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電脳戦争  作者: 影宮閃
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第六章 震撼

2063年 Google、MCSL(マクシル)、新接続方式を発表。今後数年以内に開発中の試験機を法人向けに提供すると発表。


2065年 Google、脳波による電脳空間没入デバイス「ダイブ」を発表。法人向けに開発者キットの配布開始。

      ダイブの提供を受けた各法人により、初期のサイバー空間構築が始動。当面はゲームやアミューズメント施設での活用を検討。


2066年 任天堂、グーグル及びMCSLとの共同開発により、サイバー空間でのアトラクション体験で得た五感の作用を電気信号に変換、脳波として送信することでリアルな追体験を可能に。


2068年 任天堂、開発した新技術をもとにリアルスポーツ体感ゲームを開発。東京ゲームショウにてVR,AR続くCRサイバーリアルとして発表。


第六章 震撼




十一月11日現地時間(ワシントンエリア)午後五時30分。MCP本部13階。

「えーっと」

 陣はアミリアのいる捜査一課Aブロックに向かう。

 柴咲からすでに礼は言っているはずだが、わざわざ管轄外の仕事を請け負ってくれたのだ。直接会いに行くのは社会人として当然の礼儀。それに、この時間なら通常業務は終了しているはずだ。迷惑も掛かるまい。

 扉を開け、中に入る。アミリアの机はたしか奥の方だった。キョロキョロと本部の仕事ぶりを観察しながら、歩いて向かう。

「んー……」

 整理整頓されたスペースにたどり着いたものの、アミリアの姿はない。せっかく持って来た土産の品を手のひらで転がす。さて、どうしたものか。ただのお礼に時間をとらせるのもどうかと思い、アポはとっていなかった。

 周りを見回しても知り合いがおらず、伝言は頼めない。仕方ないので書置きでも残そうと、万年筆を取り出すと――

「クラーク部長になにか?」

 ――背後から、声をかけられる。ブロンド髪の長身の男。

「あぁー、いや、少し捜査でお世話になりまして。お礼でもと」

 陣は左手の土産を右手の万年筆で示して答える。

「それは?」

 男も土産を指して聞く。

「特に深い意味は――菓子折りの一つでもと思いまして」

 それを聞き、男は訝しげな表情で首をかしげる。

「失礼ですが、クラーク部長とは……どういう関係で?」

「はい?」

 いきなり質問され、陣は戸惑う。関係もなにも、一昨日の夜――こっちでは昨日の朝だが――初めて会ったばかりだ。何のためにこんなことを聞かれるのか、判然としない。

「いや――、失礼。あなたこそ、どちら様で?」

「そんなことは関係ない。アミ……クラーク部長とはどんな関係か聞いているんです」

 男はなぜか執拗に同じことを聞いてくる。その態度に陣はいら立つ。初対面なのになんだこいつは。

「それはもう答えたでしょう、捜査でお世話になったと――」

「ではそれは何なんですか」

「だから!深い意味はないって言ってるじゃないですか」

「深い意味がないのにそんなものを」

「お世話になったからお礼をしたいってだけです!何言ってんですか!」

 同じことばかり聞いてくる。うっとおしい。というかこいつ――バカだぞ。

 陣がそう悟ったくらいで、アミリアが現れる。

「あら、武田巡査部長」

 太陽のように明るい笑顔で、バインダーを持って歩いて来る。

「ああ、先日はどうも。すいません、急にお邪魔して」

 陣は男の腕を振り払い、アミリアへ近づく。しかし、男は負けじと陣の前に回り込み、アミリアへの接近を阻む。

 陣が右へ避けようとすれば、男は左に動く。陣が左に動けば男は右に。何度繰り返しても同じ動作で阻まれる。

「……」

「……」

 二人して無言でにらみ合う。

「……何してるの?ジョン」

 バインダーを机に置いたアミリアが、怪訝そうな顔をする。ジョンと呼ばれた男は両手を上げ、じりじりと引き下がる。

 陣は男ににらみをきかせ、脇を通り抜ける。

「……彼は?」

 嫌みたっぷりに万年筆でジョンを指す。アミリアはバインダーを机の棚にしまい、右手で髪を耳にかける。

「ジョン・ブラウン、階級は巡査部長級。警察学校の同期なの」

「あぁ、そうなんですか。さぞかし……優秀なんでしょうね」

 陣は万年筆をくるくる回し、ジョンの顔を見やる。

「そうですとも、ええ。よくご存じで。どうも、ジョン・アーロン・ブラウンです」

 ジョンはニコニコと嬉しそうに笑って、陣の横に立つ。

「あなたのことを誤解していたのかも」

 急に態度を変えて、右手を差し出してくる。陣は(ジョンに見えない方向に)思いっきり嫌そうな顔をして、握手に応じる。振り向いた時の顔はもちろん笑顔だ。引きつってはいるが。

「ジョン、こちらジャパン支部の武田巡査部長」

「どう、も」

 陣は渋々挨拶を返す。

「あら、万年筆ね」

 アミリアは陣が右手に握っている万年筆に気付き、嬉しそうに笑う。

「柴咲警部補の教えね。私も一本、もってるわ」

「ええ、あまり多用はしませんが――」

 陣も嬉しそうに笑い、万年筆をポケットにしまう。

「知ってます。僕ももうすぐ買おうと思ってまして」

 なぜか割って入るジョン。アミリアと陣は彼を一瞥して話に入る。

「先日は――お世話になりました。無理なお願いを聞いていただいて、助かりました」

「ムリなお願い⁉」

 食いつくジョン。無視する陣。

「あれだけの事がだったんで……クラーク部長を満足させられると思ってたんですが、結局ただの不倫で終わってしまって、申し訳ありません」

「満足?不倫⁉申し訳ありません⁉どういうことだ!説明しろ!」

 ジョンの的外れな追及に、陣とアミリアはあっけにとられる。

「……はい?」

「ジョン、武田部長は例の殺人事件を担当されているの。私はその目撃情報の聴取を依頼されてたの」

「それなら自分でやればいい!なんで!わざわざ!」

「ジョン、その女性はこっちに住んでる人なの」

「そうですよね。クラーク部長なら優秀ですから、ちょちょいのちょいでしょう」

「…………」

 陣はうっとおしそうに首を振る。

「それがなかなか喋ってくれなくて」

「しゃべらないなんて怪しいやつだ!絶対なにかを知ってますよ、そいつ!ねえ!」

 よりによって陣に同意を求めてくる。

「で、その喋らない理由が、もう一人現場付近にいた男性との不倫だったの」

「ああ!それなら納得です。そう、不倫はね……なかなか言いづらい」

 ジョンはニコニコと笑って陣の肩を叩く。

「あっはっは。ほんと……笑える」

 最初の二秒だけ大笑いをしてあげて、陣はうなずく。

「でも、木下さん?だったかしら、大変だったみたいね」

「そうでしょう、そうでしょう。なにせ不倫ですから」

 もう陣もアミリアも拾わない。

「ええ、まさか身内からMP(メンタルパラドックス)を出してしまうとは、お恥ずかしい限りで」

「え⁉MP(メンタルパラドックス)⁉」

 相変わらずワンテンポ遅れるジョン。

「それだけ手ごわい相手ってことね。ただの人殺しじゃないわ」

「ええ、昨日班長ともその話になって……あっ、そうだ、これ、つまらないものですが」

 陣は土産のことを思い出して、手に持っていた丸いディスクを差し出す。

「あら、いいの?全然お力になれてないのに」

「いいえ、何もないなら何もないで調書にしとかないと。検事は身勝手なくせに細かいところうるさいですから」

「それは言えてるわ」

 アミリアはクスクス笑いながら、ディスクを受け取る。

「そちらにお茶うけを送ってますんで、ぜひ皆さんで」

「ありがとう、みんなでいただくわ」

 国境のないサイバー空間と、国境のある現実世界、その間を埋めるためのプレゼント方法がこれだ。現実世界の方には一番近い配送業者が実物を送り、サイバー空間ではその箱を開くプロダクトコードを渡す。受け取った方はダイビング終了後、届いたプレゼントにコードを入力して開く、という寸法だ。

 プロダクトコードの保存形式は様々だが、今回はかさばらず、しかし形として残るものとしてディスク型を選んだ。

実際にサイバー空間内でデータの整理にも使用できる、サファイヤ色にきらめくディスク。片手で持てるくらいで、少し厚みもある。今回は書いていないが、表面にメッセージを書いたりもできる。

「楽しみですねえ、ええ」

 ジョンも嬉しそうだ。その顔を見るとイラつくのは自分だけだろうか。陣はもやもやする。

「聴取事項はもうデータにまとめてあるわ。せっかくだし、直接お渡ししましょうか?」

 アミリアは机上のPCを立ち上げる。

「本当ですか?助かります」

「ちょっと待ってて、今出すから」

 カチカチとマウスをクリックして、保存した調書を探していくアミリア。陣はできるだけジョンの方を見ないように、おとなしく待つ。それにしてもいつまで隣にいるつもりなのだろうか。

 ジョンがどうやって部長に昇任し、本部(づき)になったのかあれこれ考えて時間をつぶしていると、かすかに、鈍く、低く、地鳴りのような音が聞こえる。ピクリと首を傾け、背後を見る陣。ジョンはなにも気付いていないようだ。鼻歌交じりにアミリアをじっと見つめている。アミリアの方は、陣の険しい表情にすぐ気付く。

「どうかしたの?」

「えっ?」

 話しかけられたと思ったジョンを放っておいて、陣は違和感を口にする。

「いや……今何か……」

 その時だった。

 グワアアァァン!

 遠くで、明らかに爆発とわかる音がする。

 反射的に窓の外を見ると、遠くで爆炎が上がるのが見える。

「おい!」

「なんだ!」

「伏せろ!」

 室内は大騒ぎになる。Aブロック以外の部屋からも悲鳴や大声が聞こえてきたくらいだ。

 数秒後、この場に被害が及ばないとわかると、今度は庁舎全体がしんと静まり返る。

「……」

「……」

 陣もアミリアも、呆然と窓の外を見つめているが――

「大変です!みなさん!爆発ですよ!」

 ――興奮した様子で叫ぶジョンの一言で、ハッと顔を見合わせる。

「車は!」

「地下に!」

 短い言葉で、お互い走り出す。

「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 ジョンもあわてて後を追う。

 部屋を飛び出すと、庁舎がひっくりかえったような大騒ぎになっている。各部屋から刑事が次々と飛び出し、指示や怒号がわんわんと響いてくる。

「あれ?エレベーターは向こうですよ?」

 後ろからジョンがひいひい言ってついてくるが、陣もアミリアも一目散に階段に向かう。こんな時にエレベーターを使っても余計に時間がかかるだけだ。

「木下!」

 階段を一段飛ばしで駆け下りながら、陣はスマホのワイヤレスイヤホンを右耳に押し当てる。優秀な部下は、急な呼び出しにも素早く応じる。

〘はい、武田部長。おはようございま――〙

「今すぐ通信指令に電話して、911通報を確認しろ!」

〘え?緊急通報ですか?〙

 出勤間もないのだろう、木下はあくび交じりに聞き返す。

「そうだ!ワシントンエリアの緊急通報を全部確認しろ!急げ!」

〘あっ、はい。わかりました〙

 情報収集は木下に任せ、陣はひたすら階段を駆け下りる。十階、九階、八階……三階まで降りた時――

〘武田部長!〙

「どこだ!」

 察しのいい部下は、一言で陣の要求する答えを理解する。

〘ホワイトハウスです!通報は八件、まだ増えてます!〙

「ホワイトハウスだあ⁉詳細は!」

 ホワイトハウスというフレーズに、前を走るアミリアの肩がビクン、と震える。

〘通報内容は要領を得てないのばっかりなんです、向こうも情報が錯綜してて――〙

「わかった!」

 陣は通話を乱暴に切り、さらに足を速める。

「クラーク部長、無線のリンクを!」

「ええ!」

 二人で左腕の端末を操作し、無線の周波数を合わせる。現場は絶対に混乱しているはずだ。いちいち電話で連絡などとれやしない。

 無線のリンク終了と同時にたどり着いた地下の駐車場。警察車両が所狭しと並べられている。パトカーに白バイ、特殊車両……アミリアは、100mほど先の真っ黒な覆面パトカーにキーを向ける。

 ランプが点滅し、ロックが解除される。

「俺が運転します!ナビってください!」

 陣は運転席に滑り込む。アミリアは無言でうなずき、助手席へ。

「ええ?手動運転ですか?」

 後部座席に乗り込んだジョンが心配そうな声を上げるが、陣は一蹴する。

「こんな状況で一般道がまともに機能するか!」

 エンジンをかけ、マニュアルモードを選択、サイドブレーキを解除して、アクセルを踏み込む。

「出口は左よ!」

 アミリアの言葉に素早く反応し、ハンドルを切る。後方では、少し遅れてほかのパトカーが次々と発信する。

 上り坂をフルスロットルで駆け上がり、MCP本部前に躍り出る。

 外は太陽が沈み始め、夕焼けに染まる一歩手前。

「200m進んで、右に曲がって!大きな道に出るわ」

 ギアチェンジをして、一気に加速する。

「そこの交差点よ!」

 またも素早く反応し、ハンドルを切って曲がるが……。陣は数十メートル行ったところでブレーキを踏む。

「ちっ、くそっ」

 大きな通りのずっと先には、逃げ惑うたくさんの人影が見える。車道にもあふれ、大渋滞が起きている。

「この先は駅か!」

「左に行きましょう!駅を迂回したほうが早いわ!」

 アミリアのアドバイスを聞くより早く、陣はハンドルを切っている。もう一度ローギアから踏み込み、ぐんぐん加速する。

 後方のパトカーたちはかまわず大通りに突っ込んでいくが、それらを置き去りにして陣はアクセルを踏み続ける。

 アミリアの指示を受け、400m進んだところで右に曲がる。車の通りはまばらだが、片側二車線の、これも大きな通り。

「公園が見えてくるから、その横を通って左折、対角線上に――」

「突っ切れるか?」

 アミリアは陣の質問に一瞬戸惑うが、すぐにうなずきを返す。

「ええ!」

 陣は車一台分ほどしかない公園の道に乗り込む。驚いて脇によける人々、そのまま進み、ロータリー状になった公園の中心を巧みなハンドルさばきで曲がり切る。

 ほとんどスピードを落とすことなく大通りに戻り、直進する。

「そのまま道なりに進んで。別の大きな道に合流するわ」

 言葉通り、右に曲がる交差点が見える。

「サイレンを!」

 合図とともに、アミリアはパトカーのサイレンをつける。陣はドリフトしながら交差点に進入し、見事に曲がり切る。

 こちらは駅に続く通りでない分、人が少ない。だが、それでも歩道には走って逃げてくる人が見える。

 ギアを上げ、ひた走る。最初は少なかった人も、目的地に近づくにつれ徐々に増えていく。怪我をして車道にうずくまる人まで出てきて、前を行く車が急ブレーキを踏む場面も見られる。陣はハンドルを右に左に切り返し、車や人をよけて前に進む。

「もうすぐよ!入り口は門で封鎖されているはずだから――」

 アミリアの言葉どおり、車で入るための入り口は閉じられている。何より、道端にうずくまる人が多すぎて、これ以上は車で進めない。なんだこの怪我人の数は。陣はブレーキを踏み、車を乱暴に止める。

 強烈なブレーキ音で周りの人だかりが少し崩れる。陣とアミリアは車から飛び出して、その隙間を縫うように走っていく。

 ホワイトハウスの敷地は柵でおおわれており、飛び越えて入ろうものなら大きな警報が鳴ってMCPとシークレットサービスに通報が行く。しかし、すでに敷地内の芝生にはたくさんの人が座ったり横たわったりして、地獄絵図と化している。歩けるものは何とか柵までたどり着き、外の人の力を借りて乗り越えようとしている。

そしてその人々の奥には――陣もアミリアも、ジョンでさえも言葉を失う。

 くすぶった黒煙、その下にはところどころが炎に包まれたホワイトハウス、だったもの……。


 ここまで見事な爆破は珍しいですね。

 

 陣は鈴木が言っていたことを思い出す。これは――認めたくないが、ホワイトハウスは見事に崩れ落ちている。

「そんな……」

 隣でアミリアが崩れ落ちる。陣には本土の人間の気持など詳しくは分からないが、それでも、ここを攻撃される意味は理解している。

「クラーク部長!」

 肩をゆすって名前を呼ぶが、アミリアは呆然としたまま動かない。

「クラーク部長!クラーク部長!」

 陣は繰り返し名前を呼ぶ。先ほどのパトカーたちは渋滞に捕まったのか、いまだに到着しない。シークレットサービスはなぜか出てこない。考えたくはないが、あのがれきの下にいる可能性もある。今はこの三人でできることをしなければならない。

「クラーク部長!……アミリア‼」

 ファーストネームを呼ばれ、アミリアはようやく陣の呼びかけに気付く。ほっとするのもつかの間、陣はアミリアに指示を出す。

「すぐに上に掛け合って、大統領の安全を確認してください。こっちにいるのかあっちにいるのか!生きてるなら避難は完了してるのか!」

「ええ……。ええ!そうね」

 アミリアは急いで端末を操作し始める。

 陣はそれを見るや否や、振り返って柵に飛びつく。そのまま反対側に飛び降り、左腕の端末を操作する。

「よし!行きましょう!犯人を捕まえなきゃ!」

 後ろからきたジョンが陣を追い抜いて行くが、陣は大声で呼び止める。

「ダメだ!怪我人を!」

「ええ⁉」

 ジョンを説得する時間も惜しい。今ここに何人の人間が倒れていると思っているんだ。芝生のあちこちが赤く染まり、火傷で皮膚が真っ赤になった者、がれきで腕を折った者、足を折った者は助けを借りてかろうじて歩いている。

 陣は左腕の端末からEDRを取り出す。片手で掴める赤、青、黒三色の注射器。そのうちの赤を掴むと、近くで倒れていた年配の女性に突き刺す。数秒で女性がよろよろと立ち上がるのを確認すると、赤を戻して破損修復データをチャージする。そのチャージを待つ間に青を取り出し、今度は足にガラス片が刺さった男性に近づく。ガラス片を引き抜き、痛みに絶叫する男性に青を突き刺す。

 男性が礼を言ってくるが、陣の耳には届かない。次に助けるべき人の事だけをひたすら考え続ける。後方では、遅れてやってきたパトカーのサイレンが、左の方ではジョンが怪我人の治療を行っているのがなんとなくわかる。

 家族で見学に来てはぐれたのだろう、火傷でずる向けになった顔を押さえて、独り泣いている子供を見つける。チャージが完了した赤を、痛くないように優しく刺してやる。子供は――情報量の多さでパンクしかけた頭では男女の別がもはやわからないが――キレイになった頬に涙をいっぱい流し、無言で陣の足元を指差す。

 少し後ろを見おろすと、この子の親だろうか、血だらけで倒れる女性が。背中はやけどでただれ、ガラス片が大量に刺さっている。陣は女性を仰向けに寝かせると、使い切った赤を戻し、すぐに青を刺す。

 しかし、何の反応もない。

 陣は負けじと黒を取り出し、心臓めがけて突き刺す。

 しかしやはり、何の手ごたえもない。

 子供は、よりいっそう大きく泣きながら、女性の手を握る。

 陣は黒を戻し、血がべっとりついた手で端末を操作する。手動でチャージを選択するとすぐさま取り出し、再度叩きつける。三度、四度、五度……殴りつけるように、深くまで届くように、突き刺す。

 くそっ!

 必死になりすぎて、自分ででついた悪態も聞こえない。高い耳鳴りだけが不気味に響く。もう一度。もう一度やれば――。

 ふと、異常な存在感に気付く。

 視界の端、芝生の向こう側、数十m離れたところ、崩れたホワイトハウスのすぐ近く――男が、立っている。

 男だと分かるのは、服装と体系からだ。顔は目深にかぶったヤンキースのキャップで見えない。着古した作業着風の上着、深い灰色のジーンズ。

 一見浮浪者に見えなくもないが、これだけ負傷者が多い中一人だけ全くの無傷。炎に包まれるホワイトハウスの残骸を眺めるその様は、明らかに普通ではない何かを放っている。

 野次馬か――。被害の状況を見に来ているのか――。犯人なのか――。いや、しかしこれほどの――。

 

 にやり。


 男が笑った。気がした。

 もちろん顔は見えない。しかしわかる。あいつは絶対に、こっちを見ていた。

 男はそのまま踵を返し、陣と反対方向、ホワイトハウスの向こう側へ歩いて行く。

「くっ」

 急ぎ立ち上がる陣だったが、足元で泣き続ける子どもを思い出し、踏みとどまる。あの男は、確実に何かある。しかし、警察官として怪我人を見捨てていくことは……。

 その場に立ち尽くして葛藤する中、陣の頭にあることが浮かび上がる。

 笑う男、崩れたホワイトハウス、本部から見た爆破、その前の――かすかな、地鳴り。

 陣は飛び跳ね、大急ぎで左腕の端末を操作する。まるで何かに追い立てられるように。

 そうだ、あの時――現状保存のデータにアクセスし、爆破時間までさかのぼる。端末上の画面で、がれきになったホワイトハウスが元に戻って行く。火が消え、煙が消え、真っ白な合衆国の誇りが復元されていく。

 完璧に元に戻ったホワイトハウス。しかし陣は逆再生を止めない。今陣達がいるのとは反対側、ホワイトハウスの表側へとカメラを向ける。

「はっ」

 画面上で起きたことに、陣は息を飲む。

 正面にも設置されている柵、その外側の舗装された道路が、砕け散っている。砕けた石の上には、折り重なるようにして倒れる人、人、人……。逆再生を進めていくと、三十秒ほどで人々は宙を舞い、がれきは再び道を舗装し、楽し気に観光する人々の流れを作り出す。

 爆発は一度では無かった。

 自分たちが見た爆破より、はるかに威力が小さい。しかし、あの時感じたわずかな地鳴りは、間違いなくこれだったのだ。

 なぜ二度に分けた……?

 …………二度?

 陣は、芝生に横たわる人々を呆然と見渡す。柵を乗り越えて入ってくるMCP、レスキュー隊員達を確認する。この広大な芝生は、まだホワイトハウスの敷地だ。

 自分の息が荒くなっていくのがわかる。嫌な直感のせいで、結論に達しかけている。最悪の結論に。


 三度目だ。


「逃げろおぉぉぉ!」

 陣はありったけの声で叫ぶ。この広い空間にどれだけ伝わるのかわからない。それでも声の限り叫ぶ。

 泣き続ける子どもを抱え上げ、耳につけた無線に向かって叫ぶ。

「アミリアぁ!」

〘何⁉〙

「今すぐMCP全隊を撤退させろ!」

〘全隊を⁉どうして?〙

「爆発は二回あった!俺たちが見たより前に、表側でも爆発があったんだ!三回目の可能性がある!今すぐ全員避難させろぉ!」

 返事を聞くことなく、陣は再び周りに叫ぶ。

「逃げろ!逃げるんだ!」

 ジョンが、MCPの隊員が、陣の警告を聞いて動き出している。それぞれ負傷者の手をとり、肩を貸して走り出す。

 だが、あきらかに数が足りない。ここにいる負傷者全員を救助するには、あまりに数が足りない。

 少なくとも、この子だけでも――。

 そう思って走り出そうとする陣だったが、いったん思いとどまる。

 時間が無いのは分かっている。だがせめて――陣は仰向けになった女性の首から、鈍く光るペンダントを引きちぎる――せめて、なにか残してやりたい。

 地面に戻ろうと暴れる子どもをしっかりと抱きかかえ――子供が「お母さん!」と叫ぶのに耳をふさいで――走り出す。

 恐怖で絶叫し、逃げ惑う人々。足を怪我し、助けてくれと叫ぶ人。それらをかき分け、追い越し、そして、置き去りにして……。陣は、ひたすら敷地の外へ向かう。

「武田部長!」

 柵にたどり着くと、向かい側にアミリアがいる。

 陣は子供を掲げ、柵の向こうに渡す。

「この子を!」

「任せろ!」

 先に避難していたジョンが、子供を受け取って抱きとめる。それを確認し、陣も急ぎ、柵に足をかける。

 背中に聞こえる助けの声を――歯を食いしばって――振り切った時。


 ドカアァァァァン!


 耳をつんざく音と、全身に強烈な衝撃を受ける。視界は光に覆われ、火傷するほどの熱が全身を包む。柵の頂上付近から地面に叩きつけられ、左半身と頭を強く打ち付ける。


「ガハッ」


 肺から押し出された空気を取り戻し、よろよろと立ち上がる。痛む全身をかばいながら、後ろを振り返る。


 間一髪逃れた爆発。その衝撃はすさまじいものだった。柵付近の芝生だけが残り、敷地中心部分には大きく、真っ黒な穴が。


 やられた。


 陣はがっくりとうなだれる。なぜ、もっと早く連続爆破の可能性に頭が回らなかったんだ。もっと早く気付けば、もっとたくさんの命を救えたのに。

 右後ろをちらりと見ると、ジョンもアミリアも、他のMCP職員も、先ほどまで芝生の中にいた人たちも、唖然として目の前の惨状を見つめている。数秒前まで自分たちがいた場所が、跡形もなく消え去ってしまった。物言えぬ恐怖で、全員が動けずにいた。

 そんな中、ジョンの腕から逃れた子供が、柵に走りよる。

「おい」

 力なく引き留める陣だったが、子供はその腕を振り払い、柵を両手でつかむ。そして、すすり泣く。徐々に大きな声で、徐々に激しく、真っ黒に空いた穴めがけて、泣き叫ぶ。

 支離滅裂で、何を言っているのかわからない。だが、魂を揺さぶる叫びの意味は分かる。


 陣は、その背中にペンダントを渡してやれなかった。


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