契約を再確認します
その後も、ニーナの生活は大きく変化することはなかった。
学園に行き、ディーノと過ごし、クラリッサに絡まれ、掃除をして、バイトに行く。
アイーダがいなくても、世界は普通に回っている。
何か不思議な感覚だったが、毎日を忙しく過ごすことで、ニーナもそれに少しずつ慣れていった。
「こんばんは」
いつものように、窓辺に白い猫が現れる。
進捗の報告も何回したか覚えていないが、それも今日で最後だ。
「明日は、いよいよ卒業パーティーですね」
そう言うエドの視線を追うと、いつの間にかベッドの上に華やかなドレスが用意されている。
これも初めてではないが、何度見ても仕組みがわからない。
「でもエド。私一人じゃ着られないから、ドレスは無理よ?」
「大丈夫です。見てみてください」
促されるままに手にとって見ると、華やかでボリュームはあったが、作りはほぼワンピースだった。
これなら、ニーナ一人でも問題なさそうである。
「エドって、細かいところもちゃんとフォローしてくれるわよね」
ニーナに風邪薬をくれたり、夜会では男性達から助けてくれたり。
こうしてみると、だいぶお世話になっているのだと気付かされる。
美少年なのに気配りもできるとは。
彼が健康になって社交界に出るようになれば、世の御令嬢達が放って置かないのだろう。
エドは御令嬢に囲まれたら困るのだろうか。
それとも、意外と楽しんだり、上手くあしらったりするのかもしれない。
ニーナには縁のない世界だけれど、想像すると何だか面白かった。
白猫は微笑むニーナを見て口元を綻ばせると、尻尾を揺らす。
「さて。明日に向けて、契約文を確認しますよ」
一、悪役令嬢は才色兼備の侯爵令嬢で、第三王子と婚約している。ヒロインは平民。
二、ヒロインは学園に通い、第三王子と親しくなる。
三、ヒロインの魅力で婚約者だけでなく、周囲も虜にし、嫌がらせをされたと吹聴し、悪役令嬢は孤立する。
四、悪役令嬢が王子をかばう。真実の愛に目覚める。
五、ヒロインは王子と卒業パーティーに参加。ヒロインの所業を暴露。悪役令嬢は愛の告白を聞く。
「この五番がざまぁの本番であり、契約の最終目的であり、終わりです」
いつか見せてもらった虹色の紙を広げると、綺麗な毛並みの足が文をなぞった。
「この文は一切変えられないし、契約者が必ず実行しなければいけません。ですが、指定されていないところは自己判断で構いません。……そこを、狙います」
エドが言うには、五番目の契約文を分割して考えるらしい。
ヒロインは王子とパーティーに参加。
ヒロインの所業を暴露。
悪役令嬢は愛の告白を聞く。
この三つは、別のものと捉えられるのだという。
ディーノに話は通してあるし大丈夫と言われたが、不安はなくならない。
契約をこなした上で、ざまぁを防ぐと言っていたが、どういうことなのだろう。
それに、肝心の部分をどうするのか、結局エドは教えてくれなかった。
そしてパーティー当日。
ドレスに身を包んだニーナは、何度目かのため息をついた。
ニーナはディーノと共に会場に入っている。
これで、『ヒロインは王子とパーティーに参加』は既にこなしたことになるのだろう。
以前の夜会とは異なり、卒業を祝うおめでたい雰囲気と、解放感が溢れている。
楽し気な参加者達の様子を見て、更にため息をついた。
「……本当に、上手くいくのかしら」
「ニーナ、大丈夫? たぶん、そろそろクラリッサが来ると思うよ」
ディーノに声をかけられて、自分が呆けていたことに気付く。
これから契約が終わり、ざまぁされる予定なのだから、気を抜いてはいけない。
アイーダはもういないとはいえ、十分に恩恵は受けた。
それに、エドとディーノのためにも、頑張らなければ。
「はい。ディーノ様も、色々付き合ってくださって、ありがとうございました」
「いいよ。まだ、終わっていないしね。……ところで。今日のドレス、似合っているよ」
突然の言葉に、ニーナは思わずぽかんと口を開けてしまう。
「……さすがに王子ともなると、お世辞もスマートに口にできるものなんですね」
「お世辞じゃないんだけどな。そのドレスは、エドが選んだの?」
「え? いえ。いや、……よくわからないです。神のお届け物なので、神が選んだんじゃないでしょうか」
今日のニーナのドレスは淡い水色で、ふんわりとしたシルエットが可愛らしい。
ところどころにピンクのビーズが散りばめてあり、それが光を受けてきらきらと輝いている。
同じ水色の布で作った花が腰に飾られているのだが、花芯には黄色と青のビーズが使われていて華やかだ。
「それにしてはビーズが……いや、クラリッサが来たみたいだね」
ディーノの視線の先には、燃えるような赤のドレスを身にまとった迫力の美少女がいた。
「ディーノ様、私という婚約者がありながら、そんな平民と一緒にいるとは、どういうことですか」
心なしかわくわくした様子のクラリッサが、ニーナを指差す。
今から彼女が望んだざまぁが行われるのだと思えば、それも仕方ないのかもしれない。
ある意味、クラリッサも今日のこのために一生懸命悪役令嬢を演じてきたのだ。
せっかちで詰めが甘くて、どう見てもドジっ子ヒロインだったとはいえ、彼女の心は立派な悪役令嬢だったはずだ。
いつも滑稽な芝居を演じている三人が揃ったことで、周囲の生徒たちはいつも通り遠巻きに見学している。
関わりたくはないが、見るのは面白いということだろう。
「……こんな場所で言う事ではないかもしれないが、聞いてくれ」
良く通る声に、周囲の生徒達とクラリッサが注目する。
彼女の顔に『来た来た』と書いてあるのは、気のせいではないだろう。
「ニーナはいつも、花壇や畑の草むしり、水やりを熱心にしているんだ」
「……は?」
たっぷりと時間をかけて、クラリッサが絞り出したのはその一言だった。
これが、『ヒロインの所業を暴露』に相当する……らしい。
ヒロインの所業なら良いというエドの見立てだが、クラリッサの顔が酷いことになっている。
本来は『クラリッサに嫌がらせされた』という誤解と、それを吹聴するヒロインの性格の悪さを暴露するつもりだろうから、顔が歪むのも仕方がない。
だが神の力で邪魔が入らないということは、とりあえず問題なしと判断されたようだ。
思った以上に契約文以外は緩いのかもしれない。
「それが、何なのですか?」
「――五番目の契約文ですよ」
困惑した様子のクラリッサの背後から、白銀の髪の青年が現れた。





