第十九章 そして
2222年 MCP、NYエリアから逃走した被疑者を北京エリアで確保。MCP本部へ連行する。
MCP本部が爆破される。ほぼ全ての職員がバックアップシステムにより帰還。間隙をつき、被疑者は逃亡する。
翌日、MCPは男が庁舎爆破の際に死亡していたと発表。連続爆破テロ終結。
時を同じくして、サイバー空間内に謎の空間が出現。MCPは、当該空間へのアクセスをしないよう注意勧告を出す。
2223年 MCPの警告を無視し、多くの人間が謎の空間に接続。三原則を無視した犯罪が横行、武器や覚せい剤の密輸をはじめ、徐々に正規のサイバー空間にも影響を及ぼし始める。
利用者は、同空間をディープウェブと呼称、名称、接続方法ともに大きく広まり、犯罪率が急激に増加。
各国、国家群政府はMCPの対応の遅れを非難。
第十九章 そして
「――で、辞めるのか」
柴咲は班長席に肘をついて、目の前の陣を眺める。陣は自分の席についたまま、寂しそうに笑う。
「結局俺――法律の壁は破れませんでした」
「言ったろうが。破るもんでも、超えるもんでもねえって。人間にできるのは、無視することくらいだ」
「でも俺……どっかで納得できなかったんすよ。きっと」
陣はため息をつくと、机の上の書類を持って立ち上がる。
「アミリアのこと、よろしくお願いします」
柴咲の机に近づいていく。
「葬儀やもろもろの経費は――班長の口座に振り込んでおきますんで」
「そこまでするなら自分でやれ。ったく……。ちゃんと、手書きしたか?」
柴咲は、差し出された辞表をジロリと見る。
「もちろん、お教え通り」
陣は仰々しく辞表を提出する。柴咲はそれをぶっきらぼうに受け取る。
「あと、これを木下に」
思い出したように、陣はポケットから万年筆を取り出す。柴咲に言われ、大金をはたいて買った高価なものだ。
「俺にはもう、必要ありませんから。あいつはこれから、使うことも増えるでしょう。そういう時に、心がこもった方がいい」
陣は笑って、万年筆を机の上に置く。
「いいのか、何も言わなくて」
「あいつはでっかくなりますよ。だから、俺みたいなのにつるまない方がいい」
「おいおい頼むぞ。お前みたいなのに暴れられたら、いったい誰が抑えるっていうんだ。ほどほどにしてくれ」
柴咲はうんざりとした表情で万年筆と辞表を並べる。陣は苦笑いし、捜査一課を後にする。
「班長」
出口に差し掛かったところで、陣は立ち止まる。ゆっくりと振り向き、ゆっくりと頭を下げていく。深く、深く。
「お世話になりました」
柴咲は無言で唸り、片手を振った。
「ああ!陣じゃないか。ちょっと待ってて……」
あわただしく動くジョンに、陣は声をかける。
「大丈夫か?ジョン。あれだったら出直すが……」
「いや、いいんだ。荷物を整理してた途中で……すぐに終わるよ」
「いやあ、案外片付かないものだねえ。サイバー空間内のものだけなら簡単なのに」
MCP本部の一階ロビー。ジョンはあせあせと頭をかく。
「それはそうとお前、再就職先は決まってんのか」
「うーん……。まだ何とも。とりあえず実家に帰ろうと思うけど、怒られるだろうなあ……」
「そりゃあな」
「親が農家やってるから、まずはそれを手伝いながら、次を見つけようと思ってるよ」
「そうか……なあ、ジョン」
「なんだい?」
「これを……」
陣はトレンチコートのポケットから、傷だらけのペンダントを取り出す。
「これ……あの時の子供のかい?」
「あぁ……。俺にはもう必要ないんだ。本土の子のだし、お前から返してやってくれないか」
「君から渡せばいいじゃないか。せっかく来たんだし――」
「――俺は英語、しゃべれないんだよ」
「……わかったよ。渡せば、いいんだね?」
「ああ。悪いな」
「いいよ。一緒に悪いことした仲じゃないか」
「うるせえ!変なこと言うな!」
「ごめんごめん。ああ陣!元気でね」
「おう。お前もな」
「よう」
陣はテニスコートにやってきた。
「……」
無言で振り向いたのは、ジョセフ。
「何だ、お前か」
「待ち合わせしといてそれはねえだろ」
「ふん」
「まあ、礼の一つも言ってやろうと思ってな。助かった。さんきゅう」
「礼など必要ない。あいつには大学時代も、二年前も世話になった。最後に、借りを返したかった……。まあ、それだけが理由ではないがな」
「ふーん……」
「八年前、俺は大学生だった……その日も、いつものように大学に行く途中だった」
ジョセフは突然、過去の話を始める。
「駅の構内で、突然大勢のMCSに囲まれた。銃を向けられ、膝まずけと言われた。当時の俺はまだ子供で、恐怖で、どうしていいかわからなくなった。そんな時だ。俺とたいして年も変わらないような、若い刑事が飛び込んできた。俺をかばい、負傷したにも関わらず、そいつは大声で叫んで俺を守り、そして――どこかへ走っていった」
陣は、気付かないふりをして、すました顔で聞き続けている。
「そいつはたぶん、そのことを覚えてないだろう。そいつの頭の中にあるのは、いつも救えなかった者のことばかりだ。救えたその他大勢のことなんか、見ちゃいない。だが――」
ジョセフは、今度は陣の目をはっきりと見て言う。
「――だが、八年ぶりに会ったそいつは、あの時と変わらない目をしていた。正義の塊みたいな目だ。それは今も……変わっていない」
陣は肩をすくめて、おどけて見せる。
「貴様がその信念を持ち続けていれば、きっとあいつも喜ぶだろう」
「そうだと、いーんだけど、な」
「俺が軍に入らなかったのは、貴様のせいだ。そのせいで親と変な確執が起きて、中途半端なMCSにとどまり……貴様だけあきらめたら、その時は殺してやる」
「お前ならなれるさ。いい刑事に」
「そんなことを言ってはいない」
陣は手を上げ、無言で話を切り上げる。そのままジョセフに背を向け、立ち去っていく。
「おい。立ち会わなくてよかったのか」
ジョセフは最後に、確認する。
陣は後ろ手に手を振り、テニスコートを去る。
ジョセフの言っていた確認とは、男の最後だ。
陣が逮捕し、連れ帰った男。しかし、過剰な暴力による逮捕行為は適法と認められず、また、ディープウェブで逮捕状の緊急執行が可能であるかどうかも、大きな議論の対象となった。
しかし、本来であれば釈放しなければならない案件にもかかわらず、本件に関して上が出した結論は、死刑。
法で裁ききれなかった大量殺人犯に上が出した答えは、皮肉にも法を超えた、超法規的措置だった。
当然陣は納得せず、抗議のため、本日執り行われる死刑の執行にも立ち会わなかった。
アミリアのために守った法に、最後に裏切られた。
八年前から今日まで、法に振り回された警察人生だった。あいつが言っていた〝足かせ〟というのも、案外間違っていないのかもしれない。
ちなみに、死刑の方法は、サイバー空間内で電気椅子につなぐ、というものらしい。結局ダイブ元を割り出すことができなかったため、こちらで執行するほかなかったのだ。
男は椅子の上に座らされ、両手両足を拘束されている。
周りでは、担当官が機器の最終チェックをしている。
「頼むよ。迅速に」
男は手かせを確認しに来た担当官に、にんまりと言う。誰もが無言で、手短に準備を進めていく。
執行室は六畳ほどの大きくない部屋で、椅子と、繋げられた電極があるくらいだ。男の右手側の壁は、ほぼ一面マジックミラーになっており、そこから誰かが見られるようになっている。
男はのっぺりとした銀の壁に笑顔を振りまいて見せるが、何の反応も返ってこない。やはり、つまらないものだ。巡査部長が一番よかったのに。
担当官たちは準備を終え、部屋から出ていく。
男は来たる衝撃に備え、全身にぐぅっと力をこめる。
――と、全身を貫くように、激しい痛みが走り出す。焼けるとも、刺されるとも表現できない、強烈な痛み。悶え、苦しみ、男の体が焼かれていく。
「あああ!ぎゃあああ!あああぁぁぁ!」
マジックミラー越しでも、その絶叫は聞こえてきた。
「あああああ!がああああ!うぇえああああああああああああああああああああああっはっはっはっ!」
ディープウェブ。事件から長い月日がたち、すでに新たな世界は多くの犯罪者が占拠し、根城を組み、新たな犯罪の温床となっていた。
「ひい!おい!こっちだ!」
裏路地を、走って逃げる三人の男。先頭を行く背の高い男は、右手に女を連れている。
「おい!早いって!」
「そうだ、もうだいぶ来た。あいつも撒いただろう。そろそろ休憩しよう」
後方が音を上げ、しぶしぶ、背の高い男も立ち止まる。
両側を高いアパートに囲まれた、薄暗い通り。三人の男と一人の女は、息を切らしてあたりをうかがう。
「ったく、いったいなんだって――」
「うわあ!」
突然、一人がアパートの切れ間に引きずり込まれる。残った二人の男は、女を守るように取り囲む。
「おい!ラリー⁉」
背の高い男が呼びかけるが、何の応答もない。
「おい……」
もう一人の、ニット帽をかぶった男が、上空を指す。背の高い男も、つられて上を見る。
そして、息をのむ。
上空から、誰かが降ってくる。いや、あれは人間じゃない。あんな高さから降ってきて、無事なわけがない!
しかし、その人物は着地とともにニット帽の男に突っ込む。
「ぐぁっ!」
高いところからの大きな質量を受け、ニット帽の男は地面に倒れる。
「ああ……」
背の高い男は、女の手を引いて逃げる。
空から降ってきた人物は――体系からして男だろうか――ニット帽の男を足場にして立ち上がる。
「おいおい、何だよ、来るな!来るなあ!」
背の高い男は、女の首根っこを掴み、その頭に銃を突きつける。
「この女だろう?え?さっきからあんたが追ってんのは。無傷で渡してほしかったら、それ以上近づくんじゃねえ!」
ッガァン!
響く銃声。空から来た男が、容赦なく背の高い男の右足を撃ったのだ。人質と重なっていたにも関わらず、寸分たがわず足を撃ち抜かれた。撃たれた方は、痛みにもがき、膝をつく。
「ああ……ああ!」
その一瞬の隙をつき、空から来た男は、巨大な右手で背の高い男の顔をむんずと掴む。
「うああああ!ああ!ああ!」
持ち上げられ、頭をつぶされる痛みに苦しむ男。何とか反撃しようと、空から来た男に銃を撃つ。が、その男は、ありえない反射速度で頭を左に傾け、弾丸をかわす。
「ああ!……うう、あんた……いったい何なんだ!」
空から来た男は、答えず、掴んでいた顔を放り投げる。地面を転がり、痛みにうめく背の高い男。その背に、電子音で加工された声が聞こえてくる。
〚もう二度と、この世界に足を踏み入れるな〛
「はあ、何だと⁉」
ッガァン!
「ああああ!」
反抗するや否や、容赦なく銃でもう片方の足を撃たれる。
「わかった、わかった……!わかったから、もう、許してくれ!」
空から来た男は、地面でのたうち回る背の高い男に近寄る。
〚二度とこの世界に来ないと誓うな?〛
「誓う!誓う誓う!何でもいい!だから、殺さないでくれえ!」
〚いいだろう。だが――次にこの世界で会えば、今度こそ殺す。いいな〛
その声は本気だった。冗談など、一ミリも含まれていない。逆らえば、躊躇なく殺されてしまうだろう。しかし、命には代えられない。背の高い男は、額いっぱいに汗を浮かべ、何度もうなずく。
「頼む、助けてくれ!足が!足が痛いんだ!」
空から来た男はため息をつき、ポケットから何かを取り出す。
〚どいつもこいつも、まだ死んじゃいないんだ〛
取り出したのは、真黒な、注射器のようなもの。三つもある。空から来た男は、それをアパートの切れ間と、後方のニット帽の男、そして背の高い男に投げつける。
体に刺さるや否や、注射器が男たちの体を修復していく。
〚気にするな。ただのデータだ〛
それだけ言うと、空から来た男は、踵を返して女の方に向き直る。三人の男たちは、情けなく悲鳴を上げ、方々へ逃げていく。
女はきれいな金髪をなびかせ、近づいてくる得体のしれない男から後ずさる。
〚ああ、そんなに逃げないで〛
電子音だが、どこか紳士的な男。女は、いぶかしげな眼で観察する。
「私、私知ってるわ。あなた……ディープガードナーって呼ばれてるんでしょ。みんなが言ってた。商売の邪魔だ、って」
ディープガードナーと呼ばれた男は、顎を手に乗せ、考え込むように首をひねる。
「私の仕事を邪魔しに来たの?それとも、あいつらの代わりに、あなたが私を買ってくれるの?それより、あなた一体何者なの?どこから来て――名前は?」
女の質問に、男は正面から答える。
〚名前、か……正直、名前はもう、あまり意味を持たない〛
わけのわからない言葉を口走る男に、女はさらに後ずさる。男は逃げられまいと、慌てて優しく声をかける。
〚ああ、心配しないで、アミリア・ケイティ・クラーク。私はあなたの味方です〛
なぜか自分の名前を知っている男に、アミリアは驚きを隠せない。驚愕のまなざしで、男の顔を見つめる。
しかし、その顔は鋭角的なシルバーの仮面に覆われていて、素顔を確認することができない。
いったい、何者なの……?
その疑問に答えるかのように、男はメカニカルな仮面に手を伸ばす。手の動きに合わせて、仮面はひとりでに動いていく。機械的な音を立てながら変形し、顔の中央部分に、片手で掴めるくらいの形だけを残す。
男は小さくなった仮面を、ボウルナックルを外した右手で掴み取る。
素顔を表し、真っ直ぐとアミリアを見て、頷き、武田陣は、優しく微笑む。
「助けに来た」
2223年 ディープウェブに、ディープガードナーが現れる。