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十一祓目 秘密

 クラスの喧騒が、すっと遠くに引いていく。

 染崎は一瞬、明るい蛍光灯の白い光の中で固まった。


 胸の奥に、冷たい指が触れたような感覚が走る。


 ——死んだあと。


 その言葉だけが、脳裏に浮かんで離れなくなる。

 視界の端がじわりとにじみ、思考は勝手に過去へ引き戻された。


 揺れ続ける、線香の細い煙。

 灰皿に残った、誰かのタバコの湿った匂い。

 知らない親戚たちの、ひそひそ声。

 妙に沈んだ空気だけが、部屋の隅々まで張りついていた。


 ——(たまき)


 呼べば壊れてしまう気がして、名前を心のなかでそっと触れるだけにした。


 喉の奥がきゅ、とつまる。


 佑月くんは、何かを急かすような目はしていなかった。

 ただ、待っていた。

 子どもらしからぬ、淡く静かなまなざしで。


 自分の指先が小さく震えているのに気づき、呼吸を整えようとした。

 だが、過去の空気が胸にまとわりつき、肺の奥まで入り込んでくる。


 ——答えなきゃ。


 数秒。

 ほんとうに、わずかな沈黙だった。


 それでも染崎にとっては、重たく長い時間だった。


「……うん。あるよ」


 しぼり出すように、けれど確かに声にした。


 佑月はその答えを聞くと、まるでそれだけで充分だったかのように、微かにまばたきをした。


「……そっか」


 それだけ。

 それ以上、彼は何も聞かない。

 染崎の内側に踏み込みすぎないような、奇妙に大人びた間の取り方だった。


 しかし、彼の細い肩がほんの少しだけ下がった気がして——

 その仕草の意味を、染崎はまだ読み取れずにいた。


 会話は、それきりだった。


 佑月は染崎の返事を聞くと、まるで用件は済んだとでも言うように、すっと立ち上がった。

 イスの脚が床をこする乾いた音だけが、やけに大きく響く。


「……佑月くん?」


 呼び止めるほどの理由もなく、ただ名前を零しただけだった。

 佑月は振り返らない。

 その小さな背中は教室の出入り口へ向かい、そのまま廊下に消えていった。


 染崎は、呆気にとられる。


 ——あれ?

 この子って、もっと内気で、臆病で、人の影に隠れていたような……。


 自分の影にしがみつくみたいに、楓月にくっついていたはずだ。

 今のは、初めて会ったあの日のような。静けさがあった。感情がないような。


 それなのに。


 今の佑月は、何かを「確かめに来て、そして去った」ような、そんな軽さと決意を感じさせた。


 不自然ではない。

 でも、どこか違和感があった。


 染崎は、佑月が出て行ったドアをしばらく見つめていた。


 胸の奥に、さっきの記憶の残り香みたいな重さと、

 佑月の姿が残した、小さな謎だけが残っていた。


 *


 放課後。

 帰りの支度をするでもなく、染崎は校庭のグラウンドの外側にポツンと立っていた。


 ——佑月くん、なんだったんだろう……。


 思い返すほどに気になって仕方がない。

 あの静かな声、妙に澄んだ目。

 そして、あの一言だけを置いて去っていった不思議さ。


 その瞬間だった。


 ぶんっ、バァン!!


「ぶっっっっ!!???」


 視界いっぱいに白い衝撃が広がった。

 次に世界が戻ったとき、染崎は地面に倒れていた。

 痛い。顔面がとにかく痛い。鼻が終わった気がする。


 至近距離でサッカーボールがクリティカルヒットしていた。


「…すいません」


 それだけだった。

 無愛想だ。人様の顔にボール当てたくせに。


 ——そもそも、なんで俺ここにいるんだ……?


 10分前のことを思い出してみる。


「そめちゃんー!助かったよぉ」

 あの、満面の笑みで手を合わせてくる犯人の顔が浮かんだ。


 市ノ瀬先生。


 サッカー部の顧問を探していたらしく、

「若くて運動できそうな先生を連れてこい」と言われたらしい。


 その“若くて運動できそうな”枠に、なぜか自分が選ばれた。


「ちょうどそこにそめちゃんいたし!ほら、若いし!動けそうだから!」

 市ノ瀬先生は、満面の笑みで染崎を売ったのだ。


 結果、部活指導・仮顧問体験の名目で、

 ボールを全力でぶつけられたのである。


「……自分どこが動けそうなんだよ……」


 涙目になりながら顔を押さえる。

 どうせ顧問んなるならば、文化部が良かった。例えば…数学部とか。え?ない?

 作るんだよぉ!


 顔の痛みを押さえて立ち上がったそのときだった。


「ふざけんなよ!!」


 グラウンドいっぱいに響く怒号。

 染崎が反射的にそちらを向くと、サッカー部の部員ふたりが胸ぐらを掴み合っていた。


「俺の水、全部捨てただろ!!」

「はぁ!?知らねーよ!!勝手にキレてんじゃねぇ!!」


 一触即発というより、もう今にも殴り合いが始まりそうな勢いだ。


 しかも、水を捨てられたという側の部員は、手にスパイクを握っている。

 今にも武器として振り下ろしそうだ。


 (いやいやいやいや!!あれ当たったら普通に救急車!!)


「や、やめろって!!お前ら落ち着け!!」


 “顧問っぽい声”を意識しながら染崎は慌てて二人の間に飛び込んだ。


 その瞬間。


「どけよ!!」

「離せって!!」


 ぐしゃっ ばたばたばたッ!!


 染崎はふたりの勢いに巻き込まれ、

 自分がどこに腕があるのか分からないほど、完全にもみくちゃにされた。

 ひょろひょろもやしチキンにケンカなど出来っこないです。


「ぐへっ……!? ちょっ、いでっ……腕っ……首っ……!!」


 足が絡まり、誰かの肘が顎に入り、さっきのサッカーボールより痛い。

 視界が回転しながら、地面に転がされる。


 (なにこれ、俺今日なんか呪われてんの?)


 結局二人が収まったのは周りが止めてくれたからだ。

 自分はただただ、もみくちゃにされただけだった。


 


 どうやら、水を捨てた部員はそんな記憶ないらしい。

 でも、捨てられた相手は目で見たらしい。確かに相手が捨てたと。


 そんな摩訶不思議なことは、これで終わりではなかった。



 _____翌日☆☆


 顔面は絆創膏だらけ。

 前髪でなんとか隠しているが、どう見ても交通事故の後みたいなビジュアルで、染崎は職員室へ向 かった。


「……おはようございまーす……」


 死にかけの声で扉を引くと、


 ぽっかり。


 まるでその場所だけ“切り抜かれた”かのように、

 染崎の席だけが 丸ごと消滅 していた。


 机も椅子も、書類も、可愛くて飾っていた牡蠣のぬいぐるみキーホルダーも。

 一式すっぽり、跡形もない。


 (……………………)


 染崎の脳が完全フリーズしたあと、一周回って、


「……あ、ついに……ついにいじめが始まった……!!!」


 漫画みたいに膝から崩れ落ち、

 職員室のど真ん中で泣きながらうずくまった。


「先生、落ち着いてください……!」


「違うの!違うのよ染崎先生!」

 保健の福田先生が慌てて背中をさする。


「あなたの机、なくなってるから探してるのよ!!」


 (あ、そうなの?)


 しかし言えない。恥ずかしくて言えない。


 すると、


「そめちゃん〜〜♡」


 嫌な予感がして顔を上げると市ノ瀬先生が満面の笑みで寄ってきた。


「机見つかるまで、俺の机一緒に使お♡

 ちょうど椅子ふたつあるしっ」


「……いやです。(即答)」


「えっ なんで!?」


「えっじゃないです。絶対やだです。やめてください。逃げますよ俺」


 市ノ瀬先生は肩を落としてしょぼんとするが、

 染崎にとってはそれどころではない。


 (俺の机……どこ……?)


 職員室全体がザワザワしている。


「でも本当に消えたよな」

「机一式だよ?盗むにしても重いよ?」


 先生たちは困惑している。


 *


 染崎は、

 机が見つからないまま、肩を落として教室へ向かった。


 廊下を歩いているだけで、

「……あ、染崎先生。顔……どうしたんですか……?」

「昨日サッカー部にボコられたらしいよ」

「え、顧問って命がけ?」


 などとヒソヒソ声が聞こえ、精神ダメージは既に瀕死。


(……せめて、教室だけは平和であってくれ……)


 祈るような気持ちで扉を開けた。


 ――その瞬間。


「ない!!」「先輩から借りたグリスがねぇ!!」


「ちょっと!!なんで私の筆箱に

 幸太の消しゴム入ってんの!?気持ち悪!!」


「ノート全部、誰かと入れ替わってるんだけど!?!?」


「わぁぁぁ宿題持ってきたのに消えてるぅぅぅ!!」


 教室は地獄だった。


 床に散乱する私物。

 泣く子、キレる子、呆然として動かない子。


 教師として止めに入る前に、

 染崎は一瞬で悟る。


(……職員室以上にカオスだ……!?)


 そんな中、ひときわ声の大きい少年がいた。


「せんせ~~~!!見てこれ!!!」


 元気いっぱいに手を挙げる楓月くん。


 その手には――


 女子・渚さんの国語の教科書。


「渚のきょーかしょ、なぜかオレのカバンに入ってた!!」


「返せ!!!」

 渚さんが真っ赤になって追いかける。


(どさくさに紛れてなに楽しそうに発掘してるのこの子……)


 あまりのカオスっぷりに、

 昨日のサッカーボールの痛みがむしろ落ち着くほどだった。


 しかし、ふと気になることが。


(……あれ? 佑月くんは……?)


 教室のどこを見ても、佑月の姿がない。


 出席簿を確認すると――


「本日 欠席」


 その文字を見た瞬間、

 染崎の胸の奥がきゅっと強く縮んだ。


(……昨日のあの会話のあとに欠席……?

 まさか、具合が悪くなったとか……いや、それだけ……?)


 嫌な予感だけが静かに背筋を伝っていく。


 そんな染崎の不安をよそに、


「せんせ~~!今度は翔太の体操服、俺のロッカーに入ってた!!何これ宝探し!!?」


 染崎は(なんでこんなことに……)と内心泣きながら、なんとか場をなだめようと教壇から降りようとした。


 その瞬間。


 コロ…


 足の裏に何か丸い感触が転がる。


「え?あ、ちょっ――うわあッ!!」


 ゴキッ。


 ――教室の空気が一瞬止まった。


「せ、先生……今なんか折れた音しなかった……?」

「してない!!してないから!!」


 顎を押さえながら慌てて立ち上がる染崎。

 足元を見ると、金色のやや大きめの鈴が転がっていた。


 掌にのせるとズシリと重い。

 古めかしいのに、どこか妙に光沢が残っている。


「これ……誰の?」


 しかし、生徒たちはそれどころではなかった。

 また空気が動き出し、ざわめく。


「机の中身が全部違うんだってば!」

「おい、これ俺のハンカチじゃねえ!なんだよこの模様!」


 騒ぎの大きさに、鈴の主を聞く余裕など誰にもない。

 染崎は(あとで誰かに……)と胸ポケットに鈴をしまった。


 *


 騒動が落ち着くどころか、さらに深刻さを増した。


「せんせー……あの……」

 泣きそうな声が教室の後ろから上がった。


 振り返ると、そこにいるはずの“机”が――ない。


 空白だけがぽっかりと広がっている。


「え?……え?」


「さっきまであったよね……?」

「いや、机が消えるってどういう……」

「また誰かが持ってったとか?」

「いやいやいや、盗むにしても机は無理だろ!」


 混乱がさらに大きくなる。


 染崎は思わず胸ポケットの鈴を握る。

 さっきから、微かに温かいような……気のせいだろうか?


 すると、ほなみ先生が別の組の授業を終えて教室に戻ってきた。騒然とした空気を見て目を細めた。


「……何があったんですか?」


 生徒たちは一斉に説明し始める。


「私物が全部入れ替わってて!」

「森谷の机が消えて!」

「オレの体操服、渚のカバンにあった!」

「そっそれはっ…ヘンタイじゃないからっっっ」(何度も言う)


 混乱の渦の中、寺沢は無言で状況を整理し、こめかみにそっと指を当てる。


「……染崎先生。どういうことですか……?」


 低い声に、クラスがすこし静まる。


 横で染崎は泣きそうな顔で、机をなくした生徒に向けて

「だ、だいじょうぶだよっ…せ、先生たちが!探してあげるからねっっ!!」

 と精一杯のフォローをする。


 その様子を横で見ていた寺沢が、ぽつり。


「……申し訳ないですけど、すっごく頼りないです。」


「ヱッ……」










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