2-01 観測
枯れかけた草原に一筋。
背の低い草が帯のように続いている。
路傍には等間隔で道標らしき石柱があり、かつては街道として整備された道のようであった。
そこを、荷車が五輛、道を進んでいる。
荷車を引いているのは、鋭い牙が見え隠れする四つ脚の獣である。
車列の四輛目だけ、幌もないまま剥き出しの荷台に、檻が載せられている。
檻は、幅と高さが一メートル半、奥行き二メートル。
檻の前方となる御者台側と天井と床が鉄板であり、残る三方が鉄格子となっている。
鉄材の表面は滑らかで均質であり、優れた製鉄技術があるのが分かる。
その檻の中に、優途と梨詩愛が捕らわれている。
舗装されてない道を行く荷車は、酷く揺れる。
そのため速度も上がらず、速度は歩くほどでしかない。
手足の自由と荷物は奪われていないが、最悪な乗り心地に、優途は不満だった。
「せめてサスペンションくらい付けろよ!」
優途の攻撃ならぬ口撃は、御者台の人には通じず、虚しく風に紛れて散って行く。
檻の奥に体育座りをする梨詩愛は、中が見えないように膝の裏に手を通してスカートごと足を抱えたまま、優途の無駄な努力に反応すらしなかった。
ただ、優途が抱いたのは、不満であると共に疑問であった。
この世界の技術水準が中途半端だと思えたからである。
路面の凹凸に揺られる乗り物がありながら、上下の衝撃を軽減しようとしていないからである。
必要性を感じないのか、創意工夫をしないのか。
スプリングとダンパーによる懸架装置を作ろうとする探究心は、この世界の人間にはないようだった。
とはいえ、無反応では会話は成立しない状況を、優途は望んではいなかった。
「彼等を緑人と呼ぼう」
唐突に話題を転じた優途の言葉に、梨詩愛がわずかに反応する。
だがそれは、無視する聞き流しから、拒絶する冷たい視線に変わっただけである。
度が過ぎれば、煩わしい騒音を強制排除しようとする動機を与えることになる。
優途は虫を追い払うように耳元を手で払った。
目で捉えられない、虫がいるようだった。
梨詩愛の内に湧いた瞬間的な憎悪が沈静化したように、優途が向けられていた視線が逸らされる。
優途は再びスケッチブックに視線を落とした。
会話の糸口が得られなかったからである。
書き散らかした計算の検算をし終えてから、優途は再び何かを探すように周囲を見渡した。
その視線が、後続の荷車を引く獣で止まった。
初めて見る奇妙な獣だった。
毛並みと尾は長く目は正面に付き大きく裂けた口に牙が見え、太い四肢の先は蹄のようだが、悪路を掴むように指先が四つに割れる。
用途としては馬のようだが、姿は狼と熊を合わせたようである。
「あれはシシシと呼ぼう」
優途はわざとらしいほど大きな声を上げた。
御者台の緑人は一瞬驚いたように振り返るも、すぐに「やれやれまたかよ」と言うような素振りで前を向いた。
懐中時計の蓋を開け閉めしていた梨詩愛の手が止まり、呆れ果てたと告げるような溜め息が漏れた。
そして、敵意を含んだ視線が優途に向けられる。
「今度は何?」
「初め、概念的にこれを馬車と呼んだが、獣の車で、獣車と呼ぶべきだろうな。引いているのは馬じゃないから」
「それで?」
「四本足の動物を、四肢と言うだろう。それが四本指だから、四指肢だ」
「何故?」
「名前を付けて共通認識ができると、説明不要で話ができるから会話が楽になる」
「そうではなく、四つ指の四肢なら、四指四肢ではないのでしょうか」
「そう呼んでもいいぜ。俺は省略したがな」
わざとらしく優途がウインクすると、梨詩愛は露骨に大きな溜め息を吐き出し横を向いた。
無駄話に呆れ半分、怒り半分といった様子である。
ただ、怒りによって一時的に生まれた麻薬のような活力が、梨詩愛の無言を破らせたのだ。
優途にとっては、思惑通りの展開だった。
「もう気付いていると思うが、やはりここは俺たちの世界じゃない。限りなく平らだ」
「あり得ないわ」
「まあ聞いてくれ。俺は左手に見えるあの山と向こうの山の山頂を目印に、三角測量の真似事をしてみた。結果として見える角度は、一度もずれていなかった」
「まさか――」
梨詩愛が興味を抱いた様子を見て、優途は微笑み、腰をかがめてリシアの隣に移動する。
嫌悪に顔を歪める梨詩愛を無視して、優途はスケッチブックを広げて見せる。
「山を横に見ながら、約十キロ移動したのに、山の見た目の角度がほぼ同じだ。つまり、五〇〇キロ以上離れた山になる。それなのに、あの山は明らかに見かけの俯角が十五度くらいある」
「それで?」
「エベレストだって、五〇〇キロ離れていれば見えない」
「計算ミスか測量ミスでしょう」
「だが、ここが異世界で平面だとすれば、素人考えながらあり得るだろうと。だが、そうだとしても、あの山の標高は一〇万メートルもあることになる」
「黒服の男が奇術師なら、これは壮大なトリックでしょう」
「トリックだとすれば、催眠術と仮想現実の融合かな」
「やめましょう。可能性だけを論じるのは」
梨詩愛は座り直すように身じろぎ、優途から遠ざかった。
無意味な会話を拒むように、梨詩愛は横を向く。
優途は食いつくように体を前のめりに迫った。
「分かった。止めよう。だが、異世界ならそれらしく、俺は優途改め、カタカナでユートだ。君もカタカナでリシアだ」
「文字にしなければ違いなんて無いでしょうに。バカバカしい」
「気分と覚悟の問題さ」
「それより、現実的なことに目を向けてください」
「例えば?」
「お嬢様の手掛かりを探すとか。――統真君だって何処にいるのか心配ではないのですか」
「なあ、リシア。俺だって心配はしている」
「いきなり呼び捨て? 馴れ合いは嫌です!」
「俺のことはユートって呼べよ。他人行儀だな」
「他人ですから!」
リシアが避けるように檻の後端へ遠ざかった。
嫌悪と憎悪が入り混じり、侮蔑し汚物を見る眼差しが、ユートへと注がれる。
ユートが鈍感さを纏い、腰をかがめて後端へ近づくと、リシアは膝を突いたままくるりと回るように素早く動き、鉄板を背にした前方の位置へと戻ってしまう。
ユートは再び詰め寄ろうとはせず、檻の格子に寄り掛かると、頭の後ろで手を組んだ。
「連れないねえ。助けが欲しいとき、俺の名を呼ばなければ、気付かないかもしれないぜ」
「あなたに助けを求めることなんて、あり得ませんから」
「それで済むなら、ありがたい話だ」
「賛同頂けて、幸いだわ」
「とは言え、緑人たちと言葉が通じないのが厄介だな」
「期待していませんでしたが、やはり、使えない人ですね」
「悪いな。期待を裏切れなくて」
「別に。ただ、七カ国語に精通した私にも、彼らの言葉は分かりませんから、私も偉そうには言えません」
手を下ろしたユートは、リシアをまじまじと見つめる。
その眼差しには、尊敬の念が込められている。
ユートは、英語ですらまともに話せないからである。
「凄いな、君は」
「嫌みかしら?」
「七カ国語を話せるということがだよ」
「そう? これくらい普通でしょ」
リシアは視線を逸らすと、ポケットから懐中時計を出し、蓋の開け閉めを始めた。
嫌う相手に真顔で誉められ、照れているのだ。
「ところで、今何時だ?」
「四時三三分」
「つまり、リシアの時計は動いているんだな」
「当然です。あなたの安物とは違いますから」
蔦の檻に捕まっていた時に梨詩愛が嗤った理由がそれだったのかとユートは悟りつつ、自分の腕時計を見る。
五時七分だった。
先ほどより二分ほど進んでいる。
壊れている訳ではないと思った矢先、笛が鳴った。
獣車は停止し、緑人達がざわつき始める。
明らかな異変だった。




