本当の音楽とは? ディクター・ゴードン
「本当の音楽とは? ディクスター・ゴードン」
僕はジャズも好きで、とくにモダンジャズのCDをちょくちょく集めている。長い間いろんなCDを聴いてくると、やはり自分の愛聴盤というものが出てくる。
最近よく聴いているのがディクスター・ゴードンの「アワ・マン・イン・パリ」だ。精神的に疲れているときに彼のサックスを聴くと、何となく落ち着くのだ。
聴いても聴いても飽きない。
僕のCDはボーナストラックがなく5曲だけだが、よく続けて2回聴く。変な言い方だが、このCDはうるさくない。ゴードンのサックスもバド・パウエルのピアノも音楽として十分機能している結果だろうか。
以前、管弦楽のトリオのライブでモーツァルトを聴いたときも、同じような印象を受けた。自分の感情とは別の次元で音楽が成立していたのだ。このとき聴いた曲はしらなかったのだが、よい演奏と素晴らしい作品というのは、そういうことは全く関係なく心に響く。(ピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 《ゲーゲルシュタット・トリオ》は入っていたと思う)この演奏会の後、僕の頭(脳?)がかなり軽くなったように感じた。頭全体を包むぼんやりした感じがなくなり爽快なのだ。これを「癒し」といってよいのかわからないが、音楽に治療的効果があることを体験したわけだ。
ゴードンのCDも真剣に聴けば、ブロウするテナーサックに胸がドキドキ、バクバク、そしてバラードにはジーンときてしまうが、いい加減に聴いても、ちゃんと音楽に聴こえてしまうとは、すごいものである。
このCDは1963年の録音だが、ゴードンのようなジャズジャイアントがまだ他にもたくさん存在したというのは、音楽の神様の気まぐれだろうか。それとも公民権運動の盛り上がりなども関係しているのだろうか?