時影、近代魔術を語る 123 アマデウスの迷宮
「80年代をモーツァルトでさらっていたら、当たっちゃったよ(T-T)
フリーメンソンだって…
モーツァルト、メーソン会員なんだって(ーー;)
書いても大丈夫か心配していたら、
メーソンの為に曲まで書いていたよ……。
ブラックカードを持って、メーソンの会員からの紹介がないとフリーメンソンに入会できないとかネットで見たけど、
借金だらけでも、入会出来るのね。そこに驚いたわ。」
作者は悲しげなモーツァルトの曲に包まれながらボヤく。
「まあ…モーツァルトは、貴族や王族に愛されていましたから。特別なのかもしれませんが。」
「確かにそうね、会費分、曲を納めたのかもしれないわね。葬送曲を。」
作者はそう言って苦笑した。
それから、肩をすくめて立ち上がり、私を見て「何か飲む?」と聞いてきた。
私は立ち上がろうとして、それを止められた。
作者は二人分のワイン入りのホットティーを作ると、私に一つ渡して、私のとなりで面倒くさそうな顔をしながら飲みはじめる。
「なんか、アマデウスが上映されて、モーツァルトについて、関心が高まったのね。
あの時代、日本の小学校では、偉人は子供には良識的な人物として話を少し歪めて教えていたから。
モーツァルトも、貧しくても音楽活動に生涯を捧げた天才って、そんなイメージで語られていたんだよ…。
薪が買えなくて、夫人とダンスをする話とか、
清貧な人のように教えられたけれど…散財して貧乏だったのよね。
まあ、そんなんだったから、あのアマデウスに登場する、テレビに登場するような、人気ユーチューバー風味のチャラいモーツァルトは、なんか、親も混乱していたわ。」
と、作者は笑って「たぶん」と、付け加えた。
「『ピンクのモーツァルト』なんて曲も流行りましたね。」
私は80年代の少し軽いノリを思い出しながら、お茶を口にした。
「ふふっ。でも、あの映画は、ふざけたモーツァルトと、才能に殺意を感じるほどに嫉妬しながらモーツァルトをライバル視するサリエリの対比が、ラストの辺りにミステリーな雰囲気を醸して、なかなか良かったわ。
そのラスト…それは、モーツァルトの生涯のラストを飾る曲でもあるのだけれど、
今までの軽いノリのモーツァルトの曲から、一気に重々しく、重厚な雰囲気で流れるのよ。
『レクイエム』は、それを聞くだけで、死に真面目に向かい合うモーツァルトを感じさせるのよ。」
作者はそう言って、眉を寄せた。
「35歳でしたか…、当時としても、短い生涯ですよね?そして、彼の周りには、二時間ドラマ並みの謎が溢れていますからね。」
1791年12月5日、モーツァルトはベッドで冷たくなっていました。
第一発見者は、多分、妻のコンスタンツェでしょうか?
とにかく、葬儀は速やかに行われました。
その日のうちとも、6日とも言われていますが、
聖シュテファン大聖堂に遺体は運ばれ、葬儀が終わった後に聖マルクス墓地へと向かうのだが、
ここで吹雪により、モーツァルトの遺体を乗せた馬車に徒歩でついていった人達は、墓地へ行くのを断念した…なんて逸話があるらしい。
これについては、記録もとが分からないから、本当かどうかが分からない。
普通、そんなに天気が悪いのであれば、
冬と言うこともあり、一日教会に遺体を預けて、次の日に埋葬をすれば良いからだ。
なににしろ、ここからが摩訶不思議な話になる。
遺体の埋葬場所が分からなくなるのだ。
ある記録によると、5日は天気が穏やかだとも言われていて、謎が謎を呼ぶらしい。
現在でも、名声に陰りのない、腐っても、貧乏人でも、天才音楽家のモーツァルト。
彼の遺体が消えたとなれば、沢山の人達がアレコレと噂をするのは仕方の無いことだ。
基本は、急性 粟粒疹熱。
しかし、それを調べると、次の謎に引っ掛かる(゜_゜;)
薔薇戦争の時代にイングランドから流行した、この謎の病気は、1551年を境に発病の報告がないとか、ネットで出てきた(@_@)
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気がつくと、作者は私のとなりで寝ています。
もう、夜も更けてきました。
今日は、お開きにしましょうか。