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電脳戦争  作者: 影宮閃
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第八章 ピラミッド

2081年 中国、米とのサバ―空間開発競争問題で和解。ダイブの大量発注し、世界最大の顧客へ。


2086年 ジャパン、トヨタが本社および製品開発部門でダイブの使用を表明。他の国内企業も追従する。


2087年 ダイブ、富裕層のみだが一般にも普及が進む。サイバー空間内での統一通貨として、ビットコインが採用される。


2089年 米不動産大手がサイバー空間作成代行サービスの提供開始。プログラミングのできない個人、中小企業向けにあらかじめ作成したサイバー空間内の建物、土地等を販売。


2094年 脳波研究の第一人者、エドワード・クラーク博士が死去。今後のサイバー空間の発展を願うとともに、悪用、軍事的、政治的利用を懸念し、サイバー空間三原則を定めるよう声明を残す。


第八章 ピラミッド




 十一月14日、現地時間(ワシントンエリア)午前9時03分。MCP本部29階、連続爆破テロ対策本部室。

「幸い、ここ二日新たな爆破は起きていません」

 全体会議の時間、ジョンがもったいぶって話す。

「しかし、一係も二係も新たな手掛かりは発見できず、次の爆破地点のめぼしも経っていないのが現状です」

 その通り。捜査本部が発足して二日、全く、一ミリも、これっぽっちも捜査は進展していなかった。引き継ぎ時の二係の顔が陣の頭に浮かぶ。どうしていいかわからないやるせなさと、申し訳なさが織り交じった表情。これから自分たちが同じ捜査に足を踏み入れると思うと、身震いすら覚える。

 陣は憂鬱な気持ちでジョンを見る。彼は張り切って捜査を仕切っているが、よくそんな元気が出るものだ。

「そこで、我々三係の出番というわけです」

 会議室にはAチーム以外にもB,C,D、E……と各国家群のチームが机についている。

「国や国家群の枠を越え、ともに事件の共通点を見つけ出し、次なる爆破地点を割り出しましょう!」

 各チームからパラパラと(申し訳程度の)拍手が上がる。

「それではみなさん。気づいた点をぜひ発表してください!安心してください。情報のまとめは私におまかせください!」

 陣は大きくため息をつく。三係だけでも、全チームとMCSの応援員を合わせると100人近くいる。その全員に注目される中、自ら進んで意見を言う奴が現れるはずがない。

「ねえ……ジョン、張り切ってるところ悪いけど、各チームの親睦もまだこれから深めて行かなきゃいけないし、まずは各チームごとで話をしてみるのはどうかしら」

 すかさずアミリアが提案をする。

「ああ!そうですね!それがいいそうしましょう!ではみなさん、各チームごとに意見を出し合ってください。三十分後に再び意見をまとめるということで、お願いしまーす!」


「すげえよ、ジョン」

 意気揚々と机に戻ってきたジョンに、陣は苦々しく言う。

「ん?そうかい?どうもありがとう」

「……どういたしまして」

「さ、て。さっそく我らがAチームも意見を出し合いましょう。まとめますから、私」

 あいかわらずの調子で続けるジョンだが、陣の思った通り、何か言いづらい雰囲気が出てしまって仕方ない。

 ジョンは左右を見回して意見を待つが、待ちきれなくなってしゃべりだす。

「うーん、ではみなさんの考えの手助けになるように、今まで判明している共通点をあげてみますね」

 こほんと咳払いし、ジョンは手元のバインダーを見て話しだす。

「えー、まず……発生場所はすすきの、ワシントン、ロンドンの三か所、それぞれの共通点と言えば――人が多いことで、死者は合計で282人。爆発の原因はいずれも不明、現在もMCSL(マクシル)と調査中。あとは――爆破の仕方は似通ってますかね。地上か地下の浅い地点で爆破が起き、どの現場も地上から地下にかけて大きな穴ができるほどの威力。さて、どうでしょう」

 ジョンは目を輝かせてメンバーの顔を一人ずつ見ていく。

「……どうでしょうと言われても」

 カナダの捜査員が申し訳なさそうに言う。

「うーん……」

 ニュージーランドの捜査員は唸るばかり。

「俺は捜査員じゃない」

 ジョセフは昨日と同じポーカーフェイス。

「ジョン……?あなたは何かないの?」

 アミリアは切り返す。

「え?僕ですか?僕は――僕はほら、みんなの意見をちゃんとまとめなきゃ」

 ジョンは言い訳をする。

 その後も各人があーでもない、こーでもないと言い合うだけで、時間だけが過ぎていく。

「あー、いいか?」

 十分後、このままでは何も進展しないと思い、陣は重い腰を上げる。

「まずこの二日間、世界でも有数の刑事が集まって何にも進展しなかったんだ。もう多少強引にでも共通点を繋いでいくしかないわけだが――その前提で聞いてくれ」

 陣は左腕の端末を操作し、昨日一人でまとめてきた資料を全員のバインダーに送る。パワーポイント形式で、陣が手元で操作すれば全員が同じ画面を見ることができる。

 何かないか、何かないかと休日返上で探し続け、やっと出てきた共通点だ。しかしこれはあくまで推測の域を出ない。

確実な証拠を積み立てていく刑事としてはあまり頼りたくない方法だが、四の五の言ってもいられない。

「それ見ながら聞いてくれ。まず三つの現場だが、ジョンの言った通り、人が多いところで起きてる。これは結構大事なポイントなんだが、ひとまず頭の隅に置いといてくれ。次にすすきの、ワシントン、ロンドンだが……。仮にロンドンワシントンだけなら、各エリアの首都を狙ってんのかもしれない。だが一件目のすすきの。これだけがあてはまらない。一件目だけ別の事件で、連続発生は後の二件のみって考えもできなくはないが……。ここで一つ、小学校の授業を思い出してほしい」

「小学校?」

 ニュージーランドの捜査員が何だそれ、と言いたげに声を上げる。

「そう。100年前に第三次世界大戦(サイバーウォー)が起きた時。当時のサイバー空間、いわゆる旧世界は一度初期化されてる。――で、その後だ。戦争が終わって、電脳空間三原則を組み込んだ新たなサイバー空間が構築されることになった」

 陣は大きな地球儀のような画像を表示する。

「この空間は複数のサーバーが寄り集まって、単一の世界を作り出してる。俺たちが今住んでる地球みたいにな。そりゃあ、宇宙の先がどこまで作りこまれてんのかは知らねえが、歩いたり泳いだりすれば全てのエリアを一周することもできる。とはいえ――」

 スライドを次に移す。地球儀の画像が崩れていき、複数の都市だけが宙に浮いたように残る。

「――これだけの広大な世界を一度に作り出すことは、もちろん、不可能。ある程度候補地を絞って作る必要があった。そこで、今後のサイバー空間の利用促進のため、当時の各国政府はある取り決めをした。その内容は――」

 次のスライドは画像ではなく、当時国際連合で取り決められた条約の一部分だ。

「――簡単に言えば、各国の首都エリアの他に、観光客が見込まれるエリアを構築すること。例えば世界遺産や繁華街。下の話で悪いが……性風俗がさかんな地域とかな」

「あぁ、ええ」

 アミリアは何かを悟ったように目を伏せる。

「すすきのはジャパンでも有数の繁華街(・・・・・・)でね。TOKYOエリアと併せて空間の構築が決定したみたいだ。どことなく風情と品もある」

 陣の含みを持たせた言い方に、男性陣から笑いが漏れる。

「さてずいぶん遠回りをした。が、最初に言った《人がたくさん集まる場所》に戻ろう。それだけなら場所の規模も、集まる人の人数もわからなかったが……、この条件を当てはめれば……候補地が200以下に抑えられる」

「なるほど……最初期に造られたサイバー空間、が共通点かもしれないってことね」

 アミリアはあごに手を当てて考え込むように言う。その隣ではジョンが威勢よく電子メモをまとめていく。

「さすが陣だ!僕も言おうと思ってたところだ。さっそくメモしよう」

「苦し紛れに出した条件だけどな」

「でも今まで一つの条件もなかったんだから、これは考えてみるべきよ」

 アミリアは上目でにっと笑いかけてくる。

「そうだな」

「それでいこう」

 他の捜査員もそれぞれ賛同する。

「あー……でも、200もあるんだったらどうするんだい?全捜査員総出でもカバーしきれないよ」

 ジョンはメモを中断し、困ったように右往左往する。

「さらに絞り込むしかないだろう」

 黙って聞いていたジョセフが、おもむろに口を開く。

「例えば、サイバー空間はアップデートを繰り返し、新しくできた世界をどんどん組み込んでいく。そして、アップデートごとに記録も残る。最古のサイバー空間なら、書き換えの回数が一番多いはずだ」

「あん?」

 嫌な奴の突然の参戦に、陣は声を上げる。

「どういう意味だ、書き換えの回数って」

 ジョセフは陣の声に一瞬眉を吊り上げるが、すぐさま真顔に戻り、淡々と説明する。

「サイバー空間といえど、一度の作業で街全てが出来上がるわけではない。現実世界で家を建てる時と同じだ。基礎を作り、その上に柱を立て、壁や床をつける。サイバー空間では、まず最初に基盤データの構築を始める」

「基盤データァ?」

「読んで字の通り、そのエリアがサイバー空間内のどの緯度、経度に位置するか、地表の条件――岩石なのか砂漠なのか、はたまた凍土なのか――周辺の気候――温暖なのか、寒冷なのか、熱帯なのか――、そういった情報をまとめ、基礎を築く。そしてその上に、地表のデータを敷き詰めていく。それが終われば、地表データの上に地形データを作り、さらにその上に建造物のデータを作り……と、繰り返していく。最古のサイバー空間なら、その書き換え回数が最も多いはずだ」

「ちょっと待て、その基盤データってのは地表の下にあるのか?地下街みたいに地下空間がある場合は?」

「たとえサイバー空間で地面を掘り返しても、基盤データにたどり着くことはできない。一般人では干渉できないようになっている。簡単に言えば、鍵がなければ扉をあけられないのと同じだ。当該エリアに地下空間がある場合は……地表データと地下空間の間に基盤データがある」

「ほーん。鍵ってのは……MCSL(マクシル)の職員とか?」

「そうなるな。基本的にMCSL(マクシル)かその委託を受けた下請けの職員。各エリアには、基盤データにアクセスするため、メンテナンス用の通用口がどこかに設けられているはずだ」

 一度にたくさんの情報が入ってきて、陣は頭がこんがらがりそうになる。サイバー空間の成り立ちの話になるとは思ってもみなかった。というか、こいつがこんなことを知っているのが微妙にムカつく。

「サイバー空間のアップデート回数は、MCSL(マクシル)に照会すればすぐにわかる」

 ジョセフは自分の机に置いてある端末を叩く。

 陣は頬杖をついてMCSの小隊長を見つめる。戦闘しか能がないと思っていたのに、案外インテリなのかこいつは。

 くすぶっている陣を察して、アミリアが種明かしをしてくれる。

「ジョセフは私と同じ、大学でIT工学を専攻していたの。だからサイバー空間の構造に詳しいの」

「ふーん」陣は思う。だから詳しいのか、こいつ。

「ふーん」ジョンは思う。同じ学部だったのか、こいつ。

「すべての国が同時期にサイバー空間を完成させたわけでもあるまい……すすきの、ワシントン、ロンドンは全て書き換え回数が2604回。こういうのを共通点と言うのだろう?」

「……やるじゃねえか」

 渋々、認めるしかなかった。

「他にも書き換え回数が同じ空間をピックアップしていこう」

「ええそうね。お願いしてもいいかしら」

 ジョセフはPCを叩いて、さらに調べを進めていく。

 陣は頬杖をついた腕に、さらに体重をかけていく。気に食わない野郎だ。俺がやっと見つけた突破口だったはずなのに、おいしいところを持っていかれたような気がする。書き換え回数なんて専門的なこと、高卒の陣には全く分からない。

 捜査が進展しているのだから、いいことなのだろうが、いいことなのにこんなに気に入らないなんて警察人生十年で初めてだ。ちくしょう。

「陣、じ!ん!」

 ジョンが身を乗り出し、小声で話しかけてくる。

「あいつ、いけすかない野郎だな」

 最近、ジョンの言うことによく同意する。なにがいけすかないのかは毎度ずれているが。




十一月14日、現地時間(ギザエリア)午後五時16分。エジプト、ギザの三大ピラミッド。

「――頑張るのもいいけどよ、そっちもう深夜だろ。あんめり根詰め過ぎんなよ」

 ピラミッド近くのケンタッキー・フライド・チキン、窓の外のスフィンクスを眺めながら、陣は木下と通話する。

〘はい、いえ。大丈夫です。それよりちょっと助言をいただきたくて……〙

 木下の声は自信が無く、今にも消えてしまいそうだ。久しぶりに頼ってきた部下に、陣は愉快そうに笑う。

「ハッ。さてはお前、行き詰ったな?――で、班長に聞くに聞けなくなったんだろ」

〘う、別にいいじゃないすか。……お願いしますよ、今班長夜食買いに行ってくれてんですよ。帰ってくるまでに何か成果ないと……おごらされるんです〙

「ハハッ、いいじゃねえか。来月ボーナス出るし」

〘ダメっすよ!〙

「わーった、わーった。まーとりあえずだな、今どこまでやったのか教えてくれ。状況がわからねえことにはアドバイスのしようがねえ」

 陣は指先で机をトントンと叩き、部下の報告を聞く。

〘ええとですね。あの日MCPが把握したMP(メンパラ)は全世界で23件。その全ての死者と、殺人の被害者の生体情報を突き合わせたんですが……〙

「どれも合致せず?」

〘……はい〙

「あー、そりゃ困ったことになったなあ」

 陣はあごをさすりながら考える。事件から五日、未だ被害者の身元すら判明しないとは。しかもやるべきことを全てやってこの結果なのだ。木下がへこむのも頷ける。

「だったら……」

〘はい〙

「今日までのMP(メンパラ)全部と照合しろ」

〘え⁉えぇ⁉全部ですか⁉〙

 電話口から驚きの声が上がり、陣は思わずスマホを耳から離す。

「あぁそうだよ。たまにいんだろ、ダイブを自作したり、違法に改造するオタクが。そういう認可を受けてないダイブを使ってると、MP(メンパラ)が起きたときに俺たちが把握できねえ。数日たって、家族や知人が気付いて通報があって、初めてわかる」

〘なるほど……〙

「もう一度本部鑑識に問い合わせて、事件当日から今日までのMPのデータを全部もらえ。そんで、また一件ずつ――」


 ピッ。

「はぁー」

 通話を切ってスマフォをしまい、代わりにサングラスを取りだす。

「やー、おまたせ」

 店の入り口から、ジョンとアミリアがやってくる。

「なんで引き当てちゃうかねえ」

 陣は手の平で顔をあおぐ。いつものトレンチコートは置いてきた。

「仕方ないだろう。公平な!くじ引きの!結果だよ」

 ジョンは反論しながら、額に浮かぶ汗をぬぐう。

「よく引いたよ、ジョン」

「どういたしまして」反対側に座るジョン。

「ジャパン支部も大変そうね」アミリアはジョンの隣に座る。

「あー。どうやら行き詰ってるらしい。ま、うまくやるよ。あいつなら」

「信頼してるのね。木下さん、だったかしら」

「あぁ。所轄から引っ張ってきた。うち一番の有望株」

「まあ、それは楽しみね。次はぜひ本部に」

「まさか」

 楽しそうに話す二人に、ジョンはなんとか割り込もうとする。

「僕の下についてもらっても、全然かまわないよ!」

「……」

「……」

 考えとくよ。陣は心の中(だけ)でつぶやいておいた。

「それにしても、なんで気温まで厳密に再現する必要があるんだ?サイバー空間で不便を感じてどうする」

「リアルさが売りだったんだろう?100年前は」

 ナチュラルにスルーされても、ジョンはめげない。この切り替えの早さはなかなかうらやましい。

「今はもうみんな慣れてんだろ、こんな暑さ頼んでねえ」

「つべこべ言っても始まらないでしょう?引き当ててしまったとはいえ、くじの結果なんだから。それに」

 アミリアも右手でパタパタと顔をあおぎながら、気だるそうに言う。

「南極に行ったチームよりはマシよ」

 最古のサイバー空間は全部で17か所、すすきの、ワシントン、ロンドンと併せ、ニューヨーク、南極、北京、イースター島等々……そして、三大ピラミッドを擁する、ギザ。隣接に首都のカイロがあったのも構築スピードが速かった要因だろう。

「先人たちを悪く言いたくはないが……。センスを疑うね、俺は」

 ぶつぶつ言いながら、名高いクフ王のピラミッドを横目に見る。こんなものが4700年も前に造られたとは、にわかに信じがたい。今から4700年たてば、未来人は思うのだろうか。こんなもの(サイバー空間)をよく作ったな、と。

「ピラミッド周辺は異常なし、かな。カイロの中心部に向かってみないかい?」

 ジョンの提案に同意し、三人はめいめいに席を立つ。

「何をもって異常と言うのか、わかんなくなっちまいそうだ。いいぜ、行こう」




十一月14日、現地時間(TOKYO)午前0時46分。MCPジャパン支部総括本部刑事部捜査一課。

「木下、そろそろ終わりにしろ」

 柴咲が夜食の肉まんをほおばりながら、木下の席に近寄っていく。

「はい。でもあとこれだけ……」

 木下はPCの画面をにらみ続ける。陣に言われた通り、殺人事件の被害者から得た生体データと、今日まで起きたMP(メンタルパラドックス)で亡くなった人の生体データ、この二つを一人ずつ照合している。

 この作業が思ったより手間なのだ。本部鑑識にMPのデータを要求。一言でいえば簡単そうだが、一件ずつ必要書類を作成し、電話をかけ、書類を送る。そして向こうで上司の決裁が降りるのを待ち、やっとのことでデータが送られてくる。

「わかったわかった。それで最後な」

 柴咲は諦めて、普段陣が使っている椅子を引っ張ってくる。

「すいません、班長」

「あー」

 生返事をしながらキャスター付きの椅子に深々と腰かける柴咲は、手帳と万年筆を取り出す。

「それで何人目だ」

「えっとですね……三、いや四?五人目ですかね」

「ふん」

 柴咲は鼻で唸り、万年筆を手帳に這わせる。

 筆先からインクが染み出し、今度は紙の手帳に染みこんでいく。柴咲の筆圧に合わせて、線は太く、細く、なめらかに変わっていく。スルリスルリと滑る音も心地いい。

「班長……?」

「あー?お前もちゃんとメモしとけ。どこの誰を調べたのか分かっとかねえと、らち明かねえだろ」

「いやそうじゃなくて……紙とペンですか」

「ペンじゃねえよ、万年筆だ」

「万年筆ぅ?」

 不思議がる木下に、柴咲は万年筆を見せてやる。

「班長くらいっすよ、ただのメモ紙使ってんの。電子メモ使えばサイバー空間でも現実世界でもデータ共有できて、便利なのに」

「知ってるよ」

 電子メモとはいえ、極限まで薄い電子ペーパーの書き味は本物の紙と何ら変わらない。こちらの世界で書けばあちらのメモに、あちらの世界で書けばこちらのメモに、同じ内容がそっくりそのままコピーされる優れものだ。アカウントに紐づけられ、いつも左腕につけている端末やPCなど、様々な端末でも確認できる。

 しかし、柴咲はそのメモを使わない。このメモシステム自体はもう何十年も前から、おそらく柴咲が生まれるより前からあるというのに、だ。

「たしかに不便だ。これは」

 木下の怪訝な顔に気付き、柴咲が答える。

「でもなあ、木下。見てみろ」

 柴咲はメモをひっくり返して木下に見せる。

「味があるだろ」

「はい?」

 木下は眼鏡をくい、とあげてメモ帳をしげしげと見る。柴咲の太くて力強い字が、びっしりと書かれている。

 しかし、これは味なのだろうか。

「あー……すんませんよくわかりません」

「この世界はよお。全部つながれてんだ。ネットで」

 突然始まる柴咲の説教めいた話。木下は作業に戻りたい気持ちと戦いながら耳を傾ける。最初に話を振ったのは自分だ。聞くしかない。いや、聞こう。

「調書のサインも逮捕状のサインも、書置きも全部ネットで繋がってる。席の上から動くことなく、ダイブに横たわったまま、すべてが終わる。だからこそよお、手間暇かけて実際に会いに来たらどうだ。その人のためだけに書いたメモが残されてたらどうだ」

 木下は、柴咲の言葉に思わず聞き入る。

「心が伝わるだろう。どんなに文明が発達しても、人は一人じゃ生きられねえ。感謝の気持ちを忘れちゃいけねえ。これは、心を込めるための一つの手段だ」

 年齢を重ね、経験を重ね、一人の刑事として完成された柴咲の言葉には重みがあった。

 木下はフッと笑う。子供のころからずっと、いろんな売買の契約、高校、大学の入試、就職の願書、全てオンラインで署名し、送信してきた。その他の手段など考えたことも、思いつくこともなかった。だが柴咲の教えには、人が200年前に置いてきた大切な何かが、確かに込められている気がした。

「今はわかんなくても……お前もそのうち一本買えばいい。いぃーやつをな」

 柴咲はメモに戻りながら、満足気に言う。

「え?マジすか?」

 まだ刑事になりたての木下。その安月給でいい万年筆など買えるのだろうか。

「いい刑事になりたきゃ、自分に投資しろ。嫌なら別にいい」

「いやあ、なんかそう言われると……」

 木下は頭をかく。

「武田には無理やり買わせたが、お前はあいつとは少しタイプが違う。向いてる職種も違うかもしれねえしな。よく考えろ」

 それって、刑事に向いてないってことか……?

 木下はしかめっ面になって考える。確かにMCPでも随一の敏腕刑事である陣に比べれば、自分など取るに足らない存在かもしれない。しかし――やはりちょっと悔しい。

「ほら、余計なこと考えてないで、作業に戻れ」

 頭の中を見透かしたかのように、柴咲の叱責が入る。

「あ、はい!」




 カイロの繁華街、陣達三人は人ごみに混じって練り歩く。

 活気にあふれた街とは反対に、湿気のない乾燥した空気はどこか軽い感じがする。カラカラに乾ききって、鼻の奥までカサカサむず痒い。

「陣は高校出てすぐになったんだろう?警察に」

「ああ、そうだ」

 店頭に並べられたアラビアンな(陣の感性ではそれ以上の感想が出てこない)カーペットだか絨毯だかを手に取って眺める。そもそもアラビアンって感想で合っているのだろうか。

「ジョンは大学出たんだろ?」

「そうさ。その通り。これでも主席の一歩手前だったんだよ」

「ほーん」

 一歩手前という部分は置いといて、なるほど、試験の成績はいいタイプのやつか。どうりで昇任が早い。

「君のとこの課長さんがうちのOBらしいんだ」

「え?マジ?」

「ああ、マジだよ」

 ジョンは(何故か)得意げに、陣の隣で別の絨毯を見る。

「キレイな柄ね。そういえばあの課長さん、すぐに決済おろしてくれるのね」

 アミリアも絨毯を手に取り、しげしげと眺める。

「そうだよねぇ。二つ返事でOK出してくれて」

「急いでるときは助かるが……早すぎんのも問題があると思うんだよな、俺は……」

 陣は苦笑いしながら店を後にする。面倒なのか部下を信頼しているのか、どっちなのかはよくわからないが、内容をちゃんと確認してからサインをするべきだとは思う。あの人は。

「まあ何も進まないよりはいいんじゃない?あのままあそこに缶詰めになってたら、あなたもジョセフもストレス溜まっちゃうでしょ」

「アイゼンハワーねえ……」

 陣は後ろをちらりと見る。後方約五十mには、サングラスをかけたジョセフとその部下が。ちなみに前方約五十mにも別のMCS隊員がいる。人ごみに紛れているつもりらしいが、陣から見ればバレバレだ。

 MCPのバックアップということで、さっきからずっと護衛につかれている。余計なお世話だと断ったが、キタノ中隊長の命令だと、頑として聞こうとしなかった。

 ああ、うぜえ。

「もう、そんな顔しないの」

 左にいるアミリアが顔を覗き込んでくる。

「あー、すいませんーすいませんどうもー」

 陣は両手を頭の後ろにやり、ずかずかと歩みを進める。何とか撒けないだろうか、あいつら。

「でもまさか、あのアイゼンハワーがIT工学にも詳しいとはな」

「ええ。知らない人はけっこうびっくりするのよ」

「え⁉彼のこと知ってるのかい?陣」

 陣は右側を歩くジョンをジトリと見る。

「いや有名だろ。特殊武装を二つ持てるMCSにおいて、スリーブアローのみで戦う、百発百中狙撃の天才。二年前の連続通り魔ジャック・ザ・リッパーを仕留めたのもあいつ。その時の活躍で、イーストエンドの英雄って呼ばれてる」

「あっ!あぁ!イースターエッグの栄養ね!知ってる知ってる!」

 取り繕うジョンを陣は無視する。

「見たのは初めてだったが……まさか年下だったとはなあ」

「クラーク部長は、大学一緒だったんだよねえ」

 ジョンは待ってましたとばかりに、この話題に食いついてくる。

「ええ。そうよ。よく勉強教えてもらったりしてたわ。彼は主席だったの。そのせいで私はジョンと同じ、主席の一歩手前に」

「「ふーん」」

 男二人は声をそろえてため息をつく。

(気に食わねえ)勉強もできるのか。

(気に食わない)一緒に勉強してたのか。

 後ろでは、不穏なオーラを感じ取ったジョセフがサングラスの奥から怪訝そうな視線を向けていた。




 木下は相変わらずPCの画面にかじりついている。なぜこんな夜遅くまで作業を続けているのか。陣に追いつき、追い越すためだ。陣がいないからこそ、自分がこの事件を解決してやる。

「次、六人目行きます。アメリカ人で――遺体発見は昨日の午後二時。死亡推定時刻は――二日から三日前」

 先方から送られてきた検視結果を、スクロールして読み進めていく。次が最後、と言いながら延々と続ける部下に付き合う柴咲。木下の報告を聞きながらメモに取る。

「自宅に設置した自作ダイブ型装置を使用していたため、発見が遅れたそうです。発見者は家族、数日間部屋にこもりきりだったので怪しく思い、確認したところ……あっ」

 スクロールした先の画像に、木下は釘付けになる。

「なんだ、どうした」

 柴咲はメモを中断し、部下の背中越しにPCの画面を見る。木下は震える手で、PCの画面を指す。

「生体情報……合致……」




「んー、しかし……いざ来てみると、案外できること少なくてウズウズするね」

 ジョンは肩をぐるぐる回しながら言う。エネルギーが有り余っているようだ。

「もう少しバラけてみるかあ」

 陣は提案する。すでにAチームは三人と二人の二グループに分かれており、MCSもそれぞれについている。ここからさらに手分けして、より広範囲をカバーするのだ。

 アミリアもそのアイディアに頷き、無線でジョセフに呼びかける。

「そうね。どんな人を探すべきかもまだわからないし……とにかく広く浅く見てみましょう。ジョセフ、いったん集まってもらえるかしら。くじ引きでチーム分けを――」




「…………」

「…………」

「それじゃあ陣、ジョセフ、頑張ってね」

 そっぽを向き合う二人に手を振って、アミリアは申し訳なさそうに離れていく。対称に、ジョンはにんまりと笑って嫌味を言う。

「まあ陣、引き当てたものは仕方ないし、ね」

「うるせえ」

 お前だけには言われたくねえ。

 くじ引きにより、MCP一人、MCS一人の二人三チームに分かれたのだ。しかしよりによってジョセフを引き当てるとは……。

 陣はぶすっとして歩き出す。数歩遅れて、ジョセフがついてくる。

「…………」

 気に入らない陣は、歩幅を広げる。数歩後ろで、ジョセフも大股になる。

「ついてくんな」

 前を向いたまま、後ろにいるジョセフに言い放つ。

「違う、たまたま俺が進んでいる方向と同じなだけだ」

 ジョセフは冷静に返してくる。

「ちっ」

 それならば、と陣は小走りになる。数歩遅れて、ジョセフも駆け足気味になる

 命令に忠実とはいえ、変な言い訳をされては腹の虫がおさまらない。こちらは最初から必要ないと言っているのだ。

 陣はわざと急いでいるふりをして進んでいき、ぴたりと止まる。数歩後ろで立ち止まるジョセフ。

 そして、回れ右をして反対方向に歩き出す。

 立ち止まっているジョセフとすれ違うが、お互いに顔を見たりはしない。まっすぐ前を向き続けている。と、すれ違って数秒後、ジョセフも回れ右をしてついてくる。

「おい!」

 思わず立ち止まり、振り向いて唾を飛ばす。

「こんな動きまで『たまたま一緒』だとは言わせねえぞ!」

「俺の動きを他人に決められるいわれはない」

 ジョセフは相変わらずのポーカーフェイスで答える。陣はぎりぎりと歯ぎしりをして詰め寄っていく。

「キタノ隊長の命令で動いてんだろ。他人に強制されてるじゃねえか」

「それは仕事の一環だ」

「ならこれも仕事の一環ってことで、俺から離れろ。周りをうろつかれたら邪魔なんだよ」

「だから邪魔にならない距離を保っている」

「あ!今保ってるって言ったな!たまたまじゃねえじゃねえか。この嘘つき!アイゼンハワーの嘘つき!軍人の18番(おはこ)だな!戦略とか言ってごまかすなよ!」

「……何が気に入らない」

 心なしか、一瞬ジョセフの顔がしかめられた気がした。むしろここまで言い合って無表情を保っていられたら尊敬に値する。

「別に、特にお前がってわけじゃねえよ」

 陣は近づけていた顔を離し、腕組みをして答える。

「でもよ、お前ら殺気出しすぎなんだよ。一発でバレる。だから近くうろつくな」

 これは半分本音でもあった。せっかく変装してきた陣達の努力が水の泡になる。

「……?」

 ジョセフは少しだけ眉にしわを寄せ、自分の格好を確認している。

「見た目じゃねえよ。なんか、こう、オーラがなあ、殺気がムンムン出てんだよ」

「……ムンムン?」

 ものすごく真面目腐った顔でこちらを見てくる。なんだか悪いことをしてしまった感覚に陥り、陣は頭をかく。

「……英語圏じゃ伝わんねえかな。ムンムン。まあいいから、お前どっか行け。俺に護衛は必要ない」

「だが……」

「ほんとに要らねえんだよ。命令違反が気になるなら、アミリアとかジョンにでもついてりゃいい。もし死んでも文句は言わねえし、キタノ中隊長に怒られんなら俺がちゃんと説明する。だからどっか行ってくれ」




「きゃっ!」

 アミリアはその場で反射的に飛び上がる。周りにいる観光客や現地の人が、何事かとこちらを見てくる。数歩先を行く護衛のMCS隊員は懐に手を伸ばして身構えている。

 隊員に何でもない、とジェスチャーを送り――恥ずかしさでうつむきながら――再び歩き出す。

「もう!気配を消して近づくのやめてくれる?」

 左後方から音もなくやってきたジョセフに、アミリアは顔を真っ赤にして言う。犯人を捜すため臨戦態勢だというのに、いきなり背後から来られると『ただ驚いた』で済む問題ではない。もう少しで反撃するところだ。心臓が激しく動悸している。

「すまない。癖だ」

 ジョセフは真顔で謝罪してくる。

「どうしたの?陣が来るなって?」

「ああ」

 やっぱり。ため息をつくアミリア。

「もう、頑固なんだから、日本人は」

「日本人などという呼称は存在しない」

「知ってるわよ。よかったの?」

「命令はMCPの護衛だ。個人を特定してはいない」

どこまでも真面目一辺倒なジョセフに、アミリアはかぶりをふって聞き直す。

「違うわよ。……やっと会えたんでしょ?」

 その質問にジョセフは無言になる。真顔なのは変わらないが、どこか遠くを見て、考え込んでいるようだ。

「……やつを信頼してるんだな」

「え?」

「見ていればわかる」

「ええ。とびきり優秀だし。着眼点や発想が普通とは違うの」

 アミリアは弾んで答える。

「それはわかる。だが優秀さと誠実さは別だ」

「優秀だし誠実よ。人を助けるために全力だったもの」

「……そうか」

 ジョセフは納得がいかないようだ。大学で長く一緒だったアミリアには、無表情の中にもわずかな揺らぎがあると気付いている。

「やっぱり気になるの?どんな人か」

 聞かれたくない質問だったのか、ジョセフは再び無表情の仮面をかぶり、淡々と言う。

「やつがどんな人間なのかは関係ない。仕事に私情は持ち込まない。判断が鈍る」

「そういうところ、軍人ね」

「ああ」

「褒めてないわ」

 アミリアはやれやれと手をあげる。




 さて、ようやく自由になった。

 陣は軽くなった足取りでカイロの街をぐるぐる練り歩く。

 見たことのない青銅の容器、さっきとはまた違う絨毯、路上に並べられた飲食店の机……サイバー空間で食事をとる方法もあるにはあるが、今回はその準備をしていない。とりあえず歩き疲れたので座らせてもらう。

「はあ」

 徐々に夕焼けに沈んでいく街をぐるりと見まわし、頬杖をつく。大まかの場所が(たぶん)わかったとはいえ、どうやって犯人や爆発物を見つけるというのだ。この作業は砂漠の中で砂金の粒を探す、などという生易しいものではない。砂漠の中で、正体不明の宝石のかけらを探しているのだ。しかし何もせずに次の爆破を待つわけにもいかず……。

「どうしろって言うんだろうなぁ……」

 誰に言うわけでもなく、つぶやいてみる。

「ちょっとあんた、うちの席に勝手に座るんじゃないよ」

 店舗の方から声をかけられ、陣は渋い顔をする。ポケットの中からビットコインを取り出し――いつものコートとは違うので若干手間取ったが――声をかけてきた店主めがけて投げる。

 コインを受け取るなり、店主はにこやかになる。片手を上げて礼を伝え、もう一度街の方に視線を戻す陣だったが――。

 慌てて椅子から立てて立ち上がる。




「ようやく合致か。やるじゃねえか、木下」

 もうすぐ深夜一時を回ろうかと言う時、柴咲に背中を叩かれて木下は一気に目が覚める。いや、正直なところ、ようやく表示された《生体情報一致》の文字でとっくに目は覚めていた。覚めていだのだが、あまりの驚きと喜びで少し頭がショートしていたのだ。

「あざっす」

「よし、帰る前に最後、死者の情報を確認していこう。で、次どうするかまた明日考えよう。あぁ、もう今日か」

「はい!」

 よろこび勇んで。木下は画面に表示された死者の情報をスクロールして見ていく。

やっと見つかった被害者。いったいどんな人物なのだろうか。もし仕事をしていれば、あの日あの場所にいた理由がわかるかもしれない。それ以外にも、交友関係から犯人を割り出せるかもしれない――期待に胸を膨らませ、マウスのホイールをまわしていく。




 人ごみの中に、黒い帽子をとらえた。いつか見た、ヤンキースのキャップ――。

「ちょっとどいてくれ」

 陣は人波を押しのけ、かきわけ、進んでいく。

 黒帽子は300mほど先を歩いている。

「ちっ、すいません、通してください――」

 このままでは逃がしてしまう。ヤンキースのキャップというだけでは何の根拠もないが、陣の刑事としての勘が強烈な信号を発していた。

 あいつを、追え。

「アミリア!アミリア!聞いてるか!ジョンでもいい!」

 服の襟に忍ばせたマイクに向かって叫ぶ。周りは街の活気でがやがや騒がしく、ちょっとやそっとで黒帽子には気付かれない。

〘どうしたの?陣〙

 返答してきたのはアミリアだった。

「今黒いヤンキースのキャップを追ってる!犯人かどうかは分かんねえが……ホワイトハウスの現場にもいたやつだ。何か匂う」

〘場所はどこ?包囲するわ〙

〘僕も向かうよ〙

「とりあえず尾行して動きを見る。俺の座標を送るぞ!」

 陣は端末を操作し――いつも左腕につけている物を、警察だとバレないようにポケットに入れていたのだ――自分の位置情報をAチームに送信する。

「今ハーン・ハリーリに入った!ロストしないよう、周囲を固めてくれ」

〘了解〙

〘MCS隊員、被疑者の確保へ向かえ〙

 無線からはジョセフの声も聞こえてくる。

「違う!まだ犯人だと決まったわけじゃない!確保じゃなくて後をつけるんだ!」

 陣は慌てて叫ぶ。これだからMCSは。

 こいつを捕まえて、はい爆破が終わりました。MCS的にはそれでいいのかもしれない。しかし捜査はそんな結果論では成り立たないのだ。きちんとした証拠が無ければ……。

〘……了解。MCS各員、MCP捜査員の補助につけ〙

 まだこっちの言うことを聞いてくれるだけジョセフはマシかもしれない。陣はそんなことを考えながら黒帽子を追い続ける。

 ハーン・ハリーリはエジプト有数の観光名所だ。面白いイスラム建築の建物や、きらびやかな多くの商品が目玉だ。そのため観光客向けの店が多く、当然訪れる人も多い。

 加えて、この一角は複雑に道が入り組んでいて、まるで迷宮のようになっている。

 人でごった返す狭い迷路の中、陣は息を押し殺して黒帽子の後を追う。見失うまいと、人の壁を時にすり抜け、時にかき分け進み続ける。

「俺の位置情報を見てくれ。そこから進行方向に約五十m。黒いヤンキースのキャップをかぶったやつがいる。たぶん男だ」

 無線で逐次報告を入れながら何度も角を曲がり、歩き続ける。

〘こちらエドワード、ハーン・ハリーリに入った。武田巡査部長から見て西側だ〙

 MCS、ジョセフの部下から報告が入る。確か、一緒についていたのはジョンだったか。違う、エドワードがジョンについているのだ。

「ジョン、奴の姿が見えるか?」

〘あー、ちょっと待ってくれ、陣。僕は今……エドが入りやすいように人をかき分けていたんだ。だから今は……ちょっと遅れてる。ちょっとだけ、ほんとに〙

「……了解ぃ」

 唸るように言って、陣は追跡に戻る。頼むぜジョン。マジで。

 黒帽子はというと、まるで人ごみなどそこに存在しないかのように、するするとスムーズに歩いて行く。このままだと離されてしまうかもしれない。

「くそっ……誰か!俺の反対側に回り込めないか!」

〘こちらエドワード、まもなく武田部長の反対側にでる〙

 陣は迷う。MCSに任せても大丈夫だろうか――ジョンはまだか――しかしここで見失ったら――いや、尾行がバレたら――。

 その間に、黒帽子の反対側にエドワードの姿が見えてくる。やはり……このまま近づけば、確実に――

「待て!エドワード曹長、一旦下がってくれ!」

 とっさに無線を入れる陣だったが、エドワードは止まらない。

〘何でですか?俺がMCSだから?いい加減にしてください!こっちは真面目に仕事してるんですよ!〙

 逆に怒鳴り返し、エドワードは歩調を速める。

「クソッ、バカ!」

 陣は悪態をつき、再び無線で制止する。

「止まれ!エドワード曹長!止まれ!」

〘うるさい!あんたに命令されるいわれはない!〙

 目前で、エドワードが人波を大きくかき分けるのが見える。あんなに大きく動く一般人がいるか!

 陣は大きく叫びたいのをグッとこらえて、なんとか止められないかと無線を入れ続ける。

 しかし、エドワードは止まろうとしない。なんとかいいポジションをとろうと、ひたすらもがく。周りにいる人が押され、よろめき、不満そうな声を漏らし始める。

そして黒帽子との距離が二十mを切ったとき、ついに――


 ――ついに、ヤンキースのキャップのつばが、エドワードの方を向く。


 陣は息を飲む。

 

 エドワードが立ち止まる。その顔が、みるみる青ざめていく。


 気付かれた!


「バカやろおぉ!」

 陣が叫ぶより早く、黒帽子が走り出す。

「くそっ、なんでだ」

 エドワードは毒づき、あとを追う。黒帽子は進行方向から九十度右に向きを変え、ものすごいスピードで進んでいく。

 エドワードがただの一般人でないことに気付いとはいえ、なぜ逃げる。爆破テロの犯人なのか?やはりここで逃がすわけにはいかない。

「気付かれた!俺の位置から東に逃走!全員、ハーン・ハリーリの周辺を固めろ!アミリア!」

 陣は走りながら、無線で叫ぶ。

〘了解!ジョセフがそっちに向かったわ!〙

 くそっ、なんでMCSはいらない時ばかりこっちに来るんだ。

 心の中でMCSの発足から活躍と衰退まで、その全てを呪い、エドワードの後を追う。




 木下は被害者と判明した男性の情報を確認していく。

 住んでいるのは合衆国、ウィスコンシン州。四人家族の長男で、年齢は24歳。定職にはつかず、使用していたダイブは自作のもの。だからMCPがMP(メンタルパラドックス)を把握できていなかったのだ。発見者は家族。日時は事件発生から二日後となっている。一致したのは登録されていた生体情報とDNA、電子指紋と実際の指紋。

 一つずつ読み上げ、柴咲と共にメモに落としていく。さらにスクロールし、同じことを繰り返す。

「写真とかねえのか。被害者顔がつぶされてたんだろう。聞き込みの時に顔がわかった方が効率がいい」

「あ、はい。下まで一回見てみます」

 木下は一旦メモを中断し、書類データの一番下までスクロールしていく。大体の場合、死者の顔、全体、死因となる損傷があれば当該部位の写真がそれぞれ添付されているはずだ。

 コロコロとホイールを軽快に鳴らしながら下へ下へと降りていくと、白黒の文章から、鮮やかなカラー写真に切り替わる瞬間が訪れる。

「あっ、班長、ありましたよ」

 嬉しそうな声を出す木下につられ、柴咲もPCの画面をのぞき込む。

「これですよ。正面からとった顔写真が――」

 そう言って、木下は固まる。

「――……。えっ――?」




「くそ、全然進みやしねえ」

 数十m先を進む黒帽子とエドワード、その距離は徐々に狭まっているが、当分追いつけそうにない。

「ちくしょう!待てぇ!」

 エドワードも一生懸命追いかけているが、手を伸ばしてもすんでのところでかわされ続けている。そうこうしている間に、黒帽子は通りすがりの店の商品をわざとひっくり返し、行く手を阻んでくる。

 黄金に輝く貴金属、大きな球体のランプ、絨毯や皿まで地面に散乱し、商品の破片やそれらを避けようと慌てる人々で、ただでさえ狭い道が余計に通りにくくなる。香水ははじけるたびに強烈なにおいを辺りにまき散らし、ガラス細工は小さなきらめきとなってちらつく。

「どけ!道をあけろ!MCSだ!道を――」

 前を走るエドワードが大きな声で叫んでいる。もう隠す気もなくなったようだ。やる気があるのはいいことだが、頼むからそれ以上メチャクチャしないでほしい。

 地面に散乱した商品を避け、右往左往する人々を避け、陣は徐々にスピードを上げていく。

〘エド、そのまま追い続けろ、俺が挟み込む〙

 焦る耳に、ジョセフの無線が飛び込む。

 クソッ、これ以上余計なことは――。

 陣は焦り、さらにスピードを上げる。通行人と肩がぶつかり、よろめく。

「すまない!」

 叫び、体制を立て直す。もう一度、走り出す。左に曲がる時、壁に手をかけて引っ張るように加速する。


 ピリリリリリリリリ!


 こんな時に誰だ!スマホを鳴らすのは。今は出ている場合じゃない。陣は無視して走り続ける。


 ピリリリリリリリリ!


 スマホは鳴りやまない。うるさい!それどころじゃない!黒帽子は右に左に角を曲がり、商品を次々と倒し、放り投げ、時にはエドワードめがけて投げつけながら走る。


 ピリリリリリリリリ!


 エドワードが徐々に離されていく。あいつ、ここまでことをでかくするならせめて追いつけよ。


 ピリリリリリリリリ!


 壁に手を突き、流れ弾のように飛んできた皿をかがんでやり過ごす。


 ピリリリリリリリリ!


 うるさい!気が散る!

「あぁなんだぁ!こんな時に!」

 スマホを弾ませて手に取り、受話口に怒鳴りつける。

〘げっ、すんません!今忙しいすか⁉〙

「あぁ⁉キノか!」

 走りながらスマホを握り締める。

「今立て込んでんだ!なんだ!」

〘いや、それが大変なことが――〙

「なんだ!」

 大声で話す左耳、その反対の右耳にはジョセフの無線が入ってくる。

〘エド、その先の路地に追い込め。直線で狙撃する〙

 狙撃⁉何を考えているんだあいつは!影を感じて上を見上げると、ジョセフが屋根から屋根に飛び移っていくのが見える。先回りするつもりか。

〘俺も班長もわけわかんなくて――どうなってんのか〙

 黒帽子がT字路を左折し、長い直線に入る。

「だからなんだ!早く言え!」

 陣も急ぎ、左折する。目の前にはエドワード、その奥に黒帽子。そして100m先に――屋根の上で、スリーブアローを構えたジョセフ。

〘被害者がわかったんです!それで――〙

 木下の声を気持ち半分で聞きながら、陣は無線に向かって叫ぶ。

「やめろアイゼンハワー!撃つな!」

〘問題ない。俺なら他の人間に当てない〙

〘――それで、被害者の顔写真を見たんです――〙

「違うそうじゃない!まだ撃つな!」

〘このままでは逃げられる。スタン弾で動きを止める〙

〘――信じられないと思いますが、とにかく、聞いてください――〙

「やめろって言ってるんだ!」

〘射線上から退避しろ〙

 ジョセフが弓を引き絞るのが、遠くからでもはっきりと見える。

 エドワードが身をかがめ、まるでスローモーションのように、ジョセフの手が離れていく。

「やめろおおぉぉ!」


 高速の電磁矢が、黒帽子めがけて放たれる。

 

 スタン弾が最も効きやすい、頭部にめがけて一直線に。


 ――だが。


 男がとっさに頭をひねり――ありえないことに――矢をかわした。


 目標を失った矢はキャップのつばにあたり、男の頭からそれを吹き飛ばす。


 ――なぜ、男と断定できたのか。


 見えたからだ。顔が。


 陣は、その顔を見て立ち尽くす。


『――絶対に忘れないさ』


 そうとも、俺だって忘れるものか。

 この手をすり抜けるように逃げて行った、殺人鬼の顔。

 奇妙なほどスマートな顔。


〘同じなんです〙


 左耳では、木下が報告を続けている。その声は――なぜか――おびえたように震えている。


〘同じなんですよ――。被害者と、犯人の顔〙


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