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電脳戦争  作者: 影宮閃
10/19

第十章 けじめ

2118年 サイバー空間での混乱が続く中、米国の関連企業、政府機関が相次いで攻撃を受ける。一連の連続事件で、100人以上がメンタルパラドックスで命を落とす。


2119年 米国政府、昨年の攻撃を北朝鮮サイバー部隊によるものと断定。さらに北朝鮮政府がサイバー空間内で覚せい剤の製造を黙認しているとして、治安維持のためサイバー空間内で北朝鮮人や北朝鮮関連企業に対し、大規模な一斉捜査を敢行。さらに民間レベルでの接近禁止措置を発表。


同   年 米国の対応に不服を訴える形で、北朝鮮がサイバー空間に軍隊を展開。宣戦布告を行わず、混乱に乗じて一週間で全サイバー空間の三割を掌握する。

      米国、北朝鮮の行動を戦争行為と受け止め、サイバー軍を展開。北朝鮮サイバー軍と武力衝突を起こす。


2120年 中国、北朝鮮支援のため、サイバー軍を派遣。

      ジャパン、米軍の支援のため、電脳自衛隊一個師団をサイバー空間に派遣。

      ロシア軍、中国軍支援のため参戦。

      米国の同盟国、次々と参戦。


第十章 けじめ




十一月14日、現地時間(ワシントンエリア)午前11時03分。MCP本部地下三階、CBT訓練場。

「…………」

 アミリア、ジョン、ジョセフをはじめ、MCP、MCS合同捜査本部三係のメンバー全員が集合している。誰一人、口を開く者はいない。

 重傷だった陣とバックアップで帰還したデューイは、それぞれ脳の異常を調べるための精密検査をしている。

 捜査員の中から(現実では生きているものの)死者を出してしまったこと、民間人を巻き込む一歩手前の行き過ぎた追跡、エジプトでの第四の爆破、新たに判明した犯人の素性、混乱し、錯綜する情報と状況を収束させるため、上層部は捜査員を緊急招集し、訓練場での待機を命じたのだ。

 ギザエリアの現状保存は現地のMCPが中心となって行われている。

「あっ」

 自動ドアの音が聞こえ、アミリアは訓練場出入り口の方を見る。

「――陣」

陣は体中の怪我全てを完治させ、いつものトレンチコート姿で訓練場に入ってきた。

「――陣、大丈夫……?」

 アミリアが駆け寄って声をかけてくるが、陣はぶっきらぼうに頷きを返すだけだ。

「あ……」

 心配そうに肩にかけられたアミリアの手を振り払い、ずんずんと歩き続ける。険しい目線の先にいるのは、訓練場の端で固まっているMCS隊員の群れだ。

 静寂に包まれた訓練場いっぱいに響き渡る、大きな足音で近づいていく。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、MCP、MCS双方が立ち上がり、かたずをのんで陣の行方を見守る。

「おい」

 総勢三十名近くはいるであろう、MCS隊員の真ん中、小隊長ジョセフの目前に、陣は迫る。

 その声に、ジョセフはいつものポーカーフェイスをくるりと向ける。

「何考えてやがる」

 猛獣の唸りのような声に、屈強なMCS隊員達にも震えが走る。ジョセフや一部の隊員だけが、冷静に、陣の真意を見定めるように目線を向けている。

 何も答えないジョセフにいら立ち、陣は十㎝も無いくらいまで顔を近づけてにらむ。

「民間人のいる場で!特殊武装(デバイス)をぶちまかすとは何事だ!」

 つばを飛ばす勢いの陣に対し、ジョセフは静かに返す。

「部下の発砲に関しては隊長である俺の管理責任だ。申し訳ない」

「それだけじゃねえ!まだ犯人かどうかわからない段階で撃つな!」

「俺は的を外さない。あの人ごみの中、確実に男だけを撃ち抜ける」

「そういう問題じゃねえ!参考人の段階で!有形力の行使をするバカがいるか!」

 陣はこらえきれなくなって、ジョセフの胸ぐらをつかむ。ジョセフは全く動じず、無表情のまま淡々と答える。

「結果、やつは犯人だった。何の問題もない」

「それは結果論だろうが!絶対に!証拠をそろえて!犯人だと確証をとる前に撃つな!お前らのやってるのは捜査なんかじゃねえ!そんなやり方をこの先ずっと続けてりゃあなあ!いつか取り返しのつかないことが起きる!」

 陣の大声にMCPの捜査員も付近に集まってくる。

「我々の目的は治安の維持と――」

「――今回の目的は俺たちの補佐だろうが」

「だが指揮官の判断が間違っている場合もある。公共の安全を守るべき局面で、間違った命令を聞くのは理に反している。それが通常の指揮系統から外れた人間の命令なら、なおさらだ」

「間違いなわけあるか!人命がかかってんだぞ!もうすぐで民間人を撃ち殺すところだった!アグニで何十人も蒸発する危険性だってあった!お前らのやり方じゃ!何の罪もない人間が巻き込まれる!」

「さっきも言った。俺なら的を外さない。あの時もそうだ。俺の判断で、俺の責任において行った。部下のことに関しては謝罪したとおりだ。今後指導を徹底する」

 どこまで行っても話が平行線をたどり、陣のいら立ちは頂点に達する。胸ぐらを掴んでいた手を乱暴に離すと、ジョセフに背を向けて距離をとる。

 相手に背を向けたまま、怒りに声を震わせて問いかける。

「……あの段階で、俺の判断は受け入れられない、命令を聞く気はない、と言うことか」

 ジョセフは乱れた胸元を右手で一度だけ払い、答える。

「そうだ」

 陣は、今回もっとも聞きたかったことを重ねて聞く。

「それは、今後も俺の命令は聞けないってことだな」

「そうだ」

「それは俺が……MCPが、MCSより武力的に劣っているからだな」

 最後は、確信を持って言う。MCSでは、自身の強さや戦術を組める能力こそが物を言う。つまりこいつらの思考回路の根幹には、MCPに対する蔑みがあるはずだ。弱い、力のない集団だ、と。

 ジョセフは、陣の言いたいことを瞬時に理解した。陣がその答えを知っていることも、直感で察した。

 だから、隠さずに自分の本心で答えた。

「そうだ」

 その答えに、周りに集まっていたMCPがざわつき始める。当然だ。面と向かって『お前たちを認めていない』と言われたのだ。腹を立てない者などいない。

 陣はやはり、と舌打ちをすると、ジョセフの方を振り向く。

「わかった。ならお前にわからせてやる。特殊武装(デバイス)をとれ」

 さすがのジョセフも、この展開は予想外だった。一瞬眉を曇らせ、警告する。

「やめておけ、お前では俺には勝てない」

 しかし陣は引かない。

「そんなうぬぼれた考えでいるから問題なんだ。スリーブアローをとれ」

 陣は右手にボウルナックルを装着する。

「ちょ、ちょっと陣!」

 周りの群衆から、ジョンが慌てて飛び出してくる。

「ダメだよぉ!目的以外の特殊武装仕様は禁止されてるだろう⁉」

 続いて、アミリアも心配そうな顔をして出てくる。

「陣、やめて。私たち全員の問題にもなるわ」

「俺の責任だ。関係ない」

「あなたにだって!きっとよくないわ!」

 陣は制止を無視して、ボウルナックルの指を展開させる。

「陣!」

 飛び出そうとするアミリアの肩を、ジョンが後ろから抑える。

「クラーク部長、近づくと危ないって!」

 二人の声を背中に受けながら、陣はジョセフを正面から見据える。

「おら特殊武装(デバイス)をとれ。上司には俺が一方的に襲ってきたと言えばいい。そうすればボロボロになっても言い訳できる(・・・・・・)

 陣の挑発に、ジョセフはスリーブアローを取り出す。グリップの底辺にある留め金を外し、矢を引き絞るための引き手を展開する。顔は冷静なままだが、内面では陣に対する闘争心が燃え始めつつあった。

「後悔するなよ。貴様はMCSのレベルを知らない」

「言ってもわからねえ奴には一発入れるしかねえ」

特殊武装(デバイス)制限解除(アビリティ)も一つ。貴様に何ができる」

「今からわかるさ、痛いほどに」

 言い合う二人から、とてつもない殺気が出始める。周りで見ていた人だかりが、巻き込まれないよう遠くへ距離をとる。

「陣!陣!やめたまえ!話し合いで解決しよう!」

 ジョンの叫び声を聞きながら、陣はMCPの捜査員に向かって叫ぶ。

「いいかお前ら!目ぇつぶれ!」

 そして、ジョセフめがけて近づいていく。

「これは」

 その距離約十m。

「俺が勝手にやることだ」

 ねじ伏せてやる。


 ついに、始まった。


 ジョセフは距離を詰められないよう、スリーブアローを陣に向ける。ボウルナックルの距離に入るわけにはいかない。本来は足を狙って止めるべきだが、立場をわきまえない男に遠慮をする必要ない。思いっきり上半身めがけて矢を放つ――が。


 ガツュン!


 突如、陣の右手があり得ない速度で動き、電磁矢を弾き飛ばした。

「っ⁉」

 ジョセフは何事かと目を見開き、続けて矢を放つ。


 ガツュン!


 再びはじかれる。

 陣は歩きながら――速度を落とすことなく――近づいてくる。

 ジョセフは負けじと矢を放ち続ける。一発、二発、三発、四発……その全てを、まるで弾道を予測しているかのように、陣ははじき続ける。

 なんだ?こんなに――。

 ジョセフは冷静な顔のまま、少しずつ焦り始める。予想外だ。この男――。

「おらあああああ!」

 あと三mという時、陣が速度を上げて突っ込んでくる。大きく飛び、真っ赤な右手をジョセフに叩きつけてくる。

「くっ」

 ジョセフは助走無しで二、三m横っ飛びして回避する。受け身をとって着地し、隙を与えないよう素早くスリーブアローを構えなおす。

 陣は訓練場の床にボウルナックルを沈めたまま、微動だにしない。あまりにも隙だらけな格好だが、にじみ出るオーラに圧倒され、ジョセフは矢を放てない。

「俺の制限解除(アビリティ)は《反射神経強化》」

 床に埋まったボウルナックルを引き抜き、陣は己の能力を告げる。

「人体の限界を超えた反射行動を可能にする。俺は、銃弾程度の早さなら瞬時に対応できる」

 あの男と同じか。ジョセフはハーン・ハリーリで電磁矢をかわされたことを思い出す。

「そして、俺のボウルナックルは特注品でね。各部に搭載したスラスターで、高速行動が可能になっている」

 爆弾魔がなぜ制限解除(アビリティ)を使えるのか不明だが、今はそんなこと問題ではない。これは、つまり――。

「つまり、俺に銃は効かない」

 陣は唸り、再びジョセフめがけて走り出す。

 ジョセフは急いで弾幕を張るが、やはり全てはじかれる。陣は赤い軌跡を残しながら右手を高速で動かし、どんどん距離を詰めてくる。

 矢をはじいた勢いで放ってきた強烈な裏拳をかわし、ジョセフは背を向けて走り出す。助走をつけ、後方にある――高さ五mはあろうかという――足場に飛び乗る。この足場は建設途中のビルのように、柱と床部分しかない。広さは人が数人乗れるくらいだ。その一番上で、ジョセフは体制を整える。

「お前の制限解除(アビリティ)にあたりはついてる」

 下の方から、陣の声が聞こえてくる。

「一つ目は《超脚力》。狙撃ポイントへの迅速な移動と、接近戦の苦手なスリーブアローの弱点を補うため、蹴りにも利用できる」

 陣は足場全体を見回し、作戦を練る。一応階段もついているが、駆け上ってまた逃げられたらやっかいだ。地の利を生かされる前に、この立ち位置の差を根本的に解決しなければ。

「もう一つは《超感覚》!」

 こちらの作戦を悟られないよう、しゃべり続け、ジョセフの気を引き続ける。

「視覚、聴覚、嗅覚、触覚……すべての感覚が常人以上に引き上げられる。一キロ先の音を聞き、数百m先の的も見える。風の方向や強さも肌で感じとり、狙うべき方向を俊時に判断できる。まさにスリーブアローにうってつけの制限解除(アビリティ)だ」

 陣は柱の一本に狙いを定める。よし、足場を崩してやろう。

「だが弱点もある。〝痛覚〟も一緒に増幅されちまうからな」

 ジョセフは陣の話に聞き入っている。もくろみ通りだ。このままこっちのフィールドに引きずり降ろしてやる。

「お前、殴られる距離に入る想定してないんだろ。たしかにそれなら問題ない。俺の距離に入ってこなければ、なぁ!」

 そう言うと、陣は足場の柱めがけて突っ込む。ジョセフは慌てて弓を引き絞るが、足場の真下に入られてしまって狙えない。

 ズシン、と足場が揺れる。

 陣は柱の同じ部分に、何度もボウルナックルを叩きつける。一回、二回、三回、四回……徐々に、硬かった柱にひびが入っていく。

「おらああ!」

 とどめの一撃に、陣は柱をむんずと掴み、強引に引きちぎる。

「くっ!」

 足場は支えの一本をなくし、崩壊する。突然のことに、ジョセフは足場と共に地面に叩きつけられる。

「うぅ」

 気を失っている場合ではない。散乱するがれきの中、重たい頭を上げると――目の前に、ボウルナックルを掲げ、大きく振りかぶる陣が。

 ジョセフは急ぎ、スリーブアローに搭載されたボタンを押す。この特殊武装(デバイス)には、グリップを握った際に中指、薬指、小指が当たる部分に合計三つのボタンが付いている。それらを押す組み合わせを変えることで、電磁矢の効果を――例えばスタン弾などに――切り替えたり、他の機能を呼び出すことができる。

 今回は中指を二回、小指を一回、薬指を一回の順だ。最後の一回を押した瞬間、乾いた音と共に、グリップの周りに淡い色のレーザー刃が展開される。その形はグリップを中心に弧を描いており、これまで弓には見えなかったスリーブアローが、初めてそれらしい形になる。

 その薄くとも鋭い刃で、振り下ろされるボウルナックルを受け止める。鋼鉄の拳と、エネルギーの刃が火花を上げてつばぜり合いを繰り広げる。

「んううううう!」

 陣は歯を食いしばり、何とか弾こうと力を込める。

「いいもの持ってんじゃねえか!」

 ジョセフは両手でグリップを支えなんとかその力に耐える。

「ありとあらゆる状況を、っ。常に想定している!これはその一つだ!」

 顔は冷静なままだが、額にジワリと汗が浮かんでくる。

「ええい!」

 体をひねってボウルナックルから逃れ、片手を地面について支えにし、蹴りをお見舞いする。

陣は素早く赤をひるがえして、その蹴りを受け止める。

「くっ」

 強化されているだけあって、さすがの威力だ。陣は押され、数歩後ずさる。負けじと、ビリビリと震える拳で手近ながれきを砕く。

 狙い通り、ジョセフは強烈な音に顔をゆがめている。動きが鈍くなり、明らかに――初めて――その表情が焦りに変わる。

 休む暇など与えない。陣はボウルナックルを振り回し、ジョセフの体をとらえようとする。だがMCS随一の戦士は巧みな体さばきで、右に左に、時にしゃがみ、時に飛び上がり、陣の追撃をかわす。

 一進一退の攻防に、周りからどよめきが上がる。

 陣は、かわされ、いなされても攻撃の手を緩めない。最初はうまくしのいでいたジョセフも、徐々に後退を始める。

「お前の想定は甘い!」

 一言ごとに拳を繰り出し、ジョセフに迫る。

「自分が殴られないと思ってる!思いあがってる!」

 ジョセフは反撃の射撃を繰り出す。攻撃に集中している陣は、わき腹や左足に数発矢をくらう。しかし、一瞬ひるむのみで決して立ち止まらない。

 ついに、大きながれきの前までジョセフを追い詰める。

「犯人を撃てばそれでいい!結果さえよければそれでいい!」

 陣の勢いに押され、ジョセフはがれきの一つに躓く。体勢を崩し、中腰で陣の攻撃をかわし続ける。

「その考え!やり方!すべてが甘い!」

 ジョセフはスリーブアローの刃で、何度も繰り出される拳を何とかいなす。

「俺がその鼻!へし折ってやる!」

 陣は巨大な指を思い切り開き、ジョセフの頭を掴もうと勢いよく振り下ろす。

 ジョセフは、再び両手でグリップを強く握る。レーザーと鋼鉄が、火花を散らしてぶつかり合う。

「えああああああああ!」

「ぐっ……!」

 片膝をついたジョセフを抑え込むように、陣は全体重を右手にかける。

 冷静さをかなぐり捨て、必死に耐えるジョセフは――目前で陣が左手を動かすのを、どこか遠い世界の出来事のようにぼうっと見る。

 

 まさか。


 陣は、右腕の小手のボタンを、左手で押す。


 そんな、まさか。


 ジョセフは悟る。ありえないと思っていた結果が、もうすぐそこまで来ている。


 俺は、負ける。


 電子音と共に、陣はボウルナックルを強制解除する。つばぜり合いをしていた特殊武装(デバイス)から解き放たれ、自由になった右手を伸ばす。一瞬の機転に、ジョセフは反応しきれない。そのままスリーブアローのグリップを掴み、左手も添えてひねりこむ。

「おりゃあぁぁ!」

 圧倒されているジョセフを組み伏せ、その手からスリーブアローをもぎ取る。膝をついて相手の体を抑え込み、電磁弓を手の届かない遠くへ放り投げる。

 そして陣は、素手の右手(・・・・・)を握り締める。

「歯ぁ食いしばれ」

 そのまま、拳を振り下ろした。

 

 MCS一の射手が、敗れた。




 ガチリ。

 ジョセフの顔を殴ったその時、後頭部に銃を突きつけられる。

「お前何してる」

 この声には聞き覚えがある。

 陣は諦め顔で、両手をゆっくりと上にあげる。

「頭の後ろで手をくめ」

「……はい」

 観念して目をつぶり、両手を頭の後ろで組む。この人には逆らえない。

「バカ野郎が。おい!誰か手伝ってくれ!」

 その大声に、MCPの誰かが駆け寄ってくる。

「よし立て。連れて来い。こっちだ」

「すんません。班長」

 脇を支えられながら立ち上げり、陣は横目で上司を見る。

「話はあとだ」

 柴咲は不満そうに唸り、あごで訓練場の出入り口を指す。それに従い、陣はとぼとぼと歩いて行く。

 マジか……嘘だろ……隊長が負けた?化けもんだあいつ……。

 周りにいたギャラリーが、興奮した様子でめいめいにしゃべる。全員が好奇の目で陣を見ている。

「陣……」

 アミリアだけが、心配そうにぽそりと名前を呼ぶ。

 誰もが予想していなかった、英雄の敗北。鮮烈な印象を残したまま、勝者が連行されていった。




十一月14日、現地時間(ワシントンエリア)午前十一時57分。MCP本部29階、連続爆破テロ対策本部室。

「すまないな、そっちの殺人事件と関連があると思って急に呼び出したのに……初仕事が部下の連行とはなぁ」

 ブライアンはスキンヘッドの頭をかきながら、柴咲に書類を投げる。

「いいや、うちの失態だあんなもん。迷惑をかけた――。二年ぶりだなあ。昇任おめでとうございます。警部どの」

「やめてくれ、なりたくてなったんじゃない。おかげで現場にも出れやしない」

 柴咲はクックッと笑い、書類を受け取る。

「――で?あいつの処分だが……どうでしょう、キタノ中隊長」

 机を囲んでいるのはブライアン、柴咲、二人の上司である片山、そしてジョセフの上司、キタノ中隊長だ。

「今回の件は非常に由々しき問題です。非常に」

 キタノは椅子に座ることなく、立ったまま両手を後ろ手で組んでいる。

「厳正な処分を下しますよ。アイゼンハワーには」

 歴戦の記録が刻まれた顔を明るい表情に変え、キタノはにっこりと笑う。

 それを見て、ブライアンと柴咲は顔をしかめる。正直な話、優秀な陣を捜査から外すことはしたくない。たとえそれが短期だろうと長期だろうと、捜査本部に与える影響は甚大だ。実際、今回ピラミッドをかぎつけたのも、陣の推測がもとになったと聞いている。

 しかし、MCS(あちら)側が厳正な処分を下すのであれば、こちらも同様のけじめをつけなければなるまい。それが大人の世界と言うものだ。ましてや違う組織同士、その内容にあからさまな差があってはならない。

「厳正と言うのは……例えば、どの程度を?」

 ブライアンは、キタノの真意を測るように投げかける。あまり大きな処分を言って、それが二つ返事で了承されるのは避けたい。とはいえ、こちらからあまりに消極的な処分を言えば、相手の機嫌を損ねてしまうかもしれない。そうなれば今後の協力体制にひずみが出来るだろう。これは駆け引きなのだ。

「フッハッハ……」

 突然、キタノはカラカラと笑いだす。頬に着いた大きな傷跡が、ぐにゃりと曲がる。

 ブライアンも柴咲も、予想外の反応に驚く。そんな二人を置いて、キタノは笑いながら続ける。

「お三方は、いや、お二人は何か勘違いをしておられる。私は武田巡査部長に、何の処分も求めていません」

「と、言うと?」

 尋ねるブライアンに、キタノは答える。

「そもそも、MCPに負けること自体が大失態。MCSとして、その力量が疑われる。アイゼンハワーには、一か月の特訓を命じます。ですが、あなた方にとって何が失態なのか、それは私の管轄外だ。ですから、私は武田巡査部長に何の処分も求めません」

「なるほど……」

 つまり《何の処分も求めていない》のではなく、《てめえのところはてめえでけじめをつけろ》ということだ。頷くブライアンだが、MCSの処分内容に顔をゆがませる。一か月の特訓とは、言い換えれば一か月の謹慎だ。どうにか手は無いかと、キタノに見えないよう、柴咲に目配せをする。

 柴咲は小さく頷き、ブライアンに先を促す。

「キタノ中隊長、それは大変ありがたいお言葉ですが――。アイゼンハワー少尉も、かなり優秀な方です。一線からの長期離脱はMCP、MCS双方に痛手でしょう。ここは――」

「いいえブライアン警部。うちはうちのやり方でやらせてもらいます。ですが、申し上げた通り、武田巡査部長には何の処分も望みません。ご理解をいただきたい」

 話を遮られ、提案を断られ、ブライアンは眉にしわを寄せる。キタノは捜査員とは違い、軍人だ。こういうけじめの問題については警察官より厳しい。そして、先ほどから嫌に快活だ。こういうタイプは、一見親しみやすそうに見えて話が通じない。

 犯人の輪郭が見えてきた以上、この話し合いの時間さえ惜しい。早急に双方が納得できる落としどころを決めなければならず……。正直、参った。お互いを尊重し合っての決め事。長年経験してきた捜査とは勝手が違う。幹部というのはこんなにも大変なものなのか。ブライアンはまたもや頭をかく。

「まー、まー、ブライアン警部」

 それまで黙って聞いていた片山が、ゆるーい感じで話に入ってくる。

「うちの補助で入ってくれてるとはいえ、処分で差をつけるわけにはいかないじゃない」

 キタノは微動だにせず、片山の話を黙って聞いている。ブライアンと柴咲は顔を見合わせ、ため息をつく。キャリアの出である片山には、現場レベルでの話し合いは(おそらく)わかっていない。上同士の話し合いなら得意とするところなのだろうが……。

「今は確かに忙しい時だろうけど、暴行とか特殊武装(デバイス)の目的外使用で立件するわけでもなし……。今後復帰できる条件を付けて、良しとしようじゃない。期間はあちらさんの言う通り、一か月。それで、緊急時には早期復帰も可能、と」

 片山はブライアンと柴咲、キタノの顔を順番に見て、ニコニコと言う。ブライアンと柴咲は、片山の提案した内容の真意に気付き、眉をピクリと動かす。

 そうか、それならば――いや、しかし、どうだ――肝心のキタノは?

 二人して軍人の顔色を窺っていると、片山が人懐っこく言葉を重ねていく。

「二人ともそれぞれの組織に必要不可欠。それに真面目で悪い人間じゃないでしょう。ねえ?キタノ隊長、それで行きましょう」

 キタノは柔らかくも厳しい表情を崩さない。しかし、片山の出した妥協案に――渋々ではあるが――頷いた。

 それを見て、ブライアンと柴咲はほっと胸をなでおろす。ただのお飾りだと思っていたが、なかなか、どうして、片山は交渉に長けている。この状況ならお互いのメンツを保ち、かつ納得もできる。

「では私はこれで」

「今後もよろしくねぇ」

 急に頼もしく見えてきた優し気なおじさんは、帰っていくキタノをニコニコと見送っていた。




十一月14日、現地時間(ワシントンエリア)午後零時07分。MCP本部13階、捜査一課Aブロック、第二調べ室。

 無音の空間で、陣は調べ室の机についている。いつもとは逆側、調べられる側の椅子に座って。

 調べ官の椅子には、アミリア・クラークが座っている。暴行に関する処分を上が協議する間、陣を見張る役を買って出たのだ。

 四畳半の、決して広くない無機質な部屋。小さな窓の外にワシントンの景色がぼやっと見えるくらいで、あとは壁も床も机も椅子も全部白い。

 気まずい陣は、何もない机の上をじっと見続ける。せめて木目でもあれば暇つぶしに眺めていられるのに……この視線を維持するのはなかなか辛いものがある。

「……陣」

 部屋に入って十二分。ついにアミリアが沈黙を破る。

「なんで俺のことなんか心配したんだ」

 陣は机から目を上げ、アミリアの顔を見る。しかし、彼女の寂しげな表情を感じて、再び机を眺める。

「三十手前にもなって、喧嘩吹っ掛けたのは俺なのに」

「それは――、あなたが民間人をかばったって聞いたから。怒る理由はちゃんとあったわ。でも――」

 聞いていいのかどうかわからない。だが、アミリアは聞かずにはいられなかった。

「――どうして、あんなにジョセフを嫌うの?人の命にそこまで執着するのも、何か理由があるんじゃないの?」

 陣はため息ともつかない声を漏らして、窓の外へ視線を移す。

「言いたくないならいいの。でも――でもあなた、どこか、必死だったから……。ねえ、私じゃ役不足かもしれないけど……」

「別に」

 あいかわらず窓の外を見たまま、陣は椅子にもたれかかる。

「別に、あいつだけ特別憎いってわけじゃないさ」

 こんな話、他人にするつもりはなかった。しかしアミリアの優しい声で、陣は吸い込まれるように昔を思い出していた。

「ええ。わかってるつもり。でも、知らないことも多いわ。教えて、あなたの――」

 あなたの悩みを。あなたの痛みを。あなたの苦しみを。

 少しでも、力になれるのなら――。

「全部、聞くわ」

 アミリアの力強い言葉に、陣は数秒、考えるようにうつむく。そして、少しずつ語り始める。

「八年前だ――


 ――八年前、連続爆破テロが発生した。

 俺たちが生まれる前、日本と呼ばれていた国が、人口減少と財政破たんにあえいで合衆国に吸収され、ジャパン州になった。当時、世界各地で似たようなことがたくさんあって……当然、その余波で独立運動だかテロだかが世界中で続発、当時のMCPがMCSの助けを借りて鎮圧した。

 その後約四十年。四十年だぞ?四十年もの間平和だったサイバー空間で、爆破テロが起きたんだ。それが8年前。

 俺はまだ駆け出しの刑事で、本部じゃなくて所轄にいた。当時も捜査本部が組まれて、俺は柴咲班長に――まだ巡査部長だったが――呼ばれたんだ。いい経験させてやるって言われて。

 もちろん半世紀ぶりの大事件だけあって、MCPの威信がかかってた。捜査本部には腕利きの捜査員ばかりが集められて、俺はあんまり覚えてねえけど、アミリアの母さんもいたらしい。

 それなのに、犯人の手掛かりは何にもつかめず、犠牲者は増える一方だった。

 事態を重く見た当時のMCP本部長は、MCSに協力を要請。今回のように、MCPの補助という名目で多くの戦闘員が現場に入ってきた。

 最初、現場の刑事はみんな反対した。もともと組織同士仲が悪いのもあったし、お互い不信感しかなかった。若かった俺にはわからなかったが、裏ではいざこざも数件あったらしい。

 それでも何とか合同で捜査を進め、俺は班長指揮の下で証拠を集めて行った。そして、爆破の傾向、パターンを割り出すことに成功した。

 その時の分析を、今でも鮮明に覚えてる。

 爆破があるのは決まって通勤時間帯。爆破は必ずリニアの路線に沿ったエリアで多発。方法はどれも、爆発物を駅構内や近隣の施設に設置し、離れた位置からリモコンのようなもので起爆。

 そうして次に爆破される候補地を数か所に絞り込み、俺は上に報告した。

 その情報をもとにMCSが各駅に隊員を潜入させ、怪しい動きをするものを徹底的に拘束せよと命令を下した。……らしい。

 当時の俺は事態の大きさに気付いていなかったが、なんとなくまずい気がして、急いで犯人を割り出そうと躍起になってた。膨大な量の現状保存や通勤通学時の改札データ、前科前歴のある者のプロファイリング。それらを隅から隅までしらみつぶしにして、ついに犯人の目ぼしを立てた。

 浮かび上がったのは三人。男性会社員、女子高生、男子大学生、この三人だ。

 すでに報告していた場所情報と共に、MCSが大捜索を始めた。


 ――陣は一息ついて、机に肘をつく。額を撫で、言いたくない言葉を無理やり吐き出すように口にする――


 だがその時になって、俺は初めて知った。MCSが受けていた《徹底的に制圧せよ》という命令。本当の意味では《犯人の生死にかかわらず爆破を阻止しろ》と言われていたらしい。

 なんとなく嫌に感じてた直感が、当たっちまった。

 そりゃあもう必死になった。会社員はともかく、高校生と大学生は将来もある若者だった。もし俺のプロファイリングが原因で撃ち殺されてもみろ。責任問題なんてレベルの話じゃない。

 三人だった犯人像を一人に、複数あった次の爆破場所を一つに、何とか絞り込もうとした。

 そうこうしている間に、MCSが女子高生を発見したと連絡が入った。同時に、同じ駅で会社員も発見。それぞれに尾行をつけて、行動を確認していた。

 俺は余計に焦った。もう一度怪しい情報を隅から隅まで見て、確実にこいつだ!と言える情報を漁った。

 そして数分後、同じ駅で大学生も発見され――たまたま通勤通学で使う駅が同じだったんだろう――MCSに緊張が走った時。俺はついに、犯人の確証を得た。

 さっそく上に速報したよ。犯人は会社員の男ですって。女子高生と大学生は無実なんですって。でも、すでにMCSは現場で混乱してた。ほぼ同じ空間に三人の容疑者がいたせいで、現場指揮官が実力行使に出ていたんだ。容疑者三人をそれぞれ取り囲んで、投降するように警告していた。

 結局、俺の暴いた犯人の情報は現場に伝わらなかった。だから、俺は大急ぎで現場に向かった。伝わらないなら、自分で止めるしかない。必死になって走って、アクセスポイントに飛び込んだ。

 そして出た先で、今まさに撃たれようとしている大学生をかばって守った。

 困惑するMCSに事情を説明して、俺は再び走り出した。もう一人の女子高生を救うために、人生で一番速く走った。大学生をかばった時に怪我してんのに、血を流しながら、足を引きずりながら走った。


 それでも、間に合わなかった。


 俺が現場に着いた時、女子高生はたくさんの銃に囲まれてた。その目前で彼女は――カバンに手を突っ込んだ。

起爆用のリモコンを押すと勘違いしたMCSが、発砲して無理やり止めた。

 一人じゃない。何人も撃った。俺だけじゃ、全部受けきれなかった。

『その子は犯人じゃない!』

 そう叫ぶ時間もなかった。


 ――陣の目に、涙が浮かぶ。アミリアはその煌きに気付き、悲しい目で陣を見る――


 その子は……死んだ。当たり所が悪いなんてもんじゃない。

《徹底的に制圧せよ》

 文字通り、徹底的に撃たれ、EDRでの修復も間に合わなかった。


 何で……。

 何で、カバンに手を入れたと思う?」

 涙を目にいっぱい溜めながら、陣はアミリアに問う。わからないアミリアは、黙って首を横に振る。

 陣は震える声で、真相を明かす。

「その子が握ってたのは、ケータイだった。通話をかけるところだったんだ……。何の罪もない少女が!いきなり男たちに囲まれて、理由もわからず銃を向けられて、怖くて、泣きたくて、逃げたくて必死だったんだ!MCSの制止の声なんか聞こえるもんか!うぅ……」

 陣はボロボロと涙を流す。


 ――「ああぁぁぁぁ!」悔し涙が、頬を伝う。自分の腕の中で息絶える少女。自分の血なのか、彼女の血なのかもはやわからない。ぐちゃぐちゃの中、彼女の右手に、光る画面が見える。通話の発信画面。発信先は――


「《お母さん》だった……。一番身近な、一番頼りになる母親だった!あぁ!助けて欲しかったんだ!どれだけ怖かったか、どれだけ不安だったか、どれだけ痛かったか、苦しかったか、悲しかったか!俺には想像もつかない!いつものように学校に行って!いつものように勉強して!いつものように友達と遊んで!いつものように!……家に帰って……母親の料理を食べるはずだったのに……うぅ」

 陣は机に何度も拳を叩きつけ、嗚咽を漏らす。

 アミリアはようやく理解する。陣が捜査一課に居続ける理由。ジャパン支部一位の検挙数。ワシントンでもピラミッドでも、民間人の命を第一に考え、自らを省みず行動する理由。

「あの子には将来があった!あの時の俺と比べても五歳も若かった!大学に行って、就職して、結婚して、子供を産んで……!MCSはそんなこと微塵も考えちゃあいない!MCS(あいつら)はただ命令を聞くだけだ!大勢が助かるなら、数人が死のうと何にも思わない!結果さえよければ、犠牲になった人がどうなろうと気にもしない!そうだ、あんな奴らに……あんな奴らが平和を語るなんて、許せない!……許すもんか、絶対に……」

 最後は拳を握り締め、わなわなと震えながら言う。

 アミリアは、そっと、やさしく、陣の手を包み込む。温かい目と表情で、泣き崩れた刑事の顔を見つめる。

 そして、声をかける。これが慰めになるかわからない。彼の傷を癒してやれるかわからない。けれど、この正義の塊のような捜査員に、何でもいいから、自分にできることをしてやりたかった。

「陣。あなたが許せないのは――きっと、あなた自身なのよ。間に合わなかったあなた自身。彼女を救えなかった自分自身」

 その言葉に、陣ははっとしてアミリアを見る。

「でもね……あなたは今、誰も真似できないくらい立派な警察官になってるいわ。私、あなたほど正義のために戦う人を見たことがないもの。彼女もきっと、それをちゃんと、わかってくれているわ」

 陣は再び大粒の涙を流し始める。アミリアの手を握り締め、机に突っ伏して泣く。

「だから、だからもう、自分を許してあげて――陣……」

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