第三章 別件
2016年 ジャパン、陸上自衛隊の情報通信システムがサイバー攻撃を受ける。
米軍、脳とコンピューターを繋ぐためのインプラントの研究に6,200万ドルの予算を投入。
米FBI及びCIA、大統領選挙に影響を与えるため、ロシアがサイバー攻撃を実施したとの結論付けで一致。
2020年 北朝鮮、東京五輪の勘隙を狙い、ジャパンに対して大規模サイバー攻撃を敢行。
2025年 米ワシントン大学、脳波によるコンピューターの制御に成功。
同年、ワシントン大学メインサーバーがサイバー攻撃を受ける。
2029年 米FBI、ワシントン大学に対するサイバー攻撃を行ったとして、中国サイバー部隊十二名の実名と写真を公開。
2033年 中国軍、米NSFに対する大規模サイバー攻撃を開始。NSFの保有する機密情報の三割超が流出。
第三章 別件
十一月11日現地時間午前7時01分。MCPジャパン支部総括本部刑事部捜査一課。
「どういうことですか!」
電話がひっきりなしに鳴る忙しい朝。陣は部屋中に響き渡る勢いで机をたたく。
「言った通りだ」
負けじと柴咲も大きく唸る。
「被疑者の健康状態をかんがみ、早期に送致手続きをとれ――もう決まったんだよ」
「明日の朝でも送致は間に合います。もう一度検事にかけあって――」
「あぁ何度も言った!けどな!このままじゃ公判も維持できん。万が一MPでも起きてみろ、人権問題に火が付くだろうが」
「向こうでクラーク部長がもう一度聴取に向かってるころです!こっちもすぐに出ます!あと少しだけ――」
「もう留置は送致の手続きに入ってるんだよ!わざわざこっちで釈るんじゃなくて、検釈にして世論の的を買って出てくれてんだ!検察の思いもくみ取ってやるしかないだろう!」
身振り手振りを交えて訴えてみたが、男を釈放する流れはどうやら変えられないようだ。これが所謂法律の壁と言うやつだ。
陣は声にならないうめき声をあげ、右手で額を押さえる。
「くそ、キノ!没入準備急げ!」
「は、はい!」
出勤したばかりの木下は、持っていたコーヒーを乱暴に置いて走り出す。陣もトレンチコートを羽織り、追いかける。
「班長、行ってきます」
柴咲は無言でダイブルームの方を指差し、うなずいた。
「――で、どうするんですか」
サイバー空間内の検察庁庁舎。今回のように特殊な事情でサイバー空間内の身柄しか確保できなかった被疑者は、ここに送られてくる。本来はサイバー空間で逮捕した後、現実世界の身柄を確保、送致する検察庁も現実世界の方となる。今回が異例づくしなのだ。
「検釈にするなら、手続きが終わり次第そのまま出すんだろう。当然任意の取り調べに応じる義務はあるし、説得もするんだろうが……聞くような男じゃない。逃げるにきまってる」
陣は検察官の取調室めがけて、若干小走りになりながら早口でまくし立てる。
「だから釈放後、後を追う。奴がどのアクセスポイントから帰るのか知らねえが、使えば必ずログが残るんだ。そこから没入地点を割り出してやる」
「了解っす」
作戦を話しながら廊下の角を曲がると、アクセスポイントから出てきた男と鉢合わせる。このアクセスポイントは留置場と直通のものだ。男は前後を介護員に挟まれ、手錠をかけられている。
陣と木下は立ち止まり、こちらへ向かって歩いてくる男をにらみつける。その視線に気が付いたのか、男は陣の目の前で立ち止まる。そして、なめ回すようにジロジロと陣の顔を、陣の顔だけを見てくる。
「どこかで……お会いしたような」
男はわざとらしくゆっくりと喋り、間をためる。相変わらず気味の悪いぬらぬらとした声だ。
「ああ、お前を捕まえたからな」
陣はできる限り憎しみを込めて、吐き出すように返す。
「あぁ~」
男は(手錠で繋がれているため)両手を上げ、そうだそうだと人差し指で天を指す。
「この度はどうもお騒がせしました。アー、失礼。お名前を、知らないもので」
陣は男に近づき、至近距離でにらみを利かせる。
「武田だ。武田陣。階級は巡査部長。そのうち嫌でも思い出すようにしてやる」
男は全く意に介さず、わずか数センチ先の陣の目を真正面から見据える。奇妙なほどスマートな顔。おまけにへらへらと口の端をゆがませている。
「あぁなるほど……タケダ……巡査、部長!……ふん、ふあ。ご心配なく――」
そこまで言って、男はにんまりと笑い――
「――絶対に忘れないさ」
低く、小さな声で、しかし力強く、陣だけに聞こえるようにヒュウヒュウと告げた。
「おい、ほら」
前にいた介護員が手錠を引っ張り、男は引きずられるように調べ室に入っていく。
その間――扉の向こうに消えるまで――男は一瞬たりとも陣から目を離さない。へらへらした笑みを浮かべたまま目をギョロつかせ、首をくりゃりとひねり、陣の顔を凝視していた。
「気味悪い野郎っすね」
調べ室のドアが閉まるのを待って、木下が毒づく。
「……あぁ」
陣は男が消えて行った扉をじっと見つめ、そっけなく答える。頭の中で、男の言葉の意味を考えていた。
『絶対に忘れない』……?
逃げないつもりだろうか。いや、それならば調べに応じない理由がなくなる。
何も話そうとしない現場付近の男女、謎の注射器、破壊されたデータ……。
MCPに入って十年。今まで経験したことのない何かが近づいてきている。そんな気がした。
ピリリリリリリリリ!
陣の思考は、仕事用の着信音に遮られる。トレンチコートのポケットからMCP支給のスマホを取り出し、耳にあてる。
「はい武田――」
〘武田、緊急事態だ〙
電話の相手は柴咲。
〘すすきので爆破テロだ〙
「爆破ァ⁉」
思わず上げた大声に、木下が何事かとこちらを見てくる。陣は受話口を顔から離し、手短に告げる。
「すすきので爆破だ」
ゲエッという顔をする木下を置いて、通話に戻る。
「班長」
〘お前今検察庁だろう。悪いがすぐこっちまで来てくれ〙
「いや、でもこっちが――」
〘人一人殺したの騒ぎじゃなくなった。今わかってるだけでMPが23人、もっと増える。とにかく現場の人数が足りん〙
陣は思いっきり舌打ちをする。こんな時に限って本部扱いの事件。しかも被害者が多数と来た。いくら殺人犯を追う最中とは言え、放っては置けない。
「わかりました。班長、木下を置いて行きます。男を追わせます」
〘あー。そうだな、木下なら大丈夫だろう〙
「はい」
再び受話口を離し、木下に指示を飛ばす。
「キノ、俺は向こうの応援に行く。お前はあいつを追え」
「了解っす」
木下は緊張した顔でうなずく。陣もうなずいて、アクセスポイントに向かって歩きだす。
「無茶はすんなよ!」
言い忘れた注意を大声で飛ばし、再び通話に戻る。
「OKです」
〘いいか武田、すすきの駅は吹っ飛んじまってる。第三アクセスポイントは使えない〙
「一番近いのはどこですか」
〘あー、ちょっと待てよ……おい!残ってるアクセスポイントはどれだ?……第二?ああ。武田、すすきの第二アクセスポイントに来い〙
柴咲からの情報を頼りに、左腕の端末に目的地を入力する。すすきの第二アクセスポイント。
「了解です。すぐ行きます」
目的地の入力を終え、陣は走り出す。柴咲はそれを見越したかのように、警告してくる。
〘あぁ、あと気を付けろ。アクセスポイントのすぐ近くまで崩壊が進んでる。勢い余って飛び込むなよ〙