時影、近代魔術を語る 70
1871年。この年のはじめにベルサイユ宮殿でドイツ皇帝が即位したのです。
作者は寒さに頬を赤くしながら黙々と宮殿へと向かいます。
確か…太陽周期で何度目かの極小期があけて、
産業革命と共に、世界は温暖化してくるとは思うのですが、そうだとしても、21世紀の現在とは比べ物にならない寒さには違いありません。
太陽王と呼ばれたルイ14世の鮮やかなベルサイユの庭園は、冬の厚い雲と雪で色もなく重苦しい雰囲気をたたえていました。
戦勝国のドイツの宰相は、その冬の陰鬱なベルサイユの庭を、ドイツ人らしい几帳面な正確さで雪をかき道を作りました。
左右の幅をきっちりと揃えた道と、整然と積まれた雪を見つめながら、作者は眉を寄せて私を見ました。
「この時のドイツ帝国の首相はビスマルク。
オットー・フォン・ビスマルク。
この人は、その後のドイツのあり方に重大な影響を与えるのだけれど、
wikipediaの説明だけでも長く、複雑な人物なので、上手く書けないし、必要ないから、想像で書いて行くわ。」
作者がそう言うと、静まり返ったベルサイユの庭園に楽団のドラムの音が鳴り響いた。
「ヨハン・ゴットフリート・ピーフケ作曲『プロセインの栄光』ですね。」
私は勇ましく鳴り響くドラムと高らかに空を舞うフルートの音色を聴きながら言った。
『プロセインの栄光』は、まさにこの普仏戦争を記念して作曲された曲であり、
アドルフ・ヒトラーも好んだ曲だとネットを調べるといろんな人が教えてくれた。
「この曲、題名をここで書くと、ナチスの話を知っている読者は『やはりな(* ̄ー ̄)』
と、ニヤリとするような定番曲みたいね。
でも…私は、『鍛治のポルカ』に似てるって思ったわ…。」
作者は重低音を響かせて一糸乱れず行進する楽団を見つめながら複雑な顔になる。
「ふふっ。史実を調べる余裕がないから、適当に考えてましたからね。
ネタはモーツァルトの『トルコ行進曲』なんて、
読者も考えはしないでしょうね。」
私は東欧考察のモーツァルトのエピソードを思い出して笑った。
モーツァルトの『トルコ行進曲』は、1683年にオスマントルコがウイーンヘと進軍したエピソードから作られた。
その時、神聖ドイツ(ダウト!神聖ローマ帝国)の人々を恐怖に叩き落としたのが、オスマントルコによる太鼓などの演奏だ。
音楽の与える心理攻撃の威力に、のちにウイーンでも軍楽団が組織されるのだ。
「うん…。ビスマルクを正確につかむことは、面倒だし、必要ないから今はしないけど、
私のビスマルクは、フランスに勝ってベルサイユ宮殿に殿下を迎え入れる事を深く喜んでいたわ。
当時、プロセイン王国とウイーンは敵対関係にあったけれど、
マリアテレジアの愛娘アントワネットをあんな形で辱しめた市民をよく思ってなかったのではないかと考えたわ。
同じキリスト教徒と言っても、ギロチンによる恐怖政治とその後の混乱を撒き散らしたフランスは、
オスマントルコと同じくらい驚異であり、異質なものに感じたと思ったのよ。
だから、自分達がトルコ戦で経験したように、二度と国境を越えてこないように、威嚇の意味と、
再び、貴族が…、
正しく国を治められるべき人物とは、どんな者なのかを見せつけようとしたのではないかと考えたわ。
まあ、wikipediaを軽く読むだけでも、本当のビスマルクは掴めないし、複雑な人物のようだから、
私の空想は間違っているとは思うんだけれど、ね。」
作者は遠くまで響くドラムの重低音とフルートによる高音の規則的なリズムに耳を傾けながらため息をついた。
それは、童話の短編として始まった『魔法の呪文』で取り上げた『鍛治屋のポルカ』を思わせて、
可愛らしい少女の夢が、美しい貴族の男女の舞踏会デビューの曲を
青年兵士の行進曲に変えながらベルサイユの庭園と我々の心を揺らしていた。