第十四章 正体
2142年 米国、電脳空間の犯罪を取り締まるため、FBIの下部組織として電脳犯罪対策課を設立。
2146年 ジャパン、大戦で出た多くの犠牲者が人口減少に拍車をかけ、今後数百年で国家の維持が不可能との試算が出る。合わせて、国家財政破綻の危機。
2148年 エドワード・クラーク博士のひ孫、パトリック・クラークが抑制型物理演算エンジンを開発。サイバー空間基幹サーバー内に格納される。
2152年 ジャパン、国家財政破綻。国民の生活を保障するため、米国52番目の州として編入。国名〝日本〟は消滅。ジャパン州へ。
ジャパン独自の法、司法制度を残し、数年かけて変更する措置が取られる。
米、極東部標準時刻導入。公用語に日本語を追加。
第十四章 正体
十一月22日現地時間午後九時13分MCP本部十三階捜査一課Aブロック。
「おめでとう、陣!」
ジョンが嬉しそうに声をかけてくる。
「捕まえたのはアミリアだよ」
謙遜するが、何度も手の平をすり抜けてきた男だ。確保できて嬉しい気持ちは隠せない。
「最後の一発はどよめいたよ。殺しちゃったんじゃないかって――」
「あら、私の腕にケチつけるの?ジョン」
お盆にコーヒーを三つ乗せ、アミリアがやってくる。
「そんな、滅相もない。ねえ、陣?」
「俺は何にも言ってねえ」
陣はアミリアからコーヒーを受け取り、一口すする。その時、アミリアの持つ盆に、ディスクのようなものが乗っているのに気づく。
「?なに、それ」
「え?ああ、これね。しまい忘れなの」
ディスクをPCの上にポン、と置くアミリア。
「まあでも――これでやっと、一息つけるわ」
アミリアはジョンにもコーヒーを差し出す。ジョンはペコペコしながらそれを受け取る。
「そうは言っても、彼、口を割るかな」
「割ろうが割るまいが、今回は確実な現認がある。爆破のな。検事も釈らないだろう。二週間あればダイブ元も割り出せるだろうな。ていうか割り出してやる」
「おお、頼もしいね、陣」
陣はちょいっと首をかしげて見せ、コーヒーを飲み干す。
「じゃっ、行ってくるわ」
近くの椅子に掛けていたトレンチコートを羽織り、コーヒーカップは机の上に置く。
「ありがとう。あっ、あとアミリア、さっきも直接言ったんだけど、会ったらもう一度礼を言っといてくれ――ジョセフに」
「ええ、いいわよ。頑張って」
にっこり笑うアミリアに、陣はガッツポーズをして返す。
「変わったね、陣は」
調べ室に向かうその背中を見て、ジョンはつぶやく。
「ええ」
アミリアは、しみじみと――嬉しそうに――同意する。
「よし」
陣は調べ室前のドアで気合を入れる。最大の問題であった犯人の確保を終え、MCP内には事件解決を楽観視するムードが流れている。ここ数週間、ずっと緊張状態にあったのだ。少しくらいみんな息をつきたいに決まっている。
しかし、爆破の理由、方法、男の正体、目的、それらは未だ謎のままだ。ここからはまた新たな戦いだ。すべてを暴いて、これ以上悲しむ人間が出ないようにしてやる。
あなたが一人助ける度に、一人笑顔になっていくって考えてみて。それって、とってもすてきなことじゃない?
アミリアの言葉を思い出し、陣はもう一度気合を入れなおす。
静かに、調べ室の扉を開ける。
白い壁に白い床。同じく白い机と椅子。
男は、部屋の奥側に座っている。
「キノ、いいぞ」
「うす」
男を見張っていた木下に声をかけ、下がらせる。代わりに、陣がその席に座る。
「………」
男は奇妙なほどスマートなその顔に、無言の笑みを浮かべている。
「……」
陣も無言で、持ってきた電子バインダーを机の上に置く。調書を巻くために万年筆を取り出し、バインダーを開く。
「さて……自己紹介はもういいな?」
「ああ。覚えてるさ。巡査部長」
ねっとりとした声で答える男。
「それはいいことだ。ところで――お前のことを俺は知らない。名前も、年も、本当の顔がそれで合ってんのかもわからねえ。名前はエディ・マイケルでいいのか」
「……」
「調べをする上で、個人情報に黙秘権はない。素人はよく勘違いするんだが――」
「あぁ……聞いたことのある名前だ。認めよう」
陣は男の発言の意味を考える。それは自分の名前として聞いたのだろうか、それとも――。
「じゃあ、すすきのの件は――」
「それはNYで言った。俺がやった。巡査部長は一度死んだから記憶が無くなってるんだ」
男は〝死んだ〟というフレーズに力をこめ、自信満々の表情で答える。
「そうか」
対して陣は、ポーカーフェイスを装う。向こうのペースには飲まれない。飲むのはこっちだ。
「やめだ。やめ」
電子バインダーを閉じ、万年筆をしまう。取り調べの録画を停止させ、カメラ機能をOFFにする。もちろん現状保存は記録され続けているが、これはよほどのことがないと裁判で証拠として使われない。
「本当は調書にしようと思ってたが、まあまずは話そう。エディ」
「……」
「もう一つ教えてくれ。TOKYOで起きた殺人のことだ」
「ああ~」
「お前はあの現場付近にいた。それだけじゃない。被害者のエディ・マイケルと同じ顔をしてるんだお前が。これは俺の推測だが――お前は死者から、生体情報を奪ったな?あの注射器みたいなのを使って」
「……」
男は数秒考えるように目線を天井に向け――考えがまとまったのか、突然喋り出す。
「……だめだ。そっちからじゃ何も面白くない」
「……面白くない?」
聞き返す陣に、笑いかける男。
「もっと気になることがあるだろ。俺個人の問題じゃない、もっと大きな――」
「NYの謎の空間か」
「さすが」
男は嬉しそうに何度もうなずく。
「話を逸らす気はないが――まあいい。名前はあとで必ず聞き出してやる。ありゃ何だ」
陣はくぎを刺したうえで、男の話に乗ってやる。少しでも話が進むなら、今はなんでもいい。実際問題、あの空間が何なの解明しなければならない。
「MCSLの特派員に聞いても、何なのかさっぱりわからないらしい。現存するどのサイバー空間とも一致せず、空間の構成や物理法則も詳細が異なっているとか……詳しいことがわかるまで、今は封鎖しているような状況だ」
「簡単だ。もっとシンプルに考えるんだ」
「シンプルか」
「ああ。俺が一人であれを作ったと思ってるから、みんな頭を抱えるのさ。そうじゃない、そうじゃない巡査部長。小学生のころを思い出せ」
「小学生?」
「歴史の授業で習っただろう。サイバー空間構築までの年表、その流れ、クラーク博士とその一族の功績」
「ああ」
奇しくも、エジプトにたどり着いたときに陣がジョセフたちに言ったセリフ。またサイバー空間構築の話だろうか。
「その中で――あったはずだ。今のサイバー空間が発展途上の時、別の通信方式を使って空間の構築を試みた国が」
「……中国か」
「そうだ。ロシアもいたが、計画の根本は中国にあった。200年前主流だった通信方式、WWWを用いたサイバー空間の構築。今のサイバー空間と違い、それぞれのサーバーが独立した作りになっていた」
「残ってるっていうのか?」
まさか、と声を上げる陣に、男はゆっくりと頷く。
「その通り。そもそもWWWは異なるプロトコル……あー、わかりやすく言えば――」
男は右手と左手でそれぞれ拳を作る。
「――この右手と左手はそれぞれ別の場所にあるコンピューターだ。これをネットワークでつなぐ通信方式。今のサイバー空間は違う――」
男は、今度は右手の平を開き、その上に左手の指を立てる。
「全世界の人間が単一サーバーに接続し、その上で生活してる。あんたの左腕の端末も、机の上のPCも、別々に見えて実は全てこのサイバー空間のものだ。根幹となる部分はすべて共通なんだ。わかるかな?違いが」
「つまりお前は、中国に残っていたサイバー空間の残骸を見つけ出したってわけだ」
「そのとおり」
「俺たちのサイバー空間とは通信方式が違うから、誰も気づかなかった」
「その、とおり。そしてそれを、つないでやった」
「どうやって?何のために?」
矢継ぎ早に質問する陣に、男は高笑いする。
「あっあっあっ……落ち着いてくれよ巡査部長。物事には順序がある。二ついっぺんには話せないだろう」
男は声をあげて笑い、しばらく悦に入っていた。陣は黙ってそれを見続け、満足の行くまで笑わせてやる。
「ふう……あぁ、申し訳ない」
「いや?」
「方法だが、巡査部長。あんたは薄々感づいてたんじゃないのか?だからエジプトに来た」
「最古のサイバー空間か」
「そうだ。それを選んだのには理由がある。この世界は物理的に離れたサーバーを仮想的にくっつけて大きな一つの空間として取り扱っている。大きな大きな、一つの世界だ」
男は両手をぐるぐるまわして話す。
「その大きな環に入るには、厳しい審査やサイバー空間三原則の遵守が求められる。だが、それではつまらない。決まりでがんじがらめにされ、同じ空間上に閉じ込められ、今のサイバー空間には自由がない。人は解放されるべきだ。やりたいことを、やりたいようにできる。そういう世界を作るべきだ」
「それを許容した結果、サイバーウォーが起きた」
「それでいいんじゃないか!」
男は机をたたいて熱弁をふるう。
「それが人間の本質だ!自由を求め!権利を求め!生を求める!戦争はそのための一つの行為に過ぎない。だが……今の世界ではそれすらできない」
「だから平和になった」
「いいや、俺に言わせれば牢獄だ。息苦しくて吐き気がする。平和なんかじゃない。飼い殺されてるんだ!だから、繋げた。話を戻そう、どうやって繋げたか……。最古のサイバー空間を狙ったのは、穴をあけるためさ」
「穴?」
男は両手の拳を、机の上あちこちに打ち付けていく。
「この手が最古のサイバー空間だとしよう。これらは、いわゆる柱だ。世界各地に、まんべんなく広がっている」
そう言って、机の上をまんべんなく叩いていく。
「基幹サーバーだけでは処理しきれない、各地方の処理を代行。最古のサイバー空間は周辺空間の要なのさ」
「つまり、TOKYOエリアは周辺の千葉埼玉あたりの支えになってるってことか」
「その通りだ。ここまで言えばわかるだろう。基幹サーバーの破壊はできない。防御が硬すぎる。だが、各柱を落としていけばどうだ……?家が崩れるのと同じ、サイバー空間はバランスを失い、そこに揺らぎが――穴ができる。本来、想定されていないセキュリティの欠陥だ。つけいる隙はいくらでもある」
「NYにできた大穴は、サイバー空間の揺らぎが限界に達したからなのか」
「そうだ。その穴に向けて、眠っていた世界を繋げた。三原則も、抑制型物理演算エンジンも、法律さえも存在しない。誰もが自由に暮らせる世界をだ!」
陣は男のしでかしたことに気付く。これは、予想以上にとんでもない事態だ。
「お前が持っていた拳銃も、ナイフもそうか」
「そうだ。電凶法で検出されない、まっさらな銃ができる。ナイフも」
「あの注射器みたいなのもそうだな」
「ハッ。これで巡査部長の質問がまた一つ解決した!あの注射器はあっちの世界で作られたんだ!」
まるで他人事のように男ははしゃぐ。
「他人の顔や生体情報を奪う。何だってできる。プログラミングの腕さえあれば」
陣は頭を抱える。なんてことだ。ただの爆弾魔でも、殺人犯でもなかった。
こいつの持ってきた世界は、サイバー空間の平和をひっくり返す。マフィアは黙っていないだろう。新たな世界の特権に気付けば、次々と銃を密造し、こちらの世界に輸入する。覚せい剤中毒者は喜んで向こうの世界に入って行く。作り放題打ち放題なのだ。未成年者による売春買春も横行するだろう。抑制型物理演算エンジンがなければ、制限解除なしで行動できる。一度逃げた被疑者を捕まえることもままならない。
そして恐ろしいことに、それらを取り締まる法律が――無い。
これほどのことができるとは、この男、本当に何者なのだろうか。
聞き出してやる気満々だったが、すでに男は満足した表情でへらへらしている。
これ以上は聞き出せないか……。
作戦変更だ。陣はマイクに向かって応援を求める。
「すまない、いったん出る」
〘わかった、私が入るわ〙
アミリアの返事を聞いて、陣は立ち上がる。
「また後で来る。名前はその時だ」
男は顔をしかめ、頷く。
「待ってるよ。巡査部長」
ガチャリとドアが開き、アミリアが入ってくる。
「頼む」
陣は手短に声をかける。
「ええ、大丈夫。わかってるわ」
アミリアはにっこりと笑う。
陣はかぶりを振り、調べ室を後にした。
「予想外だった」
MCP本部29階、大会議室。
捜査本部Aチームの席で、陣は愚痴をこぼす。
「その話、本当なんですか?」
木下が驚きの声を上げる。
「とりあえずブライアン警部には伝えた。どっちにしろ、MCSLの職員呼んで、入って確かめるしかねえだろ」
「その件だが――」
遠くで聞いていたジョセフが寄ってくる。
「――さっきうちの隊長とブライアン警部が話していた。今はNYの爆破の被害を調べるのが先決で、中に回せる人員はいないそうだ。[[rb:MCSL > マクシル]]も急遽人を出すことはできないと……これまでの爆破現場の修復で手いっぱいなんだろう」
「とりあえずは周辺を封鎖するだけ、か……」
「そもそも、犯人の逮捕で一気に事件が片付くと上は踏んでたんだろう。これ以上人がかかるなんて、俺たちも予想してなかったんだ」
「なんとかしてこっちを片付けなきゃならねえ……」
陣は人差し指で机をたたく。
「あいつ自身に身元を吐かせようと思ってたがやめだ。こっちで決定的な証拠をつかんで、やつに突き付けてやる。そうしないと先に進まん」
「何かあてはあるのか」
ジョセフの言葉に陣は唸る。ああは言ったものの、今現在、何の証拠も無い。無いが――。
「何の手がかりも無いわけじゃない」
陣は電子バインダーを開き、今わかっていることを整理する。
「あいつは断言しなかったが、最初の殺人に関わっていることはほぼ間違いない。例の注射器も――自分で作ったものだと認めた。つまり、誰かの顔と生体情報を奪うためにTOKYOに来ていたんだ。選んだのはエディ・マイケル。今のあいつと同じ顔をしていて、MPで死亡。死亡推定時刻は殺人事件のあった日だ」
ARデバイスを起動し、空中にエディ・マイケルの情報を投影する。
「この被害者は自作のダイブを使っていて……そのせいでMPの発見が遅れた。仮に犯人が――知っていたとしたら、どうだ」
「自作ダイブを使用していたことを、か?」
「そうだ。エディ・マイケルの友人、知人、仕事の同僚……親しかった人物を洗い出そう。木下、こいつの周辺者のリストアップは」
「はい、やってます。幼少期から死亡するまでの間、知りうる限り全てです」
木下はPCを操作して、この一週間で集めていた被害者の情報を出す。PCの画面を指ではじき、エディ・マイケルとわずかでも交流のあった人物の一覧をARで表示する。
「これは……多いな」
ジョセフは目の前にズラリと出てきた数百人のリストを眺める。
「絞ろう。子供のころからダイブを作れたわけじゃない。幼児から小学校までしか交友のなかったものを排除」
「はい」
木下は陣の指示通り、可能性の薄い人間をリストから除外する。
「こいつがいつ頃ダイブを作り始めたのか……家族は知ってんのか?」
「本格的にハマり出したのは大学在学中らしいんです。母親に聞きこみました」
「よくやった。高校までで交友が途切れている者を除外」
「はい」
木下はせわしなくキーボードを動かしていく。次々と空白になっていくリスト。膨大な数だったリストが、残り100人前後になる。
陣はひじ掛けで頬杖をついて、空中の名前を見つめる。
ジョセフは空中に投影されたリストの周りをぐるりと歩く。
「だめだ、まだ多い」
「ちょっと待てよ……」
陣は考える。これまでなかったくらいに、深く深く考えていく。今まであったはずの犯人の足跡を、記憶の断片からかき集めていく。
「そういえば――」
木下が、ふと思い出したように声を上げる。
「――爆破方法も、まだ解明されてないっすよね。なんか男のヒントになったり……ないすかね」
「いや、着眼点としては悪くない。全く関係がないわけじゃ――」
陣はハッとする。頭の中で、ピースがハマっていく。
爆破はすべて、地表付近、もしくは地下空間の天井部分で起きていたはずだ。
最初のすすきのの時――変だと思ったんだ。
『だったらどこにだよ。地表と地下街の間にどうやってそんなもの仕込む?ドリルで穴を掘るか?そんなことしたら一発で通報されるぞ』
『爆発の範囲、地面と天井の厚みを換算して、中心はおおよそこの辺り』
鈴木は、立体的に投影されたすすきの交差点の地下空間、その地下街と地表の間を指差す。
『たとえサイバー空間で地面を掘り返しても、基盤データにたどり着くことはできない。一般人では干渉できないようになっている』
『簡単に言えば、鍵がなければ扉をあけられないのと同じだ。当該エリアに地下空間がある場合は……地表データと地下空間の間に基盤データがある』
『基本的にMCSLかその委託を受けた下請けの職員。各エリアには、基盤データにアクセスするため、メンテナンス用の通用口がどこかに設けられているはずだ』
直感だった。いったい誰が?それよりも、どこから?出入り口はすべてふさいでいる。いくら新人がなまくら揃いだとしても、このトンネル内で人影を見逃すはずがない。では、あとから入ってきたということか?
300mほど進んだところで、道が三方向に分かれている。まっすぐのびる道と、左右に90度曲がった道だ。それぞれの道を順にライトで照らしていくが、先は予想以上に長く、終点が見えない。右の通路にメンテナンス用の通用口が設けられているくらいで――
『何だってできる。プログラミングの腕さえあれば』
「……わかった」
陣はぼそりとつぶやく。
「え?何かわかったんすか?」
反射的に聞いてくる木下に、陣は早口で説明する。
「あいつはMCSLしか入れない、サイバー空間の基盤部分に爆弾を仕掛けてたんだ。だから爆心地が特定できなかった!誰にも気づかれなかった!殺人の現場で、あいつはどこからともなく現れた!トンネル内にあったんだ、メンテナンス用の通用口が!木下が追いかけた時もそうだ!いったんあの中に隠れて、お前の背後を取った!」
「そうだとして、どうやってメンテナンス用の入り口に入る。MCSLから渡されたIDがなければ――」
「あいつなら何だって作れる。他人の生体情報を奪うなんて芸当、普通はできない。そうだろ?」
「確かに、そんなに複雑なプログラム、簡単には組めない。少なくとも俺には」
「IT工学を出たお前でさえそうなら、なおさらだ。あいつはそれくらいコンピューターのことに長けてる……。いや……違う……実際に働いていたとしたら?」
陣の言葉に、ジョセフはハッとリストを見上げる。
「キノ、被害者は派遣で働いてたんだったな。派遣先はどこだ!」
「あ、はい……派遣先は、ですね、いろんなところを転々としていたようですが……あ……」
木下は、PCの画面を見て凍り付く。
「事件の半年前まで、約一年間。MCSLの下請けでサイバー空間のメンテナンス業務をやってます!」
「それだ!同じ職場の人間、当時の上司、MCSLの担当者、すべてリストアップしろ!他は除外だ」
陣の指示通り、木下は仕事の関係者のみをリストに残す。その数、約30名。
「ここからどうする」
「後は――どれだけ優秀か、だ。例の注射器を作れるくらい優秀な奴でなきゃ、この一連の事件は起こせない。キノ、リスト関係者の最終学歴はわかるか?」
「はい、班長に言われて、一週間で全部プロファイリング済みです」
「よし、最終学歴で、IT関連の偏差値が高い学校、学部順に並べ替えろ」
「了解」
木下はリストをITの学歴順でソートする。リストの名前が一瞬で置き換わり、上から順にITに強い人間が一目でわかるようになる。
三人はリストの一番上の名前を食い入るように見る。その名前は――。
トム・ケイン
「トム・ケイン……?」
陣は、その名前をゆっくりと口にする。これが、今一番有力な被疑者。手が、足が、全身が震える。ようやくたどり着いた――もちろん、本当にあっているのか確かめなければならないが――犯人の、名前。
「弟だ」
ふいに、ジョセフが口を開く。
「えっ?」
陣は一瞬、ジョセフの言っている意味が分からなかった。
ジョセフは険しい目つきで、事実を淡々と言う。
「卒業した大学も間違っていない。こいつは――アミリアの弟だ」