第九章 同一
2100年 22世紀に突入。ダイブはアップデートを繰り返しながら一般家庭にも普及。このころからメンタルパラドックスの問題が表面化し始める。
2114年 新興国家のダイブ普及率が40%を突破。他社の類似品を含めると54%となる。
2115年 ジャパン、警視庁サイバー犯罪対策課、サイバー空間内での覚せい剤の使用を確認。警察庁へ速報。これを受けて政府はサイバー空間における犯罪の取り締まり、人体への影響について有識者会議を設置。
2116年 ジャパンに先立ち、米国でサイバー空間における犯罪行為に関する法律が制定。暫定的措置として、米国籍の者がかかわった犯罪のみを取り締まる。
2117年 ジャパン、EU各国も独自の法律を制定するが、国境の存在しないサイバー空間の性質上、各国の法の違いで実務レベルでは混乱を招く。
第九章 同一
まさか。
まさか。まさか。
まさか。まさか。まさか。
「まさか、そんな……」
さっき矢をかわしたのは、間違いなく制限解除だ。あんな反応速度、人間ではない。
しかし、そんなことはもはや些細な問題でしかない。
なぜあいつが、ここにいる――?
男は帽子を飛ばされた衝撃で、こちらを振り向く。
陣と――目が合う。
「ふん、ふあ」
まるで、欲しかったおもちゃを手に入れた子供のように、男の目がランランと輝いている。
男の視線に、陣は金縛りにあったように身動きが取れなくなる。
ジョセフは己の矢がかわされたことに驚き、唖然としている。
エドワードは、陣とジョセフを交互に見比べ、命令を待っている。
「覚えてるぞ!」
陣を射抜くように、男が声を張り上げる。
「巡査部長!」
そして大きくにんまりと笑うと、身をひるがえして走り出す。
「待ておらぁ!」
力と声を振り絞り、はじかれたように飛び出す。
「アミリア!あいつだ!あいつだった!」
〘何⁉どういうこと⁉〙
「ジャパンで起きた殺人の被疑者だ!ヤンキースの正体は殺人犯だ!」
――そして、殺された被害者が同じ顔をしている――。わけがわからない。殺した男と、死んだ人間が同じ顔?そしてその男が爆破現場にいて、今、次の爆破現場と疑わしき場所にいる……?
〘殺人犯と爆破犯が同一ってこと⁉〙
「わからない!わからないことだらけだ!」
陣の頭は半分パニックになる。いいや、とにかく今はあいつをとっ捕まえなければ。
エドワードを追い越して走り、無線で指示を飛ばす。
「全員聞け!黒帽子の男が爆破テロに関わっているかは未だ不明!不明だが!五日前にジャパンで起きた殺人事件の被疑者だと判明!目標を尾行から確保に切り替える!」
陣の言葉に、ジョセフが思い出したように立ち上がる。エドワードも陣に続き、走り出す。
「くそっ!待て!」
男はハーン・ハリーリを抜け、車の行き交う大通りへと出る。この方角はマズい。陣は左腕に端末を装着し、周辺の地図を確認する。この先には――。
「やつはカイロ第三アクセスポイントに向かってる!」
〘確かなの⁉〙
「ああ!このまま走っていけばあと四、五分だ!この辺のアクセスポイントに詳しい奴は!」
「……俺だ」
よりによってこいつか。陣はすぐ後ろを走るジョセフを見る。
ちっ、背に腹は代えられない。
「ピラミッドに一番近いアクセスポイントは!」
「ピラミッドを爆破するというのか?」
「カイロを爆破するつもりなら、今逃げる必要がない!爆破の混乱に乗じて逃げた方が合理的だ!あいつは――」
飛び出してきた通行人をかわし、素早く体制を整え、再度加速する。
「――あいつは!ワシントンでもホワイトハウスの敷地にいた!一番近くで爆破を見る気なんだ!カイロじゃないってことは……」
遠くに見える三つの巨大な建造物を見上げ、陣は静かに、低く告げる。
「……ピラミッドだ」
ジョセフは頷き、周辺のアクセスポイントについて解説を始める。
「ピラミッド周辺には、西側、南側、東側の順に第一、第二、第三アクセスポイントがある。景観を損ねないよう、距離はどれもピラミッドまで300から500m程度」
アミリアはハーン・ハリーリの反対側で、ジョセフの無線を確認する。組んでいたMCSに目配せし、近くのアクセスポイントへ向かって走る。
「わかったわ!陣!割り振って!」
〘よし!ジョンのアメリカAチームはハーン・ハリーリ周辺で待機!アミリアのアメリカBチームは第一、ニュージーランドチームは第二、カナダチームは第三!それぞれアクセスポイントの出口で張れ!俺とアイゼンハワーはこのままマル追する!〙
〘ええ⁉僕らはカイロで待機かい?〙
ジョンの不満げな無線が飛び込んでくる。
〘もしピラミッドに行かなかったときの保険だ!ハーン・ハリーリを中心に、カイロ市内の警戒に当たれ!〙
男はどんどんアクセスポイントに近づいていく。残り数百メートル。時間にして――
「あと一、二分だ!各自準備はいいか!」
〘こちらアメリカB、第一アクセスポイント配置完了〙
〘ニュージーランドチーム、第二アクセスポイント配置完了〙
〘カナダチーム、第三アクセスポイントに配置完了〙
〘こ、こちらぁ……ゲホッ、ジョンだ。エドに追いついたよぉ〙
「よし!入るぞ!三、二、一……入った!」
目の前で、男が光の柱に消える。陣は走りながら耳に手を当て、無線での報告を待つ。
どこだ、どこに行った?
五秒たつ。まだ何の報告もない。
十秒がたった。読み違えたか?
十五秒。くそっ、いったいどこに――。
〘第三アクセスポイント!一人走って出てくる男を確認!これよりマル追!〙
「いよっしゃああああ!」
叫び、走りながら左腕の端末で第三ピラミッドエリアを選択する。ジョセフもそれに続き、二人で光の柱に飛び込む。
上昇とともに駆け抜け、飛び出すと……目の前にハーン・ハリーリとは比べ物にならない人の波が現れる。数百メートル先には、ギザの三大ピラミッド。赤い夕陽を受けて、大きな影もできている。
どこだ?
どこに行った?
必死に目を凝らすが、なぜか群衆は慌てふためいており、人の流れがつかめない。これはいったい何事だ。中には悲鳴を上げたり、右往左往して走り回っている者もいる。ここまで混乱していると、男だけを認識できない。
「トラックだ!茶色のトラックを奪った!」
突如、人だかりの向こうから、カナダの捜査員の叫び声が聞こえる。
「あれだ!」
ジョセフが左前方、薄茶色のほろがかかったトラックを指さす。運転席と助手席、あとは荷台の小型トラック。エンジンがかからないのか、唸るような音を立てるものの、発進はしない。
陣も気づき、必死の形相で人波をかき分けていく。カナダの捜査員と、それと組んでいる細身のMCS隊員は人波を超えられず、近づけていない。
ジョセフは何とかガラス越しに犯人を撃とうと狙いを定めるが、角度が悪く、なかなか矢を放てない。
「えぇい!んらあ!」
陣だけが貴人のごとき動きで、トラックに迫っていく。
あと五メートル。
徐々に、トラックのエンジンが回転数を上げていく。
あと四メートル。
トラックの車体が震える。ついにエンジンがかかった。
あと三メートル。
陣は右手に真紅の小手をつけ、ボタンを押す。
あと二メートル。
ボタンを押し、ボウルナックルを展開していく。
あと一メートル。
逃がすか‼
トラックが発進するや否や、走り幅跳びの要領でトラックの荷台に飛び乗る。ボウルナックルでほろを振り払い、屋根に移る。
「止まれ!おらあ!」
屋根に這いつくばり、左ハンドルの運転席に赤い拳をたたきつける。
ガラスを突き破り、頭を掴みにかかるが、男はとっさにハンドルを切り、車体を揺さぶってくる。
「ぐっ」
陣は振り落とされないように、ドアと天井のフレームにしがみつく。
走り出したトラックを見て、ジョセフはスリーブアローをたたむ。驚異的な脚力でその場から五メートル以上飛び、人波を超える。
着地すると同時に、細身の隊員も人波をかき分けて出てくる。
「デューイ、男はピラミッド方向へ向かった。茶色のトラックだ。先回りして網を張れ」
第二アクセスポイント近くにいるもう一チームに情報を伝え、ジョセフは走り出す。細身の隊員も後に続く。
男は天井の重みを何とかしようと、より一層大きく車体を揺さぶる。
「くっ」
陣は歯を食いしばり、必死に食らいつく。ここまで追いついた。絶対に離すものか。
――と。
ッガァン!
大きな音ともに、天井に穴が開く。陣の頬をかすめて、鉛の球が空へ向かう。
「ちっ!」
男は運転しながら、やみくもに天井めがけて銃を撃ってくる。二発、三発、四発……。
「あああああ!」
陣はボウルナックルに力をこめる。全体重を右腕一本で支え、車の天井から九十度、直角に体を持ち上げる。間一髪、目の前では、男の発砲によって天井に次々と穴が生まれていく。
しかし、十発も撃たないうちに男は手ごたえのなさに気づく。運転席から身を乗り出して窓の外を眺め、陣のとんでもないかわし方に気づく。
男の口の端が、にんまりと上がっていく。右手に握られた拳銃も、陣の顔めがけて上がっていく。
マズい。と思いながら、陣はふと進行方向の先に目をやる。
足の遅いニュージーランドの捜査員を置いて、デューイは男のトラックを待ち受ける。ここで止めてやる。
大柄なMCS隊員が、右腕に迷彩柄のボウルナックルを装着するのが見える。
幸い相手は、アクロバットなMCPに気を取られている。デューイは砂を踏みしめ、トラックの進行方向に入る。
陣の額に、どっと汗が噴き出す。右腕の限界が近いからではない。その止め方は――
「……まじかよ」
「うおああああああ!」
大柄な隊員は、雄たけびとともにボウルナックルをトラックのボンネットにたたきつける。
それこそ爆発と聞き間違うほどの音を立て、トラックは車体を大きく凹ませる。ボンネットを支点として、数トンもある車体が直角に跳ねあがる。
強烈な遠心力で、陣は大きく前に吹き飛ばされる。
男はハンドルから飛び出したエアバックにたたきつけられ、気を失う。当然、アクセルからも足が離れる。
水平に戻ったトラックを、デューイは押さえ続ける。アクセルの弱まりもあり、トラックは徐々にスピードを落としていく。
………………。
…………。
……ひどい耳鳴りで、陣は意識を引き戻される。
「うぅ……」
甲高い音が頭の中いっぱいに響く。体中が痛み、右足は力が入らない。口の中がざらざらして、血と混じって鉄の香りが鼻につく。
ゆがむ視界の向こうに、いつの間にか止まったトラックが見える。ボンネットの前には、大柄な隊員が。
遠くには、こちらに向かって走ってくるジョセフと細身の隊員も見える。
何とか立ち上がろうとするが、頭がぐるぐる回って正面がわからない。
「あぁ……うぅ」
地面に手をついたところで――大柄な隊員が、ボンネットからボウルナックルを引き抜くのが見える。
デューイは運転席に回る。車体は大きくゆがみ、ドアはもはや人力では開かない。車内には、ハンドルにもたれかかって気を失った男が見える。
「ふん」
ボウルナックルでドアを掴み、機械の力で無理やり引きはがしていく。
「うおおぉ!」
大柄な隊員がドアを投げ飛ばした。
待て……その男は……。
警告を発したいが、言葉が出てこない。
「あ……う……」
変なうめき声が漏れ出るばかりだ。このままでは……まずい。
ドアがなくなり、運転席が丸見えになる。
デューイは満足気な表情で、男を眺める。
完全に気を失っているようだ。動きがぴたりと止まっている。ついに確保だ。これで手柄は――なんだ?脇の下から、鈍く光る――銃口が……。
ッガァン!
大柄な隊員がその場に崩れ落ちる。
陣は砂を握りしめる。
「デューイィィ!」
隣で走っていた細身の隊員が悲痛な叫びをあげる。
それを聞き、ジョセフは焦る。なんという事態だ。確保どころか、いや、追跡すらままならない。あんな男一人に――。
数百メートル先のトラックの残骸に向け、走る速度をさらに上げる。
男はハンドルから顔を上げる。左下を見下ろすと、大の字に倒れている大男が目に入る。
「んん~」
気だるい体を外に投げ出し、大男の上に覆いかぶさる。胸に耳を当て、心臓の音が聞こえないか確認してみるが……何の音もしない。
「ああ……。んー。んんん。あっあっ」
男は満足そうに笑い、寝返りをうつ。大男の上で大の字になり、赤い空を見上げて笑う。
「んー……。あぁ」
ひとしきり笑って満足すると、のそりと起き上がる。
振り向くと――陣が地面の上でもがいている。右足が変な方向に曲がっているが、それ以前に体制が安定していない。
正面には――こちらに向かってくる、MCSが二人。細身の男と、金髪の男。
男が大柄な隊員の遺体を踏みしめ、こちらに向かってくる。
陣は頭を振って、なんとか平行感覚を取り戻そうとする。
「く……」
にやにやを顔に張り付けた男が、目と鼻の先を通り過ぎていく。
向こうはすでにしっかりとした足取りで歩き……いや、走って逃げていく。
逃がすもんかよ。
陣は右手を左腕の端末に伸ばす。距離感がつかめず、何度か空を掴んだ後、EDRを手にする。ぐらつく頭では赤か青かわからないが――この際黒でなければどちらでもいい――思い切り、一番損傷の大きい右足にたたきつける。
「えああああああああああ!」
流れ込んでくるアドレナリンが、強制的に脳を覚醒させていく。まだ眠っていたい本能を押しのけ、かき消し、目を見開く。
「あああああああああああ!」
右足の修復は不完全だが、もう走れるレベルには達している。陣はEDRを投げ捨て、一心不乱に男の後を追う。
男は三大ピラミッドでも最大、クフ王のピラミッドの前を走っている。
ここは盗掘用の穴があけられ、そこから内部を観光できるようになっている。まさにその穴の前を、男が横切る。周囲には、トラックの衝突音や銃声を聞きつけ、中から出てきた大勢の観光客がいる。
必死の思いで走り続け、着々と男との距離を縮めていく。目の前にはクフ王の隣、カフラ―王のピラミッドも見えてくる。
「待て!」
陣が大声を上げた、その時だ。
ドカアァン!
男の右側、ピラミッドの底辺の石が数個、一瞬で蒸発する。
爆発か?
陣の頭を最悪の結果がよぎるが、それ以上の被害は起きない。では一体何が――
ドカアァン!
今度は、男の左側の地面が大きくえぐられる。
陣は振り向き、後方を確認する。これは――超電磁バズーカだ。
「リード!やめろ!」
ジョセフは細身の隊員に向かって叫ぶ。しかし、細身の隊員の耳に届いてはいない。仲間を殺されたショックで、我を忘れている。
「ちくしょう!ちくしょおお!」
「リード!落ち着け!リード!」
細身の隊員は命中率の悪いアグニを投げ捨て、ショットガン型特殊武装を取り出す。
陣は急ぎ、男の方に視線を戻す。その距離残り数m。
しかし、周りには逃げ惑う人、人、人……あまりに多い。こんな状況でショットガンなど撃ってみろ。ただでは済まない。
「やめろぉ!撃つな!」
声を枯らして叫ぶが、細身の隊員は聞いてなどいない。男をにらみ、特殊武装の狙いを定める。
あと数歩で、男の腕に手が届く。もう確保は間違いない!間違いないのに!逃げ惑う観光客であろう青年が、こちらに逃げてきてしまう。
ピラミッドの中から逃げてきた人には、この男が爆弾魔だとか殺人鬼だとかわかるわけがない。みなと同じ、銃声から逃げる人にしか見えない。
「こっちに来るなあ!」
陣の叫び声は、混乱する現場の騒音にかき消される。
後ろからショットガンの起動音と、絶対に外さないという殺気がひしひしと伝わってくる。
ジョセフは何をやっている――このまま見ていれば、この青年は撃たれる――だが、男にも弾は当たるかもしれない――そうすれば確保しやすい――だが青年を犠牲には――すぐにEDRを刺せば――いや、当たり所が悪ければ即死してしまう――ダメだ!
「やめろおおおぉぉ!」
叫び、ショットガンの射線上に飛び出す。陣の接近に驚く青年を突き飛ばすが――同時に、右脇を無数の弾丸で撃ち抜かれる。肉をそがれ、骨を砕かれるその痛みに、意識が飛びかける。
「がはぁ」
陣はそのまま地面に倒れこむ。わずかに動く左腕を伸ばすが――男はするりと距離をあけ、逃げていく。
「はあ……ああ……」
血を流しすぎている。意識がもうろうとする。EDRをとることもできない。
あと……少しだったのに……。
かすんでいく視界と意識の中、男の歓喜の叫び声が聞こえる。
「さすがだあ!巡査部長ぉ!」
また……逃げら……た……。
そのまま暗転していく世界の中、崩れていくカフラー王のピラミッドだけが、ひどく鮮明に、美しく見えた。