どうやら、わかっていないようです
パーティー会場を抜け出すと、ニーナはそのまま学園の畑を見に来ていた。
エドモンドもついてきたが、何とも畑の似合わない美少年だ。
同じ美少年でもディーノは妙に似合っていたが、あれはジャポニカ米への愛がなせる業なのかもしれない。
卒業してしまえば、もうこの畑を見に来ることもない。
散々草むしりをした分だけ、愛着が湧いていた。
「さすがに、この格好だと草むしりはできないわね。ドレスは借りものだし、ヒールが土に刺さるしね」
草のむしり納めができないのは残念だが、仕方がない。
近くのベンチに腰を下ろすと、隣にエドモンドが座った。
見上げれば空は澄んで青い。
こんな時は、アイーダがいないということを忘れそうになる。
「……終わったわね」
「ようやくですね」
「それにしてもエド。契約の穴を突くって、かなり無理矢理な理屈じゃない? 結果的には正しかったけれど、大きな賭けよね?」
「神は感情を入れずに契約文だけを見る、と四番目の文で気付きましたから。大丈夫だと思っていましたよ」
「四番目?」
確か、四番目の契約文は『悪役令嬢が王子をかばう。真実の愛に目覚める』だった。
これで、何がわかるのだろうか。
「あの文は、王子のことを指しているのだと思っていました。でも、ディーノに聞いても好きでも嫌いでもないことに変わりはない、と言うんです。……だから、指輪を持つ契約者が契約文をこなせば履行と見做すのだと気付いたんです」
エドモンドに説明されるが、いまいち理解できない。
「ディーノ様が真実の愛に目覚めなかったのなら、契約文をこなせていないわよね?」
「だから、契約者が真実の愛に目覚めればそれで良いんですよ。それがディーノで、相手がクラリッサじゃなくても」
「契約文の対象は必ずしも悪役令嬢のクラリッサ様ではないし、彼女を幸せにするとも限らないということ?」
「そうです。契約文が契約者で履行されていれば、それで良い」
「だから、私に嘘の告白をして契約を終わらせたのね。無茶な理屈だけど、これでエドは健康に過ごせるし、ディーノ様は国王にならないで済むのね。良かったわね」
当選者に対して優しくない気もしたが、契約文を書いたのはクラリッサ自身だ。
その内容は叶えられているのだから、神としては問題なしと判断するのだろう。
空気を読むとか幸せを願うなんてことは、神には当てはまらないらしい。
「そういえば、このドレス。神から借りたわけだけど、どうやって返せば良いと思う? それに、私の報酬はどうなるのかしら」
「もう指輪が消えた以上、俺は猫になれないし、神に連絡もつかないです。でも、ドレスは神じゃなくて俺が用意したので、そのままニーナが持っていて問題ありませんよ」
「え?」
神に委託されたということだろうか。
だとすれば、随分と手間をかけさせてしまった。
「報酬のお金は神からなので、多分、部屋に届いていると思いますよ」
「え、そんな物騒な。早く帰らないと」
運悪く泥棒が入らないとも限らないし、いつものようにベッドにのせてあるのだろうから、早く仕舞っておきたい。
だが、ベンチから立ち上ろうとするニーナの手を、エドモンドが握った。
何か話があるのだろうかと、ニーナは再びベンチに座る。
「エド、どうしたの?」
「『愛の告白』は嘘が通るとしても、『真実の愛に目覚める』は嘘が通りませんよ」
どうやら、まだ契約文の説明が続いているらしい。
「まあ、真実の愛なら、嘘じゃ駄目よね。あれ? でも、ディーノ様は変わりないって……」
「そうです。真実の愛に目覚めたのは――俺ですから」
「……ええ? そうなの?」
「はい」
「そう。知らなかったわ」
「わかってくれました?」
「お相手は誰か知らないけれど、良かったわね、エド。お幸せに」
ニーナがお祝いを述べると、エドモンドの顔が露骨に引きつった。
「話を聞いていましたか、ニーナ」
「え? だから、エドは好きな人ができたんでしょう? おめでとう」
「だから、契約文は契約者で履行されるんですよ。誰でも良いわけじゃないんです」
「……じゃあ、クラリッサ様のことが好きで、それでもディーノ様のために耐え忍んだということ?」
「全然違いますよ。絶望的に違います」
「そ、そう」
何だか機嫌が悪そうだが、理由がわからないのでどうしたら良いのか困ってしまう。
「さっきも言いましたが、俺が好きなのはニーナです」
「……うん。だから、そう言って契約をこなしたことにしたんでしょう?」
エドモンドは大きなため息をつくと、ニーナの左手をすくいとって手のひらに短く口づけた。
「な、何を……」
驚愕と動揺のあまり、言葉が出てこない。
美少年は何をしても絵になるな、というどうしようもない感想しか出てこない。
「俺は、ニーナが好きです。ニーナをざまぁから助けたくて、頑張りました。ニーナが好きだからです。そのドレスは俺が用意しました。ビーズに俺とニーナの瞳の色を使っています。わざとです。ディーノは気付いていたようですが」
「――ちょ、ちょっと、エド。あなた公爵令息でしょう? 健康になったことだし、そんな冗談言っている場合じゃ……」
「冗談なんかじゃありませんよ。何にでも一生懸命なニーナが好きです。お母様のために頑張るニーナが好きです。強がっているニーナも好きです」
「ちょ、ちょっとやめて」
「あなたが信じてくれるまで、何度でも言いますよ」
「わ、わかった。わかったから」
何にしても、ニーナには刺激が強すぎる。
美少年にまっすぐ見つめられてあんなことを言われて、平静でいろと言う方が無理だ。
だが、それと話の内容はまた別の問題だ。
「わかってくれました?」
「エド、それヒロイン補正じゃないの? 私じゃなくて、ヒロインが好きなのよ」
散々見てきたが、ヒロイン補正の力は相当強力だ。
神の使いをしていた契約者といえども、影響が出ない保証はない。
というか、そうでもなければエドモンドがこんなことを言い出すとは思えない。
「もう契約は完了して、神の力はありませんよ」
「それはそうだけど」
少しくらい残っていてもおかしくはない、というニーナの気持ちが表情に現れたのか、エドモンドは眉を顰める。
「……なるほど。やはり伝わっていないようなので、何度でも言いましょう」
「わ、わかったってば」
ヒロイン補正でも冗談でも、あの攻撃は正直つらい。
心臓が痛くなるからやめてほしい。
「ようやく、わかってくれました?」
「わかったけど、私はこの町を出るつもりで……」
「何故ですか?」
「だって、お母さんがいなくなって、一人だから」
「俺がそばにいます。これで一人じゃないでしょう?」
まさかの提案に、思わず口を開けてぽかんとしてしまう。
「いや、そういう問題じゃ」
「何が問題ですか?」
「エドは公爵令息でしょう? 平民をからかっている場合じゃないわよ」
「……なるほど」
「わかってくれた?」
ほっと息をつくニーナとは対照的に、エドモンドはため息をついた。
「はい。――どうやら、ニーナはわかっていないようです」





