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ガイエル伯爵の自殺




朝露が光る、とりどりの緑滴る美しい田園風景。

木々の枝の隙間、朝霧の中、朝日が柔らかく差し込む不飽和色の視界。

土の匂いと静けさだけが辺りを満たし、人の精神を安らげる。


昨日。

ガイエル伯爵は、屋敷から飛び出して一直線に井戸に落下した。


このシャトーは、伯爵が生まれ育った地。

彼は、何を思って血で汚したのか。

先祖が暮らした、この屋敷を。


「召使たちの犯行は?」


「あり得ない。」


同僚の質問に刑事の一人が首を横に振る。

彼は、手帳を取り出した。


「伯爵の雇う使用人は、老人や女だけだ。

 体重220ポンド(100kg)の伯爵を井戸に投げ落とせる奴はいない。

 それに死体を見ても伯爵は、証言通り、この方向から真っ直ぐ、物凄いスピードで走って来て井戸に飛び込んだことが分かっている。」


刑事は、そう話しながら手ぶりや写真で説明した。

話を聞くもう一人の刑事は、問題の井戸と写真を見つめる。


「…物凄いスピード?」


と彼は、また同僚に質問する。


「ああ。

 井戸の内側の壁にぶつかりながら伯爵は、落ちて行った。

 体のあちこちに外傷があるし、井戸の中にも伯爵の血痕が付いてる。」


「ためらいもなく飛び込んだ?」


「だろうな。」


「幾らなんでも、そんなことができるか?

 死を前に、少しは思い留まるものじゃないか。」


この質問に同僚の刑事は、鼻を鳴らした。


「ふっ。

 推理小説の読みすぎだぜ。」


そう答えて同僚は、肩を揺すって眉を吊り上げた。

彼の仕事仲間は、熱心だが()()()があると仲間内で評判だった。


「もし仮に誰かが伯爵を投げ込んだとしても大柄の伯爵を担いで全力で走りながらだ。

 とてもできることじゃない。」


井戸は、かなり見通しの利く場所にある。

井戸に気付かずに突進して落ちるという事はないだろう。


何と言っても伯爵は、ここで生活している。

ここに井戸があることは、子供のころから知ったはずだ。

自殺で間違いないだろう。


だがもう一人の刑事は、懐疑的だ。


「遺書だってないだろう?」


「遺書なんか残す自殺者なんかいない。

 それも推理小説の読みすぎだ!

 ほとんどの自殺者は、精神的に追い詰められてるから突発的に自殺をしてしまう。」


「ああ、だが自殺者は、実行までに何回か思い留まるものだぜ。

 伯爵にそんな兆候は、見つかってるのか?

 前にも自殺しようとしたことが?」


「分かった分かった。

 それは、これから調べておくよ。

 だが伯爵を担いで走って井戸に投げ捨てることができるような人間がいないってことは、動かないんだぞ。」


「………。」


また自説を退けられて刑事は、深呼吸する。

それでも彼は、次の疑問を提示した。


「来客は?」


「……そっちは、まだ調べている。」


「ならその中に犯人が。」


質問責めに飽き飽きしたもう一人の刑事は、わざとっぽく深呼吸した。


「ブライラー。

 |初歩的なことだぞ《It's elementary》。

 伯爵の遺体には、抵抗した跡や争った形跡はない。

 酷い外傷は、完全に井戸を落ちる間についたものだ。


 伯爵は、大柄で持ち上げて走ることはできない。

 推理小説に出てくるようなふざけた犯罪装置でもない限りはな。」


二人の刑事の議論は、平行線を辿った。

事実は、伯爵の自殺と断定している。

だがブライラー刑事は、そこが腑に落ちないらしい。




後日、事件の日に伯爵の城を訪れた来客が分かった。


古生物学者ヘンリー・グラントとジョン・バーク。

古代東洋史のロバート・アスピンドール。

植物学のエリナ・マクフェアノール。

古銭研究家のフランシス・ヨージェフ・デュッフェ。

中世史学者のモーリス・モートン・モレル。

鉱物研究家のマリアンナ・ジェン・ハインドマン。

自称歌手の娼婦ドロテア・エヴァレット。

電気技師のキャサリン・シューラー。

警察官のイグナティア・マザリン。


「良く分からない人選だな。

 学者がほとんどのようだが…。」


警察署の仕事机デスクでブライラーは、リストを見ながらそう言った。

調べた同僚が答える。


「執事の証言では、この10人が招待されたらしい。

 伯爵が投資していた研究に関してそれぞれ報告会をやったようだぜ。」


「投資?」


「伯爵が科学に興味があったらしくてな。

 まあ、自分にそんな才能がなかったから学者を援助してたようだぜ。

 厳密には、成果が気に入らないと返金させるつもりだから援助じゃないとか。」


「酒場の歌手や警察官もか?」


()()()

 居たか、そんなの?」


同僚に指摘されてブライラーが再びリストを見る。

そこに来客者は、9()()しか書かれていなかった。


「あれ?

 働き過ぎかな。」


ブライラーは、リストを何度も見直したが名前は、9つしかない。


「というか、()()()()()()()()。」


「……ああ?

 お前が持ってるそれのことか。

 俺の字だな。」


「そうだ、お前の字だ。

 こりゃ何の捜査資料だ?」


「思い出せないな。

 調べてみるから貸してくれ。」


そう言って同僚は、ブライラーの手からリストを受け取る。

辛そうにブライラーは、目を瞑って頭を振っていた。


「うう…。

 今日は、早めに上がろうぜ、サイファー。

 変な事件が立て続けに起こって疲れてんだ。」


同僚のサイファーは、意味深な表情で頷いた。


「それがいいぜ、ブライラー。」




この日、紋章院の記録からガイエル伯爵家の記録が抹消された。

そんな貴族は、大ヴィン帝国の歴史にはじめからいなかった。




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