第十一章 旅
2121年 参戦国家が20を超え、世界大戦の様相を呈する。
各国、民間人のダイブ使用を全面禁止。これにより、世界経済がマヒ、流通、インフラに大きな混乱が生じる。
2122年 北朝鮮、軍事境界線を越え韓国に侵攻。北部主要都市を占拠。
ジャパン、米国は支援隊を直ちに派遣。対抗するように中国軍が参戦。
米国大統領、現実世界での武力衝突を受け、「世界は第三次世界大戦へと突入した」との声明を表明。(電脳戦争)
2128年 連合国軍、北朝鮮軍に占拠されていたソウルを奪還。
北朝鮮軍、平壌まで後退。
2130年 連合国軍、サイバー空間の混乱を平定するため、サーバーのリセットを決定。全サイバー軍の撤退を開始。枢軸国側にも軍の撤退を勧告。
中国、ロシアをはじめ枢軸国は連合国の決定を非難する声明を出す。
第十一章 旅
十一月15日、現地時間午前3時35分。MCPジャパン支部総括本部刑事部捜査一課。
現実世界に戻ってきた陣は、柴咲の机の前で頭を下げる。迷惑をかけるのはこれが初めてではないが……。毎度毎度、申し訳なく感じている。あとは行動で示せればいいのだが……。
「すんませんでした」
「まあいいから、頭をあげろ」
柴咲はお決まりの返事をする。毎度毎度、申し訳ないというオーラを感じ取っている。あとは行動で示してくれたら嬉しいのだが……。
「お偉いさん方がお前の処分を決めた。お前の捜査への貢献に報いたいと、わざわざ上司の俺を話し合いに呼んでくれさえした」
柴咲は真面目な顔で書類に目を通す。
「いいか、よく聞けよ。しばらく謹慎を命じる。期間は一か月。その間、いかなる手段でも本件にかかわることを禁じる。今や殺人事件と爆破テロは同一犯によるものと考えられている。当然、殺人事件にかかわることも禁止だ」
ある程度予想していたとはいえ、陣はショックを隠せない。
「あー……わかりました」
反論したい気持ちと、そんな立場にないと理解している理性。そのはざまで、陣の胸中は大きく揺れ動いている。
「本来なら特殊武装の目的外使用で懲戒処分の案件だ。今回の処分も記録には残せないが……お前の今後のためだ。理解しろ」
そこまで言われたら、もう文句は言えない。陣は諦めて無言でうなずき、自分の机に戻る。
「で、使える分は年休使え。お前毎年一つも使わねえじゃねえか。警務がうるせえんだ。この際使っちまえ」
「……はい」
PCを立ち上げ、システムで年休を打ち込んでいく。
仕方がない。クビになるか、年間40日ある年休を消費するか、だ。今までの警察人生でほとんど使わなかった年休。使い込んでも、まあ、いいだろう。そう思うことにしよう。
「あー、それで班長」
PCでの操作を終え、思い出したように椅子の向きをくるりと変える。これから一か月担当できないとなれば、少なくとも現状くらいは知っておきたい。
「結局捜査本部は吸収されたんすか?こっちの。さっき同一のって――」
「禁止だって言ったろうが」
柴咲は書類から目を上げて一蹴する。
「謹慎は明日からっすよ」
「時間見ろ、もう今日だ。眠いんだよ、寝させろ」
柴咲は三時を大きく過ぎた時計を指差し、大きな大きなあくびをする。捜査一課にはもう誰も残っていない。片山は本部の課長席に座っているし、木下は明日からの捜査に備えさせるため、帰らせた。
「あー、すんません。でもほら、勤務時間で考えると八時半が切り替えですし……そう考えるとまだ勤務中。記録に残せないわけですし……」
陣は肩をすくめ、ひょうひょうと言う。
柴咲は半分うんざりした顔で天井を仰ぎ、渋々答える。
「お前屁理屈ばっか言ってんじゃねえ。今のお前の勤務時間は向こう準拠だろうが。ったく、仕方ねえな。時差なんてもの無くなっちまえばいいんだ」
「すんません」
「うるせえ」
柴咲はもう一度あくびをすると、机上の書類を見ながら説明する。陣はコーヒーでも淹れようと、捜査一課の奥にあるコーヒーメーカーめがけて歩き出す。
「まず、お前らがエジプトで発見した男、これがピラミッドを爆破したのは間違いない。アイゼンハワー少尉が確認している。そして殺人の方だが、木下がお前の指示通りに見つけた被害者、これの顔がなぜか爆破犯と一致。他人の空似って可能性も無くはないが……まあ合理的に考えて、同一犯による犯行とみて間違いないだろう。結論、殺人と爆破テロの捜査本部を合わせることになった」
コーヒーメーカーのスイッチを押し、カップをセットする。おっとインスタントの粉を入れなければ。量は班長と自分の分、合わせて二杯分。
「あー。やっぱそうなんすね……でも、同一とみるには問題も多いでしょうね」
陣は淹れたコーヒーを班長席まで持ってきて、柴咲に差し出す。
「お前もそう思うか」
受け取ったコーヒーを一口すすり、柴咲は尋ねる。陣は自分で淹れたコーヒーを片手に、席に戻る。
「何で一件目で同じ顔の男を殺したのか……。しかも、方法は爆破じゃないですしね」
「そうだ。お前がしたプロファイリング……なんだぁ?《最古のサイバー空間》だったか。TOKYOエリアだってその条件には当てはまるだろう。なんでわざわざ……見当はついてんのか」
陣はあごに手を添え、ぽつぽつと話す。
「できる、できない、は別にして、ちょっとどうかと思ってることはあります。いずれにせよ、わざわざ自分の手で殺している以上、何かひねりこんでる節はありますね」
「現状保存を消せるくせに、爆破現場では一度も消しちゃあいない。なら何で最初だけ消したのか?ふぁあぁ。まあ顔が判明したおかげで、今後は運転免許にパスポート、各国の年金システムに登録された顔写真まで、ありとあらゆる顔情報と照合を進めていける。それで割り出せるような相手だとは思っちゃいないが、サイバー空間の監視システムにも登録しておいた。アクセスポイントを通ればすぐにわかるだろうな」
「それで簡単に捕まるような相手でもないっすよ」
陣はいじわるな笑みを浮かべ、キャスター付きの椅子を左右に揺らす。冷める前に飲もうと、コーヒーを口に含むが――。
「まあ事件の話はここまで。ところでお前、待ってる間、ケイティと何してたんだ」
「えほっ」
いきなり聞かれたくない質問をされ、思わずコーヒーを吹き出しそうになる。少し気管に入り、ゲホゲホとむせる。
「いやいや、何でですか。ゔゔん」
柴咲は当然八年前のことを知ってはいるが、改めてそれを聞いてもらう気にはならない。ていうか、そっとしておいてくれ……。
「ああん?妙に吹っ切れてるからだよ。俺が連行した時、不満たらたらな顔だったじゃねえか」
「そうでしたっけ?」
気を取り直してもう一度コーヒーに口をつける。
「そうだったよ。まー……あぁそうだ。お前休みの間、旅行でも行って来い」
「え?旅行すか?今⁉この状況で⁉」
いきなり話が飛んで、陣は思わず聞き返す。なんのこっちゃ。違う。捜査本部が大変な時期だというのに、遊びほうけていいわけがない。
「そうだ旅行だ。この近くうろついてたら、しれっと捜査に絡んでくるだろうがお前。何年面倒見てきたと思ってんだ。考えてることなんかお見通しだ」
「あー、はっはっはっー、やっぱりそう思います?」
苦笑いしながら、コーヒーを一気に飲み干す。やっぱりダメか……物理的に捜査から隔離してくるとは……。愛想笑いでなんとかごまかせないだろうか。
「あっはっはそう思うよあっはっは」
柴咲はものすごい棒で笑いながら、絶対に旅をしろ!と威圧してくる。その笑顔を見て、陣は瞬時に真顔に戻る。
「ま、せっかくの機会だ。合衆国本土でも行って来い」
「え?本土に?」
陣は心底訳が分からない、という顔をする。それを見て、柴咲は半分憐れむような表情になる。
「お前、バカか」
「ああ、ええ……バカぁ⁉」
あまりにも心外な言葉に、陣は甲高い声をあげる。
「どうせ他に行くとこねえんだろ、ワシントンでも観光して来い」
「観光ならサイバー空間で……てかワシントンってどんだけ味気ないと思ってんすか、三日前に行ったし――」
「直接行った方が趣があるだろ。現地に知り合いがいるから、旅行中のガイドも頼んでやる」
「はあ、でも――」
「行って来い」
「……はい」
十一月15日現地時間午前9時14分。ダレス国際空港。
陣は入国審査を終え、到着ロビーへと出る。キャリーバッグをガラガラ言わせながら転がし、柴咲が手配した案内人を探す。
さすが世界の中心、その首都だ。訪れる人の数も桁違い。歩きづらくて仕方がない。いや、中心と言えるのはせいぜい国家群レベルでの話か。世界の中心と呼ぶには第三次世界大戦で合衆国が失ったものはあまりに大きい。中国もロシアも多くの人と金を失い。どこが中心なのかよくわからなくなっている。
感傷に浸りながら――こんなことを考えるなんて気持ちが弱っているのかもしれない――ロビーを進む陣だったが、ふと、見覚えのある顔を遠くに見かける。
まさか、班長の言ってた知り合いって……陣は気まずくて顔をしかめる。しかしどこか嬉しいような、こそばゆい感じがしてならない。顔がにやけてないといいが。
「あぁー……。ハァイ」
近寄り、ぎこちなく右手を上げてみる。
陣の姿に気付き、目の前にいた金髪の美女がぱっと明るい顔になる。
「Hey!I was waiting for you,Jin.」
まるで太陽のような笑顔に、陣は一瞬見とれてしまう。だが、その口から発せられた言葉を理解できない。
「あー、ちょっと、ちょっと待って。ウェイト」
右手の平を相手に見せながら左手でキャリーケースを体に引き寄せる。そしてスマホを取り出し、翻訳アプリを起動する。
「ごめん。俺は英語話せなくて」
〘I'm sorry. I can't speak English.〙
こうしてしゃべることで、スマホが自動的に翻訳してくれる。もちろん、多少のタイムラグが生じる。
〘いいえ、私も日本語少ししか話せないから、お互い様よ〙
相手の言葉も、多少のタイムラグを経て電子音声で返ってくる。
サイバー空間では、基幹システムに組み込まれたAIが自動的に言語を翻訳し、脳波に電気信号を送信してくれる。しかし、現実世界ではそうはいかない。誰も電極に繋がれていないからだ。必然的にこういったアプリなどに頼るしかなくなる。
しかし、目の前の美人はそんな不便さなどどうでもいいようだ。今にも飛び跳ねそうなくらい喜んでいる。
〘まさかあなたが来てくれるなんて思わなかったわ。楽しみで――昨日はほとんど眠れなかったの〙
まるで少女のように笑う女性は、サイバー空間で散々世話になった――。
〘アミリア・ケイティ・クラークよ、初めまして、武田陣巡査部長〙
「まさかアミリアが来てくれるとは思ってなかった」
車の助手席で、陣は流れて行くワシントンの街並みを眺める。左の運転席ではアミリアがハンドルを握っている。せっかくのハイウェイなので、手動運転を楽しんでいるらしい。意外とアクティブだ。
〘あら、同じこと言ってくれるのね、嬉しいわ〙
アミリアがしゃべった数秒後、アームレストに置いてあるスマホから音声が出てくる。
「非番のところ、申し訳ない」
〘あら、気にすることないわ。柴咲警部補から聞いたけど、六年ぶりの休みだそうね〙
「休むきっかけがなかなかなくて」
陣は足を組んで、背もたれに体重を預ける。
〘そういえばそうだったわね〙
アミリアは調べ室での話を思い出し、やれやれと首を振る。
〘滞在先のホテルは?〙
「まだ決めてない。どこかいいとこは?」
〘滞在期間にもよるけど……お金に余裕があるなら、クラウンプラザとかどうかしら?〙
陣はアームレストのスマホを手に取り、クラウンプラザを検索してみる。なかなか値も張るが、確かにここは、快適そうだ。
「謹慎期間は一か月。その間なら別にいつまでも。金なら……悲しいことに、腐るほど余ってる」
〘フフッ、休んでないからね?〙
手元からの電子音声を聞きながら、陣はおどけて見せる。
「その通り。十年分の給料が行き場を失ってるよ」
〘ダメよ、何か仕事以外に趣味を見つけなきゃ〙
一瞬だけこちらを見て、アミリアはたしなめるように言う。
「そうかな」
〘ええ、そうよ。豊かな趣味は、人生を豊かにするわ〙
「なるほど」
〘どこか行きたいところは?〙
「……MCPの本部には一度行ってみたいと思ってた」
サイバー空間では散々通っているが、実際の庁舎に行ったことは一度もない。ワシントンにあるなら、ぜひとも見てみたい。そしてついでに捜査状況でも見られれば――。
〘陣、私の話聞いてた?ダメよ。ダメ〙
当然、その提案は拒否される。
やっぱダメか。ハイハイ、と生返事。
きっと、班長からも釘を刺されているのだろう。職場によるな、と。
陣は諦めてため息をつく。
しかし――スマホの画面を見て思う――クラウンプラザは少し洗練されすぎている。こんなところじゃ落ち着いて寝られないだろう。
「なあアミリア、ちょっとこのホテルは――俺には、高潔すぎる。もうちょっと……なんと言ったらいいのか、こう、汚いところはないかな」
数秒後、翻訳を聞いたアミリアが吹き出す。
〘フフ、なあに?汚いって。もう……〙
「ああ、いや、別に変な意味じゃないんだ。笑うなって」
楽し気な笑いに包まれながら、車はワシントン中心部へ向かう。
〘とりあえず、午後はワシントンの名所でも回ってみる?〙
開放的な店で細長いバンズのサンドイッチをほおばりながら、アミリアは提案する。
大通りに面した、格子状の大きな窓がある店。お昼より少し早い時間帯で、客足はまだそこまで多くない。
葉物野菜と細く切ったニンジン、もやし、薄い肉がたっぷりと挟まれ、酸味の効いたソースが絡んで美味しい。アクセントでチーズが入っているのもいい。
「うーん、そうだな」
口いっぱいに素材の味を感じながら、陣は答える。
「名所って、ホワイトハウスとか?」
あんまりいい思い出はないが、ワシントンで一番有名なのはそこだろう。
〘あむ、行きたければ、別に構わないわ。リンカーンの像とかも近いし、案外いいかも〙
アミリアもなんとなく悟ってはいるが、深く追及はしない。もぐもぐとおいしそうにサンドイッチを食べ続ける。
その様子をしばらく見ていた陣だったが、ふと気になって聞いてみる。
「なあアミリア、いいのか?貴重な休日をつぶしてしまって」
三交代勤務なので、24時間の勤務が終わった後、今日明日が休みになるのだ。今だって、泊り明けで眠たいはずだ。
〘さっきも言ったじゃない。気にしないで。私だって楽しみにしてたんだから〙
「楽しみに?なんで?」
陣はサンドイッチから口を話して、アミリアの顔を見る。アミリアはいたずらっぽい笑みで、クスリと笑う。
〘さあ、何でかしら?でも……すごく興味があるのは確かだわ。あなたは有名人だもの。いいえ、違うわね。ただ優秀な人だと思ってたけど……けど、思ってたよりずっと――〙
憂いに満ちた表情で陣の目をまっすぐ見返し、アミリアは呟く。最後の方は声が小さすぎて、翻訳アプリが拾ってくれなかった。
「……?」
なんだろう、優秀、優秀、って。捜査的な指導でも期待している、ということだろうか。別に言ってくれればいつでもアドバイスはするのだが。ここまでよくしてもらっていると、なんだか申し訳ない。
狐につままれたように、陣は首をかしげる。それを見て、アミリアも同じ角度に首を傾ける。その顔はどこか楽しそうだ。
〘ねえ。リンカーン記念堂行ってみない?見たことがあるなら別だけど――〙
目をつむり、いつもの明るい表情にパッと切り変え、アミリアは提案してくる。
ころころと表情を変える女だ。しかし、一緒にいてなぜか飽きない。陣は心の底をくすぐられたような――空港でアミリアを見つけた時のような――こそばゆい感覚に陥る。妙なざわつきを押さえるため、口の中のサンドイッチをもしゃもしゃと片付け、強く頷いた。
「いや、行こう。案内頼んでもいいかな?」
OKの返事に、アミリアは心底嬉しそうに笑う。
〘ええ!もちろん!〙
翻訳機から聞こえてくる音も、どこか楽し気に聞こえた。
午後に回ったのはリンカーン記念堂、その反対側にあるワシントンモニュメント、国立アメリカ歴史博物館、アメリカ国立公文書記録管理局――かの有名な独立宣言が置いてある場所だ。
「これが歴史ある独立宣言?」
ガラスの向こうにある、変色した茶色の紙を見つめる。
〘ええ、そうよ。450年前、イギリスから独立を果たした時のもの〙
「ほーん……。こういうの見てるとさ、歴史を感じるよな。なんか」
〘そうね……〙
「ワシントンって全体的にそんな感じだ。建物といい、内容といい」
独立宣言書から目を離し、歩を進める陣。アミリアもそれに続く。
〘ジャパンの京都みたいな感じね。お寺とか街並みとか。それこそ『日本』の方があるじゃない。歴史。私たちの国はまだ生まれて五世紀もたってないのも。あなたのご先祖様がいた国は、二千年もの間天皇が統治していたのよ。それって、すごいことだわ〙
「まあ諸説あるけど、確かに。見方によれば、二千年以上同じ王がいるようなもんだしな……でも――」
陣は、展示されているある書の前で立ち止まる。小中学校の授業で散々見てきたものだ。
「――その国は、もうない」
日本が、合衆国52番目の州として加入した時の書面。隣には51番目とか53番目とかが連続して置かれている、が。
「何でこんなもん受けちまったんだろうな」
タイトルはおろか、中身の文章など見たくもない。
〘やっぱり、ジャパンの人からしたら面白くない?〙
アミリアは少し気まずそうに聞いてくる。陣は書面の入ったガラスケースを見ながら、首を左右に振る。
「面白くないというより、怒りかな。ご先祖様おい!って感じ。国家群に慣れちまって、感覚がマヒしてたのか。自力で再建することに疲れちまったのか……いずれにせよ、50年前に日本人が誇りを失ったのは間違いない。誇りじゃ食ってけないのもあるけど」
〘でも、あなたにはしっかりサムイライの心が息づいているわ。あなたは自分の仕事に、誇りと信念を持ってるもの〙
アミリアは熱っぽい視線で陣を見る。加入文書の方を見ている陣はそんなことには気付かず、おちゃらけた回答を返すばかり。
「あ?言ってなかったっけ?この前言った戦国武将の話。俺自分の家の家系図とか見たことないんだよね。だからたぶん、祖先に侍はいないよ」
〘えぇ?何?だましたの?〙
ひどいわ、と言いながら笑うアミリア。
「ごめんごめん、ジョークだったんだ、ジョーク。あっ、ちょっと待って、アミリア」
〘じゃあ。気を付けて。受付は――大丈夫?〙
「ああ、これもあるし。ありがとうアミリア」
陣はスマホをかざして見せる。高級ではないが、それなりなシティホテルの入り口。これくらいの規模の方が落ち着いて寝られる。
〘私の方こそ、楽しかったわ〙
アミリアは心底嬉しそうに笑っている。
〘明日は――、あなたもゆっくり寝たいでしょ?お昼くらいに迎えに来るわ〙
「え?明日も?」
意外そうに聞き返す陣に、アミリアはむすっとして答える。
〘あら、私がいたらお邪魔かしら?〙
「いや、いや、そんな。滅相もない。じゃあ……楽しみにしてる」
〘よかった!〙
コロリと笑顔になるアミリア。嬉しそうに手を振り、自分のアパートへと帰って行った。手を振り返すのは少し恥ずかしく、陣は右手を上げて応じるだけだった。しかし――仕事のことばっかり考えてイライラするかと身構えていたが、たまには休みってのも――悪くない。
「テニスぅ?」
翌日アミリアに連れられ、陣はショッピングモールにやって来ていた。目の前に陳列されているテニスウェアを、胡乱そうに見る。
〘そう。なんだか落ち着かなくて、体を動かしたいの〙
「うーん……テニスなんてやったことねえな……。サイバー空間じゃダメ?」
〘反射神経強化使われたら、私の打ったボール全部返されちゃうじゃない。ダメよ〙
「……それもそうか」
妙に納得しながら、陣は青と白のテニスウェアを手に取る。
「うーん。これなんかいいかも」
〘どれ?えぇ?爽やかすぎるわよ、陣には〙
「っ!いいじゃねえか!クソッ!これ買ってくる」
自分のセンスを否定され、意地になってレジに向かった陣だったが――。
「ええ⁉」
またもやボールがコート外に飛んでいく。
「……なんでだこれ」
テニスって――少なくとも陣がテレビでたまに見かけるプロ選手は――力強く、全力でラケットを振り抜いている。ように見える。
しかしなんだ、実際渾身の力を込めてラケットを叩きつけると――ボールはとんでもない方向に飛んで行ってしまう。
〘あぁ、ダメよ。力任せにやっちゃ〙
アミリアは優しく教えてくれる。
〘ちゃんとラケットの向きをね、こう〙
「こう?」
見よう見まねでやってみる陣。
〘そうそう!そんな感じ。それで、変に力まずに振り抜いてみて〙
言われた通り、ボール無しで形だけ練習してみる。
〘じゃあ、それを意識しながらやってみて。行くわよ……〙
アミリアがコートの反対側に戻り、打ちやすいよう、アンダーサーブを放ってくれる。
「よし……こう来て……こう!」
見事にラケットの中心でボールをとらえ、絶妙な力加減でアミリアの正面に返す。
「おっしゃ!」
年甲斐もなくガッツポーズをしてしまい一瞬後悔が頭をよぎる。だが、久しぶりに感じる達成感と高揚感。なかなか悪くないな、テニス。
「Great!」
コートの向こう側でもアミリアが嬉しそうにサムズアップをしている。
基本がわかれば、あとはお手の物だ。バックハンドとサーブも一通り教わり、試しにゲーム形式でやってみる。
アミリアは大学時代にテニスをしていたらしく、さすがに初心者の陣が勝つことは難しい。しかし、CBTの成績がトップクラスの陣は普段の運動神経もいい。女性にはないパワフルなショットで、わずかではあるが得点を奪うことはできる。
「ふう」
結局ゲームには負けたが、スポーツで汗を流すのも悪くない。陣はコート脇のベンチに座り、額の汗をぬぐう。
〘はい、どうぞ〙
アミリアがスポーツドリンクを手渡してくれる。陣はそれを受け取り、礼を言う。
「サンキュー」〘ありがとう〙
ベンチの上に置いたスマホが、余計なところまで翻訳する。
陣はしかめっ面でスマホを一瞥し、ペットボトルのキャップをひねる。
〘それにしてもすごいわ。呑み込みが早い〙
「そんなことないさ。何回かしか点とれなかった」
アミリアはタオルで汗を拭きながら、小さく笑う。
〘でもちゃんとゲームになってたもの。すごいわ〙
「そうかな?でもたまにはこういうのも悪くない。久しぶりに学生に戻った気分だ」
〘ふふ、よかったわ。ねえ、もしよかったら今度の休みはジョンもさそってやってみない?彼もテニス経験者なの〙
「ジョンもワシントンに?」
〘ええ。彼はMCPが借り上げてる民間のアパートに〙
「そうか。それも面白そうだ。ぜひ」
陣は快活に笑う。
〘よかった。明日声かけてみるわ――あと……〙
スマホから出てくる電子音声は単調だが、アミリアの声には緊張が走っている。陣は反射的に身構える。
〘ジョセフも、大学時代にテニスをやってたの。だから――〙
聞きたく名前を出され、陣は瞬時に立ち上がる。
〘待って!〙
「そういうことだったんだな?このテニスも」
〘違うわ!〙
「いいや違わない。あいつとテニスで親睦をってことだ」
〘それは……ええ。そうね、そうだわ、ごめんなさい。それがゼロだったとは言えないわ。でも――私たちはチームだわ。親睦を深めることに何も悪いことなんかないじゃない〙
陣は人差し指を突き立て、まくし立てる。
「放っておいてくれ!俺の個人的な問題だ」
アミリアはため息をついて、タオルを乱暴に置く。
〘放っておけないのよ!〙
「なんで!」
〘知らないわよ!もう!〙
思いもよらないアミリアの大声に、陣は圧倒される。
「……いや、そりゃ気にかけてくれるのは嬉しいけど……。アミリア、本当にいいんだ、これは。あきらめてくれ」
〘いいわよ!日本人が頑固なのは痛いほどよくわかってるもの。私だってあきらめないわ!〙
ぷりぷりと怒って、アミリアは先にテニスコートに戻っていく。
「いや……アミリア?」
〘何なのよ!男のくだらないプライドなんて……ああ!〙
コートからの大声を、ベンチのスマホが拾って無機質に訳す。
なんだか押してはいけないスイッチを押してしまったのだろうか……逆らうことが恐ろしくなり、陣はアミリアに続いてコートに入った。
そのあとの試合、本気になったアミリアは、一度も点を取らせてくれなかった。
十一月20日現地時間午前10時08分
「痛ぇ……」
サイバー空間内の喫茶店で、陣は痛む足をさすっていた。
「大丈夫すか?」
向かいの席には、木下が座っている。ここは喫茶店の一番奥のボックス席で、周囲は観葉植物のようなもので遮られ、簡単には姿が見られない。
「筋肉痛がな。非番はショッピングとか観光。公休日はテニスなんだ」
現実世界の体本体の痛みなので、EDRを使っても治りはしない。
「クラーク部長ですよね?」
「あ?ああ。まあ非番のところ悪いな」
「いえ、全然。素敵な人ですよねぇ」
「あー」
気の抜けた返事をする陣だが、ふと目を上げ、部下のにやにやした視線に気が付く。
「……なんだお前こら」
「ふっ、いや……何でもないっす」
木下は慌てて目を伏せ、持ってきた電子バインダーを開く。
「いいからお前ほら、捜査状況どうなってんだよ」
「ええっとですね……。資料の持ち出しは厳禁になってまして、俺のメモくらいしかないんですけど……」
「いいよ、進展具合でもわかれば十分だ」
「あ、はい」
木下は捜査本部の二係に配属されている(ちなみに柴咲は三係だそうだ)。陣たち三係の前日に24時間勤務をするということだ。今日は二係の非番、泊り明けで、三係が仕事の日。つまりアミリアも柴咲も仕事で不在のため、捜査状況を聞き出す絶好の機会なのだ。
「で、どうよ、進展は」
「いやあ、それが、犯人の顔がわかったくらいで特に進展は……」
「あるだろ、もう一つわかったことが」
「え?」
予想以上に捜査は行き詰っているようだ。陣は我慢できなくなって自分から話を始める。
「なんだ。誰も言ってないのか?……すすきのの爆破だよ」
「同一犯かどうか、ってことすか」
「まあ、同一だろう。確証はないが」
「へー、でも、なんでです?」
「時間だよ」
「時間?」
「すすきのの爆破は朝早く、ワシントンの爆破は夕方、夜になろうかって時間だったろ?それに惑わされてた。時差があるってことを忘れてたんだよ。両方の発生時間を、極東部標準時に合わせてみろ」
木下は陣に促されるまま、過去二件のデータを比べてみる。
「えーっと……どっちも、朝七時台……あ、二日続けて同時間帯です!でも、なんでこの二つが?」
「やつの顔を見て気付いた。爆破犯と殺人の被疑者が同じ顔、そしてそいつと同じ帽子をかぶったやつがホワイトハウスにいた。じゃあ、もし、すすきのの爆破も同じやつの仕業だったら?」
陣は机に手を突き、ずい、と木下に寄る。
「二日続けてその時間帯に爆破することで、やつにとって大きな利点がある。朝の七時台と言えば?」
「……検察庁に身柄を送る時間です」
「それだ。警察は、被疑者を逮捕して48時間以内に送致しなけりゃならん。そして、検察は身柄本体が確保できてない場合、釈放するしかない。加えて、現実世界ではやたらと時間のかかる送致勾留の手続きも、サイバー空間ではすぐに終わる。こっちの身柄だけで送致されること自体が異例だからな」
「だから、七時台に爆破を、二日続けて?」
「48時間以内だから、逮捕翌日か翌々日のどちらかが送致日。どちらになってもいいように、あらかじめ仕掛けておいた。そして、いざ爆発してしまえば、警察はそっちにかかりきり。釈放後に尾行する暇なんか無くなるってことだ。実際それで撒いたしな」
陣の言葉で、木下はシュンとなる。
「……すんません」
「いや、逃げられたのも案外ムダじゃねえ。逃げられたおかげで、すすきのって場所の引っかかりも消える。ワシントン、ロンドンは首都、ギザも首都カイロに隣接する観光都市。すすきのだけが何の関係もない、ただの最古のサイバー空間だった。最古って言うなら、TOKYOだって最古のサイバー空間だ。それなのに、だ」
「はあ」
いまいちピンと来ていない木下に、陣は続けて説明する。
「つまり、TOKYOで爆破を起こすと、やつにとって不都合があったんだ。だからわざと、人目をすすきのの方に向けた。お前がやつに殺され、足取りを見失ったのは?」
「あ……TOKYOエリアっす」
木下は合点がいき、手のひらをポンと打ち合わせる。
「だろうが。TOKYOに何らかの逃げ道があるんだろうよ」
「そうやって考えていくと、妙にすっぽり収まるっすね。あー、でも、どうやって爆破したんでしょう」
「そこを調べるのが仕事だろうが。まあ現状保存消せるようなやつだし、スイッチ式の爆弾があるなら、時限爆弾があっても今更驚かねえよ。エジプトのはアイゼンハワーが確認してんだろ?」
「あ、はい。爆破の直前に、男がスイッチのようなものを押した、と……でも送致時間を考えて爆破してるなら、逮捕から送致までの手続きとか、それに関わるうちの内情に詳しい人間ってことっすよね。そうなると――」
「法律の専門家、法律オタク。あるいはMCPの身内。考えたくはないが……元・現職問わず、MCPの誰か」
「まさか」
木下はありえない、と首を振る。できれば陣もその線は考えたくないが、個人の感情で可能性をつぶすわけにはいかない。
「あらゆる可能性を捨てずに考えろ。そうじゃなきゃ進展しない。とはいえ、この話を裏付けてんのは状況証拠ばっかりだ。あくまで参考程度に考えろ」
「はい。ああ、でもその線で行くと最初の二件が逃走のため、後の二件は、何のために……」
「最初の二件と後の二件、関連性が薄いってことか?」
「はい」
「班長にはもう言ってあるんだが、あいつはたぶん、俺たちがトンネルに入ってきて慌ててたんだ。例の注射器を壊しちまうために」
「証拠隠滅を優先したってことすか」
「ああ。たぶん、連続爆破は最初からやるつもりだった。その前に一回捕まっちまったから、もしくは捕まる可能性が高まったから、爆破を利用して逃げようと考えた。トンネルに入ってすぐに出くわさなかったのは、爆破の準備をしていたから、とも考えられる。もっと言うと、ワシントンの爆破、あれだけ三回に分けられてた」
「そう言えばそうでしたね。何で三回に?」
「俺なら――もし俺が犯人で、今後の爆破のことも考えてやるとしたら、大統領を殺さないようにする。大統領なんか殺した日には、全世界のMCPが総力挙げて捜査するはずだからな。だから、わざとホワイトハウスの敷地外で小規模の爆破を起こし、仮に大統領がサイバー空間のホワイトハウスにいても、避難するだけの時間を与えた。おかげで大統領は無事。ロンドンが爆破されるまで、捜査本部立ち上げられなかった」
「ということは、ただ爆破するだけが目的じゃなくて、連続でやることに意味があるんすかね。そうなると、すすきのから四件連続。同一と考えられますね」
木下は眼鏡を押し上げ、レンズを光らせる。
「あくまで可能性が高いって話。どうもやり方が慎重というか、計画的な気がする。まあその辺も合わせて調べといてくれーーで?ここ一週間、やつの実際の動きは?」
「えーとですね……新たな爆破は起きてません。男の方は、顔情報を登録したおかげで、動きがだいぶんわかるようになっています」
陣は頬杖を突き、木下の説明を聞いている。
「ここ数日は古いサイバー空間を中心に、全世界を忙しく動き回っているみたいです。ただ……MCP、MCS双方がどれだけ素早く追いかけても、確保には至っていません」
「んー、何がしたいんだろうなあ……新しい爆破場所の選定とかか?」
「さあ……なんなんでしょうね」
木下は眼鏡の位置を直し、小首をかしげる。
「爆破方法の解明は?」
「MCSLと鑑識ももめてますね。ありえない位置での爆破だとか何とかで、詳細はまだこっちまで回ってきてません」
「はあ……。お互いの威信が邪魔して、動き鈍くなってんなあ。どこもかしこも……」
そういえば自分も似たようなことをしたと思い出し、陣の言葉は尻切れになる。
「あー、被害者の方はどうだ?殺人の。新しいことは何かでたか」
「あぁ、それなんですが。まず被害者の氏名はエディ・マイケル。過去に派遣で働いてた形跡が――げっ」
突然、木下はバインダーを掲げて顔を隠す。
「?どうした、キノ――」
「こんにちは」
背後からの聞きなれた声に、陣は固まる。最近、どうも背後を取られることが多い気がする。
「警らに出る前に喫茶店でも寄ろうと思ったら……奇遇ね、木下さん。それにしても感心だわあ。休みの日も上司に報告だなんて」
「いえ、えっと……」
木下はバインダーでアミリアの目線を遮り、その陰から陣に助けを求めてくる。
「あぁ、アミリア」
陣は立ち上がり、アミリアの前に立つ。
「あら、奇遇ね。陣。昨日ぶり」
「あー。違うんだ。アミリア。せっかくの休みだし、久しぶりに部下と世間話でも、って」
「バインダーが必要だなんて、ずいぶん壮大な世間話ね」
「そうだな。俺たちは小説とかポエムの創作が趣味なんだ」
「柴咲警部補に言いつけるわよ」
「自作のポエムを?それは恥ずい」
「捜査にかかわるなって話、いいのかしら」
「創作は別に俺の自由だ。あっはっは」
二人の言い合いを、木下はバインダーの陰からこっそり見ている。
「けっこう話し込んでしまったなー。キノ、もう眠いだろうから、帰って休め、な?俺も帰る」
「ねえ木下さん」
「……はい」
「木下さんは、陣に脅されただけよね?」
にっこりと笑いかけられ、木下は背中に冷たいものが走る。若い巡査長は二人の巡査部長を見比べ、どちらに味方すべきか考える。
「キノ……」
「脅されて、仕方なく来たのよね?」
「はい!」
アミリアの恐ろしく美しい笑顔に、木下はバインダーを抱えて立ち上がる。そのままアミリアの脇を抜け、走って出口へ向かう。
「あ……」
あっさり見捨てられ、陣は呆然とする。部下を追っていた目線は行き場をなくし、なんとなくアミリアの顔を見てしまう。
にっこりと、やはり恐ろしい笑顔を向けられ、陣は木下と同じく、アミリアの脇を通り抜けようとする。
しかし、アミリアに肩を掴まれ、その場にとどめられる。
「うん」
咳払いし、もう一度歩き出そうとするが――なぜか、アミリアの手はびくともしない。まるで壁に体当たりをしているみたいだ。
二、三度動き出そうと試してみるが、どうにもできないようだ。陣はあきらめ、その場に立ち尽くす。
「私の制限解除は《超怪力》なの。女性は男性より力が弱いでしょ?ほら、こういう時に必要だもの」
笑顔を張り付けたままのアミリアに、陣は勝ち目がないことを悟る。目線をそらし、もう一度ボックス席に座りなおす。
向かい側には、アミリアがさっそうと座る。
「ちなみに言っておくけど、偶然じゃないわ」
「……」
「木下さん、交代の時に何だかそわそわして落ち着きがなかったの」
「……」
その辺りに気付くあたり、やはり本部の刑事か。
「私に気付かれてるくらいだから、柴咲警部補も感づいてるわよ」
「……」
ですよね。
「謹慎ってわかってる?陣」
「……はい」
「誰もよこしてこないあたり、柴咲警部補も今回は目をつぶってるようだけど……ねえ、陣。明日の休みなんだけど……テニスはどうかしら」
「それは……ウィズアイゼンハワー?」
「イエス」
アミリアの即答に、陣は窓の外へ視線を逃がす。最悪の選択だ。ジョセフとテニスなんて死んでも嫌だ。しかし断れば、この密会を柴咲にチクられる。そうなれば激高した上司に殺されかねない。本当に死んでしまう。
黙りこくる陣に、アミリアは一段と美しい笑みを向ける。
「陣?別に言ってもいいのよ?」
選択の余地はなかった。
陣はコート脇のベンチに腰掛け、ボールの行方を追っている。
ジョセフはコート脇のベンチに座って、ボールを追っている。
コートでは、アミリアとジョンが試合前のラリーをしている。
陣はボールの動きに合わせ、顔を右に向ける。
ジョセフはボールを追って、顔を右に向ける。
「はい!」
アミリアが打ち返す。
陣は顔をすぐさま左に。
ジョセフもすぐに左へ。
「あぁ!ごめん!取ってくるよぉ!」
ジョンがミスショットをして、ボールが点々と転がっていく。
追いかける対象がなくなり、陣は正面を向いてため息をつく。
追いかける対象を失って、ジョセフは真顔で正面に向き直る。
「……」
「……」
お互い、何もしゃべらない。
「ねえ!どっちでもいいから審判してちょうだい!」
コート上からアミリアに呼び掛けられ、陣は立ち上がる。
アミリアからの呼びかけに応じ、ジョセフは立ち上がる。
「……」
「……」
まったく同じタイミングで立ち上がり、陣とジョセフは顔を見合わせる。
数秒、見つめあった後、陣は歩き出す。
顔をそらし、ジョセフは足を踏み出す。
ザッ。
一歩目の音までかぶり、二人はまた顔を見合わせる。
「なんだ文句あんのかこら」
「いや?」
陣はフンと鼻を鳴らし、大きく二歩目を踏み出す。
ジョセフはいつものポーカーフェイスで歩き出す。
ザッ。
またしても足音が重なる。
陣はキッとジョセフをにらみつける。
ジョセフは無言のまま、陣を見やる。
「この……!」
「……」
「どっちでもいいから審判してちょうだい!」
陣はコート西側の審判席で、試合を見ている。
ジョセフはコート東側の審判席に座っている。
ジョンはさすが経験者だけあって、なかなかいい動きをしている。素人の陣でもその違いはなんとなく判る。アミリアの実力は連日のテニスで確認したとおりだ。目の前では白熱した試合が繰り広げられている。
「んん!」
アミリア渾身のスマッシュが、コートぎりぎりに決まる。
「イン!」
「やった!」
陣の判定に、アミリアは飛び跳ねる。
「アウト!」
「やった!」
ジョセフの判定に、ジョンは喜びの声を上げる。
「……は?」思わずジョセフを見る陣。
「……え?」判定の違いに戸惑うアミリア。
「……あれ?」ほかの三人を見回すジョン。
陣は反対側のジョセフ向かって歩き出す。
「今のはインだろ」
「いや、アウトだ」
「いいやインだった!」
「アウトだった。サーティ、ラヴ」
「てめえ!俺の話を聞きやがれ!」
陣はジョセフの足元で声を張り上げる。今にも掴みかかりそうな勢いだ。
「聞いてどうする。審判の判断は絶対だ」
ジョセフは相変わらず冷静な声と表情で言う。
「俺が審判だ。インと言ったらインだ」
「俺は《超感覚》でラインの境界がはっきりとわかる。お前はあの距離で見極められまい」
「俺は《反射神経強化》でコンマ一秒の動きまで全部わかる。ボールが地面に接地したとき、ラインぎりぎりに入ってた。お前はボールの軌跡を捉えて勘違いしてる」
「アウトだ」
「インだ!」
「どっちでもいいから審判席返してきなさい!」
アミリアはうんざりして叫ぶ。そう、普通テニスのコートに主審席は一つしかない。どちらなのかわからないが、隣のコートから審判席を拝借してきているのだ。
「くっ」
陣は何とかボールを返す。
「ふん」
経験者であるジョセフは、余裕でボールを返してくる。
「くそっ、調子に乗りやがって……!」
陣渾身のダウンザラインが決まり、コートの隅に、ボールが沈む。
しかしジョセフは驚異的な脚力でそれに追いつき、難なくボールを打ち返す。
「なにぃ!」
あの野郎!試合で制限解除使いやがった‼《超脚力》使ったら、拾えないボールなんてねえじゃねえか!
陣はネット際まで寄ると、鋭いボレーを反対の隅に打ち込む。
ジョセフはまたしても人外のスピードで追いつく。陣の逆をとって打ち返すが――。
「くっ」
陣は陣で、制限解除を開放する。《反射神経強化》で反応できないボールはない。
「いやあ、元気だねえ、彼ら」
ジョンはベンチに座り、終わりのない戦いをのんきに見ている。
「そうね」
アミリアもベンチの上で、スポーツドリンクを口にする。
「陣もすごいねえ、初心だろう?」
「ええ。一週間前にやったのが初めてよ。今はなんだかズルしてるけど」
「それにしては楽しそうじゃないか」
「あら、そうかしら?」
アミリアは少し照れたように笑う。
「でもこうして見てると、二人はなんだか似てるね」
二人とも負けず嫌いだ。ジョンは思う。
「そうかしら?」
方や熱血、方や無表情。そんなに似てないわ。アミリアは思う。
「でも――、仲いいのは間違いないね」
「ええ、そうね」
そこにはアミリアも同意する。二人とも憎まれ口をたたきあっているが、子供のようにはしゃいでいる(ように見える)。
あとは仲直りしてくれたら嬉しいのだけれど。でもこうしていれば、少しは……。アミリアは必死に動き回っている陣を、じっと見つめる。
そうしていると、自分の中に『ただ仲直りしてほしい』というだけではない、別の熱がじんわりと湧き出てくるのを感じる。
その熱っぽい視線に、ジョンは気づく。
「……そうか」
「え?」
振り向くアミリアに、ジョンは首を振って言う。
「ううん。ねえクラーク部長、どうせあれ終わらないし、切り上げさせて別のとこに行ってみないかい?」
世界最大の遊園地、ビッグサンダーマウンテン。ジョンとアミリアは子供のようにはしゃいでいる。
その二人を、陣は後ろの席からぼんやりと眺めている。
ジョセフは、はしゃぐ二人を後ろから無言で見つめる。
つまり、陣とジョセフは隣同士に座っている。
ジェットコースターなんて子供の時以来だが、どうしてこんなに楽しくないのだろうか。俺が年を取ったからなのか、隣がこいつだからなのか。陣は流れていく景色を冷めた目で見る。絶対にジョセフの方は見ない。
「おかえりなさーい」
帽子をかぶったお兄さんが、手を振って迎えてくれる。
「あー、楽しかった」
「爽快だねえ」
ジョンとアミリアは楽しそうに話しながら、席を立つ。
陣とジョセフはお互い無言のまま、一点に前を見つめ続ける。
「早く降りろよ」
陣は出口側に座っているジョセフに言う。もちろん前を向いたまま。
「……」
ジョセフは従おうとしない。
「次のお客様待ってんだろうが」
「……」
「あのー、お客様……?」
お兄さんに声をかけられ、ようやくジョセフは立ち上がる。
「なっ……」
素直なその行動に、陣は絶句する。
「俺の言うことにゃ従えねえってか?この……」
ジョセフは無言で頷き、陣を置いてさっさと降りる。
気に入らねえやろうだ。
陣は心の中で毒づきながら、アミリアたちのもとへ歩いて行った。
「ふう……」
遊園地内のストアの前。陣はジョンと並んで立っている。
「疲れてるね、陣」
「疲れてるよ、ジョン」
アミリアはジョセフをつれて――アミリアが仲良さげにジョセフの腕を引っ張るので、ちょっとむっとしたが――店内で土産物を物色している。
「でもどうだい。クラーク部長はいい人だろう」
ジョンは大きなガラス越しに、店内のアミリアを見る。
「そうだな」
陣もつられて見る。何やらジョセフと二人で楽しそうに(ジョセフはいつもの無表情だが)商品を選んでいる。
若干の胸のざわつきを感じ、陣はガラスに背を向ける。
「色々と……気にかけてくれて助かってる」
「昨日だって、仕事の休憩時間ずっとジョセフを説得してくれたんだ。君はもっと感謝すべきだよ」
「そっか……」
そこまでしてくれていたとは……嬉しさ半分、申し訳なさ半分で、陣はもう一度アミリアを見つめる。
「そうだな」
じっとその横顔に視線を合わせていると、無性に何かを叫び出したい衝動に駆られる。その衝動を抑え込みたいが、胸の底から熱が沸いてくるばかりだ。どうしていいかわからず、陣はアミリアを見続ける。
「ねえ、こうやって二人で話すのは久しぶりね」
アミリアは棚に陳列された商品を楽しそうに見る。
対照的に、ジョセフは無表情でアミリアの後ろをついていくだけだ。
「大学以来か」
「いやね、二年前にも会ったじゃない」
「忘れた」
「薄情な人ね!」
どこまでもつっけんどんなジョセフに、アミリアは不満げな声を出す。
「手厚い待遇を期待するなら、あの男を連れてくるべきだった。なぜ俺にした」
「別に手厚い待遇を期待してるわけじゃないわ。それは大学時代にあきらめましたー」
アミリアは可愛いぬいぐるみを見つけて、かがんで手に取る。
「あなたを呼んだのは、話したいことがあったからよ」
「……」
「ねえジョセフ、意地を張るのは簡単だわ」
アミリアは、持っていたぬいぐるみを棚に戻す。
「あなた言ってたじゃない。『いい刑事だ』って」
「過去の話だ」
「今もそうだわ。いい人よ、とっても。ジョセフ……私たち、いい友達だわ。今までも、もちろんこれからも。あなたたちもそうあるべきよ」
「それはお前の個人的な感情が入っている」
反撃してくるジョセフ。アミリアは平静を装って返す。
「それでもよ」
「否定は無しか。まあ考えておく」
無口で無表情なのに、見てるところは結構見てるのね。アミリアは恥ずかしくなって、店の外に視線を逃がす。
と、こちらを見ていた陣と目が合ってしまい、慌ててはにかんで目をそらす。ジョセフに見られないよう、緩んだ口元を急いで引き締めるが、少し手遅れだったようだ。
「……」
無口なポーカーフェイスは、目元だけをニヤつかせてこちらを見ている。
「なによ」
照れ隠しに口をとがらせるものの――。
「いや――」
ジョセフは店の外の陣をちらりと見て、再びアミリアに無言の圧力を向ける。
「――何でも」
アミリアは静かに目を閉じ、顔をふるふると左右に振る。何とかごまかそうと手近なキーホルダーを手に取り、月並みな感想を言ってみる。
「あっ、これなんかどうかしら。すごくいいわあ」
「フッ」
「今笑ったわね」
「笑ってない」
「笑ったわよ!いいわ!私これ買ってくるもの!」
数分後、アミリアは商品を手に店から出てくる。
「おまたせ」
「いえいえ」
ジョンと言葉を交わすアミリア。その後ろから無言で出てくるジョセフ。
よかった。店へ入るときはベタベタしていたが、今はいつもの距離感に戻っている。
陣はホッと一息つき、ジョンの肩を叩く。
「よし、次は俺たちも買いに行こう、ジョン」
やけに張り切っているその声に、ジョンは驚きを隠せない。
「え⁉えぇ⁉えぇ~?」
引きずられていくジョンを見て、ジョセフはフッと花を鳴らす。
「なあに?」
アミリアの問いかけに、ジョセフは素っ気なく答える。
「いや――」
店内の陣を見て、再びアミリアに目線を戻す。
「――何でも」
今度は、顔を赤くしてうつむくしかないアミリアだった。
夜。陣の泊まるホテルへの帰り道。
〘っもう、恥ずかしかったわ!〙
アミリアは頬を赤らめながらずんずん歩いていく。
「え?」
その後ろをついていく陣。
〘絶対、ジョセフ感づいてたもの〙
「それを言うならジョンだって、たぶん、気付いてる」
肩をすくめる陣に、アミリアは期待するような、ねだるような、熱っぽい視線を向ける。
〘何に――気付いたのかしら〙
振り向くアミリアの可憐さに見とれ、陣は口の中が一瞬でカラカラに乾く。頭の中がじんじんして、言葉がうまく出てこない。
「何だろうな……」
アミリアは陣に近寄り、右手を頬に沿わせてくる。
〘あなたの口から、聞きたいわ〙
「あーあぁ、ゔうん。……ちょっと待って」
陣は頬にあるアミリアの手を握り、覚悟を決める。
もう片方の手で、スマホの翻訳機能をOFFにする。
「自分の言葉で、伝えたいから――」
目の前でスマホを振って見せて、コートのポケットにストンと落とす。
深呼吸して、冬の冷たい空気を肺に入れる。頭の芯を冷やし、一言一言――恥ずかしい気持ちを押し殺して――絞り出すように言う。
「アイ、アー……ゔん、ゔゔん。アイ――アイ ラブ ユー」
英語のできない陣には、これが精いっぱいだ。しかし、この世で一番大切な言葉だ。機械の翻訳音声ではなく、自分の声で、心を込めて伝えたかった。
そして、その想いはアミリアにも間違いなく伝わった。本当はもっと言いたいことがあったに違いない。一言では伝えきれないほどの熱い想いがあったに違いない。だが、陣の発したその一言に、たくさんの気持ちがぎゅっと凝縮されていた。
アミリアはうっとりと目を閉じ、じっくりと、頭の先からつま先まで全身を使って、その言葉を味わっていた。
「ワタシモ、アイシテル……」
つたない日本語。俺の言葉も、向こうにはこんな風に聞こえているんだろうか。陣の胸の中に、恥ずかしさと嬉しさがこみあげてくる。しかし、次第に嬉しさの方が勝ってきて、いてもたってもいられなってくる。
自然と、アミリアに顔を近付ける。
アミリアも目をつむり、顔を近付けてくる。
どっちが近付いて行っているのか、もうわからない。陣も、目をつぶっていたから――。