羊羹男がやってきました
「いい加減にして! 何なの、この猫。喋るなんて気持ち悪い!」
眩い金髪の美少女はそう言うと白猫の首を掴み、窓の外に放り投げた。
白猫は空中でくるりと回って体勢を整えると、音もなく屋根に着地する。
猫の身体能力と肉球の消音効果には驚くばかりだ。
本来の自分の体も、これくらい元気だったなら良かったのに。
白銀の毛並みの猫は、ため息をついた。
「また駄目ですか。……いつになったらヒロインは見つかるのでしょうね」
白猫は呟くと、ふわふわの毛で覆われた前足で、首にぶら下げた指輪に触れる。
その瞬間、指輪が光ると共に白猫の姿は屋根の上から消えた。
エドモンド・ゼラーティは体が弱い。
持病があるわけではないが、とにかくすぐに体調を崩す。
季節の変わり目、天気の変化はもちろん、酷い時には冷たいものを食べただけで寝込む羽目になる。
体自体はそれなりに成長もしているし、筋力だってないわけではない。
ただ、どうしようもなく体調を崩すのだ。
いっそ病気であったなら、薬を飲んだり治療をすることができるだろう。
だが、ただ体が弱いとなると、滋養のあるものを食べて少しずつ体を鍛えるくらいしかない。
エドモンドはゼラーティ公爵家の次男だが、兄弟は溺愛と言っていい程エドモンドを甘やかす。
いい年をした男同士なのだからやめてほしいが、兄弟にとってはいつまでも庇護する対象なのだろう。
大体、この色合いもいけない。
金と青の瞳に白銀の髪なんて、見た目からして体が弱そうではないか。
一度、髪を黒く染めようとしたこともあるが、染め粉が合わず大変だった。
目に関してはもうどうしようもないが、なけなしの抵抗で前髪を長めにして隠れるように頑張っている。
体を鍛えようにも、そのトレーニングで体調を崩す悪循環に辟易していた頃に、それはやって来た。
夢を見ているのだ、とすぐにわかった。
目の前にいるのは、幼児が避けては通れない御長寿番組でお馴染みのキャラクターのぬいぐるみだ。
羊羹をモチーフにしたそのヒーローを見た瞬間に、エドモンドは自分がいわゆる転生者であることを理解した。
「……どうせ転生するなら、健康体にしてほしいものです。普通、健康は最低条件で、それ以外に恩恵を預かるものではないですか」
確かに顔はまあ整っているし、公爵家の生まれではある。
だが、こんな貧弱な体質では、何もできやしないではないか。
『では、その体質を治してやろうか?』
エドモンドはぬいぐるみを見た。
羊羹男もこちらを見ている。
暫し無言で見つめ合い、エドモンドはため息をついた。
「夢の中で空耳とは、恐れ入りますね。もう寝ましょう。深く深く寝ましょう」
『待て、話を聞け。結構いい話だぞ。お得だぞ。頼むから、聞いてくれ』
およそヒーローとは思えぬ低姿勢でエドモンドのそばまで来た羊羹男は、片手を上げて決めポーズを取った。
「俺、羊羹苦手だったんですよね。行きずりで羊羹を食べさせるなんてテロ行為をする相手を、信じられません」
『何? 水羊羹派か? 仕方ない。少し待て』
すると羊羹男の小豆色の頭部に、透き通るような質感が出て来た。
どうだ、と言わんばかりに腰に手を当てているぬいぐるみを見て、エドモンドは目を閉じて寝ることにした。
『待て待て。小豆の良さを理解できぬ愚か者とはいえ、背に腹は代えられん。おまえ、その体質を治してやるから、私と契約しよう』
「意味がわからないし、信用できません」
バッサリと言い切ると、ぬいぐるみは肩を落とした。
『まずはそこか。よし、明日雨に濡れてみろ。それでも体調を崩さないようにしてやる。お試しというやつだ。特別だぞ』
みずみずしい羊羹頭を揺らしながらぬいぐるみがそう言うと、気が付けば朝になっていた。
変な夢を見たおかげで、何だか寝不足だ。
窓から見える空は雲一つない青で、とても雨が降るとは思えない。
「……変な夢でしたね」
羊羹男が体質を治すとか言っていたが、あんなわけのわからない夢を見るほどエドモンドの中では体質問題が大きいのだろう。
どさくさに紛れて転生者であることを思い出したが、ぼんやりとした記憶でしかなく、これと言って何かに役立つとも思えない。
結局はただ寝不足になっただけだと肩を落とした。
その後、偶然にも降った雨に、偶然にも濡れたエドモンドは、偶然にも熱を出さなかった。
普通の人間ならば、ただの偶然だ。
だが、エドモンドは自分の体質を十分に理解している。
ずぶ濡れになったのに、熱が出ないどころか何の不調も起こらないなど、ありえない話だった。
『信じてくれたようだな』
その日の夜、夢に出て来たのはやはり羊羹男のぬいぐるみだった。
はためくマントが実にうっとうしい。
「あなたは神のようなものですか?」
この世界にはない羊羹男を模して、エドの頑固な体調不良をありえない偶然で抑えた。
にわかには信じがたいが、そういうことなのだろう。
『わかったなら、説明するぞ。おまえに頼みたいのは、ヒロイン探しだ』
「……あ、やっぱり夢だったみたいです。寝ましょう」
エドが目を閉じようとすると、羊羹男はじたばたと手を動かす。
『待て! 時間がないから! お前が頼みの綱なんだ』
「何なんですか、一体」
『ラッキー転生キャンペーンというものを開催していてな。今回の当選者が「乙女ゲーム風の世界で才色兼備な悪役令嬢になって、ヒロインをざまぁしたい」という希望なんだ』
「……情報過多で、追いつけません」
『理解できなくていい。飲みこめ』
「はあ」
だいぶ投げやりな説明だ。
どうせこの夢から逃げられそうにもない。
エドモンドは思考を停止して聞くことにした。
『世界の制約があってな。配役はいわゆる転生者でないと務まらない。そこで当選者に合う年頃の転生者を当たってみたんだが、ことごとく断られてな』
「まあ、ろくでもなさそうですよね。大体、ざまぁって、何ですか?」
『具体的な内容は記されていない。……まあ、過去の例をもとに考えれば、良くて名誉や地位を失い、普通に修道院送りや国外追放、酷ければ処刑だな』
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