第一話:見ぬ顔
タイトルは悪魔が流行りてと読みます。
もう一つの拙作「人魔のはみ出し者」よりも、コンパクトなお話にする予定です。
「ハァッ、ハァッ……!」
いかにも苦しげな呼吸音、額から鬱陶しいほど溢れる汗、袈裟に掛けたカバンが一歩ごとに飛び跳ね、肩に食い込む。
通う学生からは心臓破りの坂として名高い、国立典間憑依学専門学校――通称"典間校"へ続く坂を俺は一心不乱に駆けていた。
通常授業ならいざしらず、今日は二年になってから初の登校――始業式だ。
遅刻などしようものなら、悪目立ちすることこの上ないし、ただでさえ悪い自分の評判を、これ以上悪化させたくない。
何より、アイツの妙にねちっこい説教だけはゴメンだ。
遅刻した際のデメリットを繰り返し心の中で唱え、必死に苦痛と諦観を頭から締め出そうとする。
もっともそれら二名が俺の脳裏から出ていくことは決してなかったが、学校までの距離を忘れさせてくれはしたようだ。
気がつけば急勾配だった坂は平坦な道へと変わり、およそ二週間ぶりに見る正門が見えてくる。
ゴールを視界に入れ、再び足に力が戻ってくる。二つの信号を赤に切り替わるスレスレのタイミングで渡りきり、正門をくぐる。
中央校舎に取り付けられた大時計は、始業時刻まで残り五分の時間を指していた。
正門から俺のクラスまでは、およそ三分ほど。差し引き二分の余裕、胸中で遅刻を回避できたことを確信する。
「おい、……け……てば……」
そんな俺の耳に何処からから声が届く。よく耳をすませば、途切れ途切れにライターの着火音のようなものが聞こえてくる。まだ酸欠気味のせいか、いまいち何処から聞こえているのか分からない。
思わず足を止め、周囲を伺うが辺りに人の気配はない。その間にも段々と声と音は俺に近づいてきている。
しかし、この声の方向は……上か?
訝しみながら顔を上げた瞬間、痛みを感じるほどの熱風が吹き付けられる。反射的に頭を守るように右手が動くが、脳内は突然の事態にパニックを起こしている。
そんな頭に追い打ちをかける。凄まじい擦過音と砂埃、そして焦げ臭い香り。触覚から入り、聴覚、視覚、嗅覚、五感のほぼ全てを動員され、ただでさえ酸素不足の頭はショート寸前だ。
それでも、砂埃の中に人影を逃すことはなかった。そして、その人影が放った罵倒も。
「あ~痛って~このウスノロ! てめぇのせいで着地ミスったじゃねぇか! 次は避けてやらねぇからな!」
人影は言うだけ言うと、校舎へと向かって走り去る。砂埃が晴れて見えたその背中姿には、鮮やかな赤髪に学ラン。それも校舎の中に入ってしまえば、もはやこの場にはいっちょ前に警戒した間抜けだけが残される。
呆然としたまま、学ランの男がいた場所を見れば、落ちた衝撃で出来たらしい溝と、黒焦げになった土。
どうやら、男はアポロよろしく火を吹かして空を飛び、加速を消すように逆噴射を掛け、この典間校に初着陸したらしい。
我が身一つで、だ。
「……いや、あの言いようだと、俺の所に着陸するつもりだったぽいし、不時着と言うのが正しいか?」
胸中に生じた動揺を、どうでも良い独り言で流す。例え、あの男が同じ科、同じ学年であろうとも、俺には関係のない話だ。
そう気持ちを切り替え、足を踏み出そうと瞬間、キンコンカンコン久しぶりに聞く鐘の音が俺に降り注ぐ。
予鈴、もしくはチャイムと呼ばれるアレだ。特定の時刻を知らせてくれる、憎いやつだ。
さて、このチャイムは何の時刻をさしているのやら。
少なくとも下校や始業、終業を知らせるものじゃないのは間違いない。つまり、答えは一つだ、クソッタレめ。
新年度となり真っさらとなった主席簿。出席番号十番台あたりにあるであろう相見正通の右隣に、記念すべき遅刻の二文字が赤字で刻まれた瞬間だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1999年、7月1日0時0分0秒。
あらゆる人々にとって、この数字は大きな意味を持つ。言わずもがな、"大転変"の日である。
この日、全人類は異形と異能をその身に宿した。
ある者は鋼のように硬質化した手から電撃を放ち、またある者はガラス玉のような瞳で人の意志を容易く操った。
当然、全世界は大混乱に陥り、完全な収束するまでに数十年の時間を要した。
事の大きさと比較すると奇跡のような短さだと言う者がいる一方、社会の進歩を百年は遅らせたと言う者も居る。
そのような"大転変"ついて、人類は未だにその実態がほとんど掴めていない。
分かっていることといえば、現在の人類は遺伝子レベルで世紀末前の人類、旧人類とは全く違う生物となっていること。そして、憑依生命体、俗に悪魔と称される、実態が全く掴めない謎の生命体と融合状態にあること。
その他、信憑性が高い論説は幾つか存在するが、正式に実証されたのはこの2つのみだ。
なんとかこの膠着状態を脱しようと、幾つもの国が大転変による混乱もある中、大胆にもあらゆる企業、教育機関と協力し、悪魔研究に纏わる様々な施設を設立した。
無論、ここに居る諸君らは承知であろうが、我が校もその内の一つである。
ここまで長々と話したのは、この学校がどういう施設なのか再確認して貰うためだ。
憑依学専門校は国によって運営されており、諸君や、その親御への負担は殆ど無い。
これは何も慈善事業としてやっている訳ではない。いずれ未来を担う君たちへの期待――いわば投資。そして、その投資を受けた以上、それに応える義務がある。
諸君らは確かに学生である。存分に学業に励み、己の持つ悪魔に磨きを掛ける、それは実に結構。
だが、この典間高専において学生とは、ただ教えを享受し、己を磨く者ではない。得た知識や磨いた力から、学びを生む者である。
そのことを忘れず、学生生活を過ごすことを、この学校の長として諸君らに望む。
「……以上で話を終わる。ご清聴感謝する」
その声を聞いた瞬間、夢から覚めたのような感覚と共に、体育館に飾られた大時計の秒針が一つ進む。
説教なのか、叱咤なのか、あるいは歴史か何かの授業なのか。何であれ欠伸が出る程退屈な校長の長話は、一秒という欠伸一つできない時間で始まり、そして終わっていた。
今も昔も単なる人にはできない業――大転変を経て、悪魔に憑依された人類、悪魔憑きの為せる業。
"一を聞いて十を知れ"だの、"一言千句”だの、学生に俗称される校長の魔喉によるものだ。
その校長は、既に壇から降りて教頭の横に並び、先程の饒舌ぶりが嘘のようにムスリとした顔で鎮座している。
白ひげを蓄えた熊のような大男と、髪の隙間からうっすらと肌が見えるメガネの小男が並ぶ姿はなんど見てもシュールな光景だ。
教頭はともかく、校長は教育者って言うより、軍のお偉いさんか、どっかの道場主みたいなんだよな。
そんな俺の苦笑はよそに、教頭が古い型のマイクを通し、ノイズ混じりの指示を体育館に響かせる。
「それでは、これで始業式を終わります。D科から順に教室へ戻ってください」
D科――|憑依防護技術科《Dependence Defend Industrial Arts》――が特有の規律だった動きで起立し、出口に近い一年から順に退場して行く。
入試倍率が一番高い科なだけあって、どの子も優秀そうなことだ。横を過ぎ去っていく、一年を見てふと思う。
逆に彼らが初日から遅刻して立たされている二年を見て、何を思うかはあまりに考えたくないところだ。加えて、妹がこの列の中に居るとなれば、最早いっそ殺してくれとでも言いたくなる。
一年総勢四十名が過ぎ去り、お次は二年《同級》。入ってきたばかりの一年と違い、俺をよくご存知の彼らの視線は冷たく、侮蔑の表情を隠す気もない。
あの校長からして想像できるが、この学校は規律や学業態度に非常に厳しい。中でもD科はその傾向が強い、真面目っ子集団だ。
遅刻して無様に立たされてる俺など、同じ学校であることも嫌に違いない。
もっとも、いくらそんな表情をされた所で、俺にはどうしようもない。遅刻は遅刻だ。現実は非情なのだ。
しばらく続くであろう、糾弾の目線に耐えるため、胸中でごちる。
すると、二年の列の中から突然、しなやかな手が伸び、俺の襟元を遠慮なく掴む。
そのまま俺はなすがまま、体育館の外まで引きずられ、そこでやっと手の主に対して文句を放つ。
「おい、もう自分で歩けるから離してくれよ」
「ほう、遅刻してきた癖して随分と偉そうだな、正通」
「俺としては教師でもないのに、同い年にそんな態度をするお前のほうが横暴に見えるよ」
確かにな。と、涼やかな声が耳を撫ぜ、アッサリと開放される。
何の脈絡もなかったせいで、転けそうになるがなんとか体勢を整え、顔を上げる。
絵画から抜け出たような、どこか冷然とした印象を受ける端正な顔と佇まい。その雰囲気を打ち消して有り余る、本人の爛漫な気質を讃えたイタズラ気な笑み。明日華――春岡明日華だ。
案の定あるいはやっぱり、そんな感想が胸をよぎり、ため息が漏れる。この学校で、更にいうならD科でこんなことをする奴なぞ、この明日華ぐらいなものだ。
何か言ってやりたいのは山々だが、言っても無駄、遅刻者という立場、後ろで迷惑そうにこちらを見るD科生、これら三つの理由から何も言わず、観念して列に混じったまま教室に戻ることにする。
「今日はまた何で遅刻したんだい? 君の寝起きの悪さは知ってるけど、始業式に寝坊するほど頭は悪くないと思ってたけど」
無言で歩き出した俺の隣に並び、明日華が愉快げに尋ねてくる。無視することも考えたが、後の事を思えば答える方がまだマシだろう。
「本来なら間に合う筈だったんだよ。それがアポロの不時着のせいでオジャンだ」
「アポロ? よく意味が分からないけど、君の前に着地したのなら城崎護の事だろ?」
「あ? あいつはそんな名前なのか。まぁどうでも良いが、見てたなら俺が間に合ってたのも分かるだろう?」
「正門を過ぎるのが登校ならね」
明日華は俺の言い分をサラリと撥ね退け、とククと小さく笑う。
「あそこから俺の教室までの話だ。分かってる癖して、揚げ足を取るのは趣味が悪いぞ」
「それは失礼。でも、結局は同じことだろ。自分の教室に行って席につくのが登校だ。それができてない以上、遅刻だよ」
「さすが、D科の委員長ともれば言うことが違うね。仰る事これごもっともだ」
ぐうの音も出ない正論。反論しても傷が深くなる上、正直朝の全力疾走でもう疲れてるので適当に流す――流してしまった。
「……反省する気はない、そう受け取って良いんだね、正通」
ぐっと温度を落とした声が耳元を撫ぜる。繰り返しになるが、基本的にD科は規律に厳しい人間が多い。
だが、この春岡明日華は少しだけ違う。多少考えが柔軟で、何より規律に対して厳しくはない――
「良いかい、正通。僕も普段の授業ならまだ多少は許容したさ。でもね、今日は始業式なんだよ。一人遅刻者が出れば、一クラスの集合が遅れ、一学年、全校と影響が出て……」
その代わり、非常にうるさいのだ。他のD科生が冷めた目で見下すのに対し、こいつは凍える様な声色で滔々と説教をしてくる。
言ってることは間違いなく正しいのだが、多感な年頃としては正直、鬱陶しい。それが、同い年の幼馴染となればなおさらだ。
更に悪いことに、この明日華はそういう腐った態度や誠実でない態度が大っ嫌いなのだ。ともすれば、規律を破ることそのものよりも嫌ってるまである。
だから――「もしもし、正通? どうにも応答してくれないけど、電波が悪いのかな、それとも糸が切れてるのかな?」――こうやって、聞き流しているとどんどん声が氷河期に近づいていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
我が典間校はどの科であろうと、初日から授業がある素晴らしい仕様だ。その為、朝から全力疾走と骨の髄まで凍えるような説教により、体力を底値まで削られていたとしても、夕方まで学校に拘束される。
とは言え、教師たちも休み明けの学生のモチベーションの低さは理解しているので、割りとゆっくり目のペースで授業は進む。
つまり、午前中の授業を体力補給に費やしても問題はない……もとい、問題はあるだろうが、取り返しはつくということだ。
「お前が言ってたとおり、転校生マジで可愛いな! ちょっと見るだけのつもりが、見惚れちまったよ。危うく購買に出遅れるところだったぜ」
然して、俺が二年に入ってきた転入生について知ったのは、毎朝俺を叩き起こす目覚ましと同じぐらい騒がしく、不愉快なクラスメイトの興奮気味な声だった。
熟睡していた所を叩き起こされた頭は、まだ半分以上眠っている。周囲の騒がしさがなければ二度寝していたところだろう。
かと言って、まだ起きるほどの気力もなく、結果的にクラスメイトとの会話に耳を澄ませる形になる。
「だろ? あの子、この学校じゃあんま見かけない、小動物っぽいこう、守りたくなるような可愛さっていうかさー」
「そうそう。あれでD科なんだから意外だよなー。パッと見じゃあ体の何処に憑いてるのか分からなかったし」
「確かになぁ……あ、いや、でも聞くところによると、あの城崎護の妹らしいぜ」
「あーそういや、双子って聞いたことあったな。だったら、兄貴のサポートって感じか。確か二年からだったよな、分隊訓練。見学授業楽しみだよな~」
ふーん、あの男、妹が居たのか。まぁ、さして興味のない話だったが、スムーズ代わりには丁度良かったな。さ、昼飯でも食べるとしよう。
いそいそと弁当を片手に立ち上がり、教室を出る。
そうして、廊下に出た俺を迎えたのは、思わず耳を塞ぎたくなるような喧騒だった。
顔をしかめて、喧騒のもとを探れば、やはりと言うべきか転校生が居るD科だ。聞こえてくる言葉の端々から察するに、転校生を質問責めしているらしい。
流石にここまでうるさいと気になってくる。どうせ通りすがらだ、ちょっと覗いてみるか。
「連絡先教えてくれない?」
「前の学校ではどんな能力の悪魔憑きが居た?」
「部活とかもう決めた?」
こいつは酷い。自分がされている訳でもないのに、思わず顔をしかめる。
一人に寄ってたかって疑問符をぶつける様、さながらハイエナの群れ。あの人混みの中心にいるのが、城崎護とやらの妹なのだろう。人壁から時折垣間見える姿は確かに小柄だ。
一見、歓迎しているようだが、ありゃ内心じゃあどんな悪魔憑きなのか興味津々だな。
模擬戦と称して、クラスメイト同士で実技訓練をするD科だ。訓練の内容や勝敗などはそのまま評価につながる分、ライバルの情報は欲しいんだろうが、ちょっと露骨すぎないかねぇ。
ま、同情はするが、俺にあそこに割って入るような力も義理もない。気を取り直し、上に登る階段へと足を向ける。
大体、そうでなくても俺の出番なんて無い。
そう思って程なくして朝から嫌というほど聞かされた声が響き、D科の喧騒がウソのように止む。
規律にうるさい奴は、礼儀や節度にもうるさい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
屋上で一人、妹手製の弁当を食む。濃い目に味付けされた鶏の照り焼き、甘い味付けの卵焼き、具なしのシンプルなおにぎり。どれも俺好みの一品だ。
空は明るく爽やかで、音は階下の喧騒のみ、髪を撫ぜる風には春の香りが混じっているような気がした。
「……寒い」
ちょっと気取ってみたが、四月上旬の風はまだ冷たい。温かいお茶を入れた水筒で暖を取り、再び弁当に手を付ける。
そんなのんびりとした俺の食事を邪魔するように、ガチャガチャと金属がこすれる音が響く。
音の方を見ずともわかる、屋上の扉を誰かが開けようとしたのだろう。
やれやれ、入学初日に立入禁止の屋上に入ろうとするとは、今年の一年は将来有望だな。
悪いが、そこのドアを開けるにはちょっとしたコツが居る。先輩から教えて貰ってから出直してくれ。……いや、一人がいいから、出来れば二度と来ないでくれ。
それからしばらく、具体的には弁当が半分俺の胃に収まるぐらいの時間が経過したいま現在、扉は未だに痛めつけられている。
……どうやら、今年の一年は随分とガッツがあるようだ。発揮する場面を大いに間違っているのがネックだが。
このまま無視し続けたいのは山々だが、音を聞いて来た教師に目をつけられても面倒くさい。
「小さいと大きいでの、どっちが緊急なのか知らないが、ここはトイレじゃないとどうやって伝えりゃ良いんだ? それともアレか、入ってますとでも言えば諦めてくれるのか、クソッタレめ」
苛立ちを吐き捨てつつ、重い腰を上げる。立ち上がっても足取りはへビー級、あわよくば扉にたどり着く前に諦めるのではないかと、都合の良いことを望む。
すると、図ったようにピタリと音が止む。ろくに期待しちゃいなかったが、今日の俺の有様に、少しは神様も同情してくれたらしい。
そうして鼻で笑う俺の眼前、沈黙した扉が呆気なく開かれる。情けないことにこの扉、耐えきったのではなく、あまりのしつこさに音を上げただけだったらしい。
前言撤回。神は何時だって嗜虐趣全開の変態野郎だ。こうなったらこっちもヤケだ。先輩面ができる内に、昼休みを台無しにしてくれた一年に文句を言ってやる。
「……嗜虐趣味に加えて、へそも曲がりとはな。はぁ」
扉から転がり出てきた人物を見て、先まで怒りも忘れてぼやく。
果たして、そこにいたのは少女だった。それもつい先程、この目で見た城崎護の妹だった。
自分よりも先に人がいるなど露ほども思っていなかったのだろう、少女はパチクリと目を瞬かせて俺を見る。
俺の肩ほどまでしかない小柄な体躯、透き通るような白い肌は春日にすら焼けてしまいそうだ。銀糸を思わせる髪はかなり長く、身長差も相まって貴人が顔を隠すベールに似ている。
総じるに精巧で繊細な、人形のようであった。恐らく、初見では大体の人が俺と同じ意見をもつだろう。
そんな感想を抱くほどに、俺は俺で予想外の人物に思わずマジマジと見つめてしまっていた。
そうして、自然と互いに目を合わせる形となる。
やっと開いた……けど、誰? なんで人がいるの? この時期は人が居ないはずじゃ……?
そんな瞳に映る無数の疑問符、動揺、戸惑い、混乱。
だがしかし、少女はそのどれもを口にせず、ペコリと素早く頭を下げ、踵を返す。
その慌てた様子に釣られたのか、口が勝手に余計な一言を背中に投げる。
「あー待て、別にここが俺の場所って訳じゃない。俺に遠慮してるんなら、気にしないで良い。あれだけガチャガチャするぐらいだ、今さら校則違反を気にしてる訳じゃないだろ」
ピタリと少女が足を止め、恐る恐ると言った表情で顔だけこちらを振り向く。その目といい表情といい、こちらを妙に怖がっているのが分かる。
微妙に傷つくが、何であれこのまま帰ってくれるのであればありがたい。
……とは言え、このまま見られたままって言うのも、居心地が悪い。
「……別にここに居ろって訳でもない。怖いんなら、別に引き止めはしないさ」
ここから去るのを促すつもりで声をかける。しかし、どうやら言葉のチョイスが悪かったらしい。
少女は慌てた様子で頭を振り、ペタンとその場に腰を下ろしてしまった。
確かに落ち着いて先の発言を思い返してみれば、どう聞いても嫌味にしか聞こえない。ただでさえ怯えている様子だったのだ、彼女からしたら脅されているも同然だっただろう。
参った、今日はなす事全て上手くいかない日らしい。こういう日は抵抗をスッパリ諦めるのが賢明だな。
胸中で溜息をつくと、チラリと横目で少女の様子を伺う。いそいそと手に持っていた小袋から何か取り出そうとしている辺り、俺と同じくここで食事をする事に決めたらしい。
そうとなれば、さっさと飯を食うに限る。その方が彼女にとってもありがたいだろう。
ガシャン! ガシャン! 踵を返した俺に抗議するように扉が再び悲鳴を上げるる。
何だいつの間にここはパーティ会場になったんだ、転校生の歓迎会でもするのか? クソ、開ければいいんだろ、開ければよ!
半ばヤケになりながら振り向くと、ズカズカと扉へ近づく。そしてまた、直前まで来た所であざ笑うように音が止む。何から何まで、先と一緒だ。違うとすれば、もう俺に希望など一欠片も残ってなく、今度の訪問者は気が長くなかった。
息を呑むような間を経て、思わず体を竦めてしまうような轟音と共に、扉が吹き飛びそうな勢いで開け放たれる。
「……何で君がいる。屋上は立入禁止だぞ」
「施錠されてるドアを蹴破った奴が言う台詞とは思えねぇな」
「緊急措置だ」
蹴破った際の体勢のまましれっと断言する明日華を見て、頭痛を覚えながら答える。
また説教か、とげんなりしけかた所で、明日華が何かを思い出したように表情を変える。
「いや、でも丁度良かったか」
そう、ぼそりと呟いたかと思うと、明日華が足早にこちらに近づき、俺の頭をガシリと掴む。
突然のことではあったが、腐っても幼馴染だ。こいつが何をしたいのかはすぐに分かる。
珍しく焦りを浮かべた瞳を見つめ、俺と明日華は同時に動き始める。
俺はまず明日華が蹴破った扉を閉めて施錠、そのまま壁を蹴上がり塔屋の上へと登る。
その間に明日華は城崎の妹を肩車し、塔屋の近くまで歩いてくる。
突然クラスメイトから肩車された城崎妹は目を白黒させているが、あいにく説明している時間はない。
「城崎こっちだ、俺の手を取れ。事情は後で説明する」
縁から身を乗り出して言う俺に対し、城崎妹は一瞬だけ躊躇するも、俺の手をつかむ。
「よし、掴んだ。明日華、回収を」
「了解」
返事と同時にするりと明日華が足の間から抜け、散らかったままの俺と城崎、二人分の荷物をまとめにかかる。
かくいう俺はといえば、下の支えが亡くなった分、当然両手に掛かる重みが増す。しかし、想像よりは軽い。
ったく、肉体労働なんざ久方ぶりだっていうのによッ……!
息をため、背筋と上腕二頭筋を総動員、一息に城崎妹を引き上げる。
城崎妹もこちらの意図を理解し、縁に上半身を乗せた所で、自ら登ってくる。
これで俺と城崎妹はオーケー。明日華はどうだ? と下を覗き込もうとした所で、明日華が両手に弁当を提げて、俺のすぐ隣に着地する。
下を覗き込むに屋上から塔屋の屋根までは、およそ三メートルほど。そして、屋上にトランポリンやバネが設置されている様子はない。
「相変わらず羨ましいねぇ、その身体能力」
「白々しい嘘をつくな。それより、そろそろ来るぞ伏せろ」
明日華の言葉に反応したように、扉を揺らす音が屋上に響く。
幸いなことに、開く様子はない。あの明日華の暴挙にも関わらず、鍵は壊れていなかったらしい。
これまでとは異なり今度の訪問者は、鍵の挿入、解錠と正しい過程を経て、ゆっくりと扉が開く。
正しい過程、それはつまり――。
「誰か居るのか? 大人しく出て来れば、今回は厳重注意で済ませてやるぞ」
教師の来訪を意味する。脅すような低い声色は、生徒指導を担当する教師でも最も恐れられている佐渡康隆、通称サド先だ。
佐渡は声掛けに反応がないと分かると、遮蔽物がほぼない屋上にも関わらず、ゆっくりと散策を始める。
コツコツと一定の間隔で響く革靴の音は、とてつもなく心臓に悪い。
伏せてさえいれば、屋上からは角度的に見えないはずだ……。
言い聞かせるように心中で唱え、屋上を覗き込みたくなる気持ちを抑える。
「……やはり、学生の勘違いか」
ぼそりと独り言が聞こえたかと思うと、扉を閉じる音が響き、カチャリと再び錠が掛けられる。
それから一分ほど様子を見た所で、隣に伏せる明日華が安心して腰を浮かす。
が、俺がそれを手で制した。違和感があったからだ。
鍵を入れる音がしてない。もちろん、緊張やらで聞こえていなかった可能性もあるが……。
そう思った瞬間、
「フン、能力で消えてる訳でもなさそうだな」
つまらなさそうにサド先が呟き、今度こそ鍵の挿入音を鳴らして、錠が掛けられる。
そうしてまた一分近く息を潜め、こっそりと下を覗く、人影はない。
首だけ後ろに回し、こちらを見る二人に対して頷く。
「はぁ……正通、さっきはありがとう。危うく、見つかるところだった」
「まぁ、あ互様だ。サド先が来ることが分かったのはお前のお陰だしな」
ようやく緊張を解いて、その場でうなだれる。伏せていた所為で、服は砂だらけだだが、それを払う気力もない。
一呼吸ほどの時間を置いて、俺はつい責めるような口調で明日華に声をかける。
「まったく、相変わらずD科の中でも、一段とお前のクラスは仲良しだな、委員長。一年の頃も似たようなことしてなかったか?」
「それに関しては、不甲斐ないとは思ってるよ。でも、君みたいに何度言っても言う事を聞いてくれない分からず屋が多くてね」
「おいおい、一緒にするなよ。優秀なD科の方々と違って、俺は毎度忘れてるだけだ。おいおい、ジョークだって、そんな怖い目するなよ。あんまり怖くて不登校になっちまいそうだ」
「不登校? ハッ、丸太よりも図太い神経を持っておいてよく言うよ」
「ガラス製なんだよ。一見硬いように思えるが、少し叩けば割れちまう」
下らない軽口の応酬。緊張が解けたことで俺も明日華も、いつも以上に口が滑らかになっているらしい。
そうして、ふと口を止めると、クイッと誰からか服を引っ張られている事に気づく。首を傾げて、引っ張られた方を見てみれば、城崎が眉根を寄せてこちらを見ていた。
「あっと、悪い。ついほっとしちまってな。えっと、こうなった事情だったな。明日華、説明を頼む。俺もニュアンス程度にしか分かってないからな」
「ああ、そうだったな。じゃあほら、正通こっちを向け」
「待て待て、そうじゃない。大した話じゃないんだ、楽しようとするな」
「別に楽をしたい訳じゃないだが……分かったよ。優妃さん、最初に言っておくけれど、あんまり君にとって愉快な話じゃないよ」
明日華がそう言うと、おもむろに話し始めた。その内容を端的に言ってしまえば、D科の女子が考えた性質の悪いいたずら、いやどちらかと言えば、レベルの低い罠だった訳だ。
まずは転校生で何も知らない城崎に対し、景色が綺麗だのと適当なことを抜かし、屋上に行くように勧める。そうしている内に別の女子が、先回りして本来なら、屋上の扉近くに張ってあった立入禁止の張り紙を外す。そして、陰から城崎が屋上に入ったことを確認すると、素早くサド先に密告を入れて完了だ。
まぁ、見つかった所で俺はともかく、城崎は厳重注意ぐらいだっただろう。だが、転校初日からと言うのは外聞が悪い。
しかも、重ねていうがこの学校は規則に対してかなり非常に厳しく、成績にも跳ねる。
それに今回のは、別に城崎が見つからなかったとしても、自分たちに大したデメリットがある訳でもない。
それならまぁ、D科ならやるだろう。城崎自身、いかにもそういうのをされそうなタイプだしな。
その女子たちにとって不運だったのは、その企みを明日華に聞かれたことだ。
明日華はそういった企みに対し、怒ることはない。やっていることは姑息だが、ルールの範囲にあるし、D科はそれが黙認されている面もあるからだ。
ただ、同時に黙認することもない、それどころか全力で妨げに行くだろう。理由は単純、好みではないからだ。
企みを耳にした瞬間、何の躊躇もなく、屋上まで駆け上がってきたのが想像できる。
改めて思うが、見た目や言動はクールな癖して、やることは割と直情的なんだよな、こいつ。
「……だとさ、城崎さん。これで満足か?」
「ボクに話させておいて、どうしてお前が偉そうにしてるんだ、まったく……とにかく、そういうことで急いでここに隠れた訳だ。悪かったね、説明もなくバタバタさせちゃって」
頭を下げる明日華に、狼狽した様子で城崎が両手を突き出し左右に振る。
そして、それ切りで会話が途切れる。まぁ、一通りやる事は終わった。特に会話をする必要もない。ないが……俺にはさっきからほんの少し、城崎に対して言いたいことはあった。
とは言え、また怯えられては敵わない。努めて明日華を相手にする時のように、軽口混じりに声をかける。
「城崎……あんまり喋るのが得意じゃないのは、なんとなく分かる。だが、明日華はご苦労なことにわざわざ、扉をぶち破ってまで来てくれたんだ。報酬代わりにお礼の言葉の一つでもくれてやったらどうだ? 安いヤツだからな、それだけで満足してくれるぞ」
俺の言葉に、明日華も城崎も困り顔で沈黙する。
想像とは違う展開。女子二人は通じ合っているようだが、俺だけが空気が読めていない。
然して、三人全員が困惑するという妙な事態に陥る。俺にこの状況を打破する手札はない。
かと言って、突然城崎が話の舵を取り始めるようなこともなく、消去法的に明日華が口を開いた。
「正通、優妃さんはな生まれた時から声を出せないんだ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……っと、連絡事項はこれぐらいかな。それじゃあ、気をつけて帰れよ」
そんな教師のおざなりな挨拶が経て、教室はやにわに騒がしくなる。
椅子の擦れる音をクラッカーに、各々思い思いの机に集まり、久々に会う友人同士たちで雑談に花を咲かせる。学生だけに許されるパーティの真似事だ。
そんな長期休暇明け独特の放課後の中、俺は何時と変わらず、そそくさと帰り支度を整えて行く。
ただ、その心境は何時もと違う。屋上での一件があったからだ。
……事情を知らなかったとは言え、失言だったな。
あの後、当然すぐに城崎に謝り、城崎も気にしてないと言う風に首を横に振ってくれた。
とは言え、気分は良くない。ただでさえ今日は厄日なのに、柄にもなく説教じみたことをしようとするからこうなる。
気にしても仕様がないのは分かっちゃいるんだがな……。
幾度目かの心中のぼやきに嘆息しながら、ほんの少し重みのました鞄を手に立ち上がる。
人の塊を隙間を抜け、夕陽の差し込む廊下に出る。
まばらな靴音の群れの中に、自分のそれを混じえて帰路に着く。
そうして、正門にたどり着いた所で、今日はもう飽きるほど聞いた声に呼び止められる。
「やあ、どうしたんだい、そんなしょぼくれた顔して」
「悪いが明日華、今日はお前と楽しくお茶する気分じゃないんだ。話し相手を探してるなら、後ろを向いて真っ直ぐ歩け。今ならまだパーティに間に合うぞ」
そう言って通り過ぎるものの、すぐに足音がついてくる。
気分じゃないのは間違いが、意固地になって振り切ろうとするの馬鹿らしい。大体、間違いなく追いつかれる。
「お言葉はありがたいけど、D科はドレスコードが厳しくてね。舌が二枚必要なんだ。それに冴えない顔してる幼馴染を放っておけないよ、用事もあるしね」
「カッ、そりゃこちらこそありがいことで。で、用事って?」
「つれないなぁ……君も気にしている、優妃さんの事だよ」
ピタリとこちらが触れて欲しくない所に……こう言う時ばかりは、幼馴染であることが恨めしくなるな、全く。
だが、明日華がこんなことをするって事は、軽口混じりじゃあるがかなり本気ってことだ。
「そういう事なら、お断りだ。軍人候補のD科なら手話はお手の物だろ。それで足りなきゃ、手紙でも書いたらどうだ。黒ヤギさんでもない限りは、読んでくれるだろうよ」
「言うまでもないだろうが、手信号と手話は別物さ。筆談なら確かにできるが……D科内がどうなってるかは君も知ってるだろう。彼女には悪いけど、わざわざ筆談に付き合ってくれる子が居ると思うかい?」
「雄の三毛猫ぐらいは居そうだな。お前の言いたいことは分かった。でもな、ここをよーく見てみろ」
そう言ってカバンを持っていない方の手で、襟元を軽く叩く。角度的に俺からは見えないが、金色に輝くPの科章――|憑依現象学科《Dependence Phenomenon Department》の証――があるはずだ。
明日華の眉間に皺が寄る。どうやら、コメディの芝居は終わって、シリアスな場面を始めるようだ。
「君がD科じゃないのは先刻承知だよ。でも、教室の外であっても、君の助けは彼女にとって大きいはずだ」
「明日華、お節介も大概にしろ。城崎に訊いたのか、そうじゃないだろ」
「……ああ、そうさ。でも、ボクのが一度でも間違ったことを言ったことはない」
互いに不機嫌かつ、周囲に学生が居なくなったこともあり、語調が自然と強くなる。もし誰かに見られたら、口論以外の何物でもない。
頭に血が上りすぎていることを自覚し、どちらかともなく押し黙る。しばし、靴音だけが俺と明日華の間を流れる。
そうして、ふと俺は大事なことを思い出した。
「……そういや、同じクラスには、墜落が趣味の兄貴が居るじゃねぇか。噂じゃ、ライト兄弟よろしく分隊組むって聞いてるぞ。俺みたいなのが茶々入れる隙間なんてないだろ」
「噂は噂だよ。少なくとも学校内では、肩を並べて飛行機づくりはやりそうになかったよ、靴で喧嘩することもなさそうだけどね。大体、城崎くんは他の学校から引き抜いた特待生だ。分隊訓練のチーム編成は、入学前に決まってるハズさ。それに……」
「何だよ。あの兄貴には、まだ何かあんのか」
「違うよ。君は自分のこと『俺なんか』って言ったけど、ボクは君ほど優しい人を知らないよ。だからこそ、こうして頼んでる」
まぁ、もう少し真面目になってくれると嬉しいけどね。
そう最後におどける明日華だったが、こちらを伺う瞳は変わらず真剣だ。
懇願、信頼に期待、そしてほんの僅かな不安。俺は昔からこの魔眼に勝てた試しがない。
天と同じで、悪魔は人に二物を与えねぇハズなんだけどな。学会のお偉いさんたちの言葉もあてにならない。
「……はぁ、分かった、分かったよ。だが、城崎が拒否したら、それまでだ。お前の評価はありがたいが、俺は聖母でも神の子でもない」
「蜘蛛の糸が切れたら終わり、と。もちろん、それで問題ない。しかしあれだね、照れてるからって饒舌になるのはいいけど、その台詞だと更に顔が赤くなりそうだけど、それは大丈夫かい?」
俺の返事にすっかり表情を変え、人の悪い笑みを混じえ、魔眼の持ち主がベラベラとまぁ気持ちよさそうに喋る。
俺はといえば、ピーマンにゴーヤ、セロリに青汁、その他苦いもん全部を煮染めた物でも飲んでるだ気分だ。
でも、そんなことはお首にも出さない。俺はからかって来る奴をわざわざ楽しませるほど、サービス精神に溢れてない。
「笑いものになっても、真っ赤にしとけば、サンタクロースにスカウトされるって聞いてな。クリスマスの日に備えて練習してるんだ」
「成程。でも、君はトナカイって柄じゃないな。麻袋でも被ったらどうだい?」
「遠慮しておく、ブギウギは嫌いじゃないが、虫とギャンブルは嫌いだ。それよりどうだ先は遠いが、俺とお前で現代のヨセフとマリアになるってのは。おっと、もちろん、普通のやり方でな」
「…………最低だよ、君」
親指、人差し指、中指、三本仕立てのジェスチャーを丁寧に混じえた俺の言葉に、今度は逆に明日華が顔を真っ赤にしてボソリと言う。
「最低? そいつはおかしい、見た中で最高に優しい人って言われたこともあるんだぞ」
「ぐっ……分かった、降参だ。負けを認めるから、もう勘弁してくれ」
「おいおい、どうした降参だの、負けだの、何を言ってるか分からないぞ。ま、君が止めてというなら、止めるけどな。何せ、俺は優しいからな。カカカッ!」
哄笑する俺に、明日華がまた微かにうめき声を上げてその場に立ち止まる。
こうして明日華をやり込めるのは久しぶりだ。しかも、それが劣勢からの逆転となれば申し分ない。
だからこそ、己の余罪と今日がどんな日であったかを忘れていた。
思い出したのは「良かった、随分と元気になったみたいだね」と、朗らかな声で隣に並ばれた瞬間。
「そんなに元気なら、今日の昼休み何で屋上に居たのか、一から十まで聞いても大丈夫だよね」
カチリと地雷を踏み抜く幻聴、逃げ去りたいが足を浮かせば即ドカン。置いたままでも、言葉の弾丸の雨あられだ。
「告解室か、それとも取調室なのかによるな」
「安心してよ、正通。黙秘権は認めるし、お腹が減ったならカツ丼もでる。ただし、一つ重要なことがある」
「宗派か? なら、俺は……」
「現行犯ってことだよ。今から話を聞くのは、罪状を決めるためだ。そうだね、確かに物によっては、宗派も聞くかもしれないな」
死刑執行の際には祈りの時間が設けられる。なけなしの反抗も虚しく、そんな余計な知識が頭をよぎる。畳み掛けるように取調官が口を開く。
「参考までに言っておくと、腐らず、茶々を入れず、素直にお話してくれる方が心証は良いと思うよ」
落としと脅し、どちらが正しいのだろうか。そんな酷くどうでも良い疑問をよそに、俺は諦めて一から話しを始めることにした。