第十五章 狙い
2153年 ジャパン警察が州警察へ、同時にFBIの電脳犯罪対策課が独立、環太平洋国家群内のサイバー空間秩序維持のため、環太平洋電脳警察としてNYに本部が設置される。
2162年 ジャパン、日本独立をうたう極右組織がサイバー空間内でテロを敢行。環太平洋電脳警察の装備、人員では抑えきれず、米国サイバー軍が出動。
2165年 他の国家群でも、政治、経済への不満からテロが頻発。各国家群は国境なきサイバー空間の取り締まりを強化、円滑化するため、各警察機関の統合を進める。
2166年 多国籍電脳空間警察(MCP)発足。米国、ワシントンに本部が設置される。
第十五章 狙い
「弟……?アミリアの……?」
陣はジョセフの言葉を飲み込めない。いきなり何の冗談を言っているのだ。名前だって――。
「クラークじゃないじゃないか。何で――」
「俺も大学時代に話を聞いたくらいだが……。アミリアの父親はMCSLのオーウェン・クラーク博士だ。クラークの直系だ。直系だぞ!わかるだろう。後継者が必要なんだ。アミリアも、弟のトムも、幼少期から厳しい教育環境に置かれていた。それが嫌になって、アミリアはあえてMCPに就職したんだ」
まさかそんな、クラークの直系だったなんて……。現代において、クラークの名前を知らない人間など存在しない。サイバー空間三原則を唱えたクラーク博士に始まり――その息子を除いて――直系の子孫たちは全員、何かしらサイバー空間のための発明品を開発してきたのだ。歴史の授業で嫌というほど耳にする名前だ。
「アミリアの母親はそんな教育方針に反対し、アミリアが中校生の時に離婚している。その際、娘の親権は父親が。息子の親権は母親が、それぞれ持つようになったと聞いている」
「だからだ――」
陣は額を抑える。八年前、一緒に捜査した金髪の、美人の警部補が頭に浮かぶ。三十代にしか見えなかったのに、四十そこそこだと聞いて驚いた記憶がある。
「班長が言ってた。八年前一緒に捜査した警部補の娘だって……スーザン・ケイン警部補だ……思い出した。だから気付かなかったんだ……」
「でも、そんなことって……」
絶句している木下に、陣は――自分でも認めたくない――事実を口にする。
「クラーク家の人間なら、これだけのことができても不思議じゃない。メンテナンスの仕事で基盤データにアクセス可能。爆発物を仕込むタイミングはいつでも会った。そしてそこで知り合った、自作のダイブを使用している同僚。とてつもなく高度な設計の道具を作り出す能力。こいつだ。こいつが――」
こいつが犯人なら、なぜ捕まる必要があった?
陣はその場で固まる。ジョセフはそんな陣に気付き、声をかけてくる。
「どうした、陣――」
「何で捕まったんだ」
問いかけるわけでもなく、自分に言い聞かせるわけでもなく、陣は言う。
「……何?」
ジョセフは片方の眉を上げる。
「一週間逃げおおせてきたやつが、何で今更捕まった?それも、新たな空間を繋げるって目的を達成したのに――」
「達成したからこそ、逃げる必要が無くなったとも――」
「そんなわけあるか!あいつは制限解除が使えるんだぞ!お前もエジプトで見ただろう!何で北京で使わなかった!何でおとなしく捕まった!」
ハーン・ハリーリで見せた、驚異的な反射神経。確かにあれは制限解除だ。ジョセフ自身が一番よくわかっている。だからこそ、陣の想定する最悪の目的に気が付いた。気が付いてしまった。
「まさか――」
「別の目的があるとすれば――」
「陣!今調べ室には誰が入っている!」
ジョセフの言葉に、陣は心底後悔する。今すぐ自分を殴り飛ばしたかった。あの時に時間を巻き戻したいとさえ思った。
深いため息、両手で抱える頭。
何であの時、交代してしまったんだ……。
「あぁ……あぁ……!アミリアだ!」
言い終わるか終わらないかというタイミングで、陣は捜査本部を飛び出す。ジョセフがスリーブアローを手に持ち、後に続く。
「木下!班長に速報!MCP本部のアクセスポイント、出入り口をすべてシャットダウンしろ!」
無線に向かってわめき散らし、無我夢中で走る。本部13階、捜査一課Aブロックのドアを乱暴に開け、飛び込む。
「陣!ジョセフ!何事だい⁉」
「アミィは!」
「君と代わって入ったじゃないか、調べ――陣⁉」
ジョンの声を置き去りにして、調べ室の前まで全力で走る。
「ジョセフ!」
掛け声とともに、ジョセフが超脚力でドアをけ破る。
空いた入口に素早く体を滑らせ、銃を構える陣だったが――。
目の前の光景に、引き金を引くことができない。
「はあ……はあ……はあ……」
銃を持つ手が、震える。電気が消え、暗闇に包まれている調べ室。
「やあ、巡査部長」
男が、ねっとりとあいさつをしてくる。どこから持ち出したのか、拳銃をアミリアのこめかみに突き付けている。今や椅子に座ってはおらず、アミリアを片手で羽交い絞めにして、部屋の一番後ろに突っ立っている。
「やめろ……」
「巡査部長は悪くない。言っただろう、あの空間には抑制型物理演算エンジンがない。特殊武装も作り放題なのさ。これは俺のオリジナル、服のボタンに変換できる銃さ」
「お前がポンポン武器を取り出すのはそのせいか」
「そうだ。おっと!英雄のお出ましだ。撃つな、撃たせないでくれ」
続いて入ってきたジョセフに気付き、男は銃口をアミリアに押し当てる。
「やめろ!銃をおろせ!」
「声が震えてるぞ巡査部長。そんな声聞くのは初めてだあ……ふん、ふあ。ちなみに言っておこう。彼女を殺して救出するのは無理だぞ」
「何⁉」
男は羽交い絞めにしている左手を返し、USBメモリのようなものを見せてくる。真っ黒なそれは、男の手のひらで鈍く光る。
「これが何か、わかるかな?」
「……いや」
「バックアップシステムをいじらせてもらった。これはこの美人さんの……バック、アップ、データ。記憶だ」
「……な――」
「その回転の速い頭で考えるんだ!巡査部長!俺は記憶データをコピーなどしていない。ここに、すべてっ……移した!つまり……今死んでも、バックアップされるべき記憶が一つぅもない!ここで死んだらそのままあの世行きだ!」
「ふざけるな!お前は――ぐっ!」
名前を口走りそうになり、陣は慌てて口をつぐむ。アミリアに、知られるわけにはいかない。こんな――こんなゲス野郎が実の弟なんて……。
男の方は、陣の言いたかったことに気付き、満足そうに笑う。
「流石だなぁ、巡査部長。だがそれはもぉう少し黙っておいてくれ。今いいところなんだ」
「何がいいところだアミリアを離せ!」
「――陣」
アミリアが、申し訳なさそうにこちらを見ている。両手で一生懸命男の腕を押しのけようとしているが、びくともしていない。
制限解除だ。
アミリアの超怪力を上回る力を、男は発現させている。
「待ってろアミィすぐ助けてやる」
「ダメ。ダメよ陣。すぐに撃って!」
「撃てるわけないだろう!」
「このまま逃がすわけにはいかないわ!」
「逃がすもんか!」
泣きそうになりながら陣は叫ぶ。どうすればいいんだ!男は逃がせない、アミリアを撃つこともできない、でも今男が撃てば――アミリアは、死んでしまう。
「あっあっあっあっ……はーっあっあっ。ほら、巡査部長に最後の挨拶をするんだ」
男は、あろうことかアミリアの顔に自分の頬をすり寄せる。
陣は怒りで銃を持つ手に力をこめる……が、やはり、何もできない。
アミリアは嫌がって男の顔から逃れ、大声で叫ぶ。
「誰が!あんたなんかに!私――殺されたりなんか――!」
「違う!」
男は大声を出し、アミリアを遮る。
違う……?
陣もジョセフも、男の言葉に戸惑う。
「別れの挨拶は必要だ。だがおさらばするのは美人のお姉さん、あなたじゃない」
男はランランと光る眼を陣に向ける。
「忘れてないか巡査部長!すすきのを爆破したとき、俺はどこにいた!」
「……検察庁だ」
「そうだ――それってつまり、遠隔操作や、時限爆弾もあるってことじゃないか?ハッ。あともう一つ!ここはMCP本部!場所はワシントンエリア!つまり!――」
男は、USBとともに持っていた服のボタンを、指先で二度叩く。ボタンが変化し、爆破の際に使っていたスイッチの形になる。
「――つまり、最古のサイバー空間だ」
爆音と閃光が、調べ室を包む。
調べ室だけではない。ジョンのいる捜査一課Aブロックも、柴咲達のいる大会議室も、MCP本部の各階で、一斉に爆破が起きる。
「んんんん……んーんんんん……あっあっあっあっあっ」
破片が飛び散り、煙と埃がもうもうと立ち込める部屋の中。男は一人、満足げに笑っている。
腕の中にいるアミリアは、目の前に横たわる陣とジョセフに、言葉を失う。
「あ……あぁ……」
二人とも、飛んできたがれきの破片に体を貫かれ、おびただしい量の血が流れている。そして、ぴくりとも動かない。
男はそんなアミリアを引きずるようにして、調べ室を出ていく。捜査一課Aブロックも壊滅的な被害を受けており、誰一人男を確保しに来る者はいない。
アミリアは抵抗を続けるが、男はそれを超える超怪力を発現させ、意気揚々と歩いていく。
完璧だ。
………………………。
……………………。
………………。
「……はっ!」
ジョセフは意識を取り戻す。同時に、胸に強烈な痛みを感じてむせる。
「ごおぅっ!」
口から、大量の血が出てくる。ちらりと見ると、自分の胸に、大きな穴が開いているのが見える。
このままでは死んでしまう。
左手の端末に手を伸ばすが……EDRがない。
「はっ、ぐぅ」
床を見渡すと、目の前にEDRの赤が、数m先に青が落ちているのが見える。そのさらに先、部屋の奥に、アミリアと男の姿はない。
追わなければ。
目の前の赤を掴み、自らの腕に刺そうと構える。
「……!」
振りかぶった時、後方に、うつぶせで倒れている陣が目に入る。生きているのか死んでいるのかわからない。ジョセフよりもひどい出血で、呼吸の音も聞こえてこない。
「う!うぐぅ!」
ジョセフは歯を食いしばり、ほふく前進の要領で陣に近づいていく。
こんなところで、寝ている場合か!
「ぅぁあ!あ!」
渾身の力をこめ、陣の肩にEDRを叩きつける。すぐさま損傷個所の修復が始まっていき、陣の右手が、ぴくぴくと痙攣を始める。
生き返れ!生き返るんだ!
「がはっ!」
陣が息を吹き返す。
「あがあああ!」
修復途中の痛みに悶えながらも、よろよろと立ち上がっていく。
くそっ、いったい何が――!
「ううぅ」
次第に引いていく全身の痛み――開けていく視界――しかしその先にアミリアはいない――下の方に、血だらけで倒れているジョセフが――いや、ジョセフは懸命に何かを言おうとしている。
「……ジョセ――」
名前を呼び、助けようと膝を曲げかけた。だが、ジョセフは右手を大きく動かし、捜査一課の出口を指し示す。
「おえ……」
胸の大きな穴が、息をするたびにひゅうひゅうと空気を通す。声がうまく聞こえない。
ジョセフは胸の痛みを懸命にこらえ、力を振りしぼって――大量の血をまき散らしながらも――叫ぶ。
「ぉ追えええぇぇぇぇ!」
その言葉に跳ね飛ばされるように、陣は走り出す。捜査一課を飛び出し、爆破で止まったエレベーターを無視して階段を二段飛ばし、三段飛ばしで駆け下りていく。
アミリア‼
男はアミリアを連れ、MCP本部の一階を歩いていく。大きなエントランス。天井からつるされていたオブジェは、無残にも床の上で砕け散っている。もともとよくわからない形だった。こっちの方が趣があっていい。
IDをタッチするはずの改札も爆破で壊れている。男を遮るものはもう何もない。捕まった時のため、調べ室以外のあらゆる要所を爆破するよう、仕掛けたのだ。まともに動ける人間はもう、この建物内にはいない。
「待て!」
おっと、まだいた。
男は立ち止まる。目線の先には――巨大な自動ドアの前に立ちふさがる、巡査部長の部下だ。
むろん、自動ドアも壊れてしまい、もはやドアの体をなしていない。いくらでも脇を通り抜けられそうだが……。
「んんん。頼む、どいてくれ。このお姉さんを撃ちたくない。バックアップは無理だぞ――あぁ、面倒だから説明は省くが。んー」
若い警官は、忠告を無視して特殊武装を展開していく。
「どくもんか!武田部長は俺の恩師だ!その人を返してもらうぞ!」
「あぁ~。頼む。今いい!ところなんだ。邪魔をするな!」
男は何を思ったのか、アミリアの後頭部をむんずと掴み、思いっきり前に押し倒す。
「⁉」
あっけにとられる木下をしり目に、男は銃をアミリアに向ける。
「はっ!やめろぉ!」
木下はとっさに、自分の高機動防御盾をアミリアに向けて飛ばす。盾は、アミリアに向けて放たれた弾丸を見事にはじく。
――つまり、木下は丸腰になる。
ッガァン!ッガァン!ッガァン!
男は無防備な木下に、何度も銃弾を浴びせる。
「木下さん‼」
痛む頭を抱えて、アミリアは絶叫する。
「はあぐ、ぐあぁっ!」
木下は内臓を損傷し、各部から出血もしている。膝をつき、息も絶え絶えだ。それでも、必死になって右手を伸ばす。
「あぁ!」
男はアミリアの背中に足を乗せ、立ち上がろうとする動きを封じ込める。
「お願い!もうやめて!」
男と木下、両方に向かって叫ぶアミリア。
「嫌です!ゲホッ……!武田部長にお世話になってきたのに!俺だって!あきらめるもんかああああ!」
ッガァン!
「うるさい」
無情にも、男は木下の肩に銃弾を叩きこむ。
「ぐああああああ!」
右肩を撃ち抜かれ、木下は盾の操作ができなくなる。
「お願いもうやめて!」
アミリアは、男に向かって叫ぶ。
「おとなしくついていくわ!ついていくから!もうやめて!」
自分より若い捜査員が、他でもない自分のために命を散らす。そんな光景には耐えられない。
もし、自分のようにバックアップデータを抜き取られていたら――。アミリアの全身を、心を、言いようのない痛みが走る。
「んー」
男はアミリアの背中から足をどけ、その背中に銃を突きつけなおす。
「これでいい。もういいでしょう」
少し不満げだが、男は頷いた。
アミリアは男の銃に促され、木下の横を通り抜ける。務めてその顔を見ないようにして、MCP本部から外に出る。
ッガァン!
後ろから聞こえた銃声に、アミリアは身をすくめる。ハッと振り向くと、ちょうど男がこちらに銃口を向けてくる。そのさらに向こうには――音もなく崩れる木下。
「ああ!ああぁ!」
アミリアは悔し涙を目に浮かべる。大切な陣の、大切な部下――。死なせてしまった。自分のせいで。バックアップはうまくいっているのか――。
「人でなし!何てことをするの!あなたは――!」
「ゔうん」
泣きじゃくるアミリアの首根っこを掴み、男は外に歩き出す。
「うゔう……うゔ!」
ジョセフは床を這い、少しずつ青のEDRに近づいていく。これ以上はもう進めない。体が悲鳴を上げている。
「うう……」
右手を伸ばし、三十㎝先のEDRを掴もうともがく。EDRはぎりぎり指先に触れるか触れないか、という位置だ。
血を流しすぎ、手ががくがくと震える。
「ぐ……っっ!」
震える指先に触れ、EDRは奥に転がりそうになる。
「ぐっうっ‼」
最後の力を振り絞り、全身のばねを使ってEDRをつかみ取る。そして、自分の左肩にたたきつける。
「う、ぁぁぁぁぁぁ」
修復されていく胸の大穴、補充されていく血液、力を取り戻す足腰。
「ぁぁああ!」
床に落ちたスリーブアローを掴み、ジョセフは走り出す。
陣は一階にたどり着く。アクセスポイントは木下にシャットダウンを命じた。優秀な部下だ。必ずやってくれているに違いない。
だとすれば、男が出ていくのはこの大きな出口、そのはずだ。
よくわからないオブジェの残骸を横目に、巨大な自動ドアに向かう。
――と、信じられない、信じたくない光景が目に飛び込んでくる。
そんなまさか……。
「木下あああああぁ!」
陣は息絶えた部下の体に駆け寄る。
「木下!木下!」
呼びかけるが、すでに脈も、呼吸も無い。完全に死んでしまっている。
「なんで……っ」
なんでお前が、こんなになるまで……。
バックアップで帰還しているか確認したいが、無線はさっきからどこにもつながらない。おそらく、現実世界は大量に作動したバックアップでてんやわんやになっているはずだ。もう応援は望めない。
「ちくしょう!」
陣は拳で床をたたきつけ、外に目を向ける。
これだけの爆発だ。野次馬が相当集まっている。しかし、人だかりには裂け目ができている。その裂け目の正体は、銃を持っている男をかわした結果、自然とできた道だった。
「待てええええ!」
陣は人目をはばからず叫び、男めがけて走り出す。
超脚力の力で、常人を超えたスピードで駆け抜ける。あっという間に二階にたどり着く。そのまま階段を下りる――のではなく、ジョセフは二階の廊下を駆け抜ける。
目指すは一階エントランスの出口の外、雨除けに張り出した屋根の部分だ。アミリアを連れて歩いているのであれば、まだそこまで遠くに言っていないはずだ。スリーブアローで男だけを狙撃してみせる。
窓ガラスをスリーブアローで手早く撃ち抜き、ジョセフは外に躍り出る。雨よけ部に着地し、超感覚を研ぎ澄ます。周囲にはたくさんの人が集まっている。ぐるぐると見回していると――500m先に、不自然な歩き方をする男女をとらえる。
すぐさま目を凝らし、その後姿を凝視する。
間違いない、男だ。
後方から、殺気を感じる。
男は左腕をアミリアの首に回し、自身の体ごと180度回転する。右手では銃を突きつけたまま、後ろ歩きでMCP本部を見る。
超感覚を発現させ、確認していくと……一階雨よけ部の上に、イーストエンドの英雄が見える。こちらに向けて弓を構えている。
弓を引き絞り、いざ放とうという時。異変に気付く。
ジョセフは、超感覚で男の一挙手一投足が手に取るように見える。その顔の表情も、嫌なほどよくわかる。
男が今、満面の笑みでこちらを見ているということも。
男が、左手を大きく上げたのも。
ジョセフはあきらめの息をつき、静かに首を振る。
ドカアアアァァン!
陣の背後で、MCP本部の二階近くが爆炎を上げる。
しかし今は確認する時間も惜しい。
振り向くことなく、男めがけて走り続ける。
邪魔者をこくごとく排除し、男はついに駅のアクセスポイントにたどり着く。行き先を選択し、光の柱へ足を踏み入れる。
目の前で、男がアクセスポイントに入っていくのが見える。
陣は端末をかざし、行き先を確認する。
TOKYO。
また逃げるつもりか、あのメンテナンス通用口から。そんなこと、絶対にさせるものか!
陣は加速し、光の柱へ飛び込む。
飛び出した先は、見慣れたTOKYOエリアの街並み。男がどこに行くのかはわかっている。雨が降る中、陣はひた走り、人気の少ない裏通りへ向かう。そして――。
「はあ……はあ……アミリア」
「陣!」
男は調べ室の時と同じ体制で、アミリアの体を拘束している。
「流石だ!巡査部長!まさか生きているとは!」
「アミリアを離せ!」
陣は拳銃を向ける。最悪、男を撃ってでも救出してやる。
普段の陣の腕なら、それも可能だっただろう。しかし――、どれだけ狙いを定めようにも、両手が、両足が震えて止まらない。
「くそっ!」
頭を振って気合を入れるが、一向に改善しない。これでは狙いが定まらない。
「困ってるようだな、巡査部長。それも一つの囚われだ――」
「わけわかんねえこと言ってんじゃねえ!アミリアを離せ!――」
「――恋人が死ぬかどうか、ひやひやしてるんだろう!苦しむのはよくない。俺が、その苦しみ、解き放ってやる!――」
「――やめろ!それだけは――」
「陣」
アミリアが、ふわりと笑う。そのはかなげな表情に、陣は凍り付く。
嫌だ。
「やめろ……アミィ!」
「いいの。私、わかって――」
ッガァン!
陣の世界から、音が消える。
光も、匂いも、感覚全てが消える。
もう、男の行方などわからない。
そんなこと、どうでもいい。
近寄り、震える手で、アミリアの、その頬に触れる。
「は……あ……」
思い出し、左手の端末から黒のEDRを取り出す。
「あぁ、嫌だ……。あぁ」
EDRをアミリアの体に打ち付ける。電気ショックと同じように、その小さな体が跳ね上がる。
息は、止まったままだ。
EDRを端末に戻し、手動でチャージを選択する。チャージ終了の音とともに、再びアミリアに針を突き刺す。
それでも、息を吹き返さない。
「あぁ……あぁ……ジョン!ジョン!ジョン!」
無我夢中で、無線機に呼び掛ける。誰でもよかった。早く出てくれれば。
〘陣!陣!まだそっちにいるのかい?大変だよ!クラーク部長のバックアップが作動してないんだ!生体データが止まってるのに、バックアップされないんだよぉ!〙
陣は返事をすることなく、膝をつき、震える手でアミリアの体を抱きかかえる。
――「ああぁぁぁぁ!」悔し涙が、頬を伝う。自分の腕の中で息絶える少女。自分の血なのか、彼女の血なのかもはやわからない――
――『助けられなかった人に申し訳なくて頑張るんじゃないの。あなたが一人助ける度に、一人笑顔になっていくって考えてみて。それって、とってもすてきなことじゃない?』――
「はぁっ、あっ、あぁ、あぁ、あああぁあぁあ……ああぁぁああぁ!あっ、あっ……ぁああぁぁあぁぁあ!」
陣はむせび泣く。
自分を過去の呪縛から解き放ってくれたアミリア。
自分を温かく包み込んでくれたアミリア。
自分を初めて、前に向けて歩かせてくれたアミリア。
俺の太陽、俺の愛しい人、俺の――。
「アミリアぁぁ……」
全ての始まった忌まわしいトンネルの前。あの日と同じ、大粒の雨が降る中、陣は声を上げて泣いた。