時影、近代魔術を語る番外7
「昔、あなたとグリムについても調べたわよね?」
作者は私に聞いた。
「はい。去年の春辺りでしょうか?ゲーテやベートーベンのお話と一緒に調べましたね。」
私は、当時を懐かしく思い出した。
我々は、冬の童話に参加しているので、グリムやアンデルセン、小さな民話など、たまに調べたり、話し合ったりするのです。
「そうね。グリム…彼らが集めた民話によって、民族や、母国語について大切にしようと考える人たちが登場するわ。」
そう言って、作者は部屋一面を花畑に変えてしまいました。
チューリップやスノードロップが演奏するのは『序曲タンホイザー』ワーグナーの作曲した劇曲です。
「ワーグナー…登場するとは思いましたが…」
私は、美しい花の管楽器と伸び始めの若草のツルの弦楽奏に呆れながらも感動します。
これを…作品にいかせれば…童話部門で一度くらい浮上できそうですが。
「なによ…。」
作者は、私の態度を見て攻撃的に呟きます。
私は笑って風の妖精を呼び出して踊らせました。
「いえ…『ワルキューレの騎行』じゃないのかと思いまして。」
私の言葉に、作者は嫌な顔をする。
「ワルキューレ!今は、あの曲は洒落にならないわよ(>_<。)
私の世代はね、どうしたって映画『地獄の黙示録』を思い出さずにいられないんだもん。」
映画『地獄の黙示録』とは、1979年コッポラ監督による戦争映画です。
ベトナム戦争の後期を舞台にしたもので、この映画は世界的にヒットし、その影響もあってか、映画で使われたワーグナーの『ワルキューレの騎行』も、勇ましくも残忍な空爆シーンなどと共に表現されるようになったのです。
「もうっ、いいのっ!今日はメルヒェンで!
今日の主役はワーグナーじゃなく、グリム兄弟なんだもん。」
作者は頬を膨らませて私を睨みながら、草はらから小人たちを呼び出しました。
私は、肩をすくませて『ラインの黄金』に曲が変わるのを聴いていた。
静かなメロディラインに合わせてチューリップやライラックが曲を奏でます。
風の妖精が、透き通る声で、『ニーベルングの指輪』のお話を始めます。
これは、ルードビッヒ2世のお気に入りの演目としても知られています。
♪それは昔々
神々や妖精が溢れていた頃…
川の妖精のもつラインの黄金を奪う小人の物語…
それは、やがて勇者ジークフリートの悲劇に流れる物語。
「19世紀…童話の名作が生まれるなか、発表された『グリム童話』は、北欧…ドイツの昔話を集めたものなのよ。
フランス革命以降、混乱するヨーロッパで、グリムの物語は、土地や民族についての再評価をうながしてゆくのよ。
この流れは、イギリス…ロシア…そして、日本にまで流れて行くのよ。
ワーグナーもまた、グリムの著書に感化されて、ゲルマンの昔話を復活させるのよ。
『ローエングリン』『タンホイザー』『ニーベルングの指輪』なんかを歌劇に変えてね。
でも…後にこれらの作品が、一人の独裁者と語られるなんて、考えもしなかったでしょうね。」
作者は、ため息をつく。
「そうですね…。」
私は、小人と歌う白雪姫を見つめる。
グリムが集めて書籍化した『グリム童話』は、世界中で愛され、映画にまでなるのです。
「しかし…映画『白雪姫』のリリースも1937年なんて…世の中、いろんなこじつけができるのね(>_<。)」
「別に、こじつけた訳でもありませんでしょ?
ドイツは戦争に負け、革命もありましたから、アメリカへ移民した方々も多くいたのでしょう。
人が動けば、民話もそれに続きますから、そんなところも関係あるのでしょう。」
私は、努めて素っ気なく言った。もう、これ以上、話を止めてもいられません。
「そうね…。グリムが本を書いてから100年を過ぎて、日本にまで到達したんだもん。ある意味、近代出版…知的遺伝の最高潮で、著作権もいい感じに消える頃ってのもあるんでしょうね。」
作者は苦笑する。
「そうですね。」
私は、作者のために丸太のテーブルと椅子を用意する。
春が巡り、今年もニルギリのシーズンがやって来ます。
爽やかな国産レモンのレモンティは、気持ちをあげてくれるに違いありません。
作者は、椅子に座ってレモンティを口にする。
「甘い…(^-^)」と、呟く彼女の笑顔に私の気持ちも柔らかくなるようです。
「でも…歴史は、この先、メルヒェンの国を戦禍へと引き込んで行くんだわ。」
作者は、深いため息をついて、こう続けた。
「ワーグナーとグリムの民族への想いを歪ませながら…ね。」