第十三章 結束
2134年 連合国が主導し、エドワード・クラーク博士の提唱した、サイバー空間三原則を基にした秩序ある空間の構築が始まる。
2136年 戦争で世界経済は疲弊、国家財政も傾き、各国家は協力して経済再生を目指す国家群を形成。
ジャパン、米国主導の環太平洋国家群に参入。
2141年 世界各地で国家群の統廃合が加速。環太平洋国家群、EU、ロシア中国インドが中心の共産国家群が三大国家群として台頭。
同 年 エドワード・クラーク博士の孫、ジョナサン・クラークにより、新たなサイバー空間の構築に成功。サイバー空間での犯罪、軍事利用を防ぐため、サイバー空間三原則を適用。空間内の物理法則とともに基幹サーバー最深部に格納。正確な位置を知るのはMCSL所長、米国大統領、サイバー空間初期化キーを持つ八人の、計十人とされる。
サイバー空間の再構築とともに、民間人のダイブ使用が解禁される。
第十三章 結束
「はぁ!はっ…はっ…はっ…!」
飛び起き、カプセル型の装置から滑り落ちる。
頭に強烈な痛みが走り、耳鳴りと雑音で周りの音が全く聞こえない。
「うあああ!」
あまりの頭痛に、目が開けない。歯を食いしばり、痛みに必死に耐える。
「んあぁ!がああ!」
膝をついた衝撃で、再び強烈な頭痛を感じる。
「……ん!……じん!」
徐々に引いていく耳鳴りの中、はるか彼方遠くの方から、誰かが自分を呼んでいるのが聞こえる。
「……じん!……陣!」
「ああ、ジョン……ジョン!」
「陣!陣!」
目をつぶったまま、陣は手探りでジョンを探す。誰かが、両肩をがっしり押さえてくる。
「ジョン……、何が起きた……何が!」
陣の問いかけに、ジョンの厳しい声が返ってくる。
「自分の名前を言うんだ!」
「ジョン……何が――」
「自分の名前を言うんだ!」
語気を強めるジョンに屈し、陣は痛む頭を振って、自分の名前を口にする。
「あぁ……俺は陣。武田陣だ」
「所属と階級は」
「ジョン、バックアップか?何が――」
「所属と階級は!」
ジョンの大声で耳鳴りが再発し、陣は顔をしかめる。段々弱まっているとはいえ、頭痛も残っている。
「MCPジャパン支部総括本部刑事部捜査一課一係。階級は――巡査部長」
「よし!目を開いて」
指示通り、恐る恐る目を開く。かすむ視界で、ジョンの顔がよく見えない。たぶんジョンだ。
「この光を追って」
ペンライトのようなものを向けられ、陣は目で追う。右へ、左へ、時に近づけられ、離されるそれを見続ける。
「よし!ひとまずバックアップは成功だ」
輪郭がくっきりとしてきて、ホッとするジョンの顔が見える。
「はぁ、はぁ……ジョン、どうなった。バックアップ――アミィ!アミリアは!」
隣でダイブしたはずのアミリアを探して、陣は立ち上がろうとする。
ジョンはそんな陣の両肩を抑えて、ダイブに腰掛けさせる。
「クラーク部長なら無事だ。バックアップで帰還してるよ」
「はあ…………あぁ。よかった……よかった」
陣は膝に手をついて息をつく。しかし、すぐに大事なことを思い出してジョンに詰め寄る。
「NYエリアはどうなった!爆破予告は!男はどうなった!」
バックアップはあくまで最後のダイブ時点での記憶を脳に上書きするだけだ。ゆえに死亡前の一連の出来事が陣には記憶されていない。
「爆破は起きたよ。タイムズスクエア前は壊滅状態だ」
ジョンの報告に、陣は放心状態になる。
「男を捕まえるためにあの場のMCPほとんどが集結してた。全員バックアップが成功してるといいんだけど……。民間人の方の被害は、正直多すぎて今は拾いきれてないよ。二桁じゃないのは確かさ」
「くそっ!」
陣はダイブの筐体を拳でたたきつける。
「現状保存も今進めてる。後で確認できるし――ドローンを飛ばしてるから、リアルタイムの映像も確認できる」
「それだ。それを見に行こう」
「でも陣、精密検査を受けなきゃ――」
「こんだけたくさんいたら精密検査なんて終わりゃしねえよ。映像見に行くぞ」
大きな画面に、上空から撮影したタイムズスクエアが映し出されている。
たくさんの広告塔はすべて電気が消え、ところどころ電光掲示板そのものが崩れ落ち、ゴーストタウンのようになっている。
タイムズスクエアの交差点、そのど真ん中に直径約五十mの大きな穴が開いている。
陣とジョン、アミリアをはじめ、MCP本部の捜査員数十人が、モニターの映し出される惨状にくぎ付けになる。
「Oh God……」
ジョンが悲痛なつぶやきを漏らす。
指揮本部にいる全員が言葉を失い、ただひたすら画面を見つめ続けるばかりだ。
まるでブラックホールのように見える、光全てを飲み込む真っ暗な穴。得体のしれない何かが潜んでいるような、得も言われぬ恐怖が全員をつらぬく。
「おい」
陣だけが、画面を指さして指示を出す。
「ドローンをあの中に」
気付いたジョンが、ドローンを操作している捜査員に翻訳してくれる。
捜査員は頷くとドローンのコントローラーを傾け、大きく口を開けた真っ暗闇にカメラを近付けていく。
全員が息をのんで、ドローンの行方を見守る。
地表まで降り、ついに穴の境界へ踏み込む。
「……なんだこりゃあ」
陣がつぶやくと同時に、捜査員が一斉に喋り出す。何を言っているのかわからないが、おそらく似たような感想のはずだ。
陣の知る限り、NYエリアの地下には現実の地下鉄のように、リニアが走っているはずだ。しかし、黒い闇に見えた穴の中には――。
――穴の中には、謎の空間が広がっていた。
スラム街と言えばわかりやすいだろうか。小汚いアパートのような建物がズラリと並び、狭い路地が迷路のように伸びている。空間全体が薄暗く、カメラ越しでもそのよどんだ空気感が伝わってくる。
こんな街を、陣は知らない。
そして、他の捜査員の反応を見る限り、誰も知らないようだ。
いぶかしげな視線を大型モニターに向けていると、部屋の隅から興奮した様子の英語が聞こえてくる。しゃべっているのは、捜査本部からサイバー空間内に無線を送る、無線係の捜査員だ。
ジョンがその内容を聞いて、早口で教えてくれる。
「サイバー空間から一報だ!木下君だ!男を追跡中みたいだよ!」
「木下につないでくれ」
「わかった。待ってて」
ジョンはサイバー空間と無線をやり取りしている捜査員に声をかけ、身振り手振りで説明してくれている。捜査員は頭にかけたインカムを離して、陣に手渡してくれる。
「キノ」
インカムを装着しながら、陣は部下を呼ぶ。
〘武田部長!バックアップうまくいったんですね!〙
小声で、しかし嬉しそうに木下は笑う。
「ああ、お前今どこだ」
〘男はNYエリアから他のサイバー空間を転々として、今は中国、北京エリアに入ってます〙
「何ですぐ逃げない。MCPを大量に巻き込んで調子に乗ってんのか……絶対に捕まえるぞ。キノ、現在地をこっちに送れるか」
まもなく、大型モニターに木下の位置を表す黄色い点が表示される。北京エリアの北端だ。黄色は少しずつ少しずつ南下している。
陣はインカムを返し、ジョンに向き直る。
「翻訳してくれ」
ジョンが頷くのを確認して、陣は部屋中に聞こえるように大きな声で話す。
「男は今北京エリアを逃走中だ!俺の部下が追っている。これ以上野放しにはできないし、何より、ここまで俺たちをコケにされて、黙っているわけにはいかない!俺たちの敵を取りに行くぞ!」
ワンテンポ遅れて、歓声が上がる。
「全員、バックアップで頭が混乱してるのはわかる!だがあいつが油断してる今がチャンスだ!絶対に……絶対に捕まえるぞ!」
かなり無理をしているのはわかっている。バックアップ終了後しばらくは、脳をはじめとする体の機能、そして精神的なバランスがかなり乱れるのだ。
それでも、この期は逃せなかった。自らを、仲間を奮い立たせて、もう一度ダイブする必要があった。
「Jin」
アミリアが近寄ってくる。陣は翻訳機能をオンにして、謝罪の言葉を述べる。
「すまない、アミリア。わかってる――」
〘いいえ、私も目の前でやられて腹が立ってるの。捕まえてやりましょう!〙
思っていたよりも(はるかに)熱く心を燃え滾らせているアミリア。陣は思わず引きそうになる。
「わお……じゃあ頼みが」
〘なあに?〙
「ブライアン警部に現場指揮の許可をもらってくれ。あと――」
一瞬悩んだが、先ほどのように捜査員がバックアップするような事態は避けなければならない。すなわち、今こそ奴らの出番というわけだ。
「――ジョセフを呼んでくれ」
十一月22日現地時間午後7時35分。MCP本部地下三階、CBT訓練場。
サイバー空間に続々と集結する捜査員たち。
各々が拳銃や特殊武装の整備をして準備している。
陣は歩き、MCPの向こう側にいる、MCS隊員の塊に近づいていく。目指しているのは、その中の一人だ。
今は争っている場合じゃない。さんざん気にかけてくれたアミリアのためにも、ここいらで気持ちを入れ替える必要がある。
「ジョセフ」
名前で呼ばれ、ジョセフは(無表情を装いながらも)意外そうな顔で陣を見る。
「なんだ」
「いや、休みのところすまない」
いきなり礼の言葉を投げかけられ、ジョセフは一瞬固まる。まさか陣からこんなふうに態度を軟化させてくるとは。
「別に問題ない。爆破予告の話を聞いてMCSは非常参集をかけていた。むしろ来るのが遅れたくらいだ」
陣の方も、いつになく素直なジョセフに少々面食らう。
「あー。いや、助かる」
「そうか」
「……」
「……」
お互いどうしていいかわからなくなり、黙り込んでしまう。
「ちょっと、何してるの?」
アグニを担いだアミリアが、怪訝そうな顔で割って入る。
「急いでるんですけど」
にやにやしながら、陣とジョセフの顔を交互に見てくる。
陣は照れ隠しに苦笑いし、ジョセフを見る。ジョセフもそれに倣う。
「あなたたちが組めば無敵だわ。頼りにしてるわよ」
アミリアは満足そうに笑うと、MCPの群れに戻っていく。陣はその後姿を数秒見つめた後、ジョセフに向き直る。
「市民の安全が最優先だ。だが、何としても確保したい」
「ああ、承知している」
「作戦はシンプルだ。人海戦術で行く」
「というと?」
「この一週間、あいつはMCP、MCSの捜査網を潜り抜け、何度も逃げおおせている。だから、北京エリアの全アクセスポイントに人を配置する」
「物理的に封じるのか」
「そうだ。システム上の封鎖だと、あいつに解除される恐れがある。俺たちが俺たちの力で止めるんだ。そして――同時に、北京エリアにいる市民をアクセスポイントに誘導し、外に逃がす」
「なるほど、平行作業だな。だが男が市民に紛れて逃走を図った場合はどうする。やっかいだぞ」
ジョセフは懸念を口にする。北京エリアは世界で一番利用者の多いサイバー空間だ。主に地元民しかいないのも特徴ではあるが、避難させる対象もさることながら、男が紛れ込む可能性も高い。
「そこは――任せてくれ。俺の優秀な部下がついてる。今度紹介するよ」
十一月22日、現地時間午前8時45分。北京エリア北東部。
〘木下!〙
陣から無線が入り、木下はホッとする。かれこれ何十分も一人で男を追跡しており、どうすればいいのか、正直パニックになる一歩手前だった。
「はい!」
希望も込めて、元気よく返事する。
〘いいか、俺たちが包囲網を作る。中にいる人間の避難も同時に進めるが、あいつが一般人に混じるのだけは避けたい。まだ距離を置いて追跡、俺の合図とともにあいつを足止めしろ〙
「は、はい」
行くべき時は一人でも行け、ということか。木下の頭の中は緊張と責任感でいっぱいになる。まだ就職して二年と半年。やっと三年目に入った冬だというのに、この大役。正直胃が痛い。
そんな心中を察したのか、無線越しに陣が激励してくれる。
〘大丈夫だ。お前ならできる。頼むぞ、キノ〙
何よりもうれしい『頼むぞ』の言葉。木下の中に熱いやる気がふつふつとわいてくる。
よし、以前撒かれた借りを返してやる。
「それでは各人、作戦通りに。俺とアミリア、ジョセフは臨機応変に動く。やつの位置を全員確認してくれ!」
左腕の端末に、木下の位置を表す黄色い点が表示される。男はこの数m先にいるはずだ。
「ここを中心として、MCP捜査員で全アクセスポイントを封鎖!MCS隊員は包囲網を形成、中心点に向かって進軍し、包囲網を狭めろ!最後には奴の逃げ場をすべてふさぐ!」
「「「了解!」」」
「行くぞ!」
叫び、陣は光の柱に走りこむ。続いてアミリアが、ジョセフが、MCP捜査員が、MCS隊員が、次々と走りこむ。
北京第一アクセスポイントへ、第二、第三、第四、第五、第六、第七、第八、第九…………次々とMCP捜査員が光の中から現れ、その前で特殊武装を構える。
〘第一アクセスポイント、配置完了〙
〘第二完了〙
〘こちら第三、配置完了〙
〘第四配置完了〙
〘第五アクセスポイント配完!〙
〘第六準備完了、いつでもどうぞ〙
〘第七配置を完了、よろしく〙
〘第八アクセスポイント配置完了、異常なし〙
〘第九、配置完了、どうぞ!〙
………………………!
次々と入る無線を、本部指揮席でジョンが取りまとめる。机の上に広げられた地図、配置完了したアクセスポイントから順に、チェックをつけていく。
「陣!全アクセスポイント、配置完了だ!」
ジョンの報告を受け、陣は両隣にいるアミリアとジョセフに目配せする。二人とも頼もしい頷きで返してくれる。
よし、行くか。
「作戦!開始!」
陣の掛け声で、MCS隊員が一斉に各アクセスポイントから踊り出る。一糸乱れぬ動きで隊列を組み、男にはバレないほど遠い位置から、人で大きな壁を築いていく。
MCP捜査員はデバイスを大きく掲げ、自らがMCPであることを示す。そして、アクセスポイント周辺の人たちへ避難を呼びかける。
上空へ飛ばしたドローンで、ジョンは避難の状況を確認する。アクセスポイントの周りは徐々に動きが活発になっていく。いい調子だ。
十数分で、残っている人のほとんどは男の周囲数キロに残るのみとなった。
〘ジョン、どうだ?〙
「いい感じだ。あとはもう、あいつの周辺だけだよ」
〘MCSの配置状況は?〙
ジョンはドローンの映像を寄せ、MCSの包囲網を確認する。
「人を非難させながらだから、少し手間取ってる。今半径一キロくらいかな」
〘了解、キノ、あいつは感づいてるか?〙
〘街全体が騒がしいんで、気付いてるかもしれません。歩みが早くなってます!〙
「陣、このまま直進したら、北京の中心部に入ってしまうよ!」
ジョンの言葉に、陣は考える。北京の中心部、ビル街に出れば、ビルを遮蔽物としてMCSの壁の代わりに使える。むしろ好都合だ。
ここで決めるしかない。いや、決める!
「よし、始めよう。……ジョン、頼む。木下ぁ!」
「了解!」
木下は叫び、特殊武装を展開する。超脚力を用い、三歩の助走で男との距離八mを軽々と跳んで詰める。
「えぇい!」
「さて、僕も仕事をしよう」
ジョンは手のひらをこすり合わせると、PCを操作し、北京エリアへの警報を鳴らす。
〘ウウウウゥゥゥゥゥウウウウ!ウウウウゥゥゥゥゥウウウウ!〙
ドローンのカメラ越しに、大音量で警報が聞こえてくる。
ジョンはインカムを装着し、ブライアンが俊足でとってきた、上からのありがたい書類を声に出して読み上げる。
その内容は、MCP本部長の権限で出せる、サイバー空間からの強制避難指示だ。
耳をつんざくほどの警報音に、男は北京のよどんだ空を見上げる。
一人で納得して、にんまりを笑う。
警報が鳴り終わった朝の空に、避難を命令する音声が流れ始める。
〘――北京エリアにダイブしている者は、直ちに――〙
その内容に聞き入ろうとしたとき、男は背後からの風を切る音に気付く。
瞬時に振り向き――懐から銃を取り出し――発砲する。
ッガァン!
しかし、弾ははじかれる。こちらに向かってくるのは眼鏡をかけた若い捜査員だ。
「えぇい!」
小さくつぶやくのが聞こえたかと思うと、若い捜査員の膝蹴りで、男は後ろに数m吹っ飛ぶ。
「でっ……ああ……あいつか」
いつかTOKYOエリアで殺した、巡査部長の部下だ。不意打ちとはいえ吹き飛ばされるとは。
ビルの谷間、少し開けた広場のようなスペースに飛ばされてしまった。周りは突然の避難指示に慌てる人であふれかえっている。
周りをもっと観察したかったが、若い捜査員が間合いを詰めてくる。こちらに隙を与えない気だろうか。
「ふん」
男はすかさず銃を発砲する。響く銃声に、周りを走る人たちがより一層ヒステリックな叫びをあげる。
その悲鳴を聞くのは少し心地いいが……目の前の状況は、少しも心地よくない。
若い捜査員の前には、よくある西洋風の形をした盾が浮かんでおり、男の発射した銃弾をずべて弾き飛ばしている。
木下は眼鏡を押し上げ、呼吸を整える。
「俺の特殊武装は機動防御盾!俺の周囲二mの攻撃は自動防御される!」
右手には黒い手袋のようなものが装着されており、これで盾を遠隔操作することも可能だ。基本的には防御に秀でた特殊武装で、対象の保護任務に向いているのだが――木下は、この盾を用いた近接戦闘当も得意としている。
「ちっ」
男が何度も発砲を繰り返してくるが、自動で動く盾が、その全てを自動的に防ぐ。
木下は男が遠くへ逃げないよう、その距離を詰めていく。
〘――北京エリアにダイブしている者は――〙
ジョンの放送が大音量で流れる中、陣たち三人は男に近づけずにいた。
ここは中国の首都。いくら避難で減ったとはいえ、逃げ惑う人が多すぎるのだ。
「このままじゃらちが明かないわ!」
アミリアは叫ぶと、陣の押しのける。
「えっ?おい」
あっけにとられる陣をしり目に、アミリアは飛び上がる。
「ジョセフ!」
アミリアの意図を瞬時に理解し、ジョセフは片手をついて体をひねる。
空中に飛び上がっているアミリアの足裏に、自らの右足を合わせる。
そして、超脚力の力で、アミリアを人波の向こう側、男の方へ弾き飛ばす。
「おい!」
慌てて叫ぶ陣だが、時すでに遅し。アミリアは男のもとへ一直線に飛んでいく。
体を持ち上げたジョセフは、何食わぬ顔で前進を続ける。
「お前なあ!」
「あのまま一対一にはできない。アミリアなら問題ない」
「いや……そりゃあそうだがよ」
どうしても心配が上回ってしまう陣だったが、ジョセフの指摘することがわからなくもない。
「それよりどうする。非難が遅れてるぞ」
「そうだな……」
陣は目の前の人波、そして背後でまだ右往左往する人たちを見回す。
ここ北京も最古のサイバー空間の一つ。男が爆弾を仕掛けていても不思議はない。できるだけ早く非難を済ませたいのが本音だ。
「ジョセフ、頼めるか」
陣の言葉に、ジョセフはポーカーフェイスで頷く。
「了解した。そちらはお前に任せる」
「ああ」
お互いの特殊武装でハイタッチし、それぞれの目標に向かって走り出す。
陣は男へ、ジョセフはその反対方向だ。
〘MCS全隊に告ぐ。作戦変更、作戦変更。被疑者の確保をMCPに任せ、民間人の避難を最優先目標に切り替える。繰り返す、被疑者の確保をMCPに任せ、MCSは民間人の避難誘導を最優先目標とする〙
右耳に、頼もしいジョセフの指令が聞こえてくる。
待ってろアミリア、木下。今すぐそっちに行く。
「やあ!」
木下の拳をかわした男は、右から飛んできたアミリアに目を見開く。
初めて額に汗を流し、その蹴りを跳んでかわす。
「木下さん!左!」
「はい!」
アミリアの掛け声で、木下は左に走る。
それを確認するや否や、アミリアは男めがけて地を這うように回し蹴りをお見舞いする。
飛んでかわす男だったが、後ろに回った木下が盾を操り、背中にたたきつけてくる。
「がっ!」
強い衝撃で、男は正面から地面に激突する。衝撃で、持っていた銃が遠くへ飛んでいく。受け身をとる暇も与えず、アミリアは右手で拳を作り、男の顔に見舞う。
瞬時に体をひねり、足を振り回す男。アミリアは地面にヒビを入れた拳を戻し、いったん下がって距離を取る。
立ち上がった男は木下に殴りかかるが、シールドで右手を防がれる。左手は木下自身にいなされ、空いている方の手で脇腹に一発打ち込まれる。
「うぅ……」
後ずさる男は、もう一丁銃を取り出し、アミリアに向ける。
動きを止めようと足を狙うが、木下が右手を振りぬくような動きで、盾をアミリアの前に放ってよこす。
またしても銃弾をはじかれ、男はいら立ちの唸り声をあげる。
「ゔああ!」
銃を手放そうとしない男に、アミリアはアグニを取り出す。それでバズーカを撃つのではなく――その長い砲身で――男の頭を、思いっきり振りぬく。
高い金属音とともに、男は吹っ飛ぶ。
二人の見事な連係プレーに、徐々に追い詰められている。
だが、まだ決定的なダメージではない。
男は体の状態、そして周囲の状態を確認する。
体は……まだ戦える。制限解除を使えば、あの二人だけなら勝てるだろう。だが後方には巡査部長やイーストエンドの英雄、果てはMCP、MCSの連合軍がいるはずだ。ここでは数に勝てない。
周囲は……右往左往していた人だかりはいつの間にか消え、まぎれて逃げるという手段は断たれている。
しかし、それこそまだ制限解除を使っていない。超脚力があればこの二人を撒けるかもしれな――。
「ははっ」
男は乾いた笑い声をあげる。
目の前には――。
「巡査部長……」
――赤い拳を携えた、陣が立っている。
「よう」
鋭い一撃。男の目には、赤い閃光が走ったようにしか見えなかった。
よくわからなかったが、とにかく、相当なダメージを追ってしまった。何m飛ばされたのかもわからない。
銃は、銃は……またどこかへ飛んで行ってしまった。お手上げだ。
最後の手段!
男がズボンのポケットからスイッチを取り出す。
「マズい!」
陣は叫ぶ。銃を振り落とすために殴り飛ばしたが、まだスイッチを隠し持っていたとは――この距離では間に合わない!
ドカアァン!
「「っ?」」
陣も木下も、圧倒的な音に身をすくめる。
まさかまた爆発が――いや、男の様子が変だ……。
「「へっ?」」
男の下半身が、吹っ飛んでいる。
「アミィ⁉」
陣は驚きの声を上げ、アミリアの方を振り向く。
「ふう」
アミリアは一仕事やり終えたすがすがしい表情で、構えていたアグニを下す。
「撃ったの⁉」
陣は信じられない、という表情で詰め寄る。
「だって仕方ないじゃない。また爆破されたらかなわないわ。向こうには仲間がたくさんいるし、一日に何度もバックアップしてたら、脳に影響出るもの」
「いやあ……。そりゃそうだけど」
何とも思い切りのいい豪快な話に、陣は言葉を失う。
「足が!足が!いだいいいいい!」
男だけが、必死の叫び声をあげている。それはそうだろう。下半身が、立っていた地面ごと吹き飛んだのだから。
「間違えて殺したらどうする!」
陣はハッとして注意するが――。
「スタン弾と間違えたの」
アミリアはぺろりと舌を出し、手錠を持って男の方に歩いていく。
絶対わざとだ。
陣は確信する。デートを中断させられ、爆破で殺され、バックアップでしんどい中大変な作戦を組まされ、アミリアは明らかに怒っている。
さっきから妙にせかせかしていたのもこのせいに違いない。まあ、触れないでおこう。触らぬ神になんとやら。国がなくなっても先祖の言葉は大事にしなければ。
「ああ!いだい!いだいいい!」
ヒーヒー言っている男に近づき、アミリアは腰をかがめる。EDRを準備しているが、それより先にすることがある。
「木下さん、時間」
「午前9時42分です」
「ありがとう。じゃ、午前9時42分。まあいろいろあるのだけど、電凶法違反で現行犯逮捕するわ」
「待ってくれ!先に足を!足をぉぉ!」
「男のくせにめそめそしないの!気にしすぎ!ただのデータよ」
アミリアは、硬くて冷たい手錠をガチリとはめた。