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電脳戦争  作者: 影宮閃
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第一章 事件

登場人物



武田 陣(29)…MCP(Multinational cyber space police)ジャパン支部総括本部刑事部捜査一課所属の刑事。階級は巡査部長。


木下 一登(かずと)(25)……陣の部下。階級は巡査長。


アミリア・ケイティ・クラーク(27)…MCP本部捜査一課所属の刑事。階級はSergeant(巡査部長級)


柴咲 龍平(48)…陣の上司。捜査一課一係班長。階級は警部。


片山 哲司(55)…陣の上司。捜査一課課長。階級は警視。


ジョン・アーロン・ブラウン(27)…アミリアの同僚。階級は巡査部長級。


ジョセフ・K・アイゼンハワー(27)…(Multi)国籍(national)電脳(Cyber)空間(Space)治安(Security)維持部隊(Force)(通称MCS)総合指令本部付第一実働部隊所属。階級は少尉。


ヴィクター・J・キタノ(42)…ジョセフの上官、MCS総合指令本部付第一実働部隊第二中隊長。階級は中尉。





1942年 世界初のデジタルコンピュータが誕生。


1949年 ノイマン型コンピュータが誕生。


1975年 集積回路が誕生。コンピュータが小型化へ。


1984年 米アップルがマッキントッシュを発売。


1985年 米Microsoft、MS―DOS上で動作するオペレーティングシステムWindows1.0をリリース。


1991年 (World)(Wide)(Web)がインターネット上で利用可能に。


1995年 Windows95が発売される。全世界で爆発的に普及。

電脳戦争(サイバーウォー)


第一章 事件



十一月10日現地時間(TOKYOエリア)午前十一時56分。

 人々の行き交う繁華街。その裏路地。

 陣はトレンチコートを羽織り、現場へ向かっていた。黒くて厚い雨雲のおかげで、あたり一帯は薄暗い。耳に入ってくるのは雨音ばかり、表通りの喧騒など一つも届かない。

「お疲れっす」

「おう、お疲れ」

 先着していた部下の木下と挨拶をかわし、マスク、ゴム手を取り、シューズカバーをつける。

 黄色と黒の縞々の棒状デバイスから、規制線が張られている。空中に半透明で表示されている規制線だが、中に入るにはMCPのIDを所持していなければならない。それ以外のものは見えない壁に阻まれる仕様になっている。

 その規制線を難なく通化し、両手にゴム手をはめながら現場に近づく。

「マル害は」

「あそこっす」

 木下は500m先、地下道に続くトンネルの入り口を指す。その方向へ歩みを進めていくと……。

「ひでえな」

 一言つぶやき、陣は合唱する。

「鑑識は」

 陣の問いかけに、木下は濡れる眼鏡を拭きながら答える。

「現状保存は完了しました。詳細は鑑識に回します」

「身元は?」

「まだわかんないっす」

「データは送ったんだろ?」

「はい。武田部長が来る二、三分前に」

「急がせろ、MP(メンタルパラドックス)起きてるのかもわかんねえぞ」

 陣は舌打ちする。鑑識が終わっていないことにではない。降り続く雨で視界が遮られ、髪もずぶぬれになっていたからだ。

「ったく、雨やませろよ」

 大粒の雨にうんざりしながら、陣はつぶやく。

「ムリっすよ。三原則、電脳空間内の――」

「物理法則を改変、無視することはできない。キノ、規制線の中だけでいいから遮断膜張っとけ。お偉いさんが来んぞ」

「うっす」

 二つ返事をして木下は駆け出す。規制線を展開している棒状デバイスを操作し、遮断膜の高さと範囲、遮断対象物を設定していく。

 陣は一人、指先で下唇をつまみながら被害者を見つめる。現状保存が終了しているならマスクの必要性は薄い。息苦しいので外している。

 思案にふけっていると、突如として雨がやむ。ちらりと上を見上げると、上空数mのところに見えない壁ができ、雨粒の侵入を遮断している。

「武田部長!張りました!」

「あー!」

 唸るように返事をして、もう一度被害者に目を戻す。

「どう思うよ」

 背後に駆け戻ってきた木下の気配を感じ、問いかける。

「どうってのは?」

「なんでわざわざサイバー空間で殺すんだろうな。銃で頭部を滅多撃ち。そもそも――」

 被害者の横に投げ捨てられた黒い拳銃を一瞥する。

「――銃なんてどこにも売ってねえ。お前、銃撃ちたいならどうする。仕事以外で」

 木下は唸って考える。

「買えるのはアミューズメントか競技用にID登録された人で、撃つにはID登録された銃が必要。弾も一発ごとにID認証を受けて、発射弾数までMCPで一括管理」

「場所は」

「MCPから認可IDを受け取った空間に限るっす」

「例外は」

「あー、MCPかMCS所属の者なら、それぞれの管理する銃器に限って何でも使用可能。これも弾数の管理が――」

「それ以外は?」

「えー、データをクラックしてIDを解除するか、ID解除済みの銃器を入手……マジすか?」

 木下は信じられない、と語尾を上げる。

「だよなあ。めちゃくちゃ手間かかるし、サイバー空間内でそんなもん作ろうもんなら一発で検知されるし、アクセスポイント経由する度に検問に引っかかんぞ」

 拳銃を拾い上げ、しげしげと眺める。

「銃で人殺すんなら、現実世界の方が絶対簡単だろ。びっちりデータの流れ監視できるサイバー空間より、検問を全部張れないアナログな世界の方が密輸もしやすいだろうに」

 オートマチックタイプの銃は、MCPで標準配備されている物とは細部が異なるようだ。弾倉を取り出し、IDが読み取れないか確認する。

「読み取り不能、だ、と。製造元も所有者も何にも出てこねえ。チッ。検閲に引っかかんねえわけだ。作ったやつは化けもんだな。既存の銃器(モン)じゃねえのは確かだが……まあ簡易検査じゃ詳しくわかんねえか。現状保存の分と合わせて、モノホンも送っとけ」

「了解」

 木下に銃を手渡す。

「犯人の狙いは何なんすかね……」

 木下は受け取った銃を見つめながら疑問を口にする。

「現実世界よりも高跳びしやすい、か?でも行動は全部ログに残んぞ」

「ですよねぇ……」

 陣は被害者の顔を覗き込む。銃を何発撃ち込まれたのかすらわからない、ぐちゃぐちゃで目や鼻は原型をとどめていない。

「ここまで執拗に撃つ必要があったのか?」

「恨みですかね、何かの」

「それか、穴に一発ずつ撃ちこんでいったか……」

「えぐいっすね、それ」

 二人して被害者の顔をじっと見つめるが、手掛かりになりそうな情報は浮かんでこない。

 陣は目線を上げ、現場をぐるりと見渡す。周りでせわしなく動く捜査員たち、遠くの方には傘をさした野次馬の姿もある。陣の正面には、真っ暗な闇しか見えない、地下に続くトンネル。

「これはどこに繋がってんだ」

 木下は慌てたように情報端末を叩く。

「えーっと……すねぇ……リニアの下をくぐって、反対側に出ます」

「他に入り口は?」

「入り口は……ここと反対側、あと、中で左右に分かれて、その末端でさらに左右に分かれてるんで……」

「六か」

「です」

 陣はトレンチコートのポケットに両手を突っ込み、暗闇に目を凝らす。

「なんだって照明がねえんだ。サイバー空間のインフラにも予算がついてんのか」

 木下は端末から顔をあげ、眼鏡のふちを手で持ち上げる。

「そういえば……おかしいすね、こんな暗いのは」

「中の確認は?」

 陣の問いかけに、木下は肩をすくめる。

「現場保存の段階で、地下道に繋がる入り口は全部封鎖してますけど。捜査員がこっから入ってそれぞれの出入り口に行ったくらいです。臭うんすか?」

「なんとなくだよ」

 陣は左腕に取り付けた端末のメニューから、ライトを選択する。手首側三か所に取り付けられた電球から光が放たれ、前方数mを明るく照らす。その光を暗闇に向け、トンネルに足を踏み入れる。

 トンネル内は、コンクリートに茶色のタイルを張り巡らせただけの簡素なつくりだ。サイバー空間のあちこちで見かける、よくあるタイプ。データの使いまわしだろう。背後から木下もライトをつけてついてくる。

 300mほど進んだところで、道が三方向に分かれている。まっすぐのびる道と、左右に九十度曲がった道だ。それぞれの道を順にライトで照らしていくが、先は予想以上に長く、終点が見えない。右の通路にメンテナンス用の通用口が設けられているくらいで、あとの造りはどれも大差ない。

「入り口固めてるやつらに報告入れさせろ。トンネル通ったときに異常はなかったか」

「うす」

 木下は端末を叩いて捜査員にメッセージを送り、即座に返ってきた報告を読み上げる。

「全員とりあえず走って入り口まで行ったって感じですね。詳しく見てるやつはほぼゼロです」

「なんだ全員新人か」

「だいたい突っ立たされるのは新人すよ。俺だって一年前までは――」

「あーそうだったな。そうだそうだ。期待した俺がバカだったよ」

 陣は手を振って木下の話を遮り、右の通路に視線を向ける。

「とりあえずしらみつぶしに見ていくか。お前左な」

「了解」

 お互いに目配せして、反対方向に歩き出す。通路の天井にライトを向けてみると、等間隔で電灯が設置されているのがわかる。しかしその全てが切れており、おかげで通路内はどこまで行っても真っ暗だ。

 外から入ってくる雨音が不気味に響く中。一歩一歩、確実に周囲を確認しながら進む。現場周辺に手掛かりが残っていないか、捜査において基本中の基本だ。被害者がこのトンネルの中を逃げてきた痕跡、犯人が被害者を追ってきた痕跡、お互いが争った形跡、血の跡、遺留品、あるかもしれない第二の凶器、探すべきもの、見つけるべきものは多い。タイル一枚一枚の隙間までよく目を凝らして見ていく。

「はー、ふー」

 雨で少し冷えた体を温めるように、体に力を込めて息を吐き出す。もう200mは進んだろうか、まだ何の手がかりも見えてこない。被害者はこの道を通っていないのだろうか。

「あん?」

 ふと、左の壁の隅に鈍く光るものを見つける。近づいて腰をかがめ、それを眺める。形は注射器に近い、金属製のなにか。側面に様々なボタンが付いているが、いったい何のために使用するのか見当がつかない。先端には針が取り付けられているが、このような原始的な注射器は初めて見た。現代の病院で針を使うことはほとんどない。

 遠目から数秒観察したのち、立ち上がって、現状保存をしようと端末に手を伸ばす。その時だ。

 ガチリ。

 突如、後頭部に鈍い音が響く。冷たく、重たい感触も。


 何かを――撃鉄の音からして、おそらく銃口を――突きつけられている。


 直感だった。いったい誰が?それよりも、どこから?出入り口はすべてふさいでいる。いくら新人がなまくら揃いだとしても、この狭いトンネル内で人影を見逃すはずがない。では、あとから入ってきたということか?それも不可能だ。入り口にいる警官に危害を加えれば、端末から送られてくるバイタルデータで異変に気付く。

「……どっから来た」

 ゆっくりと両手を上げ、目の前の暗闇を見つめたまま問いかける。背後にいる人物は、何も答えない。荒い息遣いだけがざわざわと耳にこびりつく。

「おい……」

 再び声をかけるが、やはり応答はない。陣は目を閉じ、意識を集中させる。わけのわからないやつの相手はこれが初めてではない。理由はどうあれ、銃を突き付けてきた。容赦などするものか。

 目を見開き、左向きに回転すると同時に、上げていた左手で銃を振り払う。後ろにいたヤツはあわてて発砲するが、すでに銃口は陣から外れている。


 ッガァン!

 木下は、背後から聞こえてきた銃声に身をすくめる。反射的に振り向き、音の方にライトを向けるが、暗闇全てを照らすことはできない。

「……武田部長?」


 相手が銃を握っているのは右手だった。自らが大きくはじいたその手を、追い打ちをかけるように右腕で叩きつける。その瞬間、跳ね返ってくる筋肉と骨の感触で、相手が男だと確信する。しかし男は銃を離そうとしない。黒く光るそれをしっかりと握り締めたまま、後ろにバックステップして体制を立て直そうとする。

「待ておらぁ!」

 銃を撃つ隙を与えまいと、陣はすかさず間合いを詰める。男は再度慌てたように引き金を引く。一発、二発。どれも陣の右脇をすり抜けて、トンネルの闇に吸い込まれていく。ひるむことなく近づき、左手で銃身を握り締める。右手を添え、男の手首ごと内側にひねる。銃を握り締めた男はバランスを崩し、右肩から地面に倒れる。そのまま男の手から銃を引きはがし、後方に投げ捨てる。

「っ!」

 男も黙ってはいない、陣が銃を捨てる一瞬の隙に、懐からナイフを取り出して切り付けてくる。とっさに身をひるがえす陣だったが、鈍く光る刃すべてをかわすことはできなかった。かばった左腕の端末に傷が入る。

「ちっ」

 舌打ちして、素早く二、三歩バックステップする。いったん間合いを取らなければ危険だ。

「はーっ、はーっ」

 男は荒かった息づかいをさらに荒くして、右手に持ったナイフをちらつかせる。陣は端末のある左腕を前にして構えをとる。

「なんだお前、いろいろ持ってんなぁ」

 試しに挑発してみるが、男はやはり答えない。

 なんか言えよコラぁ!

 心の中で毒づきながら飛び出し、前蹴りをお見舞いする。男はひらりとかわし、ナイフで切り付けてくる。陣は慌てず端末でナイフをいなす。前蹴りは動作が大きいが、次の動作を素早くとる逮捕術の基本を叩き込まれているので、これくらい造作もない。負けじとナイフをひるがえす男の懐に潜り込み、胴に当て身、ひるんだところで再び右手を掴み、銃と同じくナイフをむしり取る。

「うがあ!」

 男は陣の手をふりほどき、猛然と突っ込んでくる。

「ぐぉ」

 至近距離からのタックルをかわすことはできず、陣は後ろにふっとばされる。ナイフだけは奪還されまいと握り締めるが、後頭部を強打して視界が一瞬奪われる。

「ぅうあ」

 頭を抱えながら男の姿を探すと、はるか後方、四つん這いになっている男が見える。悪態をつきながら立ち上がり、頭を振って視界を取り戻す。そして男に駆け寄って行くが――振り向いた男に銃口を向けられ――あと数歩のところで立ち止まる。先ほど投げ捨てた拳銃を拾ったようだ。

 陣は両手を上げ、男の反応を待つ。男の方は荒い息遣いを整え、黙って陣の顔をしげしげと見ている。

「やめとけ」

 数秒の沈黙の後、陣は一言つぶやく。男は聞くそぶりも見せず、銃口を向けたまま後ろに手に立ち上がる。

「やめとけ。上にはお巡りがたくさんいんぞ。逃げらん――」

「どっから来た?」

 突然、男は声を発した。冷たい舌で頬をヌラリとなめられたような感覚が陣を襲う。猫なで声とはまた違う、不気味な響き。しかし――

 今、何と言った?

「どっから来た……。ふん。ふあ」

 男は言葉を繰り返し、なぜか嬉しそうに笑う。汚いとも気持ち悪いとも表現しがたいその笑い声に、陣は顔をしかめる。男が繰り返しているのは、他でもない陣が男に問うた言葉だ。そんなに笑いが起きるセリフではない。

「ふっふっ、ああ」

 ひとしきり笑い終わった後、男は満足そうに声を漏らす。その顔は暗闇でよく見えない。なにを考えているのかわからないが、このままでは何も事態は好転しない。どうしたものか……。

「武田部長!」

 木下の叫び声と走ってくる足音が聞こえてくる。男は短くため息をつくと陣の後方。トンネルの暗闇に銃を撃つ。


 ッガァン!ツュン!


 強烈な発砲音と跳弾の音で、木下は通路の曲がり角に身を隠す。最初の銃声を聞いた後、揉みあうような音が聞こえたので引き返してきたというのに、やっと来た最初の曲がり角で足止めをくらうとは。しかしこちらに向かって撃ってくるのであれば、下手に顔を出せない。暗闇なのでお互い狙いが定まらないが、定まらないが故にいつ当たるかわからない。狭い空間では跳弾も恐ろしい。

 木下は自身の銃を握り締めて壁にもたれかかると、顔だけを通路に出して様子をうかがう。

「武田部長!」


 再び木下の叫びが聞こえてくるが、おそらく近付けずにいるのだろう。応援には期待できない。今ある手で何とかする必要がある。

「武田部長!」

 こっちの安否確認のためか、やたらと名前を連呼してくる。

 やめろよ、はずかしいじゃねえか。

 頭の中でそんなことを考えていると、大声にいら立ったのか、男が再び暗闇に向けて銃を撃つ。

 ッガァン!

 その瞬間を逃さなかった。

「木下ァ!」


 その声に、木下ははじけるように飛び出す。


 その声に、男は銃口を陣に戻す。


 その声と共に、左腕のライトを男に向ける。


 強烈な光に視界を遮られ、男は銃を持っていない方の手で思わず顔をかばう。陣は間髪入れず近付き、男から銃を奪おうと手を伸ばす。

「くっ」

 男も陣も銃を話すまいと必死に掴み合う。

「ゔぅ!はなせ!おらぁ!」

 二人の力が拮抗し、お互い銃を握りあったまま銃口がありとあらゆる方向へ向けられる。引き金にかけている手に力がこもるため、男は何度も発砲を繰り返す。


 何度も発砲音と跳弾の音が聞こえてくるが、今度は立ち止まらない。陣が呼んだ以上、信じて突っ切るのみだ。木下はスピードを上げて走り続ける。


 発砲音の合間に混じる足音で、男の目の色が変わる。渾身の力を込めて陣を振りほどき、一目散に走りだす。

「待て!」

 逃がすまいと後を追う陣だったが――意外にも、男は数m走っただけで立ち止まった。

 また銃を向けてくるかもしれない。陣は脇に差していた拳銃を抜き、男に向ける。しかし、男は振り向くことなくその場にしゃがみ込む。

 降参か……?

 いや、何かを拾った。

 何かを拾い上げ、再び陣に向き直る。銃は向けてこない。だが、陣はそれを見て固まる。

「おい……」

 やはり、だ。陣の目線の先、男の左手には……注射器。

「武田部長!」

 後ろからは木下の声が近づいてきている。

 陣の頭を最悪の結果がよぎる。

 男は陣と木下の来る方向を交互に見ている。

「武田部ちょ……うわっ!」

 たどり着いた木下が驚きの声をあげ、とっさに銃を構える。

 男は微動だにせず、陣は男をじっと見続ける。状況を飲み込もうとしている木下は、陣の方を心配そうな表情で何度もうかがう。

 ――と、男が動き出す。

「やめろ!」

 そのスローモーションのような右腕の動きを、陣は見逃さなかった。とっさに男めがけて銃を撃つ。自衛のためであって、命を奪うものではない。狙ったのは男の右足だ。正確に、素早く撃ち出された弾丸は、男の太ももに命中する。

 ッガガァン!

 銃声は一発ではなかった。木下が?いや、あのタイミングで反応できたとは思えない。では男が撃ったのだろうか。よかった、当たらなくて――当たらなくて?

「うぅぅ」

 足を撃たれてうずくまる男が、銃を離し、右手で傷口を押さえている。だが左手は――まさか!

「おい……おい!」

 陣は男に駆け寄り、握り締めた左手をこじ開ける。男は抵抗することなく、左手を広げる。そこから転がり落ちてきたのは……粉々に砕け散った、注射器。

「はああぁ」

 陣は大きくうなだれる。やられた。こっちを撃ってくるかと思いきや、証拠隠滅を優先するとは……。

「いだいいい!いだいいいいい!」

 目的を達した男は、先ほどまでと打って変わって大声で叫び続ける。陣は放っておいて注射器を拾い上げるが……無残なそれは、かろうじて注射器だったということがわかる程度だ。

「はあぁ」

 陣はもう一度ため息をついて男を横目で見る。舌打ちも追加してやる。

「武田部長」

 木下も寄ってきて、注射器を覗き込む。

「なんすか?これ」

「さあな」

 イラつく陣は短く答え、男の確保に移る。

「やってくれたな、おら」

 腕をねじりあげ、手錠を取り出す。

「痛い!足が!足があ!」

「うるせぇ!キノ!時間!」

 注射器の残骸を見ていた木下は、慌てて端末を見る。

「十二時十三分っす」

「よしいいか?十二時十三分、電凶法違反で現行犯逮捕する」

「足が!足がああ!」

 男は聞こうとせず、ひたすら痛みを訴え続ける。陣はこれ以上いら立たないように、いつもより強めに手錠をはめる。カチャリとはまる金属音に負けないよう、嫌みたっぷりに言ってやる。

「気にすんな。ただのデータだ」


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