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電脳戦争  作者: 影宮閃
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第十一章 旅

2121年 参戦国家が20を超え、世界大戦の様相を呈する。

      各国、民間人のダイブ使用を全面禁止。これにより、世界経済がマヒ、流通、インフラに大きな混乱が生じる。


2122年 北朝鮮、軍事境界線を越え韓国に侵攻。北部主要都市を占拠。

      ジャパン、米国は支援隊を直ちに派遣。対抗するように中国軍が参戦。

      米国大統領、現実世界での武力衝突を受け、「世界は第三次世界大戦へと突入した」との声明を表明。(電脳戦争(サイバーウォー)


2128年 連合国軍、北朝鮮軍に占拠されていたソウルを奪還。

      北朝鮮軍、平壌まで後退。


2130年 連合国軍、サイバー空間の混乱を平定するため、サーバーのリセットを決定。全サイバー軍の撤退を開始。枢軸国側にも軍の撤退を勧告。

      中国、ロシアをはじめ枢軸国は連合国の決定を非難する声明を出す。


第十一章 旅




十一月15日、現地時間(TOKYO)午前3時35分。MCPジャパン支部総括本部刑事部捜査一課。

 現実世界に戻ってきた陣は、柴咲の机の前で頭を下げる。迷惑をかけるのはこれが初めてではないが……。毎度毎度、申し訳なく感じている。あとは行動で示せればいいのだが……。

「すんませんでした」

「まあいいから、頭をあげろ」

 柴咲はお決まりの返事をする。毎度毎度、申し訳ないというオーラを感じ取っている。あとは行動で示してくれたら嬉しいのだが……。

「お偉いさん方がお前の処分を決めた。お前の捜査への貢献に報いたいと、わざわざ上司の俺を話し合いに呼んでくれさえした」

 柴咲は真面目な顔で書類に目を通す。

「いいか、よく聞けよ。しばらく謹慎を命じる。期間は一か月。その間、いかなる手段でも本件にかかわることを禁じる。今や殺人事件と爆破テロは同一犯によるものと考えられている。当然、殺人事件にかかわることも禁止だ」

 ある程度予想していたとはいえ、陣はショックを隠せない。

「あー……わかりました」

 反論したい気持ちと、そんな立場にないと理解している理性。そのはざまで、陣の胸中は大きく揺れ動いている。

「本来なら特殊武装の目的外使用で懲戒処分の案件だ。今回の処分も記録には残せないが……お前の今後のためだ。理解しろ」

 そこまで言われたら、もう文句は言えない。陣は諦めて無言でうなずき、自分の机に戻る。

「で、使える分は年休使え。お前毎年一つも使わねえじゃねえか。警務がうるせえんだ。この際使っちまえ」

「……はい」

 PCを立ち上げ、システムで年休を打ち込んでいく。

 仕方がない。クビになるか、年間40日ある年休を消費するか、だ。今までの警察人生でほとんど使わなかった年休。使い込んでも、まあ、いいだろう。そう思うことにしよう。

「あー、それで班長」

 PCでの操作を終え、思い出したように椅子の向きをくるりと変える。これから一か月担当できないとなれば、少なくとも現状くらいは知っておきたい。

「結局捜査本部は吸収されたんすか?こっちの。さっき同一のって――」

「禁止だって言ったろうが」

 柴咲は書類から目を上げて一蹴する。

「謹慎は明日からっすよ」

「時間見ろ、もう今日だ。眠いんだよ、寝させろ」

 柴咲は三時を大きく過ぎた時計を指差し、大きな大きなあくびをする。捜査一課にはもう誰も残っていない。片山は本部の課長席に座っているし、木下は明日からの捜査に備えさせるため、帰らせた。

「あー、すんません。でもほら、勤務時間で考えると八時半が切り替えですし……そう考えるとまだ勤務中。記録に残せないわけですし……」

 陣は肩をすくめ、ひょうひょうと言う。

 柴咲は半分うんざりした顔で天井を仰ぎ、渋々答える。

「お前屁理屈ばっか言ってんじゃねえ。今のお前の勤務時間は向こう準拠だろうが。ったく、仕方ねえな。時差なんてもの無くなっちまえばいいんだ」

「すんません」

「うるせえ」

 柴咲はもう一度あくびをすると、机上の書類を見ながら説明する。陣はコーヒーでも淹れようと、捜査一課の奥にあるコーヒーメーカーめがけて歩き出す。

「まず、お前らがエジプトで発見した男、これがピラミッドを爆破したのは間違いない。アイゼンハワー少尉が確認している。そして殺人の方だが、木下がお前の指示通りに見つけた被害者、これの顔がなぜか爆破犯と一致。他人の空似って可能性も無くはないが……まあ合理的に考えて、同一犯による犯行とみて間違いないだろう。結論、殺人と爆破テロの捜査本部を合わせることになった」

 コーヒーメーカーのスイッチを押し、カップをセットする。おっとインスタントの粉を入れなければ。量は班長と自分の分、合わせて二杯分。

「あー。やっぱそうなんすね……でも、同一とみるには問題も多いでしょうね」

 陣は淹れたコーヒーを班長席まで持ってきて、柴咲に差し出す。

「お前もそう思うか」

 受け取ったコーヒーを一口すすり、柴咲は尋ねる。陣は自分で淹れたコーヒーを片手に、席に戻る。

「何で一件目で同じ顔の男を殺したのか……。しかも、方法は爆破じゃないですしね」

「そうだ。お前がしたプロファイリング……なんだぁ?《最古のサイバー空間》だったか。TOKYOエリアだってその条件には当てはまるだろう。なんでわざわざ……見当はついてんのか」

 陣はあごに手を添え、ぽつぽつと話す。

「できる、できない、は別にして、ちょっとどうかと思ってることはあります。いずれにせよ、わざわざ自分の手で殺している以上、何かひねりこんでる節はありますね」

「現状保存を消せるくせに、爆破現場では一度も消しちゃあいない。なら何で最初だけ消したのか?ふぁあぁ。まあ顔が判明したおかげで、今後は運転免許にパスポート、各国の年金システムに登録された顔写真まで、ありとあらゆる顔情報と照合を進めていける。それで割り出せるような相手だとは思っちゃいないが、サイバー空間の監視システムにも登録しておいた。アクセスポイントを通ればすぐにわかるだろうな」

「それで簡単に捕まるような相手でもないっすよ」

 陣はいじわるな笑みを浮かべ、キャスター付きの椅子を左右に揺らす。冷める前に飲もうと、コーヒーを口に含むが――。

「まあ事件の話はここまで。ところでお前、待ってる間、ケイティと何してたんだ」

「えほっ」

 いきなり聞かれたくない質問をされ、思わずコーヒーを吹き出しそうになる。少し気管に入り、ゲホゲホとむせる。

「いやいや、何でですか。ゔゔん」

 柴咲は当然八年前のことを知ってはいるが、改めてそれを聞いてもらう気にはならない。ていうか、そっとしておいてくれ……。

「ああん?妙に吹っ切れてるからだよ。俺が連行した時、不満たらたらな顔だったじゃねえか」

「そうでしたっけ?」

 気を取り直してもう一度コーヒーに口をつける。

「そうだったよ。まー……あぁそうだ。お前休みの間、旅行でも行って来い」

「え?旅行すか?今⁉この状況で⁉」

 いきなり話が飛んで、陣は思わず聞き返す。なんのこっちゃ。違う。捜査本部が大変な時期だというのに、遊びほうけていいわけがない。

「そうだ旅行だ。この近くうろついてたら、しれっと捜査に絡んでくるだろうがお前。何年面倒見てきたと思ってんだ。考えてることなんかお見通しだ」

「あー、はっはっはっー、やっぱりそう思います?」

 苦笑いしながら、コーヒーを一気に飲み干す。やっぱりダメか……物理的に捜査から隔離してくるとは……。愛想笑いでなんとかごまかせないだろうか。

「あっはっはそう思うよあっはっは」

 柴咲はものすごい棒で笑いながら、絶対に旅をしろ!と威圧してくる。その笑顔を見て、陣は瞬時に真顔に戻る。

「ま、せっかくの機会だ。合衆国本土でも行って来い」

「え?本土に?」

 陣は心底訳が分からない、という顔をする。それを見て、柴咲は半分憐れむような表情になる。

「お前、バカか」

「ああ、ええ……バカぁ⁉」

 あまりにも心外な言葉に、陣は甲高い声をあげる。

「どうせ他に行くとこねえんだろ、ワシントンでも観光して来い」

「観光ならサイバー空間で……てかワシントンってどんだけ味気ないと思ってんすか、三日前に行ったし――」

「直接行った方が趣があるだろ。現地に知り合いがいるから、旅行中のガイドも頼んでやる」

「はあ、でも――」

「行って来い」

「……はい」




十一月15日現地時間(ワシントン)午前9時14分。ダレス国際空港。

 陣は入国審査を終え、到着ロビーへと出る。キャリーバッグをガラガラ言わせながら転がし、柴咲が手配した案内人を探す。

 さすが世界の中心(アメリカ)、その首都だ。訪れる人の数も桁違い。歩きづらくて仕方がない。いや、中心と言えるのはせいぜい国家群レベルでの話か。世界の中心と呼ぶには第三次世界大戦(サイバーウォー)で合衆国が失ったものはあまりに大きい。中国もロシアも多くの人と金を失い。どこが中心なのかよくわからなくなっている。

 感傷に浸りながら――こんなことを考えるなんて気持ちが弱っているのかもしれない――ロビーを進む陣だったが、ふと、見覚えのある顔を遠くに見かける。

 まさか、班長の言ってた知り合いって……陣は気まずくて顔をしかめる。しかしどこか嬉しいような、こそばゆい感じがしてならない。顔がにやけてないといいが。

「あぁー……。ハァイ」

 近寄り、ぎこちなく右手を上げてみる。

 陣の姿に気付き、目の前にいた金髪の美女がぱっと明るい顔になる。

「Hey!I was waiting for you,Jin.」

 まるで太陽のような笑顔に、陣は一瞬見とれてしまう。だが、その口から発せられた言葉を理解できない。

「あー、ちょっと、ちょっと待って。ウェイト」

 右手の平を相手に見せながら左手でキャリーケースを体に引き寄せる。そしてスマホを取り出し、翻訳アプリを起動する。

「ごめん。俺は英語話せなくて」

〘I'm sorry. I can't speak English.〙

 こうしてしゃべることで、スマホが自動的に翻訳してくれる。もちろん、多少のタイムラグが生じる。

〘いいえ、私も日本語少ししか話せないから、お互い様よ〙

 相手の言葉も、多少のタイムラグを経て電子音声で返ってくる。

 サイバー空間では、基幹システムに組み込まれたAIが自動的に言語を翻訳し、脳波に電気信号を送信してくれる。しかし、現実世界ではそうはいかない。誰も電極に繋がれていないからだ。必然的にこういったアプリなどに頼るしかなくなる。

 しかし、目の前の美人はそんな不便さなどどうでもいいようだ。今にも飛び跳ねそうなくらい喜んでいる。

〘まさかあなたが来てくれるなんて思わなかったわ。楽しみで――昨日はほとんど眠れなかったの〙

 まるで少女のように笑う女性は、サイバー空間で散々世話になった――。

〘アミリア・ケイティ・クラークよ、初めまして、武田陣巡査部長〙




「まさかアミリアが来てくれるとは思ってなかった」

 車の助手席で、陣は流れて行くワシントンの街並みを眺める。左の運転席ではアミリアがハンドルを握っている。せっかくのハイウェイなので、手動運転を楽しんでいるらしい。意外とアクティブだ。

〘あら、同じこと言ってくれるのね、嬉しいわ〙

 アミリアがしゃべった数秒後、アームレストに置いてあるスマホから音声が出てくる。

「非番のところ、申し訳ない」

〘あら、気にすることないわ。柴咲警部補から聞いたけど、六年ぶりの休みだそうね〙

「休むきっかけがなかなかなくて」

 陣は足を組んで、背もたれに体重を預ける。

〘そういえばそうだったわね〙

 アミリアは調べ室での話を思い出し、やれやれと首を振る。

〘滞在先のホテルは?〙

「まだ決めてない。どこかいいとこは?」

〘滞在期間にもよるけど……お金に余裕があるなら、クラウンプラザとかどうかしら?〙

 陣はアームレストのスマホを手に取り、クラウンプラザを検索してみる。なかなか値も張るが、確かにここは、快適そうだ。

「謹慎期間は一か月。その間なら別にいつまでも。金なら……悲しいことに、腐るほど余ってる」

〘フフッ、休んでないからね?〙

 手元からの電子音声を聞きながら、陣はおどけて見せる。

「その通り。十年分の給料が行き場を失ってるよ」

〘ダメよ、何か仕事以外に趣味を見つけなきゃ〙

 一瞬だけこちらを見て、アミリアはたしなめるように言う。

「そうかな」

〘ええ、そうよ。豊かな趣味は、人生を豊かにするわ〙

「なるほど」

〘どこか行きたいところは?〙

「……MCPの本部には一度行ってみたいと思ってた」

 サイバー空間では散々通っているが、実際の庁舎に行ったことは一度もない。ワシントンにあるなら、ぜひとも見てみたい。そしてついでに捜査状況でも見られれば――。

〘陣、私の話聞いてた?ダメよ。ダメ〙

 当然、その提案は拒否される。

 やっぱダメか。ハイハイ、と生返事。

 きっと、班長からも釘を刺されているのだろう。職場によるな、と。

 陣は諦めてため息をつく。

 しかし――スマホの画面を見て思う――クラウンプラザは少し洗練されすぎている。こんなところじゃ落ち着いて寝られないだろう。

「なあアミリア、ちょっとこのホテルは――俺には、高潔すぎる。もうちょっと……なんと言ったらいいのか、こう、汚いところはないかな」

 数秒後、翻訳を聞いたアミリアが吹き出す。

〘フフ、なあに?汚いって。もう……〙

「ああ、いや、別に変な意味じゃないんだ。笑うなって」

 楽し気な笑いに包まれながら、車はワシントン中心部へ向かう。




〘とりあえず、午後はワシントンの名所でも回ってみる?〙

 開放的な店で細長いバンズのサンドイッチをほおばりながら、アミリアは提案する。

 大通りに面した、格子状の大きな窓がある店。お昼より少し早い時間帯で、客足はまだそこまで多くない。

 葉物野菜と細く切ったニンジン、もやし、薄い肉がたっぷりと挟まれ、酸味の効いたソースが絡んで美味しい。アクセントでチーズが入っているのもいい。

「うーん、そうだな」

 口いっぱいに素材の味を感じながら、陣は答える。

「名所って、ホワイトハウスとか?」

 あんまりいい思い出はないが、ワシントンで一番有名なのはそこだろう。

〘あむ、行きたければ、別に構わないわ。リンカーンの像とかも近いし、案外いいかも〙

 アミリアもなんとなく悟ってはいるが、深く追及はしない。もぐもぐとおいしそうにサンドイッチを食べ続ける。

 その様子をしばらく見ていた陣だったが、ふと気になって聞いてみる。

「なあアミリア、いいのか?貴重な休日をつぶしてしまって」

 三交代勤務なので、24時間の勤務が終わった後、今日明日が休みになるのだ。今だって、泊り明けで眠たいはずだ。

〘さっきも言ったじゃない。気にしないで。私だって楽しみにしてたんだから〙

「楽しみに?なんで?」

 陣はサンドイッチから口を話して、アミリアの顔を見る。アミリアはいたずらっぽい笑みで、クスリと笑う。

〘さあ、何でかしら?でも……すごく興味があるのは確かだわ。あなたは有名人だもの。いいえ、違うわね。ただ優秀な人だと思ってたけど……けど、思ってたよりずっと――〙

 憂いに満ちた表情で陣の目をまっすぐ見返し、アミリアは呟く。最後の方は声が小さすぎて、翻訳アプリが拾ってくれなかった。

「……?」

 なんだろう、優秀、優秀、って。捜査的な指導でも期待している、ということだろうか。別に言ってくれればいつでもアドバイスはするのだが。ここまでよくしてもらっていると、なんだか申し訳ない。

 狐につままれたように、陣は首をかしげる。それを見て、アミリアも同じ角度に首を傾ける。その顔はどこか楽しそうだ。

〘ねえ。リンカーン記念堂行ってみない?見たことがあるなら別だけど――〙

 目をつむり、いつもの明るい表情にパッと切り変え、アミリアは提案してくる。

 ころころと表情を変える女だ。しかし、一緒にいてなぜか飽きない。陣は心の底をくすぐられたような――空港でアミリアを見つけた時のような――こそばゆい感覚に陥る。妙なざわつきを押さえるため、口の中のサンドイッチをもしゃもしゃと片付け、強く頷いた。

「いや、行こう。案内頼んでもいいかな?」

 OKの返事に、アミリアは心底嬉しそうに笑う。

〘ええ!もちろん!〙

 翻訳機から聞こえてくる音も、どこか楽し気に聞こえた。




 午後に回ったのはリンカーン記念堂、その反対側にあるワシントンモニュメント、国立アメリカ歴史博物館、アメリカ国立公文書記録管理局――かの有名な独立宣言が置いてある場所だ。

「これが歴史ある独立宣言?」

 ガラスの向こうにある、変色した茶色の紙を見つめる。

〘ええ、そうよ。450年前、イギリスから独立を果たした時のもの〙

「ほーん……。こういうの見てるとさ、歴史を感じるよな。なんか」

〘そうね……〙

「ワシントンって全体的にそんな感じだ。建物といい、内容といい」

 独立宣言書から目を離し、歩を進める陣。アミリアもそれに続く。

〘ジャパンの京都みたいな感じね。お寺とか街並みとか。それこそ『日本』の方があるじゃない。歴史。私たちの国はまだ生まれて五世紀もたってないのも。あなたのご先祖様がいた国は、二千年もの間天皇が統治していたのよ。それって、すごいことだわ〙

「まあ諸説あるけど、確かに。見方によれば、二千年以上同じ王がいるようなもんだしな……でも――」

 陣は、展示されているある書の前で立ち止まる。小中学校の授業で散々見てきたものだ。

「――その国は、もうない」

 日本が、合衆国52番目の州として加入した時の書面。隣には51番目とか53番目とかが連続して置かれている、が。

「何でこんなもん受けちまったんだろうな」

 タイトルはおろか、中身の文章など見たくもない。

〘やっぱり、ジャパンの人からしたら面白くない?〙

 アミリアは少し気まずそうに聞いてくる。陣は書面の入ったガラスケースを見ながら、首を左右に振る。

「面白くないというより、怒りかな。ご先祖様おい!って感じ。国家群に慣れちまって、感覚がマヒしてたのか。自力で再建することに疲れちまったのか……いずれにせよ、50年前に日本人が誇りを失ったのは間違いない。誇りじゃ食ってけないのもあるけど」

〘でも、あなたにはしっかりサムイライの心が息づいているわ。あなたは自分の仕事に、誇りと信念を持ってるもの〙

 アミリアは熱っぽい視線で陣を見る。加入文書の方を見ている陣はそんなことには気付かず、おちゃらけた回答を返すばかり。

「あ?言ってなかったっけ?この前言った戦国武将の話。俺自分の家の家系図とか見たことないんだよね。だからたぶん、祖先に侍はいないよ」

〘えぇ?何?だましたの?〙

 ひどいわ、と言いながら笑うアミリア。

「ごめんごめん、ジョークだったんだ、ジョーク。あっ、ちょっと待って、アミリア」




〘じゃあ。気を付けて。受付は――大丈夫?〙

「ああ、これもあるし。ありがとうアミリア」

 陣はスマホをかざして見せる。高級ではないが、それなりなシティホテルの入り口。これくらいの規模の方が落ち着いて寝られる。

〘私の方こそ、楽しかったわ〙

 アミリアは心底嬉しそうに笑っている。

〘明日は――、あなたもゆっくり寝たいでしょ?お昼くらいに迎えに来るわ〙

「え?明日も?」

 意外そうに聞き返す陣に、アミリアはむすっとして答える。

〘あら、私がいたらお邪魔かしら?〙

「いや、いや、そんな。滅相もない。じゃあ……楽しみにしてる」

〘よかった!〙

 コロリと笑顔になるアミリア。嬉しそうに手を振り、自分のアパートへと帰って行った。手を振り返すのは少し恥ずかしく、陣は右手を上げて応じるだけだった。しかし――仕事のことばっかり考えてイライラするかと身構えていたが、たまには休みってのも――悪くない。




「テニスぅ?」

 翌日アミリアに連れられ、陣はショッピングモールにやって来ていた。目の前に陳列されているテニスウェアを、胡乱そうに見る。

〘そう。なんだか落ち着かなくて、体を動かしたいの〙

「うーん……テニスなんてやったことねえな……。サイバー空間じゃダメ?」

〘反射神経強化使われたら、私の打ったボール全部返されちゃうじゃない。ダメよ〙

「……それもそうか」

 妙に納得しながら、陣は青と白のテニスウェアを手に取る。

「うーん。これなんかいいかも」

〘どれ?えぇ?爽やかすぎるわよ、陣には〙

「っ!いいじゃねえか!クソッ!これ買ってくる」

 自分のセンスを否定され、意地になってレジに向かった陣だったが――。




「ええ⁉」

 またもやボールがコート外に飛んでいく。

「……なんでだこれ」

 テニスって――少なくとも陣がテレビでたまに見かけるプロ選手は――力強く、全力でラケットを振り抜いている。ように見える。

 しかしなんだ、実際渾身の力を込めてラケットを叩きつけると――ボールはとんでもない方向に飛んで行ってしまう。

〘あぁ、ダメよ。力任せにやっちゃ〙

 アミリアは優しく教えてくれる。

〘ちゃんとラケットの向きをね、こう〙

「こう?」

 見よう見まねでやってみる陣。

〘そうそう!そんな感じ。それで、変に力まずに振り抜いてみて〙

 言われた通り、ボール無しで形だけ練習してみる。

〘じゃあ、それを意識しながらやってみて。行くわよ……〙

 アミリアがコートの反対側に戻り、打ちやすいよう、アンダーサーブを放ってくれる。

「よし……こう来て……こう!」

 見事にラケットの中心でボールをとらえ、絶妙な力加減でアミリアの正面に返す。

「おっしゃ!」

 年甲斐もなくガッツポーズをしてしまい一瞬後悔が頭をよぎる。だが、久しぶりに感じる達成感と高揚感。なかなか悪くないな、テニス。

「Great!」

 コートの向こう側でもアミリアが嬉しそうにサムズアップをしている。

 基本がわかれば、あとはお手の物だ。バックハンドとサーブも一通り教わり、試しにゲーム形式でやってみる。

 アミリアは大学時代にテニスをしていたらしく、さすがに初心者の陣が勝つことは難しい。しかし、CBTの成績がトップクラスの陣は普段の運動神経もいい。女性にはないパワフルなショットで、わずかではあるが得点を奪うことはできる。


「ふう」

 結局ゲームには負けたが、スポーツで汗を流すのも悪くない。陣はコート脇のベンチに座り、額の汗をぬぐう。

〘はい、どうぞ〙

 アミリアがスポーツドリンクを手渡してくれる。陣はそれを受け取り、礼を言う。

「サンキュー」〘ありがとう〙

 ベンチの上に置いたスマホが、余計なところまで翻訳する。

 陣はしかめっ面でスマホを一瞥し、ペットボトルのキャップをひねる。

〘それにしてもすごいわ。呑み込みが早い〙

「そんなことないさ。何回かしか点とれなかった」

 アミリアはタオルで汗を拭きながら、小さく笑う。

〘でもちゃんとゲームになってたもの。すごいわ〙

「そうかな?でもたまにはこういうのも悪くない。久しぶりに学生に戻った気分だ」

〘ふふ、よかったわ。ねえ、もしよかったら今度の休みはジョンもさそってやってみない?彼もテニス経験者なの〙

「ジョンもワシントンに?」

〘ええ。彼はMCPが借り上げてる民間のアパートに〙

「そうか。それも面白そうだ。ぜひ」

 陣は快活に笑う。

〘よかった。明日声かけてみるわ――あと……〙

 スマホから出てくる電子音声は単調だが、アミリアの声には緊張が走っている。陣は反射的に身構える。

〘ジョセフも、大学時代にテニスをやってたの。だから――〙

 聞きたく名前を出され、陣は瞬時に立ち上がる。

〘待って!〙

「そういうことだったんだな?このテニスも」

〘違うわ!〙

「いいや違わない。あいつとテニスで親睦をってことだ」

〘それは……ええ。そうね、そうだわ、ごめんなさい。それがゼロだったとは言えないわ。でも――私たちはチームだわ。親睦を深めることに何も悪いことなんかないじゃない〙

 陣は人差し指を突き立て、まくし立てる。

「放っておいてくれ!俺の個人的な問題だ」

 アミリアはため息をついて、タオルを乱暴に置く。

〘放っておけないのよ!〙

「なんで!」

〘知らないわよ!もう!〙

 思いもよらないアミリアの大声に、陣は圧倒される。

「……いや、そりゃ気にかけてくれるのは嬉しいけど……。アミリア、本当にいいんだ、これは。あきらめてくれ」

〘いいわよ!日本人が頑固なのは痛いほどよくわかってるもの。私だってあきらめないわ!〙

 ぷりぷりと怒って、アミリアは先にテニスコートに戻っていく。

「いや……アミリア?」

〘何なのよ!男のくだらないプライドなんて……ああ!〙

 コートからの大声を、ベンチのスマホが拾って無機質に訳す。

 なんだか押してはいけないスイッチを押してしまったのだろうか……逆らうことが恐ろしくなり、陣はアミリアに続いてコートに入った。

 そのあとの試合、本気になったアミリアは、一度も点を取らせてくれなかった。




十一月20日現地時間(ワシントンエリア)午前10時08分

(いて)ぇ……」

 サイバー空間内の喫茶店で、陣は痛む足をさすっていた。

「大丈夫すか?」

 向かいの席には、木下が座っている。ここは喫茶店の一番奥のボックス席で、周囲は観葉植物のようなもので遮られ、簡単には姿が見られない。

「筋肉痛がな。非番はショッピングとか観光。公休日はテニスなんだ」

 現実世界の体本体の痛みなので、EDRを使っても治りはしない。

「クラーク部長ですよね?」

「あ?ああ。まあ非番のところ悪いな」

「いえ、全然。素敵な人ですよねぇ」

「あー」

 気の抜けた返事をする陣だが、ふと目を上げ、部下のにやにやした視線に気が付く。

「……なんだお前こら」

「ふっ、いや……何でもないっす」

 木下は慌てて目を伏せ、持ってきた電子バインダーを開く。

「いいからお前ほら、捜査状況どうなってんだよ」

「ええっとですね……。資料の持ち出しは厳禁になってまして、俺のメモくらいしかないんですけど……」

「いいよ、進展具合でもわかれば十分だ」

「あ、はい」

 木下は捜査本部の二係に配属されている(ちなみに柴咲は三係だそうだ)。陣たち三係の前日に24時間勤務をするということだ。今日は二係の非番、泊り明けで、三係が仕事の日。つまりアミリアも柴咲も仕事で不在のため、捜査状況を聞き出す絶好の機会なのだ。

「で、どうよ、進展は」

「いやあ、それが、犯人の顔がわかったくらいで特に進展は……」

「あるだろ、もう一つわかったことが」 

「え?」

予想以上に捜査は行き詰っているようだ。陣は我慢できなくなって自分から話を始める。

「なんだ。誰も言ってないのか?……すすきのの爆破だよ」

「同一犯かどうか、ってことすか」

「まあ、同一だろう。確証はないが」

「へー、でも、なんでです?」

「時間だよ」

「時間?」

「すすきのの爆破は朝早く、ワシントンの爆破は夕方、夜になろうかって時間だったろ?それに惑わされてた。時差があるってことを忘れてたんだよ。両方の発生時間を、極東部標準時に合わせてみろ」

 木下は陣に促されるまま、過去二件のデータを比べてみる。

「えーっと……どっちも、朝七時台……あ、二日続けて同時間帯です!でも、なんでこの二つが?」

「やつの顔を見て気付いた。爆破犯と殺人の被疑者が同じ顔、そしてそいつと同じ帽子をかぶったやつがホワイトハウスにいた。じゃあ、もし、すすきのの爆破も同じやつの仕業だったら?」

 陣は机に手を突き、ずい、と木下に寄る。

「二日続けてその時間帯に爆破することで、やつにとって大きな利点がある。朝の七時台と言えば?」

「……検察庁に身柄を送る時間です」

「それだ。警察は、被疑者を逮捕して48時間以内に送致しなけりゃならん。そして、検察は身柄本体が確保できてない場合、釈放するしかない。加えて、現実世界ではやたらと時間のかかる送致勾留の手続きも、サイバー空間ではすぐに終わる。こっちの身柄だけで送致されること自体が異例だからな」

「だから、七時台に爆破を、二日続けて?」

「48時間以内だから、逮捕翌日か翌々日のどちらかが送致日。どちらになってもいいように、あらかじめ仕掛けておいた。そして、いざ爆発してしまえば、警察はそっちにかかりきり。釈放後に尾行する暇なんか無くなるってことだ。実際それで撒いたしな」

 陣の言葉で、木下はシュンとなる。

「……すんません」

「いや、逃げられたのも案外ムダじゃねえ。逃げられたおかげで、すすきのって場所の引っかかりも消える。ワシントン、ロンドンは首都、ギザも首都カイロに隣接する観光都市。すすきのだけが何の関係もない、ただの最古のサイバー空間だった。最古って言うなら、TOKYOだって最古のサイバー空間だ。それなのに、だ」

「はあ」

 いまいちピンと来ていない木下に、陣は続けて説明する。

「つまり、TOKYOで爆破を起こすと、やつにとって不都合があったんだ。だからわざと、人目をすすきのの方に向けた。お前がやつに殺され、足取りを見失ったのは?」

「あ……TOKYOエリアっす」

 木下は合点がいき、手のひらをポンと打ち合わせる。

「だろうが。TOKYOに何らかの逃げ道があるんだろうよ」

「そうやって考えていくと、妙にすっぽり収まるっすね。あー、でも、どうやって爆破したんでしょう」

「そこを調べるのが仕事だろうが。まあ現状保存消せるようなやつだし、スイッチ式の爆弾があるなら、時限爆弾があっても今更驚かねえよ。エジプトのはアイゼンハワーが確認してんだろ?」

「あ、はい。爆破の直前に、男がスイッチのようなものを押した、と……でも送致時間を考えて爆破してるなら、逮捕から送致までの手続きとか、それに関わるうちの内情に詳しい人間ってことっすよね。そうなると――」

「法律の専門家、法律オタク。あるいはMCPの身内。考えたくはないが……元・現職問わず、MCP(俺ら)の誰か」

「まさか」

 木下はありえない、と首を振る。できれば陣もその線は考えたくないが、個人の感情で可能性をつぶすわけにはいかない。

「あらゆる可能性を捨てずに考えろ。そうじゃなきゃ進展しない。とはいえ、この話を裏付けてんのは状況証拠ばっかりだ。あくまで参考程度に考えろ」

「はい。ああ、でもその線で行くと最初の二件が逃走のため、後の二件は、何のために……」

「最初の二件と後の二件、関連性が薄いってことか?」

「はい」

「班長にはもう言ってあるんだが、あいつはたぶん、俺たちがトンネルに入ってきて慌ててたんだ。例の注射器を壊しちまうために」

「証拠隠滅を優先したってことすか」

「ああ。たぶん、連続爆破は最初からやるつもりだった。その前に一回捕まっちまったから、もしくは捕まる可能性が高まったから、爆破を利用して逃げようと考えた。トンネルに入ってすぐに出くわさなかったのは、爆破の準備をしていたから、とも考えられる。もっと言うと、ワシントンの爆破、あれだけ三回に分けられてた」

「そう言えばそうでしたね。何で三回に?」

「俺なら――もし俺が犯人で、今後の爆破のことも考えてやるとしたら、大統領を殺さないようにする。大統領なんか殺した日には、全世界のMCPが総力挙げて捜査するはずだからな。だから、わざとホワイトハウスの敷地外で小規模の爆破を起こし、仮に大統領がサイバー空間のホワイトハウスにいても、避難するだけの時間を与えた。おかげで大統領は無事。ロンドンが爆破されるまで、捜査本部立ち上げられなかった」

「ということは、ただ爆破するだけが目的じゃなくて、連続でやることに意味があるんすかね。そうなると、すすきのから四件連続。同一と考えられますね」

 木下は眼鏡を押し上げ、レンズを光らせる。

「あくまで可能性が高いって話。どうもやり方が慎重というか、計画的な気がする。まあその辺も合わせて調べといてくれーーで?ここ一週間、やつの実際の動きは?」

「えーとですね……新たな爆破は起きてません。男の方は、顔情報を登録したおかげで、動きがだいぶんわかるようになっています」

 陣は頬杖を突き、木下の説明を聞いている。

「ここ数日は古いサイバー空間を中心に、全世界を忙しく動き回っているみたいです。ただ……MCP、MCS双方がどれだけ素早く追いかけても、確保には至っていません」

「んー、何がしたいんだろうなあ……新しい爆破場所の選定とかか?」

「さあ……なんなんでしょうね」

 木下は眼鏡の位置を直し、小首をかしげる。

「爆破方法の解明は?」

MCSL(マクシル)と鑑識ももめてますね。ありえない位置での爆破だとか何とかで、詳細はまだこっちまで回ってきてません」

「はあ……。お互いの威信が邪魔して、動き鈍くなってんなあ。どこもかしこも……」

 そういえば自分も似たようなことをしたと思い出し、陣の言葉は尻切れになる。

「あー、被害者の方はどうだ?殺人の。新しいことは何かでたか」

「あぁ、それなんですが。まず被害者の氏名はエディ・マイケル。過去に派遣で働いてた形跡が――げっ」

 突然、木下はバインダーを掲げて顔を隠す。

「?どうした、キノ――」

「こんにちは」

 背後からの聞きなれた声に、陣は固まる。最近、どうも背後を取られることが多い気がする。

「警らに出る前に喫茶店でも寄ろうと思ったら……奇遇ね、木下さん。それにしても感心だわあ。休みの日も上司に報告だなんて」

「いえ、えっと……」

 木下はバインダーでアミリアの目線を遮り、その陰から陣に助けを求めてくる。

「あぁ、アミリア」

 陣は立ち上がり、アミリアの前に立つ。

「あら、奇遇ね。陣。昨日ぶり」

「あー。違うんだ。アミリア。せっかくの休みだし、久しぶりに部下と世間話でも、って」

「バインダーが必要だなんて、ずいぶん壮大な世間話ね」

「そうだな。俺たちは小説とかポエムの創作が趣味なんだ」

「柴咲警部補に言いつけるわよ」

「自作のポエムを?それは恥ずい」

「捜査にかかわるなって話、いいのかしら」

「創作は別に俺の自由だ。あっはっは」

 二人の言い合いを、木下はバインダーの陰からこっそり見ている。

「けっこう話し込んでしまったなー。キノ、もう眠いだろうから、帰って休め、な?俺も帰る」

「ねえ木下さん」

「……はい」

「木下さんは、陣に脅されただけよね?」

 にっこりと笑いかけられ、木下は背中に冷たいものが走る。若い巡査長は二人の巡査部長を見比べ、どちらに味方すべきか考える。

「キノ……」

「脅されて、仕方なく来たのよね?」

「はい!」

 アミリアの恐ろしく美しい笑顔に、木下はバインダーを抱えて立ち上がる。そのままアミリアの脇を抜け、走って出口へ向かう。

「あ……」

あっさり見捨てられ、陣は呆然とする。部下を追っていた目線は行き場をなくし、なんとなくアミリアの顔を見てしまう。

 にっこりと、やはり恐ろしい笑顔を向けられ、陣は木下と同じく、アミリアの脇を通り抜けようとする。

 しかし、アミリアに肩を掴まれ、その場にとどめられる。

「うん」

 咳払いし、もう一度歩き出そうとするが――なぜか、アミリアの手はびくともしない。まるで壁に体当たりをしているみたいだ。

 二、三度動き出そうと試してみるが、どうにもできないようだ。陣はあきらめ、その場に立ち尽くす。

「私の制限解除(アビリティ)は《超怪力》なの。女性は男性より力が弱いでしょ?ほら、こういう時に必要だもの」

 笑顔を張り付けたままのアミリアに、陣は勝ち目がないことを悟る。目線をそらし、もう一度ボックス席に座りなおす。

 向かい側には、アミリアがさっそうと座る。

「ちなみに言っておくけど、偶然じゃないわ」

「……」

「木下さん、交代の時に何だかそわそわして落ち着きがなかったの」

「……」

 その辺りに気付くあたり、やはり本部の刑事か。

「私に気付かれてるくらいだから、柴咲警部補も感づいてるわよ」

「……」

 ですよね。

「謹慎ってわかってる?陣」

「……はい」

「誰もよこしてこないあたり、柴咲警部補も今回は目をつぶってるようだけど……ねえ、陣。明日の休みなんだけど……テニスはどうかしら」

「それは……ウィズアイゼンハワー?」

「イエス」

 アミリアの即答に、陣は窓の外へ視線を逃がす。最悪の選択だ。ジョセフとテニスなんて死んでも嫌だ。しかし断れば、この密会を柴咲にチクられる。そうなれば激高した上司に殺されかねない。本当に死んでしまう。

 黙りこくる陣に、アミリアは一段と美しい笑みを向ける。

「陣?別に言ってもいいのよ?」

 選択の余地はなかった。




 陣はコート脇のベンチに腰掛け、ボールの行方を追っている。

 ジョセフはコート脇のベンチに座って、ボールを追っている。

 コートでは、アミリアとジョンが試合前のラリーをしている。

 陣はボールの動きに合わせ、顔を右に向ける。

 ジョセフはボールを追って、顔を右に向ける。

「はい!」

 アミリアが打ち返す。

 陣は顔をすぐさま左に。

 ジョセフもすぐに左へ。

「あぁ!ごめん!取ってくるよぉ!」

 ジョンがミスショットをして、ボールが点々と転がっていく。

 追いかける対象がなくなり、陣は正面を向いてため息をつく。

 追いかける対象を失って、ジョセフは真顔で正面に向き直る。

「……」

「……」

 お互い、何もしゃべらない。

「ねえ!どっちでもいいから審判してちょうだい!」

 コート上からアミリアに呼び掛けられ、陣は立ち上がる。

 アミリアからの呼びかけに応じ、ジョセフは立ち上がる。

「……」

「……」

 まったく同じタイミングで立ち上がり、陣とジョセフは顔を見合わせる。

 数秒、見つめあった後、陣は歩き出す。

 顔をそらし、ジョセフは足を踏み出す。


 ザッ。


 一歩目の音までかぶり、二人はまた顔を見合わせる。

「なんだ文句あんのかこら」

「いや?」

 陣はフンと鼻を鳴らし、大きく二歩目を踏み出す。

 ジョセフはいつものポーカーフェイスで歩き出す。


 ザッ。


 またしても足音が重なる。

 陣はキッとジョセフをにらみつける。

 ジョセフは無言のまま、陣を見やる。

「この……!」

「……」

「どっちでもいいから審判してちょうだい!」




 陣はコート西側の審判席で、試合を見ている。

 ジョセフはコート東側の審判席に座っている。

 ジョンはさすが経験者だけあって、なかなかいい動きをしている。素人の陣でもその違いはなんとなく判る。アミリアの実力は連日のテニスで確認したとおりだ。目の前では白熱した試合が繰り広げられている。

「んん!」

 アミリア渾身のスマッシュが、コートぎりぎりに決まる。

「イン!」

「やった!」

 陣の判定に、アミリアは飛び跳ねる。

「アウト!」

「やった!」

 ジョセフの判定に、ジョンは喜びの声を上げる。

「……は?」思わずジョセフを見る陣。

「……え?」判定の違いに戸惑うアミリア。

「……あれ?」ほかの三人を見回すジョン。

 陣は反対側のジョセフ向かって歩き出す。

「今のはインだろ」

「いや、アウトだ」

「いいやインだった!」

「アウトだった。サーティ、ラヴ」

「てめえ!俺の話を聞きやがれ!」

 陣はジョセフの足元で声を張り上げる。今にも掴みかかりそうな勢いだ。

「聞いてどうする。審判の判断は絶対だ」

 ジョセフは相変わらず冷静な声と表情で言う。

「俺が審判だ。インと言ったらインだ」

「俺は《超感覚》でラインの境界がはっきりとわかる。お前はあの距離で見極められまい」

「俺は《反射神経強化》でコンマ一秒の動きまで全部わかる。ボールが地面に接地したとき、ラインぎりぎりに入ってた。お前はボールの軌跡を捉えて勘違いしてる」

「アウトだ」

「インだ!」

「どっちでもいいから審判席返してきなさい!」

 アミリアはうんざりして叫ぶ。そう、普通テニスのコートに主審席は一つしかない。どちらなのかわからないが、隣のコートから審判席を拝借してきているのだ。




「くっ」

 陣は何とかボールを返す。

「ふん」

 経験者であるジョセフは、余裕でボールを返してくる。

「くそっ、調子に乗りやがって……!」

 陣渾身のダウンザラインが決まり、コートの隅に、ボールが沈む。

 しかしジョセフは驚異的な脚力でそれに追いつき、難なくボールを打ち返す。

「なにぃ!」

 あの野郎!試合で制限解除(アビリティ)使いやがった‼《超脚力》使ったら、拾えないボールなんてねえじゃねえか!

 陣はネット際まで寄ると、鋭いボレーを反対の隅に打ち込む。

 ジョセフはまたしても人外のスピードで追いつく。陣の逆をとって打ち返すが――。

「くっ」

 陣は陣で、制限解除(アビリティ)を開放する。《反射神経強化》で反応できないボールはない。

「いやあ、元気だねえ、彼ら」

 ジョンはベンチに座り、終わりのない戦いをのんきに見ている。

「そうね」

 アミリアもベンチの上で、スポーツドリンクを口にする。

「陣もすごいねえ、初心だろう?」

「ええ。一週間前にやったのが初めてよ。今はなんだかズルしてるけど」

「それにしては楽しそうじゃないか」

「あら、そうかしら?」

 アミリアは少し照れたように笑う。

「でもこうして見てると、二人はなんだか似てるね」

 二人とも負けず嫌いだ。ジョンは思う。

「そうかしら?」

 方や熱血、方や無表情。そんなに似てないわ。アミリアは思う。

「でも――、仲いいのは間違いないね」

「ええ、そうね」

 そこにはアミリアも同意する。二人とも憎まれ口をたたきあっているが、子供のようにはしゃいでいる(ように見える)。

 あとは仲直りしてくれたら嬉しいのだけれど。でもこうしていれば、少しは……。アミリアは必死に動き回っている陣を、じっと見つめる。

 そうしていると、自分の中に『ただ仲直りしてほしい』というだけではない、別の熱がじんわりと湧き出てくるのを感じる。

 その熱っぽい視線に、ジョンは気づく。

「……そうか」

「え?」

 振り向くアミリアに、ジョンは首を振って言う。

「ううん。ねえクラーク部長、どうせあれ終わらないし、切り上げさせて別のとこに行ってみないかい?」




 世界最大の遊園地、ビッグサンダーマウンテン。ジョンとアミリアは子供のようにはしゃいでいる。

 その二人を、陣は後ろの席からぼんやりと眺めている。

 ジョセフは、はしゃぐ二人を後ろから無言で見つめる。

 つまり、陣とジョセフは隣同士に座っている。

 ジェットコースターなんて子供の時以来だが、どうしてこんなに楽しくないのだろうか。俺が年を取ったからなのか、隣がこいつだからなのか。陣は流れていく景色を冷めた目で見る。絶対にジョセフの方は見ない。

「おかえりなさーい」

 帽子をかぶったお兄さんが、手を振って迎えてくれる。

「あー、楽しかった」

「爽快だねえ」

 ジョンとアミリアは楽しそうに話しながら、席を立つ。

 陣とジョセフはお互い無言のまま、一点に前を見つめ続ける。

「早く降りろよ」

 陣は出口側に座っているジョセフに言う。もちろん前を向いたまま。

「……」

 ジョセフは従おうとしない。

「次のお客様待ってんだろうが」

「……」

「あのー、お客様……?」

 お兄さんに声をかけられ、ようやくジョセフは立ち上がる。

「なっ……」

 素直なその行動に、陣は絶句する。

「俺の言うことにゃ従えねえってか?この……」

 ジョセフは無言で頷き、陣を置いてさっさと降りる。

 気に入らねえやろうだ。

 陣は心の中で毒づきながら、アミリアたちのもとへ歩いて行った。




「ふう……」

 遊園地内のストアの前。陣はジョンと並んで立っている。

「疲れてるね、陣」

「疲れてるよ、ジョン」

 アミリアはジョセフをつれて――アミリアが仲良さげにジョセフの腕を引っ張るので、ちょっとむっとしたが――店内で土産物を物色している。

「でもどうだい。クラーク部長はいい人だろう」

 ジョンは大きなガラス越しに、店内のアミリアを見る。

「そうだな」

 陣もつられて見る。何やらジョセフと二人で楽しそうに(ジョセフはいつもの無表情だが)商品を選んでいる。

 若干の胸のざわつきを感じ、陣はガラスに背を向ける。

「色々と……気にかけてくれて助かってる」

「昨日だって、仕事の休憩時間ずっとジョセフを説得してくれたんだ。君はもっと感謝すべきだよ」

「そっか……」

 そこまでしてくれていたとは……嬉しさ半分、申し訳なさ半分で、陣はもう一度アミリアを見つめる。

「そうだな」

 じっとその横顔に視線を合わせていると、無性に何かを叫び出したい衝動に駆られる。その衝動を抑え込みたいが、胸の底から熱が沸いてくるばかりだ。どうしていいかわからず、陣はアミリアを見続ける。




「ねえ、こうやって二人で話すのは久しぶりね」

 アミリアは棚に陳列された商品を楽しそうに見る。

 対照的に、ジョセフは無表情でアミリアの後ろをついていくだけだ。

「大学以来か」

「いやね、二年前にも会ったじゃない」

「忘れた」

「薄情な人ね!」

 どこまでもつっけんどんなジョセフに、アミリアは不満げな声を出す。

「手厚い待遇を期待するなら、あの男を連れてくるべきだった。なぜ俺にした」

「別に手厚い待遇を期待してるわけじゃないわ。それは大学時代にあきらめましたー」

 アミリアは可愛いぬいぐるみを見つけて、かがんで手に取る。

「あなたを呼んだのは、話したいことがあったからよ」

「……」

「ねえジョセフ、意地を張るのは簡単だわ」

 アミリアは、持っていたぬいぐるみを棚に戻す。

「あなた言ってたじゃない。『いい刑事だ』って」

「過去の話だ」

「今もそうだわ。いい人よ、とっても。ジョセフ……私たち、いい友達だわ。今までも、もちろんこれからも。あなたたちもそうあるべきよ」

「それはお前の個人的な感情が入っている」

 反撃してくるジョセフ。アミリアは平静を装って返す。

「それでもよ」

「否定は無しか。まあ考えておく」

 無口で無表情なのに、見てるところは結構見てるのね。アミリアは恥ずかしくなって、店の外に視線を逃がす。

 と、こちらを見ていた陣と目が合ってしまい、慌ててはにかんで目をそらす。ジョセフに見られないよう、緩んだ口元を急いで引き締めるが、少し手遅れだったようだ。

「……」

 無口なポーカーフェイスは、目元だけをニヤつかせてこちらを見ている。

「なによ」

 照れ隠しに口をとがらせるものの――。

「いや――」

 ジョセフは店の外の陣をちらりと見て、再びアミリアに無言の圧力を向ける。

「――何でも」

 アミリアは静かに目を閉じ、顔をふるふると左右に振る。何とかごまかそうと手近なキーホルダーを手に取り、月並みな感想を言ってみる。

「あっ、これなんかどうかしら。すごくいいわあ」

「フッ」

「今笑ったわね」

「笑ってない」

「笑ったわよ!いいわ!私これ買ってくるもの!」




 数分後、アミリアは商品を手に店から出てくる。

「おまたせ」

「いえいえ」

 ジョンと言葉を交わすアミリア。その後ろから無言で出てくるジョセフ。

 よかった。店へ入るときはベタベタしていたが、今はいつもの距離感に戻っている。

 陣はホッと一息つき、ジョンの肩を叩く。

「よし、次は俺たちも買いに行こう、ジョン」

 やけに張り切っているその声に、ジョンは驚きを隠せない。

「え⁉えぇ⁉えぇ~?」

 引きずられていくジョンを見て、ジョセフはフッと花を鳴らす。

「なあに?」

 アミリアの問いかけに、ジョセフは素っ気なく答える。

「いや――」

 店内の陣を見て、再びアミリアに目線を戻す。

「――何でも」

 今度は、顔を赤くしてうつむくしかないアミリアだった。




 夜。陣の泊まるホテルへの帰り道。

〘っもう、恥ずかしかったわ!〙

 アミリアは頬を赤らめながらずんずん歩いていく。

「え?」

 その後ろをついていく陣。

〘絶対、ジョセフ感づいてたもの〙

「それを言うならジョンだって、たぶん、気付いてる」

 肩をすくめる陣に、アミリアは期待するような、ねだるような、熱っぽい視線を向ける。

〘何に――気付いたのかしら〙

 振り向くアミリアの可憐さに見とれ、陣は口の中が一瞬でカラカラに乾く。頭の中がじんじんして、言葉がうまく出てこない。

「何だろうな……」

 アミリアは陣に近寄り、右手を頬に沿わせてくる。

〘あなたの口から、聞きたいわ〙

「あーあぁ、ゔうん。……ちょっと待って」

 陣は頬にあるアミリアの手を握り、覚悟を決める。

 もう片方の手で、スマホの翻訳機能をOFFにする。

「自分の言葉で、伝えたいから――」

 目の前でスマホを振って見せて、コートのポケットにストンと落とす。

 深呼吸して、冬の冷たい空気を肺に入れる。頭の芯を冷やし、一言一言――恥ずかしい気持ちを押し殺して――絞り出すように言う。

「アイ、アー……ゔん、ゔゔん。アイ――アイ ラブ ユー」

 英語のできない陣には、これが精いっぱいだ。しかし、この世で一番大切な言葉だ。機械の翻訳音声ではなく、自分の声で、心を込めて伝えたかった。

 そして、その想いはアミリアにも間違いなく伝わった。本当はもっと言いたいことがあったに違いない。一言では伝えきれないほどの熱い想いがあったに違いない。だが、陣の発したその一言に、たくさんの気持ちがぎゅっと凝縮されていた。

 アミリアはうっとりと目を閉じ、じっくりと、頭の先からつま先まで全身を使って、その言葉を味わっていた。

「ワタシモ、アイシテル……」

 つたない日本語。俺の言葉も、向こうにはこんな風に聞こえているんだろうか。陣の胸の中に、恥ずかしさと嬉しさがこみあげてくる。しかし、次第に嬉しさの方が勝ってきて、いてもたってもいられなってくる。

 自然と、アミリアに顔を近付ける。

 アミリアも目をつむり、顔を近付けてくる。

 どっちが近付いて行っているのか、もうわからない。陣も、目をつぶっていたから――。


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