2-06 圧倒
プロソデア・オーティタは、地の精霊シディロウが作った土室の堅牢さを見てうなずいた。
紫の糸で装飾された淡い黄色のローブに手を掛け、ゆっくりとした動作でローブを脱ぐ。下に着ていたのは、白地に金と緑の刺繍が入った、騎士服だった。
脱いだローブを丸めると、プロソデアは左手に持ち横に差し出す。
遠くより風の精霊が吹き来たると、ローブを舞い上げて持ち去る。
それを待っていたように、プロソデアが立つ左側の地面が割れる。
草に覆われた地面を押しのけるように内から盛り上がり、別の地の精霊が両手で掲げるように剣を持って現れ、プロソデアの腰帯に吊り下げて姿を消した。
プロソデアが視線を巡らし、風の騎士達を見る。
五輛の獣車に分かれて乗っていた風の騎士十三人はただ、槍を構えて距離を保って取り囲んでいるだけだった。
しばし停滞の後、風の騎士が一人、プロソデアを鋭く睨みながら一歩進み出た。
「貴様、学者に化けた天の騎士だったか」
「元、ですがね」
「いずれにせよ、風の領域で地の精霊を使う横暴は許さん」
「元来精霊には領域の境界は無関係ですから」
「御託は無用だ。学者ならばモッサ殿への手土産と思ったが、騎士ならば不要にして無用。貴様を即刻排除する」
「できますか?」
「奢るなよ。天の騎士はそうやって我等風の騎士を下に見るが、こちらには精霊王から授かった精霊がいるのだぞ!」
「申し訳ございません。下に見てはいないのですが、精霊王の分霊とは何度か戦った経験があるだけです」
「何?」
驚きの表情をすぐに隠すと、風の騎士は嗤った。
「はったりか、学者に身を落とした者の世迷い言か――」
「嘘は嫌いですが、結果として私は偽りで塗り固められているのでしょう」
「やはりな。ならば見よ。精霊王から賜りし偉大なる精霊の姿を。契約の印として私が名付しエウシェーガよ。来たりて、その力を示せ!」
風の騎士が掲げた物に向かって、周囲から風が集まる。
見る間に人の背丈の倍はある、雄々しき人の姿となった。緑なす風に揺らぐ衣を着、腰に手を当て靡く髪の先から緑の精が光を弾いて散る輝きが瞬く。
風の精霊である。
エウシェーガは大きく胸を膨らませ、息を吸う。
一気に吐き出すと暴風となり、プロソデアを襲った。
弱っていた地表の草は剥がれ飛び、土塊と共に礫の雨のように叩き付ける。
「キディナス!」
プロソデアの声と共に風を纏う引き締まった体躯の青年のような精霊が現れた。キディナスと呼ばれた風の精霊は、逆の気流を生み出しプロソデアの前に大気の壁を成した。
エウシェーガが起こした風と共に飛来した礫が弾かれ、周囲に飛び散る。それはユートとリシアを覆った土室に当たり、その表面を削って弾け飛んだ。
それでも土室の重厚な壁は貫かれず、一度削られた表土も即座に修復され、傷一つ付かない強固な壁へと変貌してしまう。
エウシェーガが風の威力をいや増す。
暴風は地表を剥ぎ取り更なる礫として射出してプロソデアを襲い、逆巻く風によって生み出された竜巻が同時に四方に現れると、キディナス諸共プロソデアを覆い尽くす。
荒れ狂う風は黒く太い柱のようにそそり立ち、周囲の地表を剥ぎ取っては天高く巻き上げて行く。
蹂躙するように大地を舐め回した竜巻は、しばらくして腹が満ちた捕食者のように、暴風となって悠然と空へと舞い上がって消えた。
大地は変容していた。
緑の草原は削られて砂は吹き飛び、大小の岩が剥き出しの荒野となっていた。
残ったのは大きな土室と、小さな土塁だった。
風の騎士は景色を変貌させた力を誇るように笑みを浮かべる。
小さな土塁が地面に沈むように消えた。
その下から、身をかがめる者の姿が現れる。
プロソデアである。
彼はゆっくりと立ち上がると、汚れていない服の埃を払った。
だがその顔は、少し困惑したように見える。
「これほどとは。風の領域だからでしょうか」
その声が聞こえたのか、風の精霊エウシェーガを呼び出した風の騎士が、嗤った。
「今ならば降伏を認めよう。剣を捨て、宿玉を渡せ」
「檻に入れる前、宿玉を持っていないと確かめたのは、あなた方でしょう」
「ならば檻を破り土塁を作った地の精霊は何なのだ?」
答えずにプロソデアは笑みを浮かべる。
「ですが、剣は手放しましょう」
「ほ、ほう。従順だな」
風の騎士は気を引き締めるよう他の者に目配せする。
「これが私の剣です」
プロソデアが腰の剣を抜く。
気色ばむ顔、緊迫する顔、呆気にとられる顔、狼狽する顔、様々な顔に囲まれる中、プロソデアは剣を空へと放り投げる。
漫然と緩やかに回転する剣の軌道を騎士達の視線が追う。
「イプシリータ!」
プロソデアの声に応えるように、突風が吹いた。
風は上空に投げた剣を包み込むと、切っ先を精霊エウシェーガへと向け、落下する。
剣を包む風は波打ち流れる髪となり、柄を握る手となり、錐となる優美な姿態が現れる。
美しき女性を象る風の精霊と見えた時には、エウシェーガの胸を貫いた。
エウシェーガの精が弾けて散り、逆巻く風が四方に走る。
緊迫の静寂がほうけた風の騎士の頬を打つ。
風が巡りイプシリータが優美な姿でプロソデアの前に跪いた。
両手で捧げた剣の先に、折りたたまれた小さな紙が刺さっている。
「やはり、分霊でしたか」
プロソデアが引き抜くと、紙は急速に茶色く変じてボロボロと砕け、風に運ばれて散った。
プロソデアが剣を受け取り鞘に収めると、イプリシータの姿が霧のように掠れながら、腰帯の小箱の中へと消え入った。
精霊を失い青ざめた風の騎士達を、プロソデアが見渡した。
「ひとつ、尋ねます。強大な精霊を持ちながら、どうしてその助力を得て獣車の追い風としなかったのでしょう」
「偉大なる精霊はそのような労役はなさらぬのだ」
「要するに、分霊には出来ないのですね」
風の騎士は答えなかった。
それでもプロソデアは、納得したらしくうなずいた。
「武器を棄てて頂けますか。それとも――」
「我等は風の騎士。協定を破り侵入した天の騎士を相手に、屈服は許されない」
「そうですか」
プロソデアは落胆の息を吐き出す。
すると地の精霊シディロウが地中から幾つもの腕を伸ばし、風の騎士達の足を絡め捕る。
自由を奪われ藻掻く彼等の手から、風の精霊キディナスが武器を奪い取った。壊した檻の鉄格子を付けた土牢を作ったシディロウが、風の騎士達を一抱えにしてその中に放り込む。
彼等は、暴言雑言を叫び始めた。
言葉だけで勝利を得ようとする虚しい努力を繰り広げている。
プロソデアは侮蔑の眼差しを向ける。
「キディナス、音を封じなさい」
「はい。プロソデア様」
土牢の回りを風が取り巻き、中の音を遮った。
そこへ、地を揺らす振動が近付いてくる。
遠く、土色の肌をした人影が駆けてくる姿が見える。
頭髪は細い根のように縮れ、石の靴を履き、苔色の服を着ている。両腕に荷物を抱えているその姿をよく見れば、肌は土で出来ている。
プロソデアに剣を届けた地の精霊だった。
「もう終わってしまいましたか」
「イソペド、悪いが荒れた地表を整えてくれ」
「お安いご用です」
地の精霊イソペドは、足元の地面をならして固めて荷物を置くと、分霊が荒らした地面を均し始める。
大地を抱くように両腕が伸びて土を掬い、耕すように上下の土を入れ替えて整えて行く。
「森を育む風の精霊王から生まれた分霊が、ただの人形でしかないと彼等は気付かないのでしょうか」
淋しげな表情を浮かべたプロソデアだが、すぐに顔を隠すように周囲を見回す。
他に敵となる気配はない。
「もう安全でしょう」
プロソデアはユートとリシアを覆った土室に向かって歩みかけて、足を止めた。
「あ!」
困りましたと呟きながら、思案するように顎をさする。
「どうしたのですかな、プロソデア様」
地面から土が盛り上がり、屈強な肉体が粘土で形作られる。
地の精霊シディロウである。
「中に明かりを用意するのを忘れていました。暗闇に閉じ込めるなど、囚人に対するような失礼をしてしまいました」
「中の御仁なら、何やら奇妙な明かりを付け、火を操り湯を沸かし、何かを飲んでおられるぞ」
「それは――驚きました」
「タタ・クレユの危機を救うのがノイ・クレユ人というのは、事実かも知れませんな」
地の精霊シディロウが、低い声で笑った。
「そうあって欲しいですね。ではシディロウ、土室を開いてください」
幾分安堵した表情を取り戻したプロソデアの目の前で、二人を守るために作られた土室の天井は、花が咲くように開き始めた。




