表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/19

三祓目 チキン先生

 朝の職員室は、旧式の蛍光灯がジィ……と唸り、

 コピー機が低くうなりをあげている。

 壁には昭和特有の黄ばみがあり、窓枠のアルミが光を反射していた。


「ここここ、空いてるの。きみの席ね!」


 新人青年は、勢いのまま椅子に座らされた。


 長身の男は満面の笑みで親指を立てた。


「俺は市ノ瀬(いちのせ)

 気軽に“イッチー”って呼んで⭐︎」


 ☆の音が聞こえた。


 染崎は瞬時に悟った。


 (……苦手なタイプだ)


 チャラい。馴れ馴れしい。距離感ゼロ。

 しかも声がいい。眠くなっちゃうでしょうが。


 市ノ瀬は染崎の肩をぽんぽんと叩きながら、


「いや〜新任ってだけで可愛いよね!フレッシュ感あるし!

 あ、そうだ、あとでみんなに紹介してあげるね!」


 とテンション高く喋り続ける。


 染崎は、ただひたすら首を縦に振るしかなかった。


「で?きみ、名前なんていうの?」


「あ、えっと……染崎です」


「せんざき?」


「そ、そめざき、です……」


「あー、そめざきね。めずらしいねぇ〜。そめざき、そめちゃん? ふふ、覚えた覚えた」


 ――覚えられたくなかった………。


 背筋を小さく震わせていると、後ろから靴音が近づいてきた。


「これ、1年5組の名簿です」


 寺沢がすっと名簿を差し出す。相変わらずクールで無駄のない動きだ。


 染崎は心の中で突っ込む。


 ……え、こういうのって普通、もっと前ににまとめて配られるものじゃないんだ……?


「あー! ほなみちゃん。久しぶりだねぇ。3月ぶり?」


 市ノ瀬が軽い調子で声をかけるが、寺沢は完全にスルーした。

 表情一つ変えず、染崎へ向き直る。


「これからよろしくお願いします、染崎先生。1年5組、担任としての務めは多いですが……手伝えることがあれば」


「よ、よろしくお願いします……!」


 状況についていけず、染崎の声が裏返った。

 市ノ瀬は横でけらけら笑っている。


「いやぁ、新人って感じだねぇ、そめちゃん! かわいいかわいい」


 ――勘弁してくれ。


 職員室に入ってまだ三分も経っていないのに、染崎はすでに帰りたくなっていた。


 なんか話が知らないところで進んでいたらしく、

 市ノ瀬先生が1年5組のクラスに連れてきてくれた。


「はい、そめちゃん。ここがキミの受け持つクラス、1年5組だよ〜」


 市ノ瀬先生が軽い調子で引き戸をガラリと開けた。


 朝の光が差し込む教室は、まだ生徒の気配が一切ない。

 春の湿り気を含んだ空気と、わずかに新しい木材の匂い。それに――新品の教科書特有の、インクと紙の香りが混ざっていた。


 これが……自分のクラス……。


 染崎は思わず足を止める。


 黒板は清掃当番が丁寧に仕上げたらしく、どこまでも滑らかでくすみひとつない。

 教卓の上には季節の花が生けられていて、ひっそりと瑞々しい彩りを添えている。


 ……すごいな。こういうのって、誰がやるんだろう。前の担任の先生?

 いや、二年生の子かな?


 そして各机の上には、どっさりと積まれた新品の教科書。

 国語、数学、理科、社会……白い紙の束が整然と積まれていて、どれも角がまだピシッと尖ってい る。


「いやぁ、春だねぇ。見てこれ、教科書の山。重いんだよね〜意外と。ほらほら、そめちゃんも持っ てごらん?」


 市ノ瀬がわざとらしく6冊ぐらい積み上げる。


「わ、わ!ちょ、市ノ瀬先生……崩れる崩れる……!」


 慌てて支える染崎。

 教科書の束が少しぐらつき、カサッと紙の音がした。


 うわぁ……じぶん、これちゃんとできる……? 生徒の名前覚えながら……絶対混ざる……。


 そんな不安が胸の底からじわじわ湧き上がってくる。


「そういえば、そめちゃん。キミ、黒板使うの得意?」


「えっ……あ、ふつう……だと思いますけど……」


「チョーク折るタイプ?」


「えっ……? あ、えっと……折ります……しょっちゅう……」


「だろうね〜〜」


 市ノ瀬先生はなぜか妙に確信めいた笑いを浮かべ、教卓の引き出しを開けて見せる。


「ここにチョークの替えがあるから、いっぱい使っちゃっていいよ。あと、黒板消しはね、思ったよ り重いから気をつけて」


 染崎はこくこくと小動物のように頷いた。


 ……なんなんだこの人。苦手なのに、親切で、でも馴れ馴れしくて……距離感がわからん……。


「ま、そめちゃん。ここが今日からキミの戦場だよ」


 市ノ瀬がパシンと教卓を叩く。


 染崎はその言葉に、


 うわぁ……戦場……こわ……。いやでも、自分が担任……そうか……自分が……。


 胸がぎゅっと締め付けられた。


 不安と期待と、少しの憧れがぐちゃぐちゃに混ざって落ち着かない。

 ガランとした教室の静けさが、余計にそれを強調していた。


「そめちゃん。大丈夫だって。困ったら俺が助けてあげるよ。なんせ君の相棒はあのほなみちゃんだからね!多分めっちゃしごかれるよ!」


「……あ、ありがとうございます……(?)」


 市ノ瀬が大げさに親指を立て、染崎は苦笑を返すしかなかった。


 そうして二人は、生徒たちが来る前の教室で、しばし準備を始める。

 やがて数分後、廊下の向こうから、元気な中学生の足音が響き始めていた――。


 *


「おはよーございます!」

「……あ、新しい先生だ」

「え?担任? 若い……若っ」

「ちょっとイケメンじゃね?」


 すでに教室には半分ほどの生徒がやってきていた。

 パタパタとスカートの裾が擦れる音が聞こえる。

 つい最近まで小学生だった子達。少し丈の長い学ランやセーラー服を着て、可愛いものである。

 しかし…


「おろろろろろ……」


 一名、大丈夫じゃなさそうなのがいます。


「…あの、どうか普通にしていてくれませんか?」


 寺沢先生の鋭い目がこちらを捉える。

 どうも不満ありげだ。


「いや…どうもだめなんです。。。こういう…その…あの…」


「…はっきりおっしゃってください」


「あ…あのっ、すみませんっっっ!お、お手洗いに……」


 *


 トイレで何度も深呼吸し、顔を軽く叩き、

「俺は教師……俺は教師……!」

 と自分に言い聞かせた染崎は、ようやく気力を振り絞って廊下へ戻った。


 だが——


 そこには、誰もいなかった。


 さっきまで生徒たちの話し声が響いていた廊下は、嘘のように静まり返っている。

 遠くの方で教室の扉がひとつ閉まる音がしただけだった。


 あ、やば……完全に置いていかれてる!


 慌てて壁の時計を見上げる。


 ホームルーム開始まで残り二分。


「うそだろおおおお!!」


 声にならない叫びを上げ、染崎は1年5組へダッシュした。

 息を切らしながら、あの扉の前に立つ——が。


 やっぱり、手が伸びない。


 うわああどうしよう、全員いるよね!?

 超気まずい……絶対なんか思われる……やだ……無理……


 扉に手を伸ばしては引っ込め、また伸ばしては震える。

 もはや挙動不審を通り越して、儀式じみてきた。


 その瞬間——


 ガラッ!!


 勢いよく扉が内側から開いた。


「帰りが遅いので、迎えに来ました」


「ひゃっ!?!?」


 開いた扉の向こうには寺沢が立っていた。

 無表情だが、目だけが微妙に怒っている。

 そして次の瞬間、彼女の手が伸びた。


 がしっ。


「あっ……えっ……ちょっ……!」


 染崎の後ろ襟をつかんで、そのまま教室へ引きずり込む。


「ほら。入りますよ。

 ホームルーム始まりますので、“教師”として。」


「うわぁぁぁぁ……!!」


 ちょっと待って!首!首が!


 しかし容赦はない。

 寺沢はまるで雑に召喚された下級魔物のごとく、染崎をずるずると引っ張っていく。


 ――そして教室の中へ。


 生徒たちは、すでにほぼ全員揃っていた。

 40人弱の視線が、一斉に“引きずられてくる担任”へ向けられる。


 その光景は壮観だった。


「……あれ、担任の先生……?」

「え、なんで引きずられてんの?」

 ザワザワ…


 完全に気まずい沈黙。

 寺沢は染崎を教卓の前に“置く”ように手を離した。


「……では、担任の染崎先生です。どうぞ。」


 教卓の真横で、染崎は立ち尽くした。


 ……死にたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ