めていた。


「俺の声は君に届いているんだね。こっちは微かにしか聞こえない」

『はい。よく聞こえます。精霊が声を拾ってくれるのです』

「なら聞いてくれ。こっちは大丈夫だ。プロソデアはやる事があるからと、俺はまだここで待っている。出ていくまでにはもう少し時間が掛かるだろう」

『そうですか』


「それで、この後君たちはどうする?」


『私はモーティス騎士団を称した以上、誰も犠牲にしない道を探ります。天の騎士に逆らい、ゾネイア博士をも拘束したのですから、後戻りは出来ません』

「それなら頼みがある。内緒の話だ」

『なんでしょうか』


「トーマに力を貸して欲しい」


『救世の勇者に?』

「精霊王の宿玉にされたのが、トーマの幼馴染みの少女ルリだ。トーマはルリを助けようとしている」

『ではユート殿は――』


「トーマは俺の息子だ」


『そうでしたか。分かりました。お約束します。救世の勇者と光の霊獣と共になら、私達の理想も実現できると思いますから』

「ありがとう。感謝する」

『いいえ。それは私の、私達の意志でもあります』


「最後にもうひとつ頼みがある」


『何でしょう』

「俺がこの世界にいると、トーマには教えないで欲しい」

『どうしてです? お父上が居ると分かれば、心強いでしょうに』


「そうじゃない」


 ユートは一度区切って大きく息を吸う。

 その瞬間、ユートの内には新たな境地が芽生えていた。そこに全霊を注ぎ、言葉を紡ぎ想いと共にサーリへと向けていた。


「俺はまだここから出られないし、トーマはルリを助ける方法を見付けていない。そんな困難な状況で、トーマの意識を俺にまで向けさせてはいけない。トーマにはルリを助ける事に専念して欲しいんだ。俺の方はどうにかなる。プロソデアがいるからな」

『分かりました』

「すまないが、頼む」

『はい。早速準備に取りかかります。ではまた、再会する日まで』


 靴音が遠ざかっていく。

 サーリも祭壇の間から出て行った。

 静かになり、ユートは感慨深げに深い息を吐いた。


「親が知らない間に、子供は大人になっているってことか。なぁトーマ――」


 親としての直接的な出番はもうない。

 遠くから見守り、身を案じ、幸せを祈り、せいぜい影ながら支えるくらいしか出来ないのだ。

 ユートの心から親としての義務が消え、淋しさを招く隙間風が吹き込むように、虚無が訪いを告げていた――。


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