作者、ジャンヌダルクを語る7
まだ日差しは弱いと言っても、春の夕方。
太陽はまだ高く、明るく辺りを照らしている。
ドンレミ村の土手に座り、一人の老人がリュートを弾いている。
穏やかで、のどかな田舎風景の絵画のように見えるこの場面。
しかし、感じる人には薄暗く不気味な雰囲気に、それ以上、前進することが出来なくなったに違いない。
老人の奏でるリュートに合わせて向こう岸には、贖宥状で罪を逃れてもまだ、天国に拒絶された騎士やら兵士の亡霊が集まり、老人の物悲しいリュートの響きに聞き入っている。
その世界に入り込んでしまえば、それはそれなりに幻想的で、興味深い光景ではあるが、客観的にそれを見るとなると、例えるなら、「耳なし芳一」の墓場で琵琶を弾いているのを目撃したような、不可解さと恐怖を感じてしまうのかもしれない。
老人が奏でる曲は「シチリアーナ」題名は知らなくとも、その旋律を耳にすれば、RPGやファンタジー映画で聴いたような懐かしさを感じるはずだ。
16世紀にリュートの練習曲として有名だったこの曲は、シチリア島を起源とする舞曲で、近いところでは、20世紀のイタリアの作曲家レスピーギが16世紀の練習曲から「シチリアーナ」という題名で美しい曲に仕立てた。
騎士として世界をめぐる人達は、吟遊詩人としての顔ももつ。
そうして、旅をしながら、各所の貴族の屋敷に厄介になっていたらしい。
日本でいうところの、虚無僧と言ったところか。
彼らが、シチリア島を起源とする曲をヨーロッパに広めたとしたならば、やはり、シチリアとは騎士とゆかりが深い土地柄なのかもしれない。
それは、はるか昔、十字軍が華々しく活躍した頃の勇猛な騎士道を死霊達に思い起こさせた。
老人は爪弾く。
まだ、年若き頃の自分と仲間達の胸踊る武勇伝を。
しかし、さすがに増える陰の気に、リュート弾く手を止めて周りを見渡した。
今日は、いつもとは毛色の違う客人が来たようだ。
老人はうっすらと白く濁りだした右目を正確にギョーム・ド・ノガレの方向に向け、その禍々(まがまが)しさに上着を脱いで緑色のローブ姿になった。
それから、髪を結わえた紐をほどき、肩まである白身の強いロマンスグレーの髪を解き放ち、胸のポケットから、手帳サイズの黒革の本を取り出した。
通称「黒本」、なろうの読者なら、グリモアールと言った方が通りが良いのかもしれない。
彼の手にしているその本の名前は…私には分からない。が、後にイギリスのオカルティスト、マグレガー・メイザースによって英訳され、有名になる。
「術士アブラメリンの聖なる魔術の書」
のヘブライ語版の原形、らしきものだ。
この本は1893年にパリのアリスナル図書館からフランス語訳の写本として発見さる、14世紀から15世紀のアブラハムと言う魔術師の著書である。
アブラメリンとは、アブラハムの師匠でエジプトで知り合った人物らしい。
まあ、この本については興味のある方は各自で検索してもらうこととして、老人はその黒本を媒介に守護天使ミカエルを呼び出すことが出来る。
自らが写本をし、端から端まで完全に暗記したその本を開き、特定のヘブライ文字を指でなぞりながら、自らの心の清らかな部分に住む天使を呼び出す。
彼の場合、文字をなぞり、指に本の力をためてから、リュートの音色にそれを変えて空間に解き放つ。
暖かな音色が、風や水の流れる音を含みながら波紋として広がり、マース川の中央で、沈みかけた夕日の光の塊となってほんの一瞬、辺りを明るく輝かせた。天使が一瞬、水面に降臨した。
それだけだが、それだけで、辺りの穢れた雰囲気は見える範囲の全ての空間を浄化していった。
お気に召さないのですね?
老人は、見えないはずの私の場所を正確に見据えながら、愛情に近い敬愛の情を向けて心の中で、彼のマドンナに囁いた。
私は、答える言葉もなく、ただ、老人をみつめて、
面倒くさいキャラがまた増えるのか?
と、少し頭を抱えたくなった。ただ、太陽が完全に沈むほんの一瞬、夕日の赤い光に包まれた老人の髪や髭が、濃い緑に見えて、本か、ネットか都市伝説できいた昔話を思い出した。
青髭とは、緑髭。自然界であり得ない緑の髪や髭は、キリスト教がくる前の土着の神の姿で、その神とは、豊穣の神だと言う。
この老人との関係は、よく分からない。ただ、思い出しただけなのだが。
老人は全てが終わると、ローブを来て、脇に置いていた手袋を丁寧にはめた。
そして、静かに村の教会へと帰っていった。