時影、近代魔術を語る 138 森鴎外
プラハの石畳を踏みしめながら、作者は念仏のように文句を呟いています。
プラハハムとクリームチーズのオープンサンドは、人を饒舌にさせるのでしょうか?
「ここ…中央広場じゃなくて、旧市街広場って言うみたいね。」
作者は、細い道から開けた場所にたどり着いて、ガイドブックを広げながら呟いた。
真ん中には噴水。
まるで浦安の夢のシーランドにいるような、様々な時代の建物が辺りを取り囲んでいます。
私はオープンカフェでコーヒーと席を頼み、作者を呼びました。
いかにも外国からの旅行初心者丸出しでウロウロ歩かれては危険です。
コーヒーで少し落ち着いてもらいましょう。
デザート代わりのウインナーコーヒーに甘やかされて、作者は上機嫌で街を見つめていました。
「凄いわね…これ、本物の石で出来てるんだよね…モルタルとか、樹脂じゃなくて。
12世紀辺りからあるんでしょ?
ノストラダムスより古いんだよ…ちょっと、ビックリするわよね。」
作者は、自分の足の下の石畳に感動しています。
「そんなに驚く事でしょうか?
奈良の大仏…東大寺の石畳はもっと古いじゃないですか?」
私は、楽しそうに大仏を見ていた若い作者を思い出す。
ガイドの方が、海外から取り寄せられた石の説明に力を入れていたのを聞き流していたのに、それより若いプラハ石畳にはこんなに興奮している意味がわかりません。
が、東大寺と聞いて、作者の顔が曇りました。
「東大寺…大仏っ、パンデミック(;_;)
はぁ…もうっ、思い出したわ…『パラサイト』あれも書いてしまわないと(;_;)
賞味期限が切れちゃうわ(T-T)。2019年の話なんだもん。
ほんと…ああ゛っ。森鴎外……この人、もうっ。
医者なんだよね、この人。国語の教科書の人で、なんか、大人のエロスの話を書いてる感じのイメージだったのに。
『パラサイト』なんて書いていたから、変な世界に引き込まれたんだわ。」
作者の恨み言が、旧市街広場にこぼれます。
そう、森鴎外。この方の肩書きは軍医さんです。
ドイツの留学も、文学のためではなく、公衆衛生学等を学ぶためでした。
『舞姫』をご存じの方は、明治と言う時代に、西洋人の娘との一時の恋に溺れ、悲恋に終わる話に作者を重ね、80年代の古書の発見により、ヒロイン、エリスのモデルが登場することで、森鴎外のロマンチックな留学物語を思い描くかたも少なくないと思います。
私の作者も同じです。
少し前までは、郷ひろみさんが『舞姫』の主演をされていた事を知り、ネットで画像を見つけては、ありし日の郷ひろみさんの美しい姿にため息をつく…
そんな普通のおばさんでした。
が、この一年、完結させてはいませんが、『パラサイト』については、本当によく調べていました。
この物語は、一万字の短編予定で、少し不気味なパンデミックエンドで終わらせる予定でした。
けれど、ご存じの通り、去年の今頃、そんな話をかけるわけもなく、
新たなエンディングを探す旅に我々は向かうことになるのでした。
「そうでしたね。まあ、でも、面白いじゃありませんか?
医師としての森鴎外について物語を書いている方は少ないですし、
『ベルリンソナタ』の方には面白い設定が積めそうですから。」
私は少し明るめの声で作者に語る。
「ネット大賞に間に合いさえすればね。
あと少しで『パラサイト』は10万文字なのよ。
なのに、森鴎外に引っ掛かるなんて!!
とりあえず、頭の整理をさせてくれる?」
作者は、眉を寄せながら話始める。
「私は『ベルリンソナタ』を作るために、森鴎外について調べ始めたわ。
で、この人の家系が医療関係で、後に小説家を書いて有名になったと知ったわ。
私は『パラサイト』で北宮って医師の家系の人を作らなきゃいけなかったから、参考にさせてもらったわ。
御殿医から明治には軍医。この流れを追ったわ。
だから、森鴎外が、医者として何を学びにドイツに行ったのかを調べることにしたのよ…
で、公衆衛生とか見て、嫌な予感はしたんだよ(-_-;)
ビンゴ!!
1858年、コレラが長崎から上陸。
日本で猛威をふるったのよっ(T-T)。
1862年、文久と呼ばれた時代にまた激しく流行り、『虎狼狸』なんて妖怪化までしてるんだわ。
明治に入り、1879年、10万人が亡くなってるのよ…
うろ覚えだけど、人類が完全に撲滅したなんて宣言できたウイルスなんて、天然痘くらいなのよ。
当時の日本人にとって、今のコロナなんて比べ物にはならない恐怖だったでしょうね?
だって、ウイルスや細菌なんて知らないし、加持祈祷するくらいしか、やりようが無かったのだから。
森鴎外だって、少年期から、この惨劇を見、学生時代にパンデミックの恐ろしさを肌で感じて、全国の親族を亡くし、なお、コロリを何とかしようと勉学を積んできた学生(ダウト!留学は就職してから。でも、学友にはそんな境遇の人はいたかも)代表としてドイツへ向かったはずなのよ。
ドイツ娘ときゃっきゃウフフなんて、考えている場合じゃなかったはずなのよっ(T-T)。
いや、そんな下心があったとしても、そんなん、発表したり、普通の神経じゃやらんでしょ?
この辺りを考えると、話が…変な方向へと流れて行くのよ(T-T)。」
作者は興奮して大声になり、私はポケットからチョコを一つ取り出して、作者の口へと放り込む。
「チョコレート。美味しいでしょ?」
私は笑って、それから、ボーイを呼んだ。
ケーキと新しいコーヒーを頼むために。