小説を書く理由2
「ガールフレンドとサバイバルナイフ」その2
アメリカのブッシュ大統領がイラク戦争の終結宣言をしてからも、依然としてテロの黒煙は上がり続けていた。メディアは自爆テロで数十名死亡したと伝える。断続的にテロは起こり、それに合わせて死者数が報道される。そして、それが僕の日常となる。日常的に何の罪のない人々が殺され、その地に日本という国が関わっているのに、僕の心は麻痺していった。
しかし、僕はイラクで人を殺している暴力と日本の社会に潜んでいる暴力とは繋がっているのではないかといつしか感じるようになった。僕の周りには、他者に対する無関心が、弱いものを蹴落とす空気が、一般常識という強者のイデオロギーが、傷ついた者を徹底的に攻撃する。ある場合には、心優しく繊細な者の精神を破壊し、肉体を滅ぼす。
大人たちの暴力は子どもの世界では無軌道なほど膨張する。
いじめることは自分を守るため。
学校に行かないのは、殺されないため。
ノリのいい馬鹿笑いとマシンガントークは他者からの防波堤。
静かな暴力と圧倒的な破壊活動は、忙しさに飲み込まれている大人たちの目を欺くことは容易い。
自我を確立しようと、じたばたもがいている繊細な(ある意味むき出しな)感性はすべてを真っ直ぐ受け止めてしまう。美しい言葉に塗り固められた嘘を、暖かそうな笑顔の中の冷酷な眼差しを・・・・・・
僕が若かった頃思い浮かべた世界と、なんとかけ離れた現実なのだろう?
少年たちは、まだ希望と呼ばれる言葉を失ってはいないのだろうか?
僕は彼らの物語の世界に降りていかなければならない気がした。
僕はその世界を前にして、立ちすくみ、躊躇し、逃げ出そうとした。
その世界は罪のない血が流される、死と生が分かちがたく結びついている場所だ。
だが僕には語らねばならないと思った。その風景が見えるのであれば、語る義務があるのだ。