番外ダ・ヴィンチの偽コード 15 アマポーラ
紅茶を飲み終わると、作者は、美しい水の精霊を召喚しました。
体にぴったりとまつわりつく美しい夜色のドレスを纏い、美しい夜化粧を施した赤い唇に、皮肉な微笑みを浮かべた大人の女性の姿で、どこからか流れる音楽に身を寄せるように歌い始めました。
曲は、『別れのブルース』1937年発表の淡屋のりこさんの代表曲です。
「どうしたんです?一体?」
私は、いきなり始まったイベントに混乱する。
「良いじゃない。踊りましょうよ。
この曲、よく知ってるけれど、ほとんど、物まねの芸人さんのデフォルメされたものしか知らないの。
さすがに、私も、淡屋のりこさんの全盛期に生きてないし。」
「そうですね。この曲は、1937年の曲ですから。」
「うん。『アマポラ』と同じ年にリリースされたのね。
この年は、ラーンが『聖杯』の本を出版し、人生に夢を…バットエンドに続く…壮大な夢を記した年であるわ。
そして…もう一人…バットエンドが待つとも知らずに、人生の分岐を選んだ人物がいるわ。
アドルフ・ヒトラーよ。」
作者は、私の両手を握りながら、難しい顔でそう言った。
1929年、世界恐慌で社会が混乱する中、淡屋のりこさんは学校を卒業したようです。
元々は、クラッシックの世界に進路をとりたかったようですが、そうもゆかず、1930年、流行歌手としてデビューを果たすのです。
世界恐慌は、様々な人達の人生を狂わせて行きます。
それは…つもり積もれば、国家の行く末すら、狂わせるものなのかもしれません。
ドイツでは、就職できない人達が、ナチスに入隊し、親衛隊に殺到しました。
この頃が、ヒムラーの人生の分岐点だったのかもしれません。
順調に権力を強めたヒムラーは、1936年に警察長官に任命されるのです。
その翌年、ヒトラーは会議の覚書を作成します。
ホスバッハ覚書…
それは、戦争へと突き進む事を示していました。
「そうですね…。そう考えると、数奇な運命を感じずにはいられませんね。」
私の言葉に作者は笑った。
「ええ。でも、ラーンは同じ年に失敗をして、収容所にいれられたみたいよ。
ドイツが大きく戦争に舵をきる時、彼の人生も変わったのかもしれないわ。」
作者は、何かを噛み締めるように唇を閉じる。
「そうですね。でも…今は、ただ踊りませんか? 」
私は強く作者の両手を握ると、明るい曲調の淡屋のりこさんの『アマポラ』をかけた。
赤い…芥子の花のびらのようにふわふわと舞うシフォンのスカートを揺らしながら、作者は困った様に踊りながら、私を甘く睨んだ。
「そうね…。こんな事をしなきゃ、きっと、聴くこともなかった、本当の淡屋のりこさんの歌を…その美声に酔ってみるのも…悪くはないわね。」
作者は、そう言ってステップをふんだ。




