ワンダフルわーるど
静かな冬の夜。
誰もいない山小屋で私は、暖炉に火をくべます。
燃える薪のどこか懐かしい薫りがするなかで、コーヒーを淹れます。
作者はソファーに座りながらタブレットで何かを書いていました。
邪魔しないように、そっとテーブルにコーヒーを置くと、作者が頭を上げて私に笑いかけました。
「ありがとう。」
「本日は地元の喫茶店のブレンドを買ってきましたよ。」
私は、作者の横に座りマグカップを手にする。
「あら、昼間、居ないと思ったら、町にいったのね。いい薫りだわ。」
作者は両手でマグカップを持ちながら目を閉じる。
「マスター自慢の『ワンダフルわーるど』ね。」
作者は嬉しそうにブレンド名を呟く。
「はい。モカを中心にした甘い薫りのブレンド。お好きでしたよね?」
私の問いに作者は笑った。
「うん。で、このブレンドを飲むと、あの曲が聴きたくなるの。」
甘えるように上目使いで見つめる作者に、私は曲をかけました。
『この素晴らしき世界』1967年のルイ・アームストロングの名曲です。
「(-_-;)もう、和名は使えないわね。『この素晴らしき世界』で検索すると、ラノベで埋まるわっ(T-T)」
作者は苦笑する。
「まあ、時代ですからね。人気ラノベで埋まるのは仕方ありません。」
私は苦笑する。
いつか…作者と私の物語も…
あんな風に検索画面を埋める日が来たらよいのですが。
「そうね。時代かぁ…この曲…思えば、時代に翻弄された曲なのよね(-_-;)」
作者はコーヒーを口にする。
「そうですね。リリース当初はあまり、売れなかったようですから。」
「うん…これ、反戦の意味がある曲みたいなのね。
リリースが1968年で、アメリカはベトナム戦争の泥沼に陥っていたのよ。
ああ、作曲者はボブ・シール ベトナム戦争を嘆いて作曲したらしいわ。
そう言えば、彼は1922年生まれ。生誕100年なのね。」
作者がほろ苦い顔で空を見つめた。
「そうですね。そう考えると…100年なんて、長いようで短いのかもしれません。」
「ふふっ。そこで、歌い手のアームストロングを調べると、面白いわよ(^-^)
詩を書いたボブが産声をあげた年、アームストロングは、人生の帰路にたっていたわ。」
作者は酔ったように頬を紅潮させて話す。
「アームストロングは、少年院に収監され、そこで音楽に出会う。
そして、出所して音楽で人気者になるんでしたね。」
「うん。1923年!楽団に加入して、本格的に音楽の道に進むの。
乱歩がデビューしたその年よっ。
私、乱歩のお話を作るときは、ジャズをバックにやりたくなったわ。」
作者は嬉しそうに笑った。
「そうですね。まずは書かなきゃ行けませんが。」
「(;゜゜)」
作者は渋い顔でうつむいた。
「もうっ、わかってるわよ。『この素晴らしき世界』は、60年代にもヒットはしているわ。
でも、我々の記憶では、1980年代、映画やCMで使われた記憶の方が大きいかもしれないわ。」
作者の言葉に、懐かしい車のCMが浮かびました。
この曲は、日々の小さな幸せについて歌っていて、そうと説明されなければ、反戦のイメージは沸かないと思います。
私の作者も、西洋風の素敵な家庭を夢見ながら、この曲を聴いていました。
「そう、ですね。でも、ルイには60年代のアメリカの夢と共にしまわれているのでしょうね。
曲がヒットした年からすぐ、同じ名字のニールが人類初の月面着陸に成功しましたから。」
私は、混沌の60年代を思う。
「そう、ね。あの頃は…まだ、黒人差別が酷くて…
いいえ…みんな揉めていたわ。
冷戦とか、学生運動とか…
何か、社会の思春期みたいな時代よね?
その中で、同じ名字のニールに、何を感じたかは知らないけれど、次に月面に足をつけるのは、黒人やアジア人もいるのでしょうね。
1970年…奇跡的に東西の国々が集まってアジアで開催された万博…
その噂をききながら、ルイも夢を見たのかしら?
この曲のような…甘い夢を。」
作者はそう言ってしばらく曲を聞いていた。
ルイは1971年、この世を去るのです。
それから、渋い顔でこう、私に愚痴る。
「ルイ・アームストロングって、サッチモの事だったのね(-_-;)
サッチモって、ジャズのすごい人の名前だと思ってたのよ。」
「それで間違いありませんでしょ?」
私は、何が言いたいのか分からなかった。
ラジオ全盛期、サッチモの名前と共に軽快な彼の曲と巧みなテクニックについて、DJが競うようにラジオで語っていました。
「うん…でも、サッチモって、日本語にすると、『がま口』みたいな意味らしいの。ルイの大きな口を揶揄したあだ名なのね。
確かに、皆、愛と尊敬を込めて彼をサッチモと呼んだわ。
でも、あだ名も使えない時代だもん。もう、言えないわよね(>_<。)
なんか寂しいわ。」
作者は膨れっ面をしながら、昔の思い出とコンプライアンスの折り合いをつけようとしていた。
いつの間にか、再生された『ハロー・ドーリー』が、彼女を慰めるように私には聞こえた。