作者、近代魔術を語る 19
100年の恋がさめる。
と言う比喩があるが、ファンタジーにも、そんな急速に気持ちを萎えさせる事がある。
「いかにも、私がグランストラエ伯爵である。」
私は、メイガースのこの台詞で、長い近代魔術の夢からさめた。
メイガースは、途中からなんだか、自分は伯爵の血筋だと言い始める。
物語や本の世界でなら、それは魅力的なのだが、
一般人に素で、伯爵とか言い出したら、なんだか現実に戻されてしまう。
ここで、私は混乱した。
一体、このオッサン大丈夫なんだろうか…。
「英国魔術結社の興亡」フランシス・キング先生の著作を読んでしまったばかりに大惨事だ(T_T)
が、今さら、メイガースがいい歳をして、自分は伯爵だなんて、なろう作家ですら言わない台詞を堂々と公言できる人物だからって、見放すわけにはいかない(T_T)
この人の話、これから書く予定の北条の話にかかってくる。
私の70年代二時間ドラマ風味の冒険小説に引っ掛かる。
なんとか持ち直して貰わないと…
賞金を稼ぐ…と、言う夢まで消えてしまう(;O;)
私は、時系列やら、カテゴリーを無視して、知り得た情報が、複数の物語に配分される、へんな癖がある。
メイガースの話もまた、別件のシュメール文明と不思議な因縁で物語を作り始めていた。
メイガースの生まれた19世紀は、シュメールの事が世に知られ始める時期でもある。
私の中で、メイガースがまだ、伯爵なんて名乗ったりしない、魔術に真面目に取り組む爽やかな青年だった頃、
私は、『脇役語り』で、シュメールについて調べていた。
日干し煉瓦のジグラットについて、なんか、いい感じの話を考えていた。
その頃、私の頭のシュメールも、発掘された若い時代のジグラットとそれほど変わらなかった。
湿地帯が広がってもなければ、ジグラットも苔やら蔦やらヘチマが壁を伝ったりしてなかった。
シリコンバレーのようなビジネス街で、インダスやら、シバやら、エジプトあたりから選ばれた人間が集う学園都市だった。
私は、少しづつ明らかになるシュメールの世界を頭で日本の文化と混ぜながら、自分のオリジナルのシュメールを作り出していた。
次に狙うのは、作品で賞金稼ぎが出来る可能性の高いローファンタジーの世界。
だから、別に、史実と違っても気にしなかった。
私にとって、問題なのは、「エターナル」と言う話のアスモデウスと辻褄が合いさえすれば、それで良かった。
で、ジグラットを日干し煉瓦で作る言い訳を伊勢神宮の式年遷宮で盛ることにした。
海嘯と言う、海の水が川に逆流する現象を使い、
塩害にあった土を山にして土壌を調整する事にした。
この辺りまでは、割りといい感じで進んでいた。
そんな時、楔形文字とその筆記方法をしる。
土に葦の茎を押し当てて文字を残す方法で、
それをネットの動画で見ている時、父の話を思い出していた。
多分、小学生の時、カルタについて学んだのだと思う。
昔、日本人が学校が無くても文字が書けたのは、お正月のカルタ大会など、遊びで文字を覚える機会があったのだそうだ。
カルタ大会には、賞品があり、子供はそれ欲しさにかまどの灰に字を書いて、競うように覚えたんだそうだ。
だから、日本人の文盲率が低いんだと、父は自慢げに言っていた。
お前達の時代は、とても豊かで幸せなんだと、最後に付け加えるのを忘れずに。
私は、シュメールの筆記用具に、かまどの灰で文字を覚える父を思った。
文字や文章を覚えるには、とにかく書くことだ。
手に入りやすい筆記用具が沢山あるのは、凄いことだと思う。
羊皮紙やら、パピルスは、なかなか子供が文字の練習をするのに使えない。
でも、土と、そこら辺に生えている葦なら、誰でも手軽に手に出来る。
そう考えたとき、形にはめられて、日に干される日干し煉瓦が、無尽蔵の紙に見えた。
板に並んだ同じ大きさのレンガが乾く前、
これを子供達の文字の練習に使おう。
私は、板ごとのエリアで、文字書きを競いあう子供達を想像してワクワクする。
子供たちは、練習用の紙を作るためにレンガを作り、
出来上がったレンガを大人がジグラットにする。
いい感じにファンタジーになりだして、色々調べていると、どうも、楔形文字は1800年代にやっと解読が出来るようになるのだった。
1854年、メソポタミアの南部の発掘が始まる。
それは、メイガースがこの世に生まれた辺りの話だ。
私のアスモデウスが、長い眠りから目覚めて、何かを始める予感がこの事実に見えた気がした。