水
うるやかな午後のひと時。
ソファに座り作者の物語を聞き入ります。BGMにボサノバを。紅茶の甘い香りに包まれて聴くホラーと言うのも悪いものではありません。
これは『猿酒』言う物語のささやかなアンコールとして作られる予定の物語でした。
時代は戦国時代から飛んで17世紀の末から、18世紀の江戸。当時は時代も落ち着いて、江戸の街にもさまざまな文化が花開き。いつの時代も人気の怖い話や不思議な話が持て囃されるのです。
この話が作品にならなかったのは、いえ、私たちの話題にものぼらなかったのは、短編にしても調べることが沢山あり、雰囲気を作り出すだけで面倒だったと言うこと路にあります。
なので、資料については裏覚えのまま話をすることにします。
江戸末期。当時の大衆紙として君臨したのが瓦版です。
そんな瓦版にも、作者の好きなオカルト雑誌『みぃ・ムー』のようなものもありました。妖怪や幽霊の話から、竜巻に関する少し科学的な発想でアプローチするものまで。
そんなオカルト瓦版を手がける旦那に、瓦版売りで遊び人。今で言うところの動画配信者のような人物、名前をハチとしましょうか…
そのハチに瓦版屋の旦那がこう話を持ちかけるところから物語が始まります。
「おまえさん、そんなに吉原に行きたいなら、私が軍資金を出してやらなくもないよ。ただ、相手の方はこちらで決めさせてもらうがね、最近、怪談会で面白い話を聞いてね、調べてみたいと思っていたところなんだ。」
と、旦那に言われ、ハチは一つ返事でハイと答えるのです。
ただ、これはオカルト企画ものなので、遊女と言っても普通の遊女ではありません。
姿が見えない暗がりで、寝物語に不思議な話をすると言うのです。
性とオカルトの繋がりは太古の昔から証明されています。子宝や豊作を願うところが原点の宗教が多いのもありますが。
時代が進むと、子宝から、性行為の方にご利益を求める人間も増え、そして、人と交わりながら恍惚とした精神で神を降ろすと言った儀式なども発展してくるのです。
この遊女がそんなものかどうかはわかりませんが、ただで、話題の遊女と一夜を共に出来るとなれば断る理由もハチにはありません。彼は独身で、現代の動画の配信者のようにトレンドのあるものを『やってみた』しないとお金儲けに綱がらないからです。
所持金なしで悠々と吉原の門をくぐるハチは嬉しくて仕方ありません。
なにしろ、すでに話は通っていて、旦那のツケで飲み食いから何からが ダタ なのですから。
ハチは肩で風を切りながら、自信満々に高級遊郭の表門へと向かいます。
流石に高級店、すでに話とハチの情報は回っていて、とても上品に敬意ある対応で迎えられるのです。
上品すぎてつまらねえな。
と、女好きのハチは年配の女将の対応を見ながら少しがっかりとします。やはり、遊郭に行くとなれば、顔はどうあれ、ピチピチの娘達に歓待されたいのが独身男のサガというものです。
とはいえ、漂う線香の香りから高級感があるのは間違いありません。
遊郭では、時間を線香で測るところもあったそうですが、旗下の法事の時に寺から漂うような、品の良い白檀と、何か華やかな花の香りが、別々のところから流れてくるのですが、混ざり合うことを想定されたような、良いに匂いにハチの気持ちも高鳴るのです。
どんな綺麗な女だろう?
風呂をもらい、1人酒を飲みながら呼ばれるのを待つハチ。浮かれながら、嫉妬深い奥方を持った旦那を可哀想に思ったりします。
しかし、待てど暮らせど自分を呼びにくる人間はいません。これは旦那にいっぱい食わされたのか?と、不安と怒りが湧いてくる頃には夜も更け、そのうち、面倒苦あくなって寝てしまいました。
「旦那さん、起きてください。旦那さん!」
呼ばれてハチは飛び起きました。もう、夜はとっぷりとくれて、花街といえども、深夜の闇が賑やかさに鈍い落ち着きをもたらせ始めていました。
「おい、おせえじゃないか!」
と、怒鳴る声もさまにならないまま、それでも、起こしにきた女中についてゆきます。
もう、エロい気持ちも何もかも眠気に負け始めてはいましたが、旦那に払いを頼んだ分、仕事をしないわけにもゆきません。
薄暗い廊下を何度か曲がり、そして、白壁のところで女中は止まると跪き、蝋燭を廊下に置くとハチを見る。
「ここが太夫の部屋になります。腰を低くお願いします。」
「部屋?壁いかねえじゃないか。」
と叫ぶハチの声えが響き、ここでこの静けさが恐怖に変わります。
ここは遊郭。夜こそが華。明け方まで音が途切れることなんてないはずです。
不安になりながら、それでもハチは腰をかがめました。