ダ・ヴィンチの偽コード 23 終
マルコの話はフィクションの上に、ダウトも含まれているし、書いてないエピソードも潜んでいる。
「最期の晩餐」の補修の為に免罪符なんて使ってないだろうし、補修した事実も私は見つけられていない。
ここまで読んでくれた読者の方で、歴史に、西洋絵画に詳しいかたがいたなら、きっと、私の嘘に気がついているだろう。
けれど、あまり、きつく言われたくはない。
免罪符や補修が史実として無いのが確定してしまったら、私はこう続けるしかない。
それなら、マルコの命を溶かして作り上げた金貨は、話を持ちかけてきた教会の生臭坊主の愛人の胸元を飾る美しいエメラルドに変わったのだろう。と。
マルコはそんな真実を知ることなく、ある日、扮装地のどこかで倒れたまま動かなくなる。最期に懐かしい故郷の空を思い浮かべながら。あのマルガリータの清らかな讃美歌に送られて。
それは、それで、シニカルで、切なくて、美しい終わり方ではある。
が、私は「なろう」一年生だ。まだ、気持ちが純粋なうちに、もう少し夢のある終わり方の作品を残したい。
そこで、ベルフェゴールが登場する。
ベルフェゴールは、中世に西洋で知られた悪魔だ。
ベルゼブブほどではないが、多分、漫画やアニメ、ゲームなんかでも見つけることの出来る有名どころだ。
しかし、彼は悪魔としての職能より、ひとつのエピソードで知られる存在になった。
それは中世。
地獄の話だ。人間の結婚が幸せかどうかで激しい議論がされたんだそうだ。
なぜに?
と、すごく気になるが…いかん。さすがに今回で終わらせるんだ…
そう、なんか知らんが、結婚話で盛り上がり、貧乏くじを引いて地上の調査をさせられたのが、この悪魔
ベルフェゴールである。
名前にベルを冠する彼は、昔、神として人に崇められていた。
その彼が、地上調査をした結果、
幸福な結婚などあり得ない。
と、結論をだし、以来、人が嫌いになったそうだ。
何を調査したら、こんな風になるんだろう?
一度、現代の結婚相談所の人間と会わせてみたい気もするけれど…いかん。
話を終わらせるんだ。
とにかく、だ。
ベルフェゴールは、結婚関係のリア充が嫌いなんだ。
で、自分の近くでマルコのような人間に、自分の妻や子供の自慢を延々と語るのを聞いていると、なんだかモヤッとしてくるわけだ。
ベルフェゴールは、人嫌いと言う意味らしい。
そんな人が嫌いな悪魔を、気まぐれにマルコに加勢させたのだから、余程うんざりするような甘い家族自慢だったのだろう。
ベルフェゴール、酒場を見回して一人の男に狙いをつけた。
彼は、今回の「最期の晩餐」の補修をする事になるクリエイターの一人だ。
絵画の腕はいいが、酒とギャンブルがやめられず、いつも金に困っているような奴だ。
ベルフェゴールは、このクリエイターに、「最期の晩餐」のヨハネをマルガリータに似せて補修するように、脅しと…あの嘘つき坊主から取り返した、マルコの金貨を渡してやらせるのだ。
ああ、このもくろみは上手くいった。
信じられないかもしれないが、人の恋路に優しいのは、天使より、むしろ悪魔の方だからね。
かつて、人間の女性に恋をして、その穢れゆえに悪魔へと身をやつした彼らは、人を恋する切なさも、悲しさも、嬉しさも…知っているのだから。
あの、生臭坊主ですら、その辺りは上手くやっている。
声をかけたのは、ヨハネの絵姿に似た女性ばかりなのだから、誰もがそう信じれば、ダ・ヴィンチが盛り込んだ技術より、リアルに「最期の晩餐」のヨハネに懐かしい娘の姿を見つけられるはずだ。
西洋には、この悪魔にちなんだ諺がある。
ベルフェゴールの追究
不可能な企て、と、言う意味らしい。
マルコの話はこれで終わりだ。
ベルフェゴールが何をしても、マルコはそんな真実を知らずに亡くなっているし、「最期の晩餐」の施工技術は、かの天才画家の叡智を傾けたと言っても欠陥品だ。
マルコの友人の学者が言うように、やがて、顔料は剥がれて、時と共に風化するし、壁絵は略奪こそされないが、建物と共に消滅する運命をもつ。
まさに、ベルフェゴールの追究…不可能で、意味のない追究なのだ。
しかし、あなたたちは知っている。
現在でも、最期の晩餐は残り続けていることを。
しかし、この「最期の晩餐」のたどってきた経緯を知る人は少ないとおもう。
私も、その一人だった。
この絵画は、現在のように厳重な保護管理はされてない。
絵画のある部屋は、食堂として使われて、16世紀から19世紀にかけて、何度かの修復を試みられている。
免罪符はともかく、私の与太話よりも、ひどい修復を受けたりもしたらしく、ダ・ヴィンチの元の絵がわからない部分もあったとか。
17世紀には、絵画のしたに食堂と台所を繋げる扉を作るために、作品の下部中央が消失。
ナポレオンの時代には、食堂から馬小屋に降格(○_○)
動物の排泄物や、ガスなどで絵画は更にダメージを食らう。
その間、ミラノには二回の大洪水があり、「最期の晩餐」は水没しているΣ( ̄□ ̄)!
もう、ここまで書いていて、顔文字炸裂の波瀾万丈な絵画人生だが、まだ、まだ、
近代にはいると、ムッソリーニに対する米軍の空爆にさらされ…
この建物も43%破損し、食堂の屋根が半壊するなんて、読んでいてもビックリの七転八倒ぶりである。
このとき、教会の修道士さん達が、爆撃による破損を危惧して土嚢や足場をくんだおかげで、奇跡的に助かったんだそうだ(゜_゜;)
wikipediaによると。
まさに、奇跡の絵画なのである。
そうして、20世紀になると、大規模な補修作業が行われ…
私の偽コードのお話も、他の修復者の膠や顔料と共に洗い流されて、今では、レオナルド・ダ・ビンチのオリジナルの絵画をその絵に見ることが出来るのだ、そうだ。
時は21世紀。
マルコ(マリオポイント)に家族を自慢していた友人は、フランス革命を待たずして絶家になってしまったし、
偉い学者の友人の知識は、近代科学の発展と共に迷信のように歴史にうもれてしまう。
が、しかし、マルコの魂は…今年もクリスマスには、サンタ・マリア・デ・グラツィエ教会に許されて訪れることが出来るのだ。
天国にはいけなくても、ピオ10世の名の元に発行された免罪符によって。
そして、修復されたとしてもその絵の中で、微笑むヨハネに、かつて、心から愛した少女の面影を見つめるに違いない。
これが、私の見つけた「ダ・ヴィンチの偽の秘密」である。
つまり、ダ・ヴィンチは、私たちにこう話しかけているんだと思う。
自分の信じた事を思いきって表現してみればいい。実際にどうなるかなんて、科学や天才だって分かるものではないのだから。ベルフェゴールの追究の向こう側に、誰も知らない奇跡の瞬間が待っているのかもしれないよ。と。
長々と読んでくさってありがとう。
私も、まさか、こんなエンデングになるとは考えていなかった。
ご希望にそった結末ではないのかもしれないけれど…
はじめの私の設定を知っていたら、こちらの方がまだましだと思うに違いない。
しかし、まだ、ブックマークを外す時ではない。(つまらなかった場合を除く)
そう、休みを必死でやりくりし、なんとか結末をつけたのは、次の問題を何とかするために枠が欲しかったからなのだ…
そう、脇役を語っている場合じゃなかったのだよ…
間抜けな、ほのぼのノストラダムスから、二章に強引に持ち込んで作り出す本編は、冒険ものだ。
冒険ものの主人公の少年は、頭がよくて、科学者の眼鏡君じゃなきゃ、盛り上がらないのに…
我らが主人公のノストラダムスてときたら、どう頑張っても…裸の…みたいなほのぼのキャラ。
これでは、話が始まらない。
急いで設定をしなくては!
最終話、結構気に入ってたのに、主人公の名前を間違えていた。
しかし、何故マリオなのか。
それは、童話を書いていて分かった。そっちでカオリとカオルを間違えそうになり、途中で他の事をしてから続を書くと『時蕎麦』状態になるらしい。
これは、時間が短いほど起こりやすい気がする。
しかし、読んで気になった方、本当にゴメンなさいm(_ _)m
私も、気がついたとき、あの有名なゲームの音楽が離れませんでした。