2-05 土室
「私が契約する地の精霊です」
プロソデアの声を聞きながら、ユートは非現実の映像を見ている錯覚に陥った。
地面から突き出した二本の腕が伸び、檻の鉄格子を握り締めた。
獣車に引っ張られるように、腕から先、胴と頭と、そして足が地中から現れる。
全身が土で作られたゴーレムのようである。
地の精霊が踏ん張ると、足元で砂塵が上がり、急ブレーキが掛かった。荷車の重さに抗議するように咆哮し、御者台の風の騎士達が異変を知って笛を吹き鳴らした。
「獲物が逃げるぞ」
真っ先に異変に気付いた後続の獣車に乗る風の騎士達が、獣車を停めて武器を手にする。だが彼等は、警戒するように近づいては来ない。
その間に、地の精霊はその腕で軽々と鉄格子を曲げ、人が出られように隙間を広げた。
「では、降りましょう」
平然とした表情でプロソデアは荷台の上の檻から地面へと飛び降り、すぐにユートが続いて振り返る。奥で鉄格子を握り締め、地の精霊を警戒してためらうリシアに向けて、ユートが手を差し出す。
それを見た瞬間、リシアは表情を引き締めて鉄格子から手を放し、腰をかがめたまま滑るように走り、檻から飛び出す。軽やかに着地したリシアは、「あなたの手は借りない」と宣言するように、不機嫌そうな顔を見せつつ、嫌う男に背を向けた。
差し出した手のやり場に困ったユートは、虚しく頭を掻きながら周囲を見回し、風の騎士たちへと向かうプロソデアの姿を見付けた。
不意に、ゴウっと風が唸る音がした。
突如として大地が揺れ、地面が壁となってせり上がる。
激しく何かがぶつかる鈍い音が聞こえ、土壁の破片が砕けたが、脇から吹き抜けて行く風が吹き飛ばしてゆく。
土壁は更にせり上がり、ユートとリシアの二人を包み込むように湾曲する。見る間に天井を覆うドームとなり、光が遮られた。
二人は闇の中に閉じ込められたのだった。
「どうなっているの?」
「分からん。が、プロソデアの仕業だろう」
ユートが手探りでバックパックを探り、ヘッドランプを出してスイッチを入れる。
明かりが周囲を照らす。
土壁は、直径十メートルほどの円形のドームになっていた。
「どうやらLEDは点くらしい」
「安物でも単純な回路は壊れにくいのでしょう」
「高ければいい物という保証もないけどな」
不機嫌そうに横を向くリシアの様子を気にもせず、ユートはレジャーシートを取り出して地面に敷いた。
「まあ、座ってくれ。突っ立っていてもいい事がある訳でもない」
「こんな時に、呆れた人ね。ピクニックのつもり?」
「景色が悪いから弁当を食べる気分にはならないけどな。お茶なら淹れられるぜ」
リシアは突っ立ったままだった。
得体の知れない男に閉じ込められたのに危機感がないのかと糾弾するように、卑下する視線をユートに向けた。
鈍感を装うユートは、レジャーシートに座り、リシアを見上げた。
「折角二人きりになったんだ。重要な話をしよう」
「何?」
瞬時にリシアが身構えた。
非常識人が発した場違いな言葉だったからである。
それは勘違いだと否定するように、ユートはぎこちなく作業を始めた。バックパックから携帯コンロを出してクッカー鍋にペットボトルの水を注ぐ。ライターで火を付けてお湯を湧かす準備をしつつ、カップにティーバッグを入れた。
一通りの準備を済ませたユートは、再度リシアを見た。
「リラックスしてくれ。時間の話だ」
「は? 時間?」
リシアから溜め息が漏れた。
「君の時計は時を刻んでいる。が、俺の時計は止まっているように遅い。これが何を意味しているかだ」
「あなたの時計が壊れかかっているだけでしょう。安物だから」
「安物というのは事実だが、壊れているとは思わない」
「どうでもいいわ」
「そうでもない」
「だったら簡潔に話しなさい」
「時間の流れが違うという仮説だ」
「はあ――重要だといって仮説ですか。バカバカしい」
「そう言ってくれるな。仮説を立てて検証するのが科学的アプローチだろう? 俺がこの世界に来て、石を落としてみたのを覚えているか?」
「遊んでいたのでしょう?」
「自由落下のテストだ」
「あれが?」リシアは鼻で嗤った。
「振り子の方がいいんだろうが、まあ俺は科学者じゃ無いから大体の目安でいいんだ」
「私は簡潔にと言ったのですよ」
「急いては事をし損じる」
「遅きに失する事もあります」
「いいねえ。知的会話は好きだぜ。最も、高尚すぎる話になるとついていけないが」
「まどろっこしいですね」
苛立ちを堪えるように拳を握り締めたリシアに、ユートは両手を上げて降参の意志を表明した。
「君の時計は機械式だ。俺のはクォーツ。この違いがある。重力加速度が同じなら、物理現象は同じ可能性が高い」
溜め息交じりにリシアは首を振った。
「機械式時計は、ゼンマイです。重力の影響がないようにしているのです。それに、重力加速度が同じだからと言って、他のすべての物理現象が同じだとどうしてなるのです」
「それは、君の頭がいいからだ」
「は?」
リシアが困惑したような顔をした。
「知識が邪魔をする。生きていく上で、細かい知識なんてある程度無視すべきなんだ。大体同じだと考えてまずは突き進む。違いが顕著だと感じたら、修正する」
「大雑把ですね。それだから、何年経っても紙漉きの技術が向上しないのです。何度も不良品と返品されて、恥ずかしくないのですか」
「恥よりは、悔しさだな。だが、その話は後だ」
「そんなふうにちゃらんぽらんだから、統真君に嫌われているのですよ」
「俺が気にして触れずにいたところを、君はずけずけと言うんだな」
「鈍感なあなたには、オブラートに包むような言葉は通じないでしょう」
「優しいんだな」
「違います!」
ユートの微笑みを打ち消すように、リシアは手刀で空を薙ぎ払って抗議する。
だが、ユートは本心を告げたていたのだ。
ぬるま湯のような事なかれ主義が横行した世の中で、直言してくれる人材は貴重である。お節介とも言えるが、それはやはり優しさである。
無関心であれば会話は成立しないし、改善を願う心理がなければ批判は口にしないのだ。
「まあそれはいいとして、そんな訳で、電気を受けて振動する水晶の振動数が減ったと俺は仮説を立てた。精霊が宿玉と呼ばれる宝石に宿るというなら、その根源となる精がクォーツに影響することだってあるだろう」
「勝手な妄想ね」
「想像力豊かと言ってくれよ」
「はいはい。そうですね」
「理解されて嬉しいよ」
「分かりましたから、続きをどうぞ」
「この世界に来る前、俺の時計は午後四時五〇分を指していた。こっちに来て初めに時計を見た時は、五時五分。君に時間を聞いた時は五時七分で、その時君は四時三三分と言った。分かるか?」
「私の時計が壊れていないなら、少なくとも半日近く気絶していたと?」
「少し違う」
ユートは首を振り、腕時計の文字盤を指先で叩いた。
「俺の時計は元の世界の時を刻んでいると仮定すれば、元の世界の十五分が、こっちの世界で十二時間になる」
「こっちの世界の方が、時間の流れが速いと?」
「走行している普通列車から新幹線の先頭車両を目がけて飛び移ろうとしても、最後尾になってしまうようなものだろう」
「いえ、それだと死にます」
「喩え話だよ。俺達の体感時間がこっちの時間に調整されるまでか、異世界に移る空間の狭間を通過する時なのか、そこで時間差ができたんだろう」
「向こうの世界の十五分がこちらの世界の半日になるなら、向こうの世界の四時間が八日になると?」
「計算が速いな」
「普通です」
「もし、元の世界の一〇分が、半日だとしたら?」
「十二日――」
「そうなる」
リシアの表情が焦燥に変わった。
「ではお嬢様が精霊王に?」
「可能性があると言う話だ。事実が判明した後で、俺が可能性に気付いていて黙っていたと知られたら、殺されそうだからな」
「そんな事はしません。一度死になさいとは言うでしょうけど」
「愛のある言葉を聞けて嬉しいよ」
「はい。私のお嬢様への愛情を理解して頂けて幸いです」
「それで君はどう思う?」
「どう、とは?」
「ここが異世界だって事をだ」
「信じるしかないでしょうね」
リシアは土壁に近付いて叩いた。
「こんな現象が起きたのは、精霊という存在を認めなければ説明できませんから」
「知らない事だらけだ。元の世界の常識論で考えた方法が、こっちで正しいとは限らない」
それでもリシアの表情は、不満そうだった。
ユートの仮説を否定するためのデータを見付けられずにいる事が、悔しいからなのかもしれない。あるいは、精霊の異常な力への、対抗手段がないことに対する感情のようでもあった。
何をするにせよ、情報を集め情況を整理し、対策を考える時間が必要だとユートは考えていた。
「湯が沸いたな。まあ、紅茶でも飲んでくれ。君の口には合わないかも知れないが」
ユートはコンロの火を止め、カップに湯を注ぐ。
ティーバッグからまだ成分が抽出されないまま、片方のカップをユートは差し出した。リシアは何も言わずにカップを受け取ると、レジャーシートに腰を下ろす。
これまでの常識では通用しない現実を目の当たりにし、無鉄砲にルリ救出に向かう非常識さを、リシアは噛み締めているようだった。




