一祓目 成海中学校
雨が降り続けていたあの日から、
時間だけが過ぎていった。
舞台は昭和五十年代の地方都市。
失ったものを抱えた青年が、
「教師」として日常へ戻り、そこで再び非日常に触れていく。
静かな始まりですが、だんだんと不可思議が色濃くなる作品です。
どうぞ気楽に読んでいってください。
あれは、7年前の蒸し暑い梅雨の日だった。
あの日の雨は三日間執拗なまでに途切れずに降り続いていた。
外の屋根を叩く雨音は、屋敷の中まで響き、湿った空気と混ざって重く沈んでいる。
青年は、仏壇の前に正座したまま動かなかった。
手は膝の上で重く、肩もほとんど揺れない。
ただ黙って座り続け、仏壇に飾られた妹の遺影を見つめていた。
背後では、親戚たちが小さな声で話している。
「まだ十七歳なのに」
「かわいそうに」
「お母さん、大丈夫かしら」
耳に届くのは断片だけで、雨音の中に溶けてしまう。
声の主も、どこから聞こえているのかは分からない。
「後継はどうなるのかしら」
「陽介君だろう。あの子もいい年だ。もう二十歳だろう?」
「しっかし、まぁ…当の本人は泣きもせず仏壇と睨めっこだ。あんなのに務まるのか?」
遺影の中の妹は、静かに笑っていた。
十七歳。市電との事故で突然失われた命。
笑っている。
死んだはずなのに。
その違和感が、胸に刺さった。
線香の煙がゆっくりと上がり、湿気に押されて形を変えながら漂う。
その淡い揺れを、青年はただ目で追った。
外の雨は、少しずつ強さを増している。
屋根に打ち付ける音が式場の壁に跳ね返り、静かだった空気をわずかに揺らす。
青年の意識も、まるで雨に溶けるように現実から離れていく。
人は本当に辛い時、涙すら出ないと知った。
*
朝の光が、少し強すぎるくらいに町を照らしていた。
青年は四階建ての自分が住んでいるアパートを後にして、自転車のサドルに腰を下ろし、
ペダルを踏む。
まだ新しいスーツの裾が風に揺れ、肩から下げた教師用の鞄が、
ペダルを踏む動きに合わせてかすかに揺れる。
風が頬を撫で、タイヤの振動が手に伝わる。街の匂い、舗装路の熱気、
線路沿いの草の匂い―― 全てが流れていく。
商店街のシャッターの隙間から、開店準備の人々の声が零れ聞こえる。
踏切の警報機が鳴り、街のリズムに小さな変化が生まれる。
自転車のチェーンの音が、足取りに合わせて刻まれる。
今日は待ちに待った入学式である。
無論、自分が入学するわけではない。
この春中学校の教員免許を取得し、晴れて新米教員として勤務することと相なった。
____父親や親族の反対を押し切って、家出した甲斐があった
そんなことをぼんやり考えながら、いつのまにか中学校の正門まで来ていた。
成海中学校。
明治15年に開校してから今日まで地域の伝統校であり続けている。
かつて自分が通った母校でもある。
不幸のどん底だった時、辛かった時、悲しかった時、
全てを忘れるわけではないが、今日から、生き直すのだ。
人を教え、頼られ、生徒の人生を少しでも良くしてあげられるような、そんな教師に。
しかし。
門が――閉まっていた。
「……え?」
呆気にとられた声が、自分の口から漏れる。
今日は休日でもない。入学式だ。学校は当然開いているはず。
そう思っていたのだが、門には無情にも太い鎖がかかっていた。
門扉の上には、手書きの看板がぶら下がっている。
『管理上、七時三十分までは施錠しています』
現在の時刻:午前六時二十四分。
一時間。
そうだ。この青年は心配性のあまり遅れてはならないととんでもなく早く来てしまったのだ。
「……早く来すぎた……!」
※早すぎです
額に手を当て、あまりの恥ずかしさに、誰も見ていないのに周囲をキョロキョロと確認する。
門の向こうは静まり返っていて、教師も用務員もいないようにみえた。
(よかった……誰も見てない……たぶん)
しかしその瞬間、頭の中で最悪の未来図が広がる。
――もし誰かに見られて
『先生、門の外で固まってましたよ?』
なんて噂になったら、
初日から“挙動不審教師”の称号が確定してしまう。
「……いや、絶対だめだめだめだめ!!!!!」
青年は門の近くに立ったまま、
何かを決意したように体勢を変えた。
しかし何をするのかは自分でも分かっていない。
ただ焦っている。
どうにか“ここに来た理由”を正当化できる姿勢を探しているだけだ。
――すると。
「…そこのあなた、なにしてるんですか?」
背後から声がした。
ビクゥッッッ!!
青年は肩を跳ね上げ、首まで固まった。
ゆっくりと振り向くと、そこにはピシッとスーツで決めた女性が。端正な顔立ち。いかにも“でき る”タイプのキャリアウーマンである。不審な目でこちらを見ている。
目が合った瞬間、青年の心の中に浮かんだ言葉は一つだけだった。
(詰んだ)
すると、女性は何かに気がついたようで、不審者を見るような目つきをやめた。
「あなた、もしかしてここの教員?」
「え…どうしてわかったんですか…?」
「首から、ずっと下がってましたよ?ネームプレート。」
「…ゑ?」
青年の動きが固まった。
さっきからずっと首から下がった緑色の紐に繋がれたビニールの小さなプレート。名前も所属も、 ばっちり書いてあるそ れは、確かに隠す気ゼロでぶら下がっていた。
「いままで……ずっと個人情報、撒き散らしてた……ってコト!?」
「そうなんじゃないですか?」
しれっとなんともないようにそう告げられて、さらにテンパる。
「ちょっっ何で言ってくれないんですか!?!?」
「…いや、今来たばっかですし。なんか見てて滑稽だなって」
あ、この人性格悪い。
恥ずかしさが全身に電撃のように走り、青年はもう発狂寸前であった。
女性は思い出したようにクスッと笑い、
「私は寺沢ほなみ。今日から一年五組の副担任を務めます。」
と名乗った。
「え……一年五組……」
青年は乾いた声を漏らす。
今日から彼が受け持つクラス。それが一年五組である。
となれば――
「そう。あなたが担任で、私が副担任。つまり……」
女性は軽やかに片眉を上げた。
「今日から“相棒”ってわけね。」
「よろしくね。”染崎陽介”先生」




