二十祓目 ノロワレタ④
ドサッ。
「ぐぇ――っ!!」
情けない声と一緒に、
染崎は土に顔から突っ込んだ。
「……いっっった……」
湿った土の匂い。
ぬるっとした感触。
顔を上げると、
そこは――
「……洞穴?」
天井は低く、
壁はごつごつ。
じっとり湿気を含んでいて、
空気が重たい。
「きっしょ……」
思わず本音。
「小さい頃行った鍾乳洞より」
「段違いできしょいんだけど……」
数学教師の語彙力は、
すでに限界だった。
その瞬間。
「わっ」
ドン。
「ぐふぉっ!?」
背中に、
衝撃。
楓月が、
真上から落ちてきて、
そのまま染崎の上に着地。
「ちょっ、」
「クッションにすんなっっっっっ」
「あはは」
「だって先生いるし?」
「誰がメタボリックシンドロームだよっっっっ」
もぞもぞと動く間もなく。
ずしっ。
「――――重っ!!?」
今度は、
明らかに“乗せられた”重さ。
「……おい。重いは失礼だろ年頃の男の子に」
低い声。
アカツキが、
わざわざ体重をかけて、
染崎の背中に足を乗せていた。
「ア〜カ〜ツ〜キ〜」
「おまえ重力無視できるんじゃないの!?」
「できるけど?」
「なんで今はしないの!!」
「たまには」
「人間の気分を味わおうかと」
「いまじゃないでしょっっっ!?」
肺が潰れかけた、
その時。
「とーう」
コテッ。
最後に、
ヒカリが軽く落ちてきて、
ちょうど染崎の頭の横に転がった。
「……」
全員、
一瞬静止。
重なり合ったまま。
洞穴に、
しとしとと水音が響く。
「……ね…ねえ」
染崎が、
かすれ声で言った。
「これ」
「絶対自分の扱い方間違えてるよね?君ら」
「んー?」
ヒカリが首を傾げる。
「でも」
「みんな無事だよ?」
「そういう問題じゃない!!」
楓月は、
楽しそうに笑った。
「先生」
「下敷き向いてるよー」
「向きたくて向いてない!!」
アカツキは、
ようやく足を退けて、
周囲を見回す。
「……間違いないな」
「何が」
「ちゃんと」
「向こう側だ」
その言葉に、
染崎の背筋が、
じわっと冷える。
「……ねえ」
「今さらだけどさ」
誰も答えない。
「帰り道」
「ちゃんとあるよね?」
洞穴の奥から、
水滴が、
ぽちゃん、と落ちる音だけが、
返事をした。
*
穴の奥へ、進むことになった。
なぜか。
なぜか、染崎が先頭だった。
(なんで?)
心の中で三回くらい思ったが、
誰も代わってくれない。
「……ちょっと待って」
「足元見えないんだけど……」
懐中電灯の光が、
震えて壁を舐める。
足が、がくがくする。
生まれたての子鹿とは、
多分、こういう感じだ。
「旧校舎の下に」
「こんな穴があるとか聞いてない……」
声も、
若干裏返っていた。
後ろで、
アカツキが淡々と言う。
「まあ」
「多分、防空壕の名残だな」
「……ぼーくうごー?」
楓月が、
思わず聞き返す。
「それって」
「戦争のときに隠れるやつ?」
「そうだな」
アカツキは、
歩く速度も変えずに答えた。
「成宮は」
「太平洋戦争の頃」
「わりと派手に狙われてからな」
湿った壁に、
懐中電灯の光が揺れる。
「人も」
「いっぱい死んだ」
さらっと。
重さも、
ためらいもなく。
「爆撃で」
「工場で」
「逃げ遅れて」
楓月が、
口を閉ざした。
ヒカリも、
珍しく何も言わない。
染崎は、
唾を飲み込む。
「……アカツキ」
「ん?」
「そういうの」
「普通」
「もうちょっと……」
「感情込めるか?」
アカツキが、
首を傾げた。
「私は」
「見てただけだからな」
その一言で、
染崎の背筋が冷えた。
見ていた。
当時から。
この土地が、
燃えるのを。
人が、
逃げるのを。
死ぬのを。
「……」
「場所ってのはな」
アカツキは、
壁に手を当てる。
「忘れたふりはするが」
「忘れてはいない」
指先が、
湿った石に触れる。
「だから」
「こういう日に」
「にじむ」
染崎は、
足を止めかけて――
慌てて、
また歩き出した。
その後も本当にどうでもいいことで、
染崎はいじられ続けていた。
チキンだの、トマトのヘタレだの散々な言いようである。
「そこ段差あるぞ、ビビ崎」
「ひっ……!」
「今のは別に怖がるとこじゃない」
「うるさい!!こけて骨折したらとか考えると内臓全部吐きそうなほど怖いの!!」
「うわ…表現気色悪いな」
声を荒げた瞬間、
自分でも情けなくなって黙る。
そんな空気を、
ふっと切ったのはアカツキだった。
「……止まれ」
足が止まる。
アカツキの視線が、
奥の暗がりを射抜いている。
「人の気配がする」
「え」
染崎が聞き返す前に、
アカツキは小走りで駆け出した。
「ちょ、ちょっと――!」
慌てて追いかける。
懐中電灯の光が、
奥で何かを照らした。
――人だ。
倒れている。
「……女の子だ」
染崎は、
反射的に駆け寄った。
膝をつき、
肩に手を伸ばす。
「だ、だだ大丈夫!?!?!?」
自分でも呆れるほど、
声が裏返った。
少女は反応しない。
眠っているようにも見えるが、
ここがここだけに安心できない。
染崎は、
ふと足元に目をやる。
上靴。
色は青いから――二年生。
「……」
さらに、
腕。
暗闇の中でも、
はっきり分かる。
生徒会書記の腕章。
「……っ」
喉が鳴る。
「間違いない……」
「この子だ……」
消えた、
二年の書記。
染崎は勢いよく立ち上がり、
振り返った。
「アカツキ!」
「この子おぶって!」
「早く退散しよ!!」
完全に丸投げだった。
しかし――
その瞬間。
ゴゴ……
低く、
地鳴りのような音。
「……え?」
次の瞬間、
床が揺れた。
「うわっ!?」
壁から、
ぱらぱらと砂が落ちる。
地震。
そう思う暇もなく、
揺れは増していく。
「ちょ、ちょっと待って!?」
「これ崩れない!?!?」
染崎が半泣きで叫ぶ。
アカツキは、
一瞬だけ周囲を見回し――
「……」
決めたように言った。
「ちょっと様子見てくる」
「は!?」
「今!?!?」
「ヒカリ」
「ビビ崎頼む」
「りょー」
ヒカリ、びしっと敬礼。
「なんでそうなるの!?」
「こんなちっさいの染崎の安定剤になれないよっっっ」
「アカツキー。これやっちゃっていい?」
さらっと怖いこと言う。けどこれは染崎が120%悪い。
「後で煮るなり焼くなり遊んでやってもいいからいまはやめておいてあげろ」
とアカツキは走り出す。
「あ、俺も!」
楓月が、
完全に興味本位で後を追った。
「ちょ、楓月くん!?」
「行っちゃやぁっぁああああああああ」
声は届かない。
残されたのは――
染崎と、
ヒカリ。
二人きり。
揺れは少しずつ収まりつつあったが、
静かになるほど逆に怖い。
……落ち着け。
落ち着け、染崎。
「……えっと」
声を出してみる。
情けないくらいに掠れていた。
「ヒ、ヒカリ……?」
「なあに、せんせー」
「……あのさ」
「この状況、どう考えてもまずくない?」
「んー?」
ヒカリは首をかしげる。
「まずいってなに?」
「おなか?」
「違う!!」
「崩れるとか!迷うとか!酸素とか!!」
「さんそってなに?」
「……もういい」
染崎は深くため息をつき、
倒れている少女を見下ろした。
放っておく選択肢はない。
それだけは、嫌というほど分かっている。
「……よし」
覚悟を決めて、
染崎はしゃがみ込んだ。
「ヒカリ、この子……背負うから」
「手、貸して」
「りょー!」
ヒカリは元気よく返事をして、
少女の腕を持ち上げる。
「おもーい?」
「重いって言うな!!」
「女の子だぞ!!」
「おんなのこ?」
「そう!!」
「ふーん」
「でもせんせーのほうがぷるぷるしてる」
「うるさい!!!」
歯を食いしばり、
少女を背中に担ぐ。
小柄だが、
人一人分の体重はきちんとある。
「……っ」
足が震える。
「だ、大丈夫……」
「旧校舎の下だし……」
「一本道、だと信じたい……」
「せんせー、かみさまにおねがいする?」
「今は現実的な話をしたい」
懐中電灯を握り直し、
一歩、踏み出す。
砂利が靴の裏で鳴った。
「……っ」
「と…というか……自分、女子生徒に触れて公然わいせつ罪に問われないよね…?」
「わいせつざいー?何それー」
背中の重みが、
やけに生々しい。
生きてる。
確かに、人を背負っている。
「……ん……」
そのとき。
背中で、
微かな声がした。
「……え?」
「んん……」
少女の指が、
染崎の肩をきゅっと掴む。
「ちょ、ちょちょちょ」
「起きた!?!?」
染崎は半ばパニックで立ち止まる。
「ヒカリ!!」
「この子起きて――」
そして。
「……∴※▽……」
「……あ゛ー……⊿⊿……」
「……は?」
染崎の脳が、
一瞬フリーズした。
「え、なに?」
「今の日本語!?」
「……◇◇◇◇」
「……みち……χι※……」
記号みたいな音の羅列。
単語の形をしていない。
文法も、意味も、何もない。
ただ、
口から零れている感じ。
「……」
染崎は、
思わず笑いそうになるのを堪えた。
「ご、ごめん」
「状況最悪なんだけど」
「ちょっと面白い……」
ヒカリは、
目をきらきらさせる。
「すごーい」
「ロボットみたーい」
「すっごい楽観的…」
少女は、
うっすら目を開けたまま、
どこも見ていない。
「……△△△……」
「……ここ……あし……ない……」
「……あし?」
染崎が足元を見る。
ちゃんとある。
「……夢だな、これ」
ヒカリが、
少女の頬をつんつんする。
「ねー」
「だいじょーぶ?」
「……◎◎◎……」
「……あは……」
ふにゃ、と笑った。
「笑った!」
「にこにこだー」
ふにゃ、とした笑顔は、
しばらく続いた。
それから――
「……ん……?」
少女の眉が、
きゅっと寄る。
「……あ……れ……?」
声が、
今度はちゃんと言葉だった。
「……?」
染崎は、
息を止める。
少女は、
ゆっくり瞬きをして――
次の瞬間。
「……っ!?」
自分の視界が、
やけに高いことに気づいたらしい。
「え……?」
「えっ……!?」
きょろきょろと周囲を見回し、
それから――
ぎゅっ。
無意識に、
さらに強く染崎の肩を掴んできた。
「……っ、あの……!」
染崎の心臓が、
嫌な跳ね方をする。
「は、はい!!」
「わ、わたし……」
「……だ、誰かに……」
言いかけて、
自分が“おぶわれている”と理解したのだろう。
少女の背中が、
びしっと固まった。
「えっ!?」
「え!?!?!?」
「ご、ごめん!!」
「勝手に!!」
「でも倒れてて!!」
「状況が!!」
完全に言い訳モード。
少女は、
一瞬ぽかんとして――
次に、
顔が一気に赤くなった。
「す、すみませんっっ!!」
「え?」
「お、お手数を……!!」
「か、かけてしまって……!!」
声が、
小動物みたいに震えている。
「い、いえ!!」
「こっちこそ!!」
「教師なので!!」
「いや教師だからこそ!!」
何を言っているのか、
自分でも分からない。
「え……」
「せ、先生……?」
少女は、
恐る恐る聞いた。
「は、はい!!」
「えっと……一応……」
「そ、そうでしたか……!」
「す、すみませんっっ」
「お名前を存じ上げなくて……!!」
背中で、
ぺこぺこしているのが分かる。
(……)
染崎は、
一瞬呆然として――
次の瞬間。
(……この子……)
脳内で、
静かに思った。
(めっちゃいい子じゃない……?)
目覚めて最初に出るのが、
謝罪。
状況が分からなくても、
相手を気遣う。
声は小さくて、
態度はおずおず。
(……同類だ……)
鏡を見ているような、
嫌な親近感。
「……えっと」
「自分は……染崎です」
「一学年担当の…」
「あ……」
「染崎……先生……噂の…」
少女は、
ほっとしたように息を吐いた。
「わたし……」
「生徒会書記の……」
そこまで言って、
はっとする。
「……あ」
「ここ……どこですか……?」
ようやく、
現実に戻ってきたらしい。
ヒカリが、
横からにゅっと顔を出す。
「ここねー」
「くらーいあなー」
「……え?」
少女の顔色が、
さっと変わる。
「……あ、穴……?」
「うん」
「せんそーのときのやつだって」
「ちがう!!」
「あ…い、いや!違わないけど違う!!」
「いまは安静に……」
染崎は、
慌てて言い添えた。
「だ、だいじょぶ」
「今、外に向かってて……」
「すぐ出るから……!」
「……」
少女は、
一瞬だけ黙り――
それから、
また小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます……」
「ほんとうに……」
その声が、
あまりに控えめで。
染崎は、
胸の奥がきゅっとした。
(小動物系だ……)
確信した。
「……あの」
「無理しないで」
「揺れ、落ち着くまで」
「このままでいいから……」
「は、はい……」
背中で、
遠慮がちに力が抜ける。
軽くなった。
染崎は、
ゆっくり歩き出す。
「せんせー」
ヒカリが、
小声で言う。
「このこ」
「いいこだね」
「……だね」




