第4話 アスガルド Asgard ディグバンカーと白き帽子
サラセンでの買い物を終え、一文無しになった私は、再び拠点である『ノカン村』へと戻ってきていた。 道中で戦ったサラセンの森の敵は、今の火力でも狩れなくはないが、効率が悪すぎる。安定して高い経験値を稼げるノカン村は、私のレベルが40台に突入した今でも最高の狩場だった。
そんなある日。ノカン村の入り口で野良パーティを探していた私が拾われたのは、とてつもないガチ勢の集まりだった。 メンバーの中には、初心者の壁であるレベル50を突破した『ヘル越え』のプレイヤーが含まれていたのだ。当時のアスガルドにおいて、一度ヘル(地獄のような成長の鈍化)を自力で抜けたプレイヤーは、一種の英雄扱いだった。
『今日は奥のドラゴン行くぞー』 『了解!』
高レベル帯特有の、余裕に満ちたチャット。 彼らが向かうと言った先は、ノカン村の右奥にある洞窟――『ディグバンカー』だった。 その単語を聞いた瞬間、私の背筋にわずかな寒気が走った。
ごりらまんにとって、ディグバンカーは確かなトラウマの場所だった。 かつてレベルが30に満たなかった頃「ノカン村で調子良くやれているから、いけるだろう」と軽い気持ちで踏み込んだ結果、無惨な死体となって強制送還させられたのだ。 洞窟の中は逃げ場がなく、敵の密度が高い。そして何より、あそこは『ラグ』が酷すぎる。
「でもまあ……ヘル越えの人がいるなら、なんとかなるか」
レベル40を過ぎた今でもあの洞窟へ行くのは怖かったが、最強の味方がいれば話は別だ。 私は気を取り直し、パーティメンバーに追従してディグバンカーの入り口へと飛び込んだ。
* * *
洞窟の内部は、当時の苦い記憶のままだった。 ――とにかく、ラグい。
回線が激しく飛び交い、キャラクターが数歩進んではゴムを引っ張られたようにワープして戻される。目の前の敵が固まったかと思えば、突然自分のヒットポイント(HP)が理不尽なスピードでゴリッと減る。 視界の外から私や聖職者に向かって遠距離攻撃を放ってくるのは、『ジョカ』や『ジョキ』と呼ばれる空飛ぶ赤い悪魔の魔物たち。背中に羽を生やし、宙に浮きながら嫌らしい魔法のような攻撃を連打してくる、ニュクノカンよりも数段強い厄介な敵だ。
「ヒール飛ばします、立ち止まらないで!」
聖職者の悲鳴のようなチャットが飛ぶ。 私たちは全員でラグという見えないシステム上の敵に怯えながら、ジョカやジョキを慎重に各個撃破して1階のマップを進んでいった。
だが、今回の目的は洞窟を20階まで全て歩いて降りることではない。 2階へ降りた地点にある『エレベーター』というギミックを使い、一気に目的のドラゴンの近くの最下層までショートカット(直行)するのだ。
エレベーターを降りると、そこは入り組んだ奇妙な地形をしていた。 広大なマップのあちこちに不自然な『くぼみ』が存在している。 ドラゴンの住処であるこのエリアには、すでにいくつかの先行パーティが到達しており、阿鼻叫喚の入り交じる異様な光景が広がっていた。
「うわ……全滅してるじゃん」
遠くの画面端で、別パーティの前衛があっという間に殴り殺され、そのまま魔術師や聖職者もドラゴンに蹂躙されて全滅していく一部始終が目に入った。 相手は、燃えるような赤い鱗を持った巨大なドラゴン――『ハイランダー』。
だが、そんな惨劇を横目に、手慣れたガチパーティはハイランダーを相手にする「ある最適解(ハメ技)」を見つけ出し、黙々と作業のように巨大な竜を殺し続けていた。 彼らがやっていたのは、前衛がハイランダーを引っ張り、あの地形の『くぼみ』へとおびき寄せてはめるという戦法だった。
ハイランダーは、近接攻撃が強烈な反面、遠距離攻撃をたまにしか撃ってこない。 つまり、自分が物理的に抜け出せない「くぼみ」にはめ込んでしまえば、手も足も出ないただの巨大な的へと成り下がるのだ。
「順番来たな。オレが引っ張る。ヒール頼むぞ!」
リーダーの大剣が、ハイランダーの視界へ飛び込んで強烈な一撃を叩き込んだ。 激怒したドラゴンが地響きを立てて戦士を追いかける。戦士を回復するために聖職者が必死で詠唱を繋ぐ。 途中、ハイランダーがヘイトを見失って元の位置へ戻ろうとするのを、戦士が自ら殴られにいって再び引き戻す。まさに死と隣り合わせの綱渡りだった。
「よしっ、ハマった! 火力、全部撃ち込め!」
戦士の誘導により、ハイランダーの巨大な体が完全にくぼみへと幽閉される。ドラゴンはくぼみの出っ張りに引っかかり、前衛に向かって虚しく爪を振り下ろそうとするが届かない。 ――ここからが、魔術師の独壇場だ。
近距離しか届かないハイランダーに対し、私は安全圏から最強火力である『アイスランス』の詠唱を開始した。 詠唱、発射、詠唱キャンセル、乱打。 普段のノカン村での狩りなら「死ねばパーティを全滅させる底辺」になりがちな紙装甲の魔術師が、この場においてだけは、ドラゴンの体力を一方的に削り切る最強の「絶対的エース」へと変貌する。
凄まじい勢いでハイランダーのHPゲージが溶けていく。 安全な場所から最大火力を叩き込む圧倒的なカタルシス。かつて逃げることしかできなかった巨大なボスモンスターが、私の水メダル強化の氷の槍の前にただのサンドバッグとなり、最後は光の粒子となって砕け散った。
* * *
その直後。私のインベントリに、見慣れないアイコンが直接滑り込んだ。
『おおっ! 白帽子出たじゃん! おめ!』 『おめでとう!』
パーティメンバーからの祝福のチャットが一斉に流れる。 インベントリを確認すると、そこには『ホワイトエンジェル』という名前の、眩しいほどに真っ白な帽子が入っていた。ハイランダーが低確率でドロップする、超特級のレアアイテムだ。 私は喜びのあまり、さっそくそれを頭に装備した。
だが、周囲を見渡せば、同じようにドラゴンの討伐を待っている他パーティのプレイヤーたちの中には、「黒い帽子」や「緑の帽子」を被っている強者たちがいた。 白い帽子のレア度が決して低いわけではない。むしろ垂涎の的だ。しかしパーティのヘル越えプレイヤーに聞くと、あの『黒い帽子』は、別のドラゴン――『デスペラードワード』が落とすのだという。
デスペラードワードとハイランダーの実力自体は同格(ほぼ互角)だ。しかし、今回戦ったハイランダーは近距離主体だからこそ、こうして地形に「くぼみハメ」をして安全に倒すのが簡単だっただけであり、ハメ技が通じにくい相手ならばその難易度は跳ね上がる。黒い帽子は、その厄介な条件でのみドロップする強者の証だった。 加えて、この時代のアスガルドでは、少しアングラな『RMT』の黒い噂が絶えなかった。 レアドロップの帽子や、ヘル越えの高レベルアカウント自体が、裏のサイトで文字通り「リアルな現金」で取引されているというのだ。数万円から数十万円。被るだけで現実世界の大金と同じ価値を持ち歩くような世界。あの黒い帽子にも、白い帽子にも、その欲望がこびりついている。
「……いつか俺も、その黒い帽子を獲ってやる」
ホワイトエンジェルを被って有頂天になっていた私は、あの黒い帽子にさらなる野心と渇望を抱いていた。 美味しい狩りだ。私たちのパーティはその後も安全にハイランダーをハメ殺し続け、メンバーの複数人がそれぞれ帽子を手に入れる大豊作で洞窟を後にした。
――のちに。 自分自身が、パーティですらなく「完全ソロ」であの黒い帽子の最上位ドラゴン、デスペラードワードをソロで対峙することになるとは……。 この時のごりらまんは、夢にも思っていなかった。




