2 華陵サナ
次の日、学校に続く道を歩き、寒々しい灰色の曇り空を見上げながら昨夜の奇妙な体験を思い出していた。
「私は華陵サナ。協力してほしいのであれば、明日もここに居なさい。同じ時間にまた来るわ」
状況を飲み込めずに停止している俺を見かねたのか、彼女はそう言い残し、そして去っていった。ほとんど間を置かず、女が向かった廊下を覗いてみたのだが、そこに女の姿は無く、非常口を示す緑色のランプが光っているだけだった。
家に帰った後、母に大学受験の不合格を告げた。これからについてや、予備校の費用についてのお怒りを受けたが、ほとんど耳を素通りしていった。俺の頭の中は、失恋したこと、大学受験に失敗したこと、そして何よりあの女のことでいっぱいになっていたのだ。
一通りの説教が終わると、俺はふらふらと自室に舞い戻った。色々あり過ぎて疲れた頭を休ませようと、床に就いた。
幽霊みたいな女だったな...。
かじかんだ手を脇に挟み、学校への歩みを進めながら昨日の女を思い出す。制服を着ていたから、同じ学校の生徒ではあるだろうが...。もちろん面識は無いし、高校で見かけた覚えもない。1年生か2年生か。とにかく不気味な女だった。死にたいのなら協力するって?恐ろしい。自殺志願者を探している快楽殺人犯のようなセリフである。
不思議なことに、恐ろしい体験をすると生きたい気持ちが強まる。失恋やこれから先の人生に悩まされていたのだが、これから何年後のことよりもとにかく今だ。学校に行くのが怖い...。
教室に入り、クラスメイトに挨拶をしつつ自分の席についた。
「おはよー」
となりの席の奥村が冷えた手を温めるようにこすり合わせながら話しかけてきた。奥村とは3年で同じクラスになったのだが、通っていた予備校が一緒だったということもあり、クラスの中でも特に仲の良い男友達である。
「もう昨日のショックからは立ち直ったか?」
奥村は優しい微笑を浮かべる。昨日、失恋や受験失敗の愚痴を聴いてくれたのも奥村である。受験勉強で辛くなった時にもいろいろな相談に乗ってくれた良い友人だ。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
俺も笑顔を作って応答する。昨日よりも大分マシになったのは嘘ではないのだが、もっと恐ろしい記憶で上書きされた感じだった。
「あの後はすぐ帰ったのか?」
この質問に、俺は少し考える。あの体験のことも相談しよう。奇妙な話ではあるが、お人よしの奥村のことだ、疑ってかかるようなことはしないだろう。
「それがな、あの後に不気味な女に会ったんだよ。この教室で」
俺は声を少し低くして、話を始めた。
「女?」
奥村は少し眉間にしわを寄せ、顔だけでなく体もこちらに向けて、話を聞く体勢になった。
「そうそう。華陵サナって女を知ってるか?何年生かは分からないけど、この学校の生徒だ」
その名前を聞いた奥村のしわが濃くなる。口に手を当てて、目線を横に流した。
「カリョウ...?」
思い出そうとしてくれているようだが、やはり知らないか。
「いや、知らないならいいんだ。やっぱ違う学年かな...」
この俺の言葉に、珍しく奥村が返答しなかった。難しい顔をして考え込んでいる。奥村は俺よりも社交的で、人当たりも良いため知り合いが多い。それで知らないとなると、1,2年生の可能性が高くなるが。
「その華陵サナって、もしかして黒い長髪の・・・?」
俺はまさかの的中に驚く。知っている人がこんなにも早く見つかるとは思わず、やや興奮気味に前かがみになる。
「知ってるのか?何年生だ?実は今日・・・」
「いや・・・いるはずがないだろ」
まくしたてる俺を遮って、奥村は少し青ざめた顔で、悪い冗談を聞いたように空笑いする。奥村の言葉の意味を掴めず、呆けた顔をする俺をしり目に、彼は続ける。
「華陵サナはもうとっくに亡くなってるんだから」
「・・・え?」
世界一滑稽な顔をしているだろう俺を、早起きのカラスが笑っていた。
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