第2話:アスガルド Asgard 回顧録 ノカン村の休む間の無いパーティ狩り
ルアスの町から徒歩で向かう道程は、決して安全なピクニックではなかった。 初心者向けの狩場を卒業し、パーティ狩りの聖地『ノカン村』を目指すなら、ルアスの森を6つか7つほど歩いて越えなければならない。
スオミ周辺の森とは、空気の匂いが違った。 序盤で見かけた「モス」という蛾のモンスターは、こちらから手を出さない限り襲ってこない大人しい敵だった。だが、このルアスの深い森に生息するのは『ナイトモス』や『ザスト』といった凶暴な上位種たちだ。 こいつらは、視界にプレイヤーが入った瞬間に殺意を剥き出しにして殴りかかってくる「アクティブモンスター」と呼ばれる習性を持っている。
「チッ、うざいな……!」
私は、群がってくるナイトモスやザストを無視し、マウスを細かくクリックしながら木々の間を縫って走っていた。背後から聞こえる羽音が異様に鬱陶しい。 いくら紙装甲の魔術師とはいえ、こいつらの攻撃なら数発は耐えられる。致命傷にはならないが、囲まれて足止めを食らうのはひたすらに面倒くさいのだ。いちいち相手にして立ち止まる暇などない。私はひたすらキーボードとマウスを操作し、モンスターの包囲網をかき分けながら次のマップへのポータルへとダッシュし続けた。
いくつもの森を強引に駆け抜ける。 やがて、鬱蒼とした木々が開け、視界に無数のプレイヤーたちのアバターが飛び込んできた。
――ノカン村、入り口。
そこは、戦いの前の静寂と熱気が交差するハブ(拠点)だった。 安全地帯であるこのスペースでは、多くのプレイヤーが座り込んで体力を回復させたり、インベントリを開いて装備を付け替えたりしている。 だが、一番多いのは「パーティ募集」のチャットだ。
『前衛2募集! レベル20〜、回復います!』 『火力空いてませんか? 魔術師Lv19です。火力出せます』
私はチャットで自己アピールを飛ばしながら、広場を見渡した。 需要と供給の世界だ。パーティが見つかる時もあれば、1時間待っても見つからない時もある。特に魔術師のような打たれ弱い火力職は、腕前が露骨に出るため敬遠されることもある。 だが、幸運なことに、数分の待ち時間で誘いのトレード画面(パーティ招待)が飛んできた。 空きが一つ出たばかりの、前衛2人、聖職者1人の3人パーティ。そこに私が火力として潜り込む形だ。
「よろしく」 「ん。行くぞ」
野良パーティ特有の、簡潔すぎる挨拶。 リーダーらしき戦士のプレイヤーが歩き出し、それに連なるようにして、私たちはノカン村の奥深くへと踏み込んでいった。
* * *
安全な入り口から、数マップ奥へ。 そこは、入り口周辺ののどかな風景とは完全に別物の、入り組んだ地獄めいた迷路だった。
「来るぞ、前衛任せた!」
戦闘は、唐突で圧倒的だった。 視界の端から湧き出してくるのは、『ウッドノカン』や通常のノカン。さらには、奥に控える『ニュクノカン』の群れ。 戦士と修道士の二人の前衛が、ためらうことなく敵の大群のど真ん中に突っ込んでいく。彼らの役割は、とにかく敵を殴り、ヘイト(敵の敵意)を自分たちに集めることだ。そうしなければ、脆い後衛が一瞬ですり潰される。
「聖職者、ヒール頼む……!」 「わかってます! 耐えて!」
聖職者のプレイヤーが、タコ殴りにされている前衛二人に絶え間なく回復魔法の光を降り注ぐ。この人がヒールを止めた瞬間、前衛は沈んでパーティは崩壊する。絶対に死なせてはならないパーティの心臓部だ。 じゃあ、私の役割は何か。
――やられる前に、敵の頭数を最速で削り取ることだ。
ターゲットのロックオン。 詠唱の開始。 魔術師の持つ魔法の中で、最も詠唱速度が速い魔法。
「――『アイスランス』ッ!」
鋭い氷の槍が、前衛に群がっているウッドノカンを文字通り串刺しにする。 一撃。すかさず二撃目。 息を吸う間もなく詠唱をループさせ、アイスランスを連打する。 だが、いくら私が最速で魔法を乱射しても、ノカン村の敵の湧き速度は異常だった。倒しても倒しても、四方八方から新たなノカンが押し寄せてくる。
そして、前衛がヘイトを稼ぎきれなかった厄介な存在が、暗がりから牙を剥いた。
ピュッ! ピュッ!
乾いた破裂音。 視界外から飛んできたそれは、遠距離攻撃を仕掛けてくる『ニュクノカン』の吹き矢だった。 しかも、最悪なことに私をピンポイントでターゲティングしている。
「あっ、しまっ――」
油断した。 回避行動を取る間はなかった。紙装甲の魔術師の体に幾本もの吹き矢が突き刺さり、HPゲージが一瞬で赤からゼロへと底を突く。 私のアバターは、無残に地面へと崩れ落ちた。
『ごりらまんさん!』
画面がモノクロになり、自分が死体として転がっている状態になる。 しまった、やらかした。詠唱の硬直中に吹き矢の連打を食らった。
「ごめ――」 「すぐ起こします!」
チャットで謝るよりも早く、聖職者の高位の魔法が私を包み込んだ。 ――蘇生魔法。 一瞬でフルHPで復帰する。が、私が死んで詠唱(ダメージ出力)が止まっていたその数秒間が、戦線に致命的な綻びを生んでいた。
「ぐあっ!」
敵の処理が遅れたことで、抱えきれないほどの数のノカンに囲まれた前衛の片割れ(修道士)が、殴り殺されて地面に沈んだのだ。 聖職者が血相を変えて、今度は修道士に蘇生アイテム(魔法)を投げ込む。
間一髪。だが、背筋が凍るような光景だった。 これが、パーティプレイの絶対的な構造だ。 私が死ぬと、火力が足りなくなる。火力が足りなくなると、敵の処理が遅れて前衛が死ぬ。前衛が死ぬと、守る人間のいなくなった聖職者が囲まれて死ぬ。 聖職者がやられれば、パーティはそこで全滅である。
「……ふざけんなよ」
蘇生用のアイテムや魔法の回数にも限界がある。魔術師はパーティの中で最も替えの利く、蘇生優先度の低い底辺の駒だ。 そんな私が油断して無様に死に、足を引っ張ったという事実。 画面越しの自分の失態に、私はガチでキレていた。モニターを睨みつけ、マウスを握り直す。
「二度と死なねえ。見つけ次第、全部溶かしてやる」
怒りと共に、集中を極限まで高め直す。 再びニュクノカンが湧いた。私に向かって吹き矢を構えようとしている。
――やらせるか、ボケがッ!
私はまだ手元のおぼつかない「詠唱キャンセル」の技術を強引に叩き込み、限界まで魔法の発動モーションを圧縮した。 最速、最短。 殺意の塊のようなアイスランスの乱打が、凄まじい速度でニュクノカンに突き刺さる。吹き矢を撃たれる間も与えず、即座に確殺する。 ニュクノカンが砕け散ったのを確認した瞬間、すぐさまターゲットを切り替え、前衛に群がっているウッドノカンへと照準を戻す。 凍てつく槍の雨を降らせ、次々と敵を粉砕していく。
* * *
――ピロリンッ。
激戦のさなか、無慈悲にそのファンファーレは鳴り響いた。 レベルアップのエフェクト。 私のキャラクターレベルが、ついに『20』の壁を突破したのだ。
レベル20。 それは、もはや「死んでもノーリスクの初心者」ではなくなったことを意味する。ここから先、敵に殺されれば大きな「デスペナルティ」が科せられる。稼いだ経験値をロストし、最悪の場合は貴重なアイテムや装備品をその場にドロップしてしまう。 聖職者に蘇生してもらっても、失った経験値そのものは戻らない。
「上等だ」
もとより、これ以上死ぬ気など毛頭ない。 私は自らのインベントリを開き、自腹の回復ポーションをがぶ飲みしながら強引に立ち回る。 画面の端にニュクノカンの姿が見えるたび、即座にターゲットを合わせ、殺気を込めた詠唱キャンセルのアイスランスで確殺していく。
「前衛、ヒール追いつくか!?」 「何とか耐えてる! 火力、もっと削ってくれ!!」 「了解、任せろ!」
もはや誰も無駄口を叩かない。 ヘイトを集めるために敵陣を走り回る前衛。彼らが4、5匹のノカンにタコ殴りされながら持ちこたえている間に、聖職者が祈るように回復を唱え、まだ低レベルの私がニュクノカン>ウッドノカンの優先度で削っていく。 魔術師も、聖職者も、修道士も、戦士も。 誰一人として休むことなく、完璧な役割分担の歯車となって、休まず湧き続けるノカンどもを狩り続ける。
指先が熱い。画面から放たれるエフェクトの眩しさで目が霞む。 死と隣り合わせの極限の連携。 誰かがミスをすれば全滅する薄氷の上で、私たちは数時間にも及ぶ「死の舞踏」を踊り続けていた。
* * *
「――ポーション、尽きた!」 「こっちも蘇生用アイテム切れた。入り口に撤退するぞ!」
リーダーの合図が響いたのは、外の空がすっかり暗くなった頃だった。 全員のリソースが完全に枯渇し、命からがらノカン村の奥地から脱出する。 安全地帯である入り口まで戻ってきたとき、ようやく張り詰めていた空気が緩んだ。
『お疲れ様でしたー』 『お疲れ!』
激戦を共に潜り抜けた仲間たちだが、チャットの文字は淡白なものだ。 そのまま短い挨拶だけを交わし、パーティは実にあっけなく解散となった。フレンド登録すらない。このドライさがいかにも当時のMMOらしい。 パーティから外れ、一人になった私は、大きく深呼吸をしてからステータス画面を開いた。
「……マジかよ」
レベルの数字を見て、思わず笑いが漏れた。 少し前までLv19だった私のレベルは、たった数時間のノカン村での狩りで、一気に『Lv25』へと到達していたのだ。 これが、優れたパーティ狩りの爆発力。
「……これ、あと1週間も繰り返せば、50ヘルに行けるぞ」
当時のアスガルドにおいて、初心者が最初に目指す壁があった。 レベル50。 成長が極端に鈍化し、茨の道となることから『ヘル(地獄)』と呼ばれていた到達点だ。そこまでたどり着けば、初心者帯を抜け出し、中堅層の突破を名実ともに果たすことができる。
その遠いと思われた『50ヘル』へのロードマップが、今、明確に私の眼前に敷かれていた。 燃え尽きたような疲労感よりも、システムをハックし、一足飛びで駆け上がっていく全能感の方が勝っていた。 私は、ポーションと蘇生アイテムの補充をするためにルアスの町への帰還スクロールを握りつぶす。 修羅場は、まだ始まったばかりだった。




