2-03 変遷
リシアの態度を理解しつつ、ユートは呆れていた。
情報を求めて提示された話に安易に飛びつくようでは、人が良すぎるのだ。
いずれ詐欺師に騙されるだろう。
とはいえ、幸いなのは、剥き出しにした敵意をリシアが向けても、プロソデアが微笑みを浮かべていることだった。
鈍感なのか大物なのかと感心しつつ、ユートはお互いの落ち度を認め合う痛み分けのアプローチを試みることにした。
「危機の元凶というのは、穏やかじゃあないな」
努めてユートは、穏便な口調でゆっくりと告げた。
他人事のように言うとリシアから怒りの矛先を向けられるのを覚悟しつつ、遠回しにプロソデアに発言の撤回を求めたのだ。
プロソデアは、はっとしたように目を見開き、うなずいた。
「すみません。話を省略し過ぎました。順を追って説明しましょう。まず、事の起こりは十五日くらい前のことです」
「それならお嬢様は関係ありません。お嬢様が来たのは、どんなに早くても昨日ですから」
リシアが敵意を納めると、軽挙を誤魔化すように、ドレスのポケットから鎖付きの懐中時計を取り出した。
ふたを開いて時間を確認してすぐに戻す。
懐中時計を見るのは、侍女として予定を管理する日常で身についた、リシアの癖である。
殺伐とした雰囲気が収まり、ユートは安堵の息を吐いた。
「いずれにせよ、十五日前なら、あり得ないな」
「そうですか。それでしたら良かったです」
「良いことなのか?」
「はい。天の王は、解き放たれた風の精霊王が世界を崩壊へと至らしめる前に、元凶となった少女の生死を問わず、精霊王を精の循環に返すと決めましたから」
「どういう意味だ?」
「精霊王と共に少女が消滅しても構わないと考えているのです」
「さっぱり理解できないな。いや、言葉は通じているが、前提となるこの世界に関する知識が無いからだろう」
「それもそうですね。では、何からお話ししましょうか」
「俺たちが緑人に捕まった理由は何だ?」
「緑人? ああ。風の種族は少し緑がかった髪と肌をしていますからね。ただ彼等は、元々は風の王に仕える風の騎士団の者達でしたが、今は鞍替えしたようです」
「謀反でも起きたのか?」
「そうではありません。十五日ほど前、ある男がタタ・クレユに現れました。男はノイ・クレユから一人の少女を連れて来て、宿玉として風の精霊王に与えてしまったのです」
話の中に意味の分からない単語と用語があり、ユートは逐一確かめなければならなかった。
異文化交流では、常識となる共通認識が必要になる。
半端な理解で誤解するよりは着実に地歩を固めて置くべきだとユートは、焦らずにじっくりと一言ずつ確かめるように会話をした。
結果、会話は主題から逸れ、遅々として進まない。
宿玉というのは、精霊が宿る宝石というのが原意で、広義には精霊が宿るために必要な依代として理解すべき言葉だった。
つまり、宿玉として精霊王に与えたとは、人間の少女に精霊王を憑依させたと理解するのがいいようである。
精霊というのも、元の世界で言うファンタジー世界とは異なる。
エネルギーとも言い替えられる「精」という物が凝集し、人格を得た存在に対する総称が、精霊である。
地水火風だけでなく光と闇の属性に分類されるのだが、それは得手不得手のようなものだというのだ。定義は難しいが、物質世界に干渉できる霊的な存在だと認識しておくのがいいようだった。
ユートの興味は尽きない。
一つの疑問に答えが得られると、関連して複数の疑問が芽生えるからだった。
しつこいくらいにユートが問うても、プロソデアは嫌な顔をせずに、理解を促すように辛抱強く説明してくれる。学者だが、知識をひけらかして無知を嗤うような人物ではなかった。
一つの喩えで理解できなければ別の喩えをしてくれるため、多角的な視点によってそれらが示唆する中心にある本質の輪郭がユートにも見えてきて、理解する助けとなる。
良識人であり、聡明な人物だった。
プロソデアは教師として人とし、極めて優秀な人物なのだとユートは確信するのだった。
プロソデアは温和な笑みを浮かべていた。
「話の腰を折って悪いな。続けてくれ」
「宿玉を得て自由になった風の精霊王は風の祭殿を出て、精流脈に乗って中央大樹へと向かいました」
「それの何が問題になるんだ?」
「精霊王は存在するだけで周囲から精を吸収します。そのため行く先々で大地から精が失われ、草木は枯れ、河や湖は干上がるのです。しかも暴風を纏っているため、通り過ぎた大地は剥ぎ取られ、周囲の地表は吹き飛ばされてしまいます」
会話をしながら、プロソデアが補足説明をする。
精流脈とは精の流れる川のような物である。
喩えるなら竜脈やレイライン、あるいは磁場や磁界のような、目に見えない力場の影響範囲のことだった。
中央大樹とは、世界樹のような木だった。
精流脈が流れゆく終着点にして、世界の中心に聳え天を支える柱であるという。
風の祭殿は、神社や神殿のような物に近い。
風の精霊王を祀る祭殿であり、住処だという。
その精霊王が祭殿を出て暴れるというなら、祭殿とは荒魂を祀っているようだとユートは思った。
「精霊王は世界の調和を保つ存在でもあるのです。風の精霊王が中央大樹に向かえば、他の領域の精霊王も調和を保つために中央大樹に向かうことになります。ですが、四つの異なる属性の精霊王が一箇所に集まると、世界は滅びてしまうのです」
「どうして、滅びるんだ?」
「そう伝えられているだけです」
「プラスとマイナスが合わさるとか、物質と反物質が合わさるような物なのか?」
「私にも、詳しいことは分かりません。ですが幸いにして、世界の危機は一時的に猶予されました。風の領域の王が、首都ユーシエスに至った風の精霊王を、精紋によって閉じ込めたからです」
「精紋ってなんだ?」
「簡単に言えば、精の流れを制御する仕掛けです」
「すると、風の領域の王は、英雄だな」
「そう見る向きもありますが、多くは逆の評価をしています」
「逆って、どう逆なんだ?」
「風の王は、精霊王を止めるために、風の騎士団を立ち向かわせました。ですが、騎士団は敗れて壊滅状態となり、風の王は王宮の精紋を使って精霊王を封じ、首都を放棄したのです。民衆を見捨て保身を図って逃げ出したのだと思われています」
「民衆はどうなった?」
「死んだ者、首都から去る者、首都に残る者、様々です。ですが風の王を弁護するなら、対処できないほど精霊王の動きは速く、首都を壊滅状態にしてしまうほどに強大な力があるのです。誰であっても風の王が為し得た以上のことはできなかったでしょう」
「台風やハリケーンか竜巻並みなのか?」
意味が分からないのか、プロソデアは少し首を傾げる。
「大地の土を剥ぎ取り岩を飛ばすほどの暴風です」
「そんなにか。人の力じゃ逃げるのも難しいな」
「契約精霊を持つ騎士ですら何もできずに精霊を失ったのですから、一般の人々は何も出来ませんでした」
「そうなると、緑人、じゃなくて風の騎士が俺達を捕まえに来た理由が分からないな」
「風の王の権威は、風の精霊王から領域の統治を付託されるという形式によって成り立つのです。その代わりとして、風の王は祭殿に精霊王を祀り、感謝し讃えるのです。ところがその精霊王が風の王を無視して祭殿から出た。風の王の権威は失墜したと言えます」
「今は風の精霊王が頂点に立ったことになるのか?」
「いいえ。風の精霊王を祭殿から解放し契約を得た男。ノイ・クレユの少女を宿玉として捧げた男、ガガン・モッサが領域を統治する権威を得たと、少なくとも首都近郊の人々はそう受け取っています」
「ガガン・モッサ――」
その名を聞いた瞬間、様々な疑問点がユートの中で一つに結実した。元の世界で黒服を着た怪しげな男は、毛房我願と名乗った。
姓名を入れ替えればガガン・モッサと言えるだろう。
同一人物と考えて間違いない。
毛房我願がガガン・モッサで向こうの世界の少女を連れてきたのが十五日以上前というのが事実なら、真理が一つ明らかになる。
元の世界とこの世界では、時間の流れが違うのだ。
そして、精霊王の宿玉にされた少女は、ルリに間違いない。
他人事ではなく、我が事である。
悠長に構えていられないと、ユートは居住まいを正す。
真剣な眼差しを察し、プロソデアの表情にも真剣味が宿った――。




