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茶色いノート  作者: ふりまじん
近代魔術を語る
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時影、近代魔術を語る 78

ピーフケの荘厳な音楽に迎えられるヴィルヘイム1世が馬車の中で凹んでいました。


それを作者が深く共感しながら見つめています。


ヴィルヘイム1世には、我々は見えませんが、

文字通り、帝王学を学び、家柄正しいヴィルヘイム1世は、例え落ち込んで気持ちが混乱していようと、背筋を伸ばし、美しい座り姿を崩すことはありません。

でも…心の中は激しい嵐のように乱れていました。

これじゃない!!


そう心の中で叫びあげるヴィルヘイム1世の横で作者は深々と頷いた。


そして、またしてもベルサイユの薔薇のオープニング曲『薔薇は美しく散る』を再生する。


ヴィルヘイム1世には、その音は聞こえませんが、魂の揺さぶられる感覚に少し困惑していました。が、そんな国王の横でどや顔で慰めるオバサンが見えたなら…

初代ドイツ皇帝と言えども驚いて服のシワを気遣うことなんて出来ないと思います。


「わかるっ。わかるわ…。ベルサイユ宮殿に来たんですものっ!

しかもっ、戦争に勝って、ここで皇帝の即位式をむかえるのですものっ。

それなのに、これはないわよ…。」


作者の言う「これ」とは、黒い軍服の兵士達(ウォリーアーズ)


贅沢で風雅を好んだルイ14世の集大成とも言える、この美しい宮殿には少し、不釣り合いにも見えます。

「はぁ…。辛いわよ…。だって、プロセイン国王は1701年フリードリヒ1世が建国するわけなんだけど、

フリードリヒ1世、ルイ14世が大好きで、そんな雰囲気の国を作りたがったのよ。


そして、ベルリンを芸術と文化溢れる府都にしたのですって。

wikipediaでは、『シュプレー湖畔のアテネ』と(うた)われたと書いてあったわ。


そんなベルサイユでの即位式よ!


平民のナポレオンですら、ローマ風味の美しいローブを身につけて絵画に描かれてるって言うのに…」

作者はそう言ってため息をつきました。


気持ちがへこんだままのヴィルヘイム1世は、暗い気持ちを折り目正しい礼服にかくし、しっかりとした足取りでベルサイユ宮殿に…


かつて、初代プロセイン国王が憧れてもかなわなかった、ベルサイユ宮殿での即位を、北欧、ドイツの統一、皇帝即位を果たすのです。


ベルサイユの鏡の間で。

それは、かの昭和の少女漫画のヒロインの姿と共に作者が夢見た場所であり、

ヴィルヘイム1世も幼少の頃、ベルリン国立歌劇場で演目をご覧になりながら、この地を文化漂うシュプレー川のアテネと言わしめる都市に変貌させた初代プロセイン国王フリードリヒ1世とルイ14世の憧れと共に夢見た場所に違いありません。


鏡の間は、ベルサイユ宮殿の建設後期にバロック建築の様式でマンサールと言う建築家によってくつられました。


バロック建築とは、空間に絵画など、装飾品をゴテゴテと飾り立てる…日本で言うところの伊達…と、でも言いましょうか、

秀吉好み…と表現するべきなのでしょうか?

まあ、はじめはあまり評価をする言葉では無かったようなのですが、後に17、18世紀の様式美として形容されるようになったようです。


ともかく、私の作者はこの美しい鏡の間に憧れて、

本来なら、このような美しい場所で、王子さまと健気な主人公の美しい恋物語を作り出したいと願っているのです。


「これは泣くわ…

私だって泣いちゃうわ(;_;)」


私の物思いを作者の悲鳴が破ります。


驚きながら作者の視線を追うと、華やかな金銀の輝きに満ちたはずの鏡の間は、屈強な黒い軍服の男達に埋められて、感極まった彼らは銃剣高々と持ち上げながら

「ハイル!カイザー!!」

と、そんな風に叫んでいました。


皇帝陛下万歳!!

ドイツ帝国万歳!!


と、いった風な台詞が、滑舌(かつぜつ)のよい軍人達のドイツ語の大声で鏡の間に満たされる様は、

即位式と言うよりも、戦闘開始の雄叫びのようにも聞こえなくはありません。

「これは…絶対、間違いだわ(T-T)」


作者が麗しき少女漫画を思って嘆く横で、

ビスマルクの霊も苦々しくこの光景を見つめていました。


こんなはずでは無かった…


作者の作り出したビスマルクは、鉄十字の勲章を握りしめて、自らが作り出した気高くも美しい騎士の帝国が後に無惨に(けが)されてゆくことに胸を痛めていました。


黒字の美しいこの鉄十字の紋は、元を正せばドイツ騎士団からのデザインであり、

1813年プロセイン国王フリードリヒ3世が制定したものです。


現在では、この黒地の十字の紋をみるだけで、ナチスとユダヤ人迫害の象徴のように思う方が沢山いるのではないでしょうか?


しかし、この鉄十字は、かつて、ナポレオンの解放戦争を記念して作られたもので、

そして、プロセイン首相(しゅしょう)オットー・フォン・ビスマルクは、批判することがあったとしても、ユダヤ人でも優秀な人物は重用(ちょうよう)していたのだ。


wikipediaの記事にのるヒトラーのビスマルクの感想


「ユダヤ人の危険性を認識しなかった事が彼のあやまり」


このセリフと共に、鉄十字の紋章が積み重ねてきた本来の意味を黒々と塗り固めて見えなくされた事に深い失意を感じながら、ビスマルクの霊はかつて、一番胸が踊ったその瞬間、

ヴィルヘイム1世の即位の様子を切ない気持ちで見つめていた。


この時、ヴィルヘイム1世と意見の合わなかったビスマルクは、皇帝陛下に声をかけてもらえませんでした。

それでも…


例え、一時嫌われ、憎まれようと、ビスマルクにとって、ヴィルヘイム1世は、気高くも命をかけて付き従うに相応(ふさわ)しい王であり、皇帝なのです。


色々な辛さや不満があったにせよ、この時、ヴィルヘイム1世は、ドイツ帝国を支える各国の王を気遣い、そして、傷ついた兵士を労う言葉と手をなくしたりはしなかったのです。


その大切な君主の願いを叶えることが出来ずに、

陛下が恐れていたプロセインの消滅と、

この国が培ってきた文化や誇りを、全く関係のないナチスに魔改造されてしまった事を悲しく感じているのです。


プロセイン初代国王が作り出した、シュプレー川のアテネと謳われた美しいベルリンは、

ナチスの第三帝国…

ヒトラーの死と共に破壊されて行く。


それは、ヒトラーが自らベルリンを破壊したとも聞いた気がするのですが、

そうだとしたなら、彼もまた、自らの作り出したものをソビエトに魔改造されたくは無かったのかもしれません。


なんとも自分勝手な気がしますが。


鏡の間の興奮した歓声を聞きながら、個々の人物が全く違う事柄を思いながらも同じ言葉を呟いていました。


こんなの違う…と。


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