仮契約、成立です
「何の話?」
「俺はニーナが好きです。ニーナと一緒にいるのに身分が邪魔だというなら、捨てます」
「――は?」
「幸い、俺には兄がいますから、跡継ぎも大丈夫です。問題ありませんね」
「だ、駄目よ、そんなの」
問題ないどころか、問題しか見当たらないではないか。
「何故ですか?」
「ご家族も驚くだろうし、エドのためにならないし。そもそも、エドみたいな深窓の御令息が市井で暮らせるとは思えないわ」
「ちょっと傷付きますね」
「真実よ。貴族社会も大変かもしれないけれど、市井で生きるのだって大変なのよ」
一応納得したのか、エドモンドがうなずいている。
ようやく伝わったのかと思う間もなく、彼は口を開いた。
「それなら、ニーナが俺のそばに来てください」
「ええ?」
「俺がそちらに行けないなら、そうするしかないでしょう」
「いや、そもそも何で私?」
「理由は言いましたけど。もう一度、言いますか?」
「え? いや、いい。いいわ。結構よ!」
理由というのは、さっきのニーナのどこが好きとかいうやつだろう。
あんなものをまた聞かされては、こちらの身がもたない。
「……話が進みませんね」
そう言ってエドモンドはニーナの左手を取ると跪く。
嫌な予感がして、慌ててニーナもしゃがみこんだ。
「だ、駄目。何するつもりよ」
「何って、プロポ――」
「あー!」
叫びながら、エドモンドの口を押える。
すると、傷ついたと言わんばかりの顔でニーナを見上げてきた。
「……ニーナは俺が嫌いですか? 迷惑ですか?」
美少年の上目遣いというものは、なかなかの破壊力だ。
こんなに近くで見てはいけない。
危うく酔ってしまうそうで、怖くなる。
「き、嫌いじゃないけど」
「なら、良いでしょう? 何が駄目ですか?」
逆に、何故大丈夫だと思うのだろう。
そういうところは、貴族らしい押しの強さのようなものが垣間見えている。
「私は野良猫ハンターの平民よ。公爵家のお坊ちゃんの気の迷いに付き合っている余裕はないの」
「はい、そんなニーナが好きです」
「や、やめてったら!」
「……約束したんです」
「約束?」
「ニーナのお母様と」
衝撃の発言に、思わず立ち上がる。
「何で、お母さんと話なんてしているのよ」
「猫姿で見つかったのですが、何故か人間だとばれました。ご本人曰く、もうすぐお迎えが来るから、普通は見えないものも見えるのだそうです。『ニーナと仲良くしてあげて。あの子、頑張っちゃうから。そんなに頑張らないで良いよって、言ってあげて』と言われました」
では、アイーダは死期を悟っていたのだ。
余命の話は一緒に聞いていたが、やはり本人にしかわからない兆候があったのだろう。
「そう。……だったら、ぷ、プロ。……それはいらないでしょう? 普通に友達で良いじゃない。というか、普通に友達も身分的におかしい気がするけど」
平民と公爵令息なんて、普通は出会うことさえあり得ない。
「普通に友達じゃ、ニーナを誰かにとられるじゃないですか」
「とられないわよ、とられたことないわよ」
勢いでそう言ってから、何だか恥ずかしいことを言ってしまったと早々に後悔する。
「それじゃ、俺が初めての男ですか」
「言い方! 言い方がおかしいからね! 順番もおかしいから!」
確かに男性と交際したことはないが、その表現は何か違う気がする。
「……なるほど、手順を踏めということですね?」
「いや、まあ、違うような」
「ではニーナ、まずは恋人からお願いします」
「そこは友達からじゃないの?」
「今まで友達期間のようなものですし、問題ありません」
真剣な顔で手を差し出すエドモンドに、ニーナも困惑するしかない。
「あ、間を取って、仲の良い友達からなら……」
エドモンドの手にニーナが手を乗せると、その上に更に手を重ねて優しく握られる。
恥ずかしくて熱を持っているニーナには、冷えた手が心地良かった。
「……仕方ないので、今は妥協します。友達以上恋人未満というやつですね」
「何か違う……」
すると、エドモンドは重ねていた手を解いてニーナの左手をとり、その甲に口づけた。
「早い! 進行が早いから! 友達でしょう?」
慌てて手を引っ込めると、肩を竦められる。
「――何を今さら。俺の股間をじっくりと見ておいて」
「え?」
そう言えば、猫のエドの時に性別確認で股間を見た。
あれは猫だが、猫はエドモンドだったので……あの股間はエドモンドのものと言える。
「な、あ、あれは猫の! 猫だから!」
「あんな風に、無理矢理股間を見られたのは初めてです。ニーナは大胆ですね。それに、既に俺達は同衾していますし」
「言い方! さっきから言い方がおかしいの!」
真っ赤になって怒るニーナを見て、エドモンドはため息をついた。
「そろそろ理解してください。俺はニーナを諦めるつもり、ありませんよ?」
美しく艶っぽい微笑みに、言葉に詰まってしまう。
「……これも、何とかキャンペーンなの?」
そうでもなければ、公爵令息が平民にこんなことを言うわけがない。
「……そうですね」
肯定にほっとする反面、チクリと胸が痛む。
これは一体、何だろう。
さっきから妙な言い方をされたせいで、疲れているのかもしれない。
「ヒロインはニーナ。雇用主は俺。雇用期間は一生です。契約内容は、幸せな生活。……異存はありますか?」
うなずきながら聞いていたニーナの動きが止まった。
「……それって、つまり」
「――結婚してください」
笑顔のエドモンドを見ると、ニーナは大きなため息をついた。
「……契約内容と福利厚生を確認の上、仮契約からなら、考えるわ」
いつかと同じような言葉に、エドモンドが笑う。
「――はい。仮契約、成立ですね。よろしくお願いします、ニーナ」
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
明日からは「残念令嬢 〜悪役令嬢に転生したので、残念な方向で応戦します〜」の第六章を連載開始します。
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