3-02 運び手
ユートはトルプを無視するように、宝珠へと歩み寄る。
宝珠は五号球のサッカーボールより大きい。
磨かれた黒真球のようだった。
腰をかがめて目を近づけ、ユートは注意深く観察した。
宝珠の表面には、毛細血管のような細い溝が全体に渡って刻まれていた。単なる球ではなく、明らかに何かの仕掛けが施されているようであった。
ユートは曲げていた腰を伸ばし、視線をさ迷わせる。
壁にへばりつくように立ち彫刻に見入っているプロソデアの姿を見付けたユートは、諦めたように小さく息を吐き出した。
そして、トルプに向き直ってその目を見詰める。
「理由を聞いていいか?」
「精霊王をこの世の束縛から解き放ち精の循環の輪に返すために、この宝珠が必要になる」
「何のために返すんだ?」
「今タタ・クレユは滅びの危機を迎えつつある。このまま精霊王を放置しては、世界の精が吸い尽くされ、荒廃し、滅び去る。何としても世界の終焉は回避しなくてはならない」
「なぜ回避しなくてはならない?」
トルプの表情には、義務と使命に人生を賭す覚悟が刻まれていた。
清廉潔白な意志が感じられることから、王にとって純粋で優秀な人材であると分かる。だがそれは、善悪を判断せずに盲目的に遂行してしまう危うさも併せ持つ、王の駒としての忠実さだった。
どの世界の社会でも、上司と部下の関係は、パワハラの側面を持っている。上司が有能であっても善良であるとは限らない。善良であっても正しい命令を下すとは限らない。
人は万能では無いからである。
そして非常時になれば、命令にはない判断と決断が求められる。
同時に発生する複数の問題に対し、優先順位をつけ取捨選択が迫られる。その時、倫理や道徳の良識を越えて、命令に準じて少数の犠牲を無視する決断は易しい。
だが人として問われるのは、犠牲が出ると容認していたか、結果犠牲が出てしまったかという違いである。
ユートは、トルプの為人を問うたのだ。
そして応えとしてトルプが見せたのは、ユートを見下す眼差しだった。
「何故と聞くのか? 世界が終焉を迎えれば、それで全てが終わってしまうではないか。子々孫々の行く末が閉ざされるのを、黙って受け入れるわけにはいかないのは至極当然」
「そうじゃない。精霊王を循環の輪に返せるなら、世界も終焉によって循環し始まりを迎えるのかと思ってね。それなら、別に止める事もないだろう」
「愚かな。精霊王が解き放たれ循環の輪に返しても再生するのは、伝承においても記録においても明らかだ。しかし、世界の終焉は、それで終わりだ」
「それはそうだろう。新たな世界の始まりに、その前の歴史なんて必要ないんだから」
「どうも話がかみ合わないな」
トルプがユートに向けたのは、愚者との関わりを拒絶する目だった。既に会話が無駄だと思う苛立ちが顔に滲み出る。そうした苛立ちによる怒りが、隠匿のベールを剥がし本音を露わにする。
ユートの狙いはそこにあった。
「なら分かり易く聞いてやろう。この世界を存続させて、あんた達が得る利益は何だ」
「世界の存続こそ利益だ。当たり前ではないか。愚問だな」
「その世界とは、何を指す?」
「どうも愚者と会話しているようだ。世界とはタタ・クレユだ。決まっているだろう」
「いやいや、もっと矮小な話だ」
「分かりかねるな」
「単刀直入に聞いて嫌われた経験があって迂遠に聞いたのだが、やはり通じないようだ」
ユートは頭を搔き、ちらとリシアに視線を送る。
参観日での事例における最新の見解を、トルプとの会話を事例に知りたいと暗に告げたのだ。
だが、彼女の視線は宝珠に注がれている。
「回りくどい話は不要だ。簡潔に要点を述べるがいい」
「なら聞くが、自分の保身や権威を守るために今の世界にしがみついているんだろう」
トルプの目に、哀れみと蔑みの色が浮かんだ。
「愚者の妄想だ。私の願いはもっと高尚にして高潔なのだ。平和と安寧。それこそが至高の宝だ」
「やっぱりな。利己的な理由じゃないか」
「どうやら言葉が通じないらしい」
ユートは肩をすくめた。
「プロソデアの通訳精霊が間違ってなければ、通じているさ。要するに、自分を高尚だとか高潔とか位置づけているのが、利己的だと言っているんだよ、俺は」
「私を愚弄するのか」
「俺の言葉を愚弄と感じる心が、すでに人を見下していると、気付かないのか? もっと分かり易く聞こう。あんたは、世界を救うために、今の身分と立場と権力を捨てられるか?」
「愚かなことを。愚者には理解できぬだろうが、言っておこう。私が天の騎士団の長という立場にあり、相応の力があるからこそ、世界を救う役を担えるのだ。その逆はない」
「やっぱり、見えていないな。高みにいて足元が見えてない」
「なに!」
「要するに、世界を救ったならば騎士団長でもなんでもない、ただの凡人になってもいいのかってことだ」
「まさに愚の骨頂。世界を救う偉業をなしたならば、自ずと人から尊崇の念が向けられるのだ。ただ、私はその栄誉を、我が主君に帰するであろう」
「自己陶酔だ、それは」
「愚者の戯れ言などもういい。最後に聞く。宝珠を運び出す栄誉に手を貸すか否か」
焦りによる苛立ちを、トルプは纏っていた。
鋭い眼差しは、殺意さえ含んでいる。
剣を突き付けて強要する覚悟がほとばしっていた。
「自分でやれよ。それこそ凄い栄誉だろう」
冷たく言い捨てるユートの言葉が、凍り付いたように場を緊迫させる。
「伝承だと、救世の勇者、もしくはノイ・クレユ人だけが触れられるとある」
「試したのか?」
「既に部下が一人犠牲になった」
「それはお気の毒に」
「愚者の気遣いなど無用だ。やはり、救世の勇者を待つとするか」
「救世の勇者というような都合のいい人間なんて、いないぜ」
「もう黙っていろ。貴公とは会話が成り立たないようだからな」
それでもユートに黙るつもりはなかった。
放たれた殺意を含む剣幕に怯むことなく、ユートはトルプへとにじり寄たった。
「俺が何処に立って何を見ているのか知ろうともせず、会話を諦めるんじゃない」
「これだから、愚者は扱いに困るのだ。無知蒙昧ならば、才有る者に従うのが最良の選択だ」
「底が知れたな、トルプ」
ユートは嘲笑を向けた。
無理解を放置し、易き独善に浸る行為は、喜劇を装う悲劇だった。
有能なトルプの頭の中には、アドリブが許されない結論がある。
意に沿わない話は排除されるのだ。
トルプの右手が、剣を握ろうと動きかける。
「あなたはもう、黙りなさい」
二人の緊迫を破ったのは、リシアだった。
怒りの矛先はユートに向けられている。
彼女の目的に沿うのはトルプの提案であり、ユートの言動は、功績を奪われて無様に足掻き粗探しで瞑想する、幼稚な暴言としか見えなかったようである。
「お嬢様が助けられるなら、私がやります」
「勇敢なる女性だ。では、宝珠の前に」
微笑みを浮かべ促すトルプに、リシアがうなずく。
先に相手に力を貸して恩を売る。
それも交渉の手段となる。
だがユートの狙いは、そこではなかった。
トルプによる自発的な、吐露であった。
「一つ問うが、そもそも、精霊王が循環の輪に返ると、その宿玉はどうなる?」
トルプはただ、大きく溜め息を吐いた。
リシアは拳を握り締めユートを睨み付けた。
次にユートが呼吸以外の動きを見せれば、リシアによる物理的制裁が炸裂していただろう。
「彫刻にあるように、消えてしまうでしょう」
緊迫を破ったのは、プロソデアの声だった。
祭殿の間に響いた声に、皆の視線が一斉に向けられる。
プロソデアは、壁の前に立ち、彫刻を指差していた。
説明を求める息づかいに混じり、忌ま忌ましさを吐き出す荒々しい呼吸がトルプから漏れ出た。
「何を言うかと思えば、なり損ないのくせに学者気取りか?」
「そうではありません。あそこの精霊王には初め宿玉らしき点が彫刻されていましたが、宝珠を得て循環の輪へと煙のように昇っていった後、宿玉は消えています」
「それはどういう事でしょう」
不安の陰がリシアの頬に落ち、握り締めた右拳を左手が包み込む。
「宿玉と共に、精霊王は天の循環に返されるのでしょう」
「プロソデア、勝手な憶測を言うな」
「彫刻から読み取れる事実を言っただけです。逆に問いますが、トルプ殿はこの彫刻を見て、どう解釈なさったのでしょう」
「宝珠を精霊王に捧げ世界は救われたと分かった」
「ですが精霊王の宿玉は消えてしまうのですか?」
困惑するリシアに、トルプが温和な表情を向けた。
「宿玉が消えると何か困るのですかな?」
「お嬢様かも知れないのです」
「お嬢様とは、精霊王の生ける宿玉となった少女の事ですかな?」
「まだ確かめたわけではありませんが、私はお嬢様を助けるために命を懸けているのです」
「それは立派な覚悟をお持ちだ。騎士として、男として、敬意を表しましょう。更に言えば、そのお嬢様の救出に、天の騎士団の長である私ならば力になれましょう」
「本当ですか」
リシアの声が僅かに弾んだ。
「もちろん」
「安易な誘いに乗るんじゃないぜ、リシア。そういう上辺の言葉はナンパの常套句だ」
「あなたはこれまで、お嬢様を助ける手立てを何か提示してくれましたか? 何の手立てもなく偉そうに言わないで。私はお嬢様を助けられる可能性のある方法を求めているのです」
「世界の王に仕える、天の騎士団の団長たるこのトルプ・ランプシならば、その愚昧な男より遙かに助けとなりましょう」
「口ばかり偉そうだな」
負け犬の遠吠えめいたユートの声は、リシアには届かなかった。
トルプは勝ち誇り愚者を見下す眼差しを、ユートへと向ける。
「その二人の用は済んだ。しばし下層にて休憩を願おう」
トルプの部下二人は素早くユートの両脇に立ち、腕を掴んだ。
巧みに腕を極め自由を奪いつつ、騎士達は祭殿の間の奥へとユートを引き立てる。
残る四人の騎士はプロソデアへと迫り、角へと追いやる。
「何をする気です?」
「あの男がいては、知性的な話が出来ませんので少し別の部屋に退いて頂くだけです」
「では、危害は加えないのですね」
「もちろんですとも」
リシアがわずかに見せた不安の色は、トルプの温厚な口調によって消えた。
それは、人としての信用度の問題だった。
優しい顔を見せていたトルプは、表情を隠すようにリシアの前に立ち、祭殿の間の奥で部下に囲まれている、ユートとプロソデアへと険しい顔を向けた。
「連れて行け」
奥側左隅へと駆け寄った騎士が押すと、二メートル四方ほどの壁が一段奥へと動いた。
壁は、隠し戸になっていたのだ。
騎士が隙間に作られた窪みに手を入れて力を込めると、壁は横にずれ動き、その奥に薄暗い小部屋が現れた。
これまでの祭殿と違う、異質な雰囲気にユートは緊張した。
「あなたのお話を、向こうでゆっくりと伺いましょう」
その声に、ユートが振り返る。
リシアがトルプに伴われ、祭壇の間から出て行く後ろ姿がそこにあった。




