小説を書く理由1
「ガールフレンドとサバイバルナイフ」その1
2008年7月1日、僕は日本文学館から「ガールフレンドとサバイバルナイフ」という小説を出版した。13歳の少年たちの目を通してこの世界がどのように見えるのか、僕自身考えてみたかったし、この不可解な現在社会に問題提起したかった。そして僕たちをとりまく世界が、3人の少年たちの物語として語られる結果となった。
暗い蒼色の背表紙に暗い赤の題字が浮き出ている文庫のカバーを見て、それでも僕は想うのだ。「僕はどうしてこの本を書いたのだろう?」と・・・・・・
直接のきっかけは、この出版社に詩を応募して、「本を書いてみませんか」と誘われたことだ。自費出版中心の出版社らしいが、対応も丁寧で価格もリーズナブルだったので、書いてみることにした。
当時、僕は何か自分で表現したかった。この本の著者プロフィールでも書いているが、2001年同時多発テロからイラク戦争に向けて世の中が騒然としている中、自分は何をすべきなのかわからなかった。しかし何かをしなければならないと、自分の内側から激しく欲するものがあった。それが僕を苛立たせた。自動車のウインドウーに「NO WAR」のシールを貼っても、イラク戦争反対の署名をしても、全然満たされなかった。
思えば2001年の同時多発テロ以前から、世界は不穏な空気に包まれていた。アフガニスタン紛争、湾岸戦争・・・僕らの目の見える形で様々なことは準備されていた。レディオ・ヘッドのトム・ヨークはチベットにおける中国の弾圧をすでに糾弾していたし、アフリカの名前すらよく知らない国々では(それは僕の無知のせいなのだけれども)、ジェノサイドが行われているとメディアは伝えていた。
組織された物理的にも巨大な暴力は人々の目に晒される。だけど僕らの周りにも、人を死に至らしめ人格を再生不可能なまでに破壊させる、静かな暴力が存在する。僕はいつしかその存在に気づき、それらに対し憎み、怒り、敵対していた。僕が僕自身であるためには、世間の常識の裏側に貼りついている暴力と戦わなければならない。そして、それは僕一人で行わなければ、僕にとって意味のないこととなる。(なぜ一人で戦うかといえば、僕自身の偏狭な性格からくるものだ、たぶん・・・・・・)
そのような意味で物語を書くことは、自分自身を取り戻せることでもあるが、無謀で危険な行為でもあった。僕のように精神的にも肉体的にも弱い人間にとっては、とくに。
けれども僕は書かざるを得なかった。物語は語られなければならなかったのだ。