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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第3章 五叉路
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3-05 処世術

 祭壇の間から出てすぐに、リシアは異変に気付いた。

 トルプの言葉が分からなくなったのだ。

 それとも聞き漏らしたのかとリシアはトルプを見た。



「エコ・ティティミナ・ノリソ・イヴジェニ・ギナイカ・サン・キセナ」



 意味が分からずにリシアは考え込み、プロソデアから離れたために、精霊による通訳を失ったのだと悟った。



「すみませんが、言葉が分からないようです」



 トルプが驚いたように目を見開き、次に落胆したように俯いた。

 だがすぐに、確固たる決意を抱く者の表情となった。



「エテレステ・モナ・マソ・グローサ・ケカノ・トカリテロ・ディナト・ギナソ・ティカリナ・ソウ」

「私にはあなたの言葉が分かりません」

「ナエサ・ベベオス」

「言葉が分からなくなった今、どうすればいいのでしょう」

「テロス・パトン・ササスパ・セエナ・メラ・ソポウ・オポボレティ・ナクセ・ラコスティエ」



 トルプは大げさな身振りをしながら、手を前の方へと動かす。

「付いてこい」と言っているようだと予想して、リシアはトルプに従った。


 留学経験のあるリシアは、経験で知っていた。

 だからとにかく、話すことにした。

 言語の文法と単語が分からないからこそ、話してもらう必要がある。耳を慣らし、単語を聞き取れるようになるためである。


 プロソデアと初めて会った時をリシアは想った。

 物の名前を教えてもらおうと空や石や壁や柱を指さして「あれは何」と尋ねてみる。だがトルプは名詞となる単語だけを話すのではなく、余計な何かを話したのだ。人に物事を教えたり人と相互理解を深めたりするのが、不得手な人物なのだとリシアは悟った。


 端的に言えば、人の能力としての素地が、悪いのだ。

 騎士としては優秀だとしても、想定外の事態に遭遇した時に発揮されるべき応用や創意工夫が苦手なようである。

 あるいは感受性が乏しく、想像力に欠けている。


 単純な名詞を知識として共通認識出来れば、単語を並べるだけで格段に意思疎通が可能になると知らないのだ。

 そして、その可能性に気付きもしない。


 とにかく、トルプは多弁に過ぎる。


 自己満足しているような表情から、気の利いた言葉を語っているようだと、リシアは想像していた。だがそれは、実りの無い空虚な言葉だった。


 無駄だと悟ってリシアが口を閉ざしても尚、トルプは語り続ける。黙って不安にさせてはいけないと気遣ってくれているとリシアは察していたが、鬱陶しさが先に立つ。


 苦痛に耐えながら案内されたのは、宿坊のような建物にある、少し広めのベッドが置かれた部屋だった。

 リシアが身構える素振りを見せると、トルプはすぐに別の場所へと案内した。シャワールームのような水場、食堂と炊事場、そして厠である。最初に案内された部屋へ戻ったトルプは二言三言言葉を発し、立ち去った。


 強引にベッドに押し倒されるという想定は無用だったと、リシアは安堵の息を吐く。

 最低限必要な場所を教えてくれだけで、親切で紳士的な振る舞いである。高圧的な人物のように想えたが、意外にも気遣いあると、リシアは評価を少し改めた。


 優しさという点では、トルプに軍配が上がる。

 独善的で不躾なあの男とは偉い違いだった。

 そもそも、余計なお世話なのだ。

 男から迫られた経験はこれまでに何度もある。あの男に警告されるまでもなく、想定済みだった。

 それでも話に乗ってみたのは、身を守る術があるからだった。備えあるからこそ、心には余裕ができ、選択の自由が得られるのだ。

 ただし、迫られる事態にならない方がいいのは間違いなかった。



 侍女となって間もない頃の記憶が蘇る――。


 雇用主であるルリの父親に、強引に寝室に連れ込まれたことがあった。



「ここで働き続けたければ、分かっているだろう?」と訳の分からない言葉を告げられ、広い屋敷の普段使われないゲストルームへと引っ張り込まれたのだ。


 リシアは、ようやく意図を理解し、即座に拒否した。

 ルリの世話係としての役目は請け負ったが、情婦の役目は依頼されてもいないしその分の給料ももらってない、と突っぱねたのだ。

 だがルリの父親は、「幾らならいいんだ」と言ったのだ。

 カネの問題ではなかった。

 リシアにとっての貞操とは、捧げるならカネは不要だし、奪われるなら命を懸けた後に奪われるものだった。



「クビになりたくないだろう」



 言いながらルリの父親が抱き付いてきた瞬間、リシアは投げ飛ばしていた。

 床に背中を打ち付けたルリの父親は、しばらく息を詰まらせ呻いた。この一撃で、ルリの父親が抱いていた情欲は、消し飛んだのだ。

 もしもこの時に何か有れば、あの男から愛人かと問われても、否定出来なかっただろう。

 リシアに備えと覚悟があったからこそ、負い目と弱みを植え付けられずに済んだのだ。


 だが、反撃した結果、不条理に襲われたのである。

 ルリの父親は反省するどころか逆切れして怒りを爆発させたのだ。



「主人に逆らう奴は、樹海に捨ててやる」



 自らの行為を棚に上げ、死の宣告をして用心棒として雇っている使用人を呼んだのである。


 理不尽さにリシアは怒りを噛み締めた。

 雇用主だったからリシアは、ケガをしないように手加減したのだ。投げ落としたのだって、毛足の長い柔らかな絨毯の上でもある。

 本気だったなら、受け身を取れないように固め、脳天から落とすことだってできたのだ。


 駆けつけた用心棒は三人とも刀を手にしていた。


 それでもリシアは冷静さを保っていた。

 リシアは無手だったが、最小限の手加減をして、三人を殺さずに制圧してみせたのだった。


 ルリの父親は青ざめ、殺されると狼狽し、騒ぎわめいた。

 それによって、ルリの母親が事態を知ったのである。

 するとルリの父親は虚言を語った。自分が連れ込んだのではなく、誘惑されたのだと言いだしたのだ。

 リシアには、反論も弁明の機会も与えられなかった。


 解雇が告げられ、リシアは黙って従った。

 だがすぐに解雇は撤回された。

 ルリの世話をする人材が必要だという思惑が、二人で一致したからである。結果として、この事実を口外しないという条件で、雇用の継続が告げられたのだ。


 リシアにはルリの側に居たいという想いがあったので、その条件を受け入れた。


 ただ、それですべてが済んだ訳ではない。

 母親から、夫を誑し込もうとしたふしだらな女と見下され、それを真に受けた他の使用人からそしられ嫌がらせされたのだ。

 リシアはそのような事実はないと言い続けた。

 真実が、リシアの味方だった。


 それでも嫌がらせは続いた。

 その都度リシアは、実力行使で対抗した。

 ある時には、用心棒の屈強な男に襲われたが、リシアは返り討ちにしたのだ。それだけで済まさず、用心棒の部屋に押し入って寝込みを襲い、徹底的に痛めつけ、屈服させたのだ。


 倫理や論理が通じない相手には、言葉に依らず、力で教える。

 経験によって学んだ真理である。


 それが、リシアの処世術だった――。



 程度は不明だが、トルプから好意が向けられているのは、リシアも分かっていた。

 ルリを助けるための力を貸してくれるなら、好意でも善意でも利用し、借りるつもりだった。

 ただし、体は売らない。

 それがリシアの矜持である。

 そもそも、体目当てで近づいてくる下衆な男に頼るほど、弱くはないと自負していたからでもある。


 幸いにして、今のところトルプは、騎士の矜持を持っている。

 あとはコミュニケーション手段を構築すればいいだけだと、リシアは前向きに考えていた。



 しばらくしてトルプは、少年を連れて来た。

 純朴そうな顔をした少年である。

 身振りでトルプが何やら伝えようとしてくる。

 どうやら、身の回りの世話をするための側仕えの少年であるらしい。少年は食べる仕草と飲む仕草をした事から、食事はどうかという意味らしい。



「そう言えば、昨夜から食べていませんでした」



 言葉が通じたのかは分からなかったが、食堂に案内された。

 トルプはまだ仕事があるらしく何かを言うと、少年にも言葉を掛けてから立ち去ってしまった。


 少年が持ってきたのは、トーストされたパンのような物と、スープだった。

 味はあまり好みでは無いが、食べられなくはない。

 食べ終わると少年は何か声を掛けてくる。

 口に合うか、味はどうか、もっと食べるかというような事だと身振りで分かる。


 リシアは紙と筆記具を求めた。


 何度かやりとりしてやっと意図が通じたのか、少年は紙とペンを持ってきた。紙と言ってもあまり上質ではなく、羊皮紙よりはパピルスに似ている。

 植物の繊維で作られた物のようであった。

 ペンは、軸は木で出来ているがペン先は筆のような毛で作られている。

 紙とペンを手に入れたリシアは、少年にテーブルや椅子や皿などの名を尋ねる。


 すぐに意図を察してくれたらしく、紙に文字としても書いてくれた。文字と物を交互に指さし、声に出して発音してくれる。

 この点においては、トルプよりもこの少年の方が優秀だった。


「三日で覚えてみせる」


 ルリを助け出すためには、あの男よりもトルプの地位に基づく力を頼るべきだと改めて結論づけたリシアにとって、意思疎通は必須だった。

 だからこそ、ただひたすらにリシアは、言語学習に没頭した――。


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