第17話 潮騒のバカンスと、壊れた玩具
山を越えると、
そこは一面の海だった。
「うわぁぁぁ! 海です!
アツシさん、海ですよ!」
ミクが歓声を上げて駆け出す。
潮の香りが鼻腔をくすぐる。
俺たちは
港町「ポート・ウェスト」に
到着した。
活気ある漁師町だ。
市場には見たこともない魚介類が並び、
威勢のいい掛け声が響く。
「まずは宿だ。
オーシャンビューの部屋をとるぞ」
「はいっ!
そして水着です!
泳ぎますよー!」
俺たちは高級宿に荷物を置き、
すぐに人のいない岩場へと向かった。
ミクが着替える。
前の街で仕立てさせた、
この世界にはないビキニタイプの水着。
白い肌が陽光に映える。
健康的で、暴力的なまでに眩しい。
「どうですか、アツシさん!」
「悪くない。
日本の海岸ならナンパ待ちの列ができるな」
「えへへ、独占ですね!」
ミクは海に飛び込み、
魚のように泳ぎ回る。
俺は岩場でパラソル(収納から出した)を広げ、
冷えたワインを開ける。
平和だ。
最高のバカンスだ。
夕方、市場へ戻った俺たちは、
屋台で買い食いを楽しんだ。
「これ、魚醤ですね!」
ミクが串焼きのタレを舐めて喜ぶ。
醤油に近い発酵調味料。
これさえあれば、刺身が食える。
その時だった。
「……あ」
ミクの足元に、
何かがぶつかった。
薄汚れた布を纏った、
小さな子供。
頭には犬のような耳があり、
尻尾が怯えたように丸まっている。
亜人の孤児だ。
この辺りは魔族領に近い。
人間と亜人のハーフや、
親を殺された子供が
こうして浮浪児になっているらしい。
「……お腹、空いてるの?」
ミクがしゃがみ込む。
子供はビクッと震えたが、
ミクが差し出した串焼きの匂いに
抗えなかった。
ガツガツと食らいつく。
「ふふっ、元気だねぇ。
美味しい?」
ミクは子供の頭を撫でた。
まるで、捨て犬を愛でるように。
「名前は?」
「……ない」
「じゃあ、ポチね!
ほら、もっとお食べ」
ミクは自分の分まで買い与える。
子供――ポチは、
ミクに懐いたようで、
尻尾を振って後をついてくるようになった。
「可愛いですねぇ、アツシさん」
「拾う気か?」
「まさか。
旅の邪魔になります。
ただの『旅先のお友達』ですよ」
ミクはドライだ。
餌付けはするが、飼育はしない。
あくまで、この街にいる間の
暇つぶしの相手。
それでも、
ポチにとっては女神に見えただろう。
翌日。
俺たちは再び市場を訪れた。
今日は最高級の魚を仕入れて、
部屋で刺身パーティーをする予定だ。
「ポチ、いるかなー?」
ミクがキョロキョロと探す。
昨日別れた路地裏。
そこには、人だかりができていた。
「おい、やめろよ!」
「汚ねえな!」
罵声と、
何かを蹴り上げる鈍い音。
「……?」
俺たちが近づくと、
人垣の中心に、
ポチが転がっていた。
動かない。
頭から血を流し、
手足があらぬ方向に曲がっている。
即死だ。
「なんだ、死んじまったか」
「脆いもんだな、亜人は」
男たちがゲラゲラと笑う。
屈強な漁師風の男が、
血のついたブーツを拭いている。
「こいつがよぉ、
俺の売り物に触りやがったんだ。
汚ねえ手でな」
「商品価値が下がるだろ?
だから躾けてやったんだよ」
周囲の大人たちも同意する。
「運が悪かったな」
「亜人なんて魔物の親戚だ」
「街が綺麗になってよかったじゃないか」
誰も、子供の死を悼んでいない。
ゴミ掃除が終わった、
程度の認識だ。
「……そうですか」
ミクの声がした。
彼女は、
ポチの死体を見下ろしている。
その顔に、悲しみはない。
涙もない。
ただ、
ひどく無機質な瞳で、
壊れた玩具を見ているだけだ。
「アツシさん」
「なんだ」
「壊されちゃいました」
ミクがポツリと言う。
「せっかく可愛がってたのに。
まだ餌やりしたかったのに」
「私の『お気に入り』を、
勝手に壊されちゃいました」
彼女が顔を上げる。
そこには、
底冷えするような笑顔があった。
「弁償、させないとダメですよね?」
俺は周囲を見渡す。
数十人の大人たち。
ニヤニヤと笑う加害者と、
見て見ぬふりをする傍観者。
俺にとっても、
あのガキはどうでもいい存在だった。
だが。
ミクが不機嫌になった。
せっかくのバカンスに水を差された。
それは、
万死に値する。
「そうだな。
きっちり払ってもらおう」
俺はシステムを起動する。
『ターゲット:半径50メートル以内の成人』
『除外対象:子供(12歳以下)』
慈悲ではない。
子供はまだ「分別」がない。
罪があるのは、
この腐った常識を植え付けた大人たちだ。
「まずは、お前からだ」
ミクが一歩踏み込む。
漁師の男が気づくより早く。
ドォンッ!!
轟音。
男の上半身が消し飛んだ。
ミクの「質量パンチ」だ。
血の雨が降る。
「ぎゃあああ!?」
「な、なんだ!?」
パニックになる群衆。
逃げ惑う人々。
俺は指を鳴らす。
『実行:心臓収納』
バタバタバタ……。
逃げようとした大人たちが、
糸切れた人形のように倒れる。
外傷はない。
ただ、心臓だけが抜き取られた。
「あはっ! あはははは!」
ミクが笑いながら踊る。
逃げる男の背中を蹴り抜き、
命乞いする女の首をへし折る。
「壊したんだから!
壊されても文句ないですよね!」
「私のポチを返せ!
返せないなら、代わりに死んでよ!」
一方的な蹂躙。
市場は血の海と化した。
数分後。
立っている大人は、一人もいなくなった。
残されたのは、
俺たちと、
何が起きたかわからずに震える
人間の子供たちだけ。
「うわぁぁぁん! パパ! ママ!」
「起きてよぉ……!」
子供たちが、
動かなくなった親に縋り付いて泣いている。
地獄絵図だ。
だが、俺たちの心は凪いでいた。
「ふぅ……スッキリしました」
ミクが返り血を拭う。
その顔は、
スポーツの後のように晴れやかだ。
「行こうか、ミク」
「はいっ!」
俺たちは
泣き叫ぶ子供たちの横を
素通りする。
この子たちがどうなるか。
親を失い、
孤児として生きていけるのか。
誰が育てるのか。
そんなことは、
俺たちの知ったことではないな。
彼らは「殺す理由」がなかったから
殺さなかっただけ。
「助ける理由」もないから
助けないだけ。
ただのシステム上の処理だ。
「あーあ、お魚買うの忘れちゃいました」
「次の街で買えばいい。
ここは血生臭くて食欲が失せる」
「ですね!
じゃあ、出発進行!」
ミクは振り返りもしない。
ポチの死体にも、
自分が生み出した孤児たちにも。
俺たちは
死屍累々の港町を背に、
軽やかな足取りで歩き出した。
空は青く、
海はどこまでも美しかった。




