諸世紀3
なんか、一人で盛り上がってきたぞ。
自分のダメさ加減がわかると、ここのシステムの凄さが染みてくる。
そして、今なら生命誕生の歴史の話でも書けそうな気分だ。
私は、現在の技術の発展におされて、こうして、文章を誰かに読んで貰うことが出来る。
昭和の時代なら、出版社に断られるまでもなく、はじめから作品を完成できなかったろう、そんな私が、だ。
恐竜から、次の世代として頭角をだした哺乳類のように、時代と環境の変化で、弱くてダメダメなスペックしかなくても、こうして、新しい時代に足跡をつけることに成功したのだ。
なろうのユルさ…ああ、悪く言えばそうなんだろうが、でも、考え方を変えたら、カンブレア時代の海の中のように、賑やかで変化に富んだ世界なのかもしれない。
確かに、脆弱で、ワケわからない作品もあるだろうけれど、でも、ピラミットの中に書かれたいたずら書きのように、我々の文章だって、数千年後はアカデミーで、偉い先生方を唸らせているかもしれないし、
もしかしたら、私のこの文書で、ピラミットの落書きオジサンの二日酔いの話のように、小さなドラマが出来るかもしれない。
嬉しいか、どうかは、別として。
そう考えると…、文章が生き残るのに、現在の優劣なんて、どれだけの価値があるのだろう?
あれだけの高度な文明を誇ったエジプトは滅び去り、頭のいい神官達の難しいヒエログリフは、解読不可能か…もしくは、石材としてどこかの国の壁になってしまい、
逆に、二日酔いで仕事を休む、そんな、なんだがダメダメそうな職人の馬鹿げたイタズラ書きが、数千年後はもてはやされたりする。
少し前には名作として人気があっても、100年を乗り切るのすら、至難の技なのだ。
そう考えると、ノストラダムスの予言本が、こうして、500年の時を経て次のムーブメントを起こせたのは、奇跡に近い事柄のような気がする。
しかも、殆どが、この諸世紀をテンプレにした二次小説みたいな、解説本で底上げされたんだから、
確かに、彼は偉大なラノベ作家とも言えなくはないかもしれない。
本人は嬉しくないかもしれないが。
聖フランソワの闇の掟かぁ…
しみるフレーズだよなぁ。
こんな発想をわきださせる文章が、この予言集につまっているかと思うと、なんだか、少し諸世紀の古びた背表紙が偉大に感じるじゃないか。
私の中の、しみるフレーズも、この詩編の中に隠れていて、私が探してくれるのを待っているのかもしれない。
そして、書籍化されるような作品が出来たなら、
まさに、金を生む本!
と、言うことになる。
なんか、私も、この諸世紀の魔力に引き込まれてきたようだ。