9話 恐怖
窓から外を見ても歩いている人は一人もいない
簡素な建物と所々に配置されている謎のシンボル
身体を少し乗り出し空を仰ぐと雲一つない青空が広がっていた
(この場所に足を踏み入れるまでは空も真っ白だったのに…)
向かいの建物はどれも中が薄暗く様子が伺えない、にも関わらず
常に視線のようなものを感じて気持ち悪い
室内を軽く探索すればなにか得られるものがあるかもしれないと一冊の本を手に取り軽く読み進める
と、ノックの音が鳴り響く
「はい」
警戒しつつ扉を開けると簡易的な食事を手に持ったヒェベルンナさんが立っていた
「お口に合うかわかりませんが、食事を召しあがれば弟さんも元気になるはずですわ」
「有難うございます」
「宜しければ中に入ってもよろしいでしょうか?お話したい事があるのです。
あまり人には聞かせたくない話で……」
「ええ、いいですよ。でも少し待って頂けますか?
弟が寝付いたばかりで……ちょっと様子を確認したいの」
「わかりましたわ」
手早く中に入りルネン君を起こさないようにフードを被らせ深く布団をかける
それと、もしもの為に武器を装備する
「どうぞ」
食事を受け取りヒェベルンナさんを中に招き入れると部屋を見渡しルネン君の傍に近寄った
「あまり、似てらっしゃらないのね?…何か訳ありなのかしら」
「……詮索しないで頂けると助かります」
「そう…ご気分を害されたならごめんなさいね」
「いえ、それでお話というのは」
それとなくヒェベルンナさんをルネン君から引き離しテーブルへと誘導する。
「ええ、少し人を探してまして…。お見かけしてないか聞きたかったのです。どうしても見つけられなくて困ってしまって」
「そうでしたか。生憎ここに来るまで人と出会わなかったので……
お力になれそうにないです」
「そう……」
しょんぼりと肩を落とし落胆して見せる姿に少し胸が痛んだ
正直この女性の事を信用する事はできないんだけど少し、協力
してあげても罰は当たらないだろう
「もし見つけたらお伝えしますね。どのような方でしょうか
親しい方ですか?」
「いいえ、どちらかと言うと……その逆ですわ
この地が呪われた地と烙印を落された原因の存在……
神だけが有するべき力を保有し、忌まわしき血を持つ者
冷酷で残虐で……あぁ、思い出すだけでも腸が煮えくり返りますわ」
ぎり、と歯を食いしばりそれまでの柔らかい表情は嘘のように
嫌悪を剥き出しにしていた
「ヒェベルンナさん……?」
「失礼しました。つい取り乱してしまいましたわ」
「……いえ」
「その者達は兄の名はルネン、妹はリーシアと言います。
私はどんな手を使ってでもその者達を排除しなくてはならないの
…………この名に聞き覚えございません?」
真っ直ぐと射抜くような視線に思わず目を逸らしそうになってしまう。
鼓動が早まり、冷や汗が背を伝う。表情は辛うじて崩していないので傍から見たらただの真顔に見える筈だ
(落ち着け。ここでボロを出したらルネン君が危ない)
幸いヒェベルンナさんはルネン君に気がついていない
冷静になれ。”緋衣”はこんな事で狼狽えない
早まる鼓動と上擦りそうな声を押さえつけるように息を吐き、
何でもないように振る舞う
「いいえ、初めて聞く名前ですね」
「そうでしたか……お時間取らせてしまってごめんなさいね?
お話ありがとうございました。どうぞゆっくりお寛ぎください」
「はい。ではお言葉に甘えさせて頂きます」
再び穏やかな表情に戻りゆっくりとこの場を立ち去るヒェベルンナさんを外まで見送り、扉を閉めた途端足の力が抜けてその場にへたり込む
「こ、怖……」
絞り出すように独り言を言うと嫌な汗が吹き出し手が震えた
怖い。目線で言えば正直ルネン君の方が怖いけど彼女が
放っていたそれは少し違って、明確な殺意と悪意が込められていた
「緋衣」
その場で蹲っているといつから起きていたのかマントを深く被ったルネン君がすぐ後ろにいた
「すまない。」
私を落ち着かせるように背中に触れた手はとても小さくて、優しく冷えきっていた身体が和らいでいく
僅かに微笑みを浮かべて私を気遣ってくれる姿はとても穏やかで
ヒェベルンナさんが言っていた冷酷で残虐だという姿は想像できない。
過去に何があったのか詳しく知らない私が首を突っ込んでいい話ではないが気にならないといえば嘘になる。
だが、それよりもこの場に居たくないという気持ちの方が上回った
(……収穫はあった。リーシアちゃんはここには居ない)
「……ルネン君ここを出よう。リーシアちゃんは居ないみたいだし
危険だよ」
「あぁ…そうだな。だが今は人目が気になる出るとしたら深夜か早朝がいいだろう」
「うん……」
子供を諭すように私をあやすルネン君に身を寄せる
人の強い負の感情に触れ、忘れていた記憶が蘇った
現実世界での出来事……忘れようとしても忘れられない記憶
▲▽
”緋衣”は誰よりも強く勇敢で何者にも怯える事はなく怯むこともない
冷静沈着で優しく、社交的な完璧な存在……でもそれはゲームの中での、”緋衣”の話
私はこの世界に来て自分の姿を見て、自分は”緋衣”になれたのだと”緋衣”ならどうするかと無意識に考え行動していた
でも私は”緋衣”ではない。現実世界の私は臆病で逃げ腰で、怖いことも痛いことも嫌いでできれば人とは関わりたくない小心者
私と緋衣は違うのだ
戦闘で身体が動くのは”緋衣”がそれを覚えているから
私は”緋衣”の目を通して見ているだけの傍観者に過ぎないのかもしれない
どこか気付かないふりをして、見て見ぬふりをしていたものを認識してしまい何かが音を立てて崩れていくような気がした
涙がとまらなくなって俯く私をルネン君は何を言うでもなくただただ優しく、抱きしめてくれた。