第十六章 整理
2168年 MCP発足から二年がたつも、テロの発生は収まらず、治安維持のため、各国のサイバー軍から選出されたメンバーによる、暴動鎮圧部隊を創設。MCPの指揮下で活動を開始。
2170年 暴動鎮圧部隊、より迅速な対応のため、MCPの指揮系統から外れ、多国籍電脳空間治安維持部隊(MCS)として独立。
エドワード・クラーク博士の玄孫、ビル・クラーク、国連の要請でバックアップシステムを開発。
2171年 MCSの働きにより、サイバー空間内のテロ、暴動は前年比で八割減。
2172年 テロ、暴動は下火に。国連、MCSの影響力を鑑み、今後二十年は組織を維持する決定を下す。
MCP,サイバー空間内の凶器使用の許可制度導入を提言。国連の採択でサイバー空間の法として組み込まれる。
第十六章 整理
誰もいない捜査一課Aブロック。爆破で窓ガラスは割れ、壊れたブラインドが垂れ下がっている。
その一角、来客者用のスペースで陣は一人たたずんでいる。
ずらりと椅子が並べられただけの、簡素な部屋。あの時と同じ、陣のほかには誰もいない。
捜査員の部屋につながるドアを見てみる。
あの時、いきなり女性の捜査員が出てきてびっくりした。しかもとびきりの美人で――そうだ、初めてあったときから綺麗な人だと思ったものだ。
ドアをくぐり、中に入る。一番奥の、アミリア・クラークの執務席に歩いていく。
捜査協力の礼を言おうとして、彼女の席を探して歩いた。今では、その位置が手に取るようにわかる。
椅子がどこかに吹っ飛んでしまい、机だけが残されたアミリアのデスク。
埃や細かい破片で埋め尽くされた机の上を、陣は名残惜しそうになでる。
何か残っている物は無いかと、机の引き出しを順番に空けていく。と――。
あの男を調べる前、アミリアがお盆に乗せていたディスクが出てくる。
陣はおそるおそる、ディスクを手に取る。引き出しの中にあったおかげで、無事だったのだ。
これは――。
彼女に礼を言いに来たとき、陣が渡したものだ。サイバー空間独特のプレゼント方法。プロダクトコードを記録したディスク。もちろん、使用後は通常の記録媒体としても使用可能だ。
陣はディスク表面に書かれている、女性特有の丸っこい字を、親指の腹で愛おしそうに撫でる。
Dear Jin
陣へ。
そのたった一言。
それでも、陣の心を奮い立たせるには十分だった。
彼女から陣へ、残された言葉がちゃんとあったから。
「やあ陣……君も、来てたのかい」
いつの間にか、隣にジョンが来ている。あの時、アミリアに礼を言おうとして、ジョンにジャマされたっけ。
思えば、あの時に感じていたイラだちは、嫉妬に近かったような気がする。ほとんど一目惚れみたいなものだったのだ。
ジョンは床に散乱しているがれきをかき分け、何かを拾い上げる。大事そうにそれを持ち、かかった埃を手で払う。
「不思議だよね。ただのデータなのに」
払ったことで埃が舞い、ジョンは少し顔をしかめる。
「現状保存を確認すれば、その地点の、まっさらな状態の部屋を再構築できるのに――この状況を見ると、なぜだか悲しくて……」
「それは……」
たまらず、陣も口を開く。
「それは、戻らないものがあるからだ」
ジョンは陣の言葉の意味を理解し、押し黙る。手に持っていた何か――おそらく写真立てのようなものだが――を机の上に置き、一息、息を付く。
「僕がここへ始めて来た時――今年の四月だったけど――まさにここの、クラーク部長の隣の席になったんだ」
ジョンの突然の思いで話。陣は黙って聞く。
「ラッキーだと思ったよ。毎日こんな美人の顔を見ながら仕事できるなんて。ここは僕にとって特等席だった」
自分の机、そしてアミリアの机を交互に、うれしそうに眺めるジョン。
「僕は仕事に慣れてなくてね、ブライアン警部に怒られてばっかりだった。クラーク部長は、何度も助けてくれたよ。わかんないことは全部教えてくれて。一緒に残業してくれて……」
次第に、ジョンの表情は曇っていく。
「でも十一月になったとたん、君が来た。それからクラーク部長は君に夢中さ。君の話ばっかりして、君と一緒に仕事ができるって決まった日には、もう、大喜びさ。そしていつの間にか、彼女の隣は君の席になっていたよ」
ふう、と息をはき、ジョンはもう一度机に置いた写真立てを手に取る。
「でも、だからこそ――彼女は幸せだったと思う。君に会えて。君といられて」
ジョンは――最後は笑って――写真立てを机の上にきちんと立てかける。その写真がなんなのか、陣には見えない。
「あぁ。ありがとう、ジョン」
ジョンは笑顔で何度も頷き、壊れた部屋をぐるりと見回す。
陣もつられて部屋の状況を観察していると、おもむろに、ジョンが口を開く。
「陣。君は拒否してるそうだね。クラーク部長の遺体の引き取りを。彼女は父親と仲が悪いんだ。父親に引き取られるくらいなら、君のところに行きたいと思ってるはずだよ」
「引き取りはした。俺の名義で。ただその後、俺の名義から班長の名義に変えてある」
「なんで?」
「色々とよくないと思ったんだ。今後のことを考えると」
「そんなことだろうと思っていた」
突然、来客用控え室の方からジョセフがやってくる。
「貴様、何をするつもりだ」
「……俺の問題だ」
目を伏せる陣に、ジョセフはギラリと目を向ける。
「そうやって言うなら別にいい。俺には俺の問題がある」
「やめろジョセフ、そういうのは」
陣は右手を挙げ、ジョセフを制する。しかしジョセフは、陣の制止を聞かずに後悔を口にする。
「俺があの時、躊躇せず撃っていれば、アミリアを救えた」
その言葉に、ジョンも自ら悔やんでいることを打ち明ける。
「それを言うなら僕だって!あの時調べ室に入ったのが僕だったら、クラーク部長は連れて行かれなかった」
「やめろ!」
大声を上げる陣に、二人は注目する。
二人の視線を一手に集め、陣は気まずそうにとぼとぼと言う。
「後ろ向きに振り返るのはやめろ」
それは、アミリアに言われたことだったから。
「アミリアは……死んだんだ。もう……」
三人ともうつむく。しばらくの間沈黙が流れる。
二人は、陣が言い出すのを待っているようだった。
しかたなく、陣は重たくなった空気の中、自分の思いをぽつぽつと語り出す。
「確かにアミリアは死んだ。俺が引き取った遺体に何をしたって、もう二度と目を覚まさない。バックアップのデータを取り戻したって、もう脳には戻せない。でも、じゃあ、あいつが持って行ったアミリアの記憶はどうなる?」
これは、単なるデータの話ではない。愛した者の魂がどこに宿っているのか。陣には痛いほどよくわかっていた。
「あの記憶は、アミリアじゃないのか?ただのバックアップか?ただのデータか?そうじゃないだろ!あれは……っ、あれだって、アミリア・クラークだ!あんなやつに取らせたまま、好き勝手させるもんか!絶対に……絶対に、助け出す」
最後は、自分自身に言い聞かせるように言った。
その決意を聞き、二人は顔をあげる。
「フン。結局考えていることは同じか」
「だから僕は言ったんだよ、ジョセフ」
不適に笑う二人を見て、陣は戸惑う。
「ダメだ。俺がやろうとしてることは、法に反する」
「だったらなんだ。貴様は愛する女が法の向こう側にいたらあきらめるのか。助けるのに法がジャマなら、そんなくだらない壁、壊してしまえ」
初めて、無口な男が熱い表情で語った。聞き分けのない陣を突き動かすように。
「ジョセフ……?」
ジョンも、ともに戦ってきた仲間を助けるため、後押しをする。
「第一、君一人でどうやってあの世界にたどり着くつもりなんだい?NYMCPの守りは強固だよ。僕が突破のために力を貸してあげよう」
「いや、ジョン、気持ちはうれしいが……」
どれだけ言っても聞かない陣に、ジョセフはどこかで聞いたセリフを放つ。
「なら別にいい。貴様一人でいけ。そもそも俺は力を貸すつもりはない。たまたま貴様と進む方向が同じなだけだ」
「それいいね!僕も同じ方向に進むとしよう。たまたまね」
顔を見合わせて、笑うジョンとジョセフ。
それを見て、嬉しかったのか、あきらめたのか、やれやれと笑う陣。
「お前ら……ふう。わかった。俺は一つーー片づけなきゃいけないことがある。三十分くれ。その後、出発だ」
「わかったよ」
「了解」
「言っとくが――もし捕まったら、俺はお前達にそそのかされたって言うからな」
陣はディスクを机の上にそっと置く。
「ああ!なんという薄情者だ!日本人の風上にも置けないねえ」
ジョンはディスクの隣に、写真立てをうつ伏せにして置く。
「日本人などと言う呼称は存在しない」
ジョセフは、ポケットからキーホルダーを取り出す。最後に四人で出かけたとき、同じ学部のよしみにアミリアが買ってくれたものだ。それを二人と同じように、机の上に並べて置く。
「うるせえ、サムライバカにすんな。見てろよ」
言い合いながら、三人の男たちは捜査一課Aブロックを後にする。
それぞれの想いを胸に秘め。
木下は無言で調べ室にいる。机の前に立たされ、じっと沈黙に耐えている。目の前の椅子には陣が、斜めに腰かけ、左ひじで頬杖ををついて壁を見つめている。
バックアップの精密検査もそこそこに呼び出され、すでにこの状態で十分はたっている。しかし陣はピクリとも動かない。負のオーラが、狭い調べ室にこんこんと溜まっていく。
「あの……」
我慢できなくなって、木下が口を開く。その瞬間陣は頬杖をやめ、そのまま左手で机を叩きつける。大きな音に木下はビクつく。
「説教だ」
陣は冷たく言う。壁から目を離し、青ざめた部下を見る。
「お前と組んで半年以上たつけどよ。こんなに失望したこたあねえぞ」
「あっ、えっ、すいません。あいつ逃がして……」
木下は慌てて頭を下げる。陣の大切な人を連れていかれたのだ。怒られて当然だ――だが、予想以上の威圧感に心臓が縮こまる。こんなに怒られるのは初めてだ。
「ああそうだ、だから説教だ。お前は何にもわかってねえ」
陣は体を正面に向け、うつむく木下をにらみつける。
「はい。すいませ――」
「いいや、お前は分かってない」
陣は鋭く遮る。
「えっ?」
木下は思わず上司の顔を仰ぐ。どういうことだろうか。恐怖心と共に、疑問符が頭の中に浮かびあがる。
「なんで引かなかった」
やはり鋭く、困惑する木下を撃ち抜くように、陣は言う。
「――えっ?」
「なんで引かなかった!」
陣は大声で怒鳴りつける。怒りにわなわなと震え、今や木下に掴みかからんと立ち上がっている。
「え?いや、だって――」
「お前はその辺でタラタラしてる馬鹿どもとは違う!人質をとられて!応援も来ねえ!相手は得体の知れねえ殺人鬼!あの状況で引かなきゃならねえのは分かってただろうが!アミリアだって!そう言ったはずだ!」
陣は何度も机をたたき、目をひんむいて怒鳴り続ける。
「はい。でも――」
「座れ!おらぁ!」
「痛っ」
陣は木下の首をむんずと掴み、無理やり椅子に座らせる。何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、反対側に再度座る。
「お前、犯人捕まえんのが一番大事だと思ってんだろ。被害者助けるためなら、命なんか惜しくないって思ってんだろ」
先ほどと打って変わって、陣は静かに言う。
「……はい」
「そんなくだらねえ正義感、捨てちまえ」
陣は静かなまま、ばっさり言い捨てる。
「周りを見てみろ、そんな正義感持って仕事してる奴なんかほとんどいねえ。そんなもん持ってるとなあ、いつかホントに死んじまうぞ」
「――でも、あそこであきらめて、クラーク部長が……」
木下は食い下がる。しかし、陣はその主張を認めない。
「そういうのはな、自分でちゃんとけじめをつけられるようになってから言え。自分の身も守れねえやつが、他人を守れるかよ。お前は別にCBTの成績が悪いわけでもない。前、男を追わせて死なせたのは俺の判断ミスだが、今回のは完全にお前のミスだ。二度とすんな」
「……はい」
「はあ」
現実世界に戻った木下は自分の席に戻り、缶コーヒーを右手で転がす。
男を逃がしたことも、アミリアを救えなかったことも、怒られたこともショックだ。
まだ若手だった自分を引き抜いて、捜査一課で鍛え上げてくれたのが陣だ。いつもその期待に応えようと奮闘していた。だからこそ、恩師の大切な人を守れなかったのは本当にショックだ。その上、失望までさせてしまうとは。
やりきれなくなって、冷たくなった缶コーヒーを意味もなく見つめてみる。どうすればよかったのだろうか。あいつを逃がすこともできず、アミリアを見殺しにすることもできず、ある意味自分には選択の余地がなかった気がする。それこそ、陣だったらどうしていたか……。ダメだ、考えてもわからない
あきらめ、独り、帰り道につく。バックアップという大きな影響を受けたので、いったん帰って寝ろと言われたのだ。さすがにもう反抗する元気もなくなり、とぼとぼと庁舎を後にする。
「おい、悩んでるな若者」
庁舎を出て数歩歩いたところで、後ろから呼び止められる。振り向いた先にいたのは……柴咲だった。
「まあたまには付き合えや」
「はあ……でもここ喫茶店ですよ」
木下は居心地が悪くなって、身を縮こませる。こんないかついおっさんと二人、レトロな喫茶店に向かい合って座るなど正気の沙汰ではない。
「コーヒー、冷たかっただろ」
「え?あっ。あぁ。そうですね」
「好きなの飲め。別にコーヒーじゃなくてもいい」
「……ごちそうになります」
柴咲からメニューを渡され、木下はぺこりと頭を下げる。
「ずいぶん絞られたなあ」
「……はい」
店員の持って来たコーヒーをすすりながら、バツが悪そうに答える。
「まあ、あいつの気持もわかってやってくれ。お前のこと心配してたんだ」
「はあ」
「あいつだって、いっぱいいっぱいのはずなのにな。それでも、上司として大事なことを伝えたかったんだろ」
「でも班長、俺言われたんすよ?『そんなくだらない正義感捨てちまえ』って――いくら何でもひどくないっすか?」
正義感を捨てろ。その言葉に、柴咲はピタリと止まる。
「あー。そうか。そんなこと言われたか」
真面目な顔をして、喫茶店の窓からじっと外を見ている。
「あいつはなあ。不器用だからうまく言えなかったんだ」
木下は黙って聞く。
「お前のことはいつも褒めてたよ。優秀だ、頭が切れる、将来MCPを背負って立つ奴だ、って。今回の件だって、自分が普段からプレッシャーけてたから、あいつは命張る羽目になったんです。って。自分もしんどいのに、お前の心配して。それくらい、お前のこと大事に思ってんだよ。だから、これ以上無茶しねえようにクギ指したかったんだろ」
柴咲は深く呼吸し、陣の本心を木下に説明し続ける。
「あいつの言いたかったのはな……単純に正義を捨てろって話じゃねえ。それは手段であって、あいつの言いたい結論じゃねえ。いいか……この先何年も刑事やってるとよ、いつか壁にぶち当たるんだ。どーしようもない壁に。あの男を初めて捕まえた時、釈放する羽目になったろう。ああいう、法律の壁だ。もしあの時釈放してなければ、ってどうしても考えちまうだろ。今の状況を見ると」
木下は無言で頷く。
「そういう時に、どうするかなんだ。あいつは若いころ、それこそ正義の塊みたいなやつだった。突っ走ってた。そして今のお前みたいに、壁にぶち当たって、挫折した。普通ならそこで社会の仕組み、限界ってのに気付いて、職業としての刑事になるもんだ。本来それが正しい。家族、子供を養って、親を送り出す。大人としての責任を負うには、社会人としてはそれが正しい。警察じゃなくても、理想を押し殺して、日々を過ごすために働くのが大人ってもんだ。みんなそうやって生きてる」
柴咲は年季の入った顔にしわを刻ませる。陣の過去、現在、未来を案じているような表情だ。
「でもあいつは、正義を捨てなかった。そのせいで、八年前のあの事件以来、抜け殻みたいになっちまって――捕まえても捕まえても満足しねえんだろうな。ずーっと捜査一課だ。見方によっちゃ廃人だ」
少し間を取り、柴咲は木下をまっすぐ見る。
「怖えだろ、正義捨てんの」
その言葉に、木下は顔を上げて柴咲の目を見る。柴咲は、深い、憂いに満ちた目で木下を真っ直ぐ射抜く。
「若いときはみんなそうさ。でもよ、捨てた方がいいこともある。今のまま捨てなかったら……究極は死ぬか、あいつみたいに廃人になるか、そのどっちかだ。お前そんな人生どうだ」
答えを待たない疑問を投げかけ、柴咲は結論を口にする。
「仕事のために生きるなんてやめろ。俺みたいになるな。お前には家庭を持って、出世して、幸せになる未来がある。お前が将来有望だからこそ、な。あいつはそう言いたいのさ」
柴咲のおかげで、陣の言いたかったことはなんとなくわかった。だが、頭で理解するのと納得するのは別物だ。
「あの!」
木下はつい大声を上げる。話を中断するような形になってしまい、柴咲は少しうんざりした表情を見せる。だが、きちんと聞き返してくれる。
「なんだ」
「それでも……それでも!正義を捨てたくないって時は、どうしたらいいんですか?」
木下はどうしてもあきらめたくない。正義を捨ててしまえば、警察になった意味が消失する。そんな感じがしてならないのだ。
「二つだ」
悩む木下に、柴咲は答えを突きつける。
「はい?」
どちらも、選択して欲しくない答えだ。
「警察をやめて、法に縛られずに悪を討つか。力をつけて、組織や法そのものを変えるか……でもな、警察をやめれば、それはもう犯罪者と変わりない。逆に追われる立場になる。かと言って、組織や法を変えようとすれば、汚い人間関係や汚職に手を染め、根回しする羽目になる。職場中敵だらけだ。どっちの道を選ぶにしても、死ぬまで己の正義を貫く信念を持ってなきゃならねえ」
部下の一人は、正義を捨てきれず、すでに片方を選択してしまった。柴咲は再び窓の外見て、寂しそうにつぶやく。
「それだけの覚悟があるなら、胸張って、自信持って正義を語りゃあいい」