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茶色いノート  作者: ふりまじん
ダ・ヴィンチの偽コード
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諸世紀2

思うと、私は随分扱い辛い子供だったと思う。


どうも、おかしな事が気になったり、変なことを疑ってみたり…


私は、なぜかノストラダムスにはまってしまった。

特に、五島勉先生の「大予言」が好きだった。


でも、疑り深い私は、「大予言」お約束の小さな事件から滅亡の話にもって行くその作風の、本に掲載された小さな事件記事を図書館の朝日新聞の縮小版で調べて、確認するような小賢しい子供だ。それで、記事があるのを見つけると、五島先生を何だか信用していた。


信用すると言っても、他の作家さんの本と比べて、五島勉先生の話が一番面白い程度の気持ちで、人類滅亡については、それほど気にしていなかった。


そんなことより、中学生で英語を習いたての私は、同じ詩を訳しているはずなのに、なんで、作家が変わるとこんなに訳が変わるのか?それが、どうして、大人の世界で許されるのか?

こちらの方が問題だった。

私は、ちょっと文章を間違えても、英語の成績が下がるのに


火星が軍神だったり


ヒスターがヒトラーに書き換えられる世界が、不満だった。


でも、今ならわかる…


それは、訳したら、その詩にも著作権が発生するからだ。


あの四行を、他の作家さんの訳詞とフレーズを変えないと色々面倒なんだと、いまなら思う。


なんだか、今、読んでみると、色々考えさせられる。


と、話を戻して、2000年の私も、この本を読みながら考えさせられていた。


なんだこりゃ?


と。昭和50年1975年に、すでにこんな本があるのに…

なんだったのだ?あの謎タブーは!!


なんか、フランス語の詩をのせては行けないとか…

頭の中で怪しいルールが回っている。


この時点で、なんとなく、騙された感が込み上げてくる。


いや、いい。私は、基本楽しんでいたし、小説として読む分には面白い話だったから。


でも、頭の中を一つの疑問が沸き上がる。


果たして、はじめから、予言本を書いていた作家さんは、我々読者を騙していたのだろうか?



ノストラダムスの伝説は、もう、一休さんのとんち話のような、あからさまな創作話もあったようなので、作家自身が騙されていたんだと、好意的に考えていたのだが、


この諸世紀を読むにつけ、段々、知っていて騙していたんじゃないか?

これ、創作だろ?と、モヤモヤした気持ちがわいてきたのだ。


当時はSNSなんて、それほどメジャーじゃないし、ノストラダムスと終末予言は、人気があったから、新世紀を無事にすこせて、あの騒ぎに抗議をするのは私だけではなく、


問い合わせたところで、どうせ、マトモな説明なんてもらえるとも思えなかった。


それに、


「すいません。大予言スペシャル日本編の聖フランソワの闇の掟の部分は、史実として引用させてもらえるのでしょうか?それとも、著作物なのでしょうか?」


なんて、良い歳をして聞けない(///∇///)


しかし…いま書くだけでも、なんだか、中二病がぶり返しそうなフレーズだ。


聖フランソワの闇の掟。


私は、五島先生をけなしては無いぞ。

本気で凄いとおもう。

特に、短編ひとつ完結できない、そんな現状を考えたら、

聖フランソワの闇の掟。使ってみたい。


自分で許可をとるのは、なんだか恥ずかしい。そうだ、小説を投稿して、一時審査を通過したら、その勢いで聞いてみよう。


先生に著作物として言われたら、もう、創作していた事になるし、


調べた史実として、引用の形なら、先生も本気で信じていたんだ。と、思えるじゃないか。




と、言うわけで、小説を書くべく、おかしな話が切れ切れにのる、この茶色いノートが誕生したのだ。



今ならわかる。私には、作家になれる集中力も、まとめる力も持ち合わせてない。


だから、きっと、従来の出版システムでは、ノートごと人知れず消えていたに違いない。



しかし…




すげーよなぁ…




技術の進歩ってやつは!!


ああ、まるで、地球誕生から、初めて陸地に上がった生物になった気分だ。


有毒ガスのはびこる地上は、気がついたら酸素が溢れて、植物が美しく咲き乱れ、食べるものに困ることもない。


天敵のいない、広大なフロンティアで、私は大きく呼吸をする肺魚にでもなった気分だ。



ここでは、多少の誤字脱字で抹消されることはない。


脆弱な知識は、インターネットが補ってくれる…


確かに、環境に適応出来ずに、乾燥して死んでしまうかもしれないが、それでも、私は新しい世界を見つめて、そこに足跡をつけることが出来たのだ。



なんか、凄いぞ。


なんて、うかれてもいられないか。


去年の12月。本当に偶然に大予言の初めの、人足頭魚の人魚の合成写真がついた、初版に近い大予言を、100円で入手したのだ。


随分探したし、大昔の…40年以上まえの本だ。それが、まるで、私が新しい世界でノストラダムスを書くのを知っていたかのように、私の手元にやって来たのだ…


で、風邪を引いて倒れ、うなされ、現在に至るわけだ。


はははっ。エタるなんて、出来るはずもない。


だって、諦めると言うことは、もの神の存在を否定する事だし、


なろうの花形は、どうしてもファンタジーだ。


異界の神を信じられない人間が、読者に夢なんて見せられるわけもなかろう。


ああ、どうなるんだろう?この話。


とにかく、行けるところまで行くしかない。


覚悟を決めて、古本関係の連載を増やすか…


こっちは、こっちで、法王の話を書かないと。


さて、本当にどうなるんだろう?


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